涙の花
夕日が赤く彩る街の影をユウキは一人で歩く。
後の仕事は凜々に任せやっと一息吐く時間が出来た。すれ違う人達の表情を見ると皆笑顔である。
マヲの歌を聞けて良かったとかあれが美味しかったとか前半の感想を語り合い、夜の部への期待に目を輝かせていた。
こういう会話を聞くと苦しい訓練を耐えた実感が湧いてくる。
店じまい一歩手前の店からアイスを買い、食べながら適当に街を散策する。
味はエルの果実にしようと思ったが生憎品切れになっていた。代わりに選んだイチゴだがその柔らかい甘さに目が点になる。
すんなりとスプーンが入るのに口の中ではしっかりとした食感が味わえる。
「おや、ユウキかい?」
戦闘後の熱い体に染みるような冷たさに癒やされていると背後から声をかけられた。
「フィール...?」
「やぁ、ちょうど良かった。君を探していたんだよ」
「僕を...?」
前髪をサッと撫で、その通りだとフィールは答えた。
フィールに会うのも久しぶりな感じだ。
祭りが始まってからほとんど誰とも会わず、会話したのは凜々と精霊くらいで余計にそう思ってしまう。
「君には来て欲しい場所があるんだ。詳細は歩きながら話すつもりだが来てくれるかい?」
「うん、いいよ」
二つ返事で答えたユウキにフィールは思わず吹き出してしまった。
「え...ちょ、なんで笑うの!」
「いや...君が...ふふ...あまりにも...お人好しだから」
片手で顔を覆い誤魔化そうとしているが笑いをこらえきれず肩が小刻みに震えている。
何故笑われているのか意味が分からずユウキの顔は真っ赤になる。
「こっちだ...くく...付いてきたまえ」
「う~...」
至って普通に振る舞おうとしているが時折笑いが漏れている。ユウキは恥ずかしさと熱さでアイスを頬張るしかなかった。
「さて、君に頼んだのは他でもない。ヲルタナのことだ」
「ヲルタナ...」
二人は建物の裏へ進み長い階段を下りていく。ならず者との距離も近いここは帝国内でも貧民層が集まっていることで知られている。
日々事件が続き、死者も行方不明者も出ていると噂されるほど恐れられている。だがその実態は未だ分かっていない。
ただ一つ、死にたくないなら近づかないこと。それがこの地区への扱いだった。
「当事者の君なら分かるだろうがヲルタナは今一人だ......文字通りね」
「.......」
「.......」
二人は沈黙した。ヲルタナの心情は想像し難い。ただ酷く心が壊れてもおかしくない程悲惨な出来事ではあった。
「僕も声をかけたんだが...君の方がこういうのは向いてると思ってね」
「えぇぇ...」
「ふっ...そんな顔をしなくても良いだろう。君の人柄は僕も評価しているんだ」
意外にも素直に褒められ、理解が追いつかなかったユウキは一瞬固まった。
「どうしたんだい?」
「いや、そんなこと言われたことなかったからびっくりして」
「本当かい?」
振り向いたフィールの顔は信じられないとでも言いたそうな表情をしていた。
「僕は色んな人を見てきたけど...君みたいに他者に優しく、それでいて時には冷静な判断を下すことが出来る人はそういない。この僕が言うんだ自信を持ちたまえ」
どうだと言わんばかりに前髪を撫で誇らしげな顔をしている。
その溢れる自信と決め顔と褒められた嬉しさでユウキは笑ってしまった。
「ふふっ」
「な...!何がおかしいんだい!」
「いや、ありがとうって思っただけだよ」
困惑するフィールにユウキは微笑む。
実際人に優しく出来ているかは分からないがヲルタナにとって非情な判断を突きつけたのは事実である。
魔族は人に戻すことが出来ない。方法が見つかるまで拘束することも出来たかもしれないが魔族の力は強大だ。
数日捕らえておくだけでも相当なコストがかかるしあの時は悠長にしていたらこの中の誰かが死んでいたかもしれない。
実際はここまで冷静に考えていたわけではないが後から考えると仕方のない判断ではあった。
それでも許されるとは思っていない。話し合うと言いつつもしかしたら殴られるかもしれない。
笑いながらもユウキは相応の覚悟を決めていた。
「この先を進めばヲルタナに会えるはずさ」
「あれ、フィールは一緒に来ないの?」
「僕はこの後茶会の予定があるんでね。任せっきりで悪いがよろしく頼むよ」
階段を下りきるとフィールはエスコートのように道を空け、ユウキに進むよう促した。
視線の先は薄暗い地下の中では一際輝いていた。噂には聞いていたが地下街には特殊な花が咲いている。
花の種類としては珍しいものではなく帝国領の周りに咲いているものが多い。
ただここの地域に咲くものだけが光を放つ特性を持っている。緑や青のみだがそれでも幻想的な雰囲気が広がっていた。
「わぁ...」
思わず声を漏らす。足下を淡く照らし天井にも点々と咲く花を見ているとどのように育っているのか気になってしまう。
自然の力は時に単純で時に複雑である。特にこの花達は魔力なしでこの特性を有し、今日まで命を繋げている。
数多の科学者が原因を探っても解明されず、テラ曰く何らかの方法で作られたものだそうだ。
そんな未知の自然を目の当たりにして心が躍らない方がおかしい。
実際はヲルタナに会う緊張と混ざっていたのかもしれない。
高鳴る鼓動と共に歩いているとそれほど時間もかからず一軒の家が見えてきた。
「ヲルタナ...?」
「....誰だ」
家の前には一人の男が座っていた。ユウキが声をかけると振り返り、目を細めてこちらを窺っていた。
機器のあるユウキには見えているがいくら花の光があっても薄暗い地下では顔を判別するのは難しい。
「僕だよ。ユウキだよ」
「....てめぇか。こんな所まで来て何の用だ」
ヲルタナは二、三歩遠のいた距離まで歩んでくるとようやく顔が見えたのかぶっきらぼうにそう言った。
ヲルタナを初めて見たときも思ったが顔をやや上に向け見下すように人を見てくるのが気になる。
正直怖い。と言うか帝国軍の中で怖くない人の方が少ない気がする。
どのように話題を切り出すべきか迷っていると意外にもヲルタナの方から口を開いた。
「おい」
「...!...何?」
それ以上何も言わず顎でこっちだと指示される。
ヲルタナの背に隠れて見えなかったが家の前には小さな石碑らしきものと可愛らしい小物が置いてあった。
ユウキは横に座り込みヲルタナの言葉を待った。
女性の姿を象っているこれは妹の墓なのだろう。職人が作るような精巧なものではないが大切に作られたのが分かる。
「てめぇがここに来た理由はこれだろ」
「うん、そうだよ」
相手を威圧するような声だが怒りは感じなかった。むしろ優しいというかどこか勢いがないような印象である。
明らかに元気がない。いつもいるフィールなら当たり前のように分かるだろうがユウキでさえも分かるのは相当だ。
「これ...珍しい花の髪飾りだ」
目に留まった髪飾りはサンカヨウと呼ばれる花をモチーフにした形をしている。
この花の特徴は氷のように透き通り、透明なガラスのように見えることだ。
ぼんやりとしている元の世界の記憶でも珍しい物であり、この大陸内ではもう見ることも出来ないだろう。
帝国領にある図鑑には記録こそされているものの現物はどこに咲いているのか分かっていない。
「分かるのか...。いつか本物を見るってはしゃいでやがった...」
小さな髪飾りを摘みヲルタナは物悲しそうにそう言った。
透明な髪飾りはヲルタナの代わりに泣いているように見え、ユウキの機器にも同様の反応があった。
悲しみというよりも後悔の方が近い。何故だと答えの出ない言葉を繰り返している時に似ている。
そんな感情が渦巻いている中でもヲルタナは冷静に見えた。
本当に強いなと思う反面、こうなった人を元気づけるのは至難の業だ。
別れの方法に心を縛られ、もっと前から気持ちを伝えていればと思い続ける。
今回の襲撃で多くの人が同じことを思っているだろう。
当たり前のようにつづくと思っていた時間。その中のほんの少しでも使って言葉を交わしていればと何度も繰り返す。
....もう一度だけ話せたら...
チャリン
「....?」
「何......?」
閉鎖した空間に木霊するように生まれた金属音。突然のことに二人の視線は音の発生源に注目した。
丁度ユウキが座っている場所にあるそれを拾うとユウキもヲルタナも首を傾げた。
「コイン...?」
拾いあげた小さな物体はコインのように見えた。
帝国領で使われている通貨ではないようだ。片面は月と星が描かれ、もう片方には猫が眠り夢を見ているような絵が描かれていた。
「うわ...?!」
「なっ...!!」
しばらくコインの裏表を見比べていると突然眩い光が二人を襲った。
暗がりに慣れていた目は余計にダメージを受け、視界が戻るまでには時間がかかった。
やっとのことで見えるようになった目には更に衝撃的なことが待っていた。
「兄様」
「?!...セレナ」
「え...えぇ?!」
目の前には死んだはずのヲルタナの妹が立ち、こちらに笑顔を向けていた。
驚く二人を他所にコインはユウキの手元から静かに消えた。




