五章 その後
花の王となったジュールは、シレラと共に、太陽の城に押しかけていた。なぜ、元々花の精霊達がいた花園ではなかったのかというと、大地の領域に厄介になることに抵抗があったらしい。元風の精霊だからか?とリティルは気に留めていなかったが、インファは元初代風の王のルディルと癒着するつもりでは?と勘ぐっていた。
「――はは。おまえとジュール、うまくやれてるだろ?」
リティルは、応接間でルディルから通信を受けていた。
『ぬかせ!あんな腹黒淫乱男と気が会ってたまるか!もう、孕ませていやがるぞ?まったく躊躇いがねぇわ』
「はは。ジュールだな。いいじゃねーか、あいつがやりまくってたの、花の姫と自然に子供がほしかったからなんだぜ?願いがやっと叶ったじゃねーか」
『願いねぇ。蛇のイチジクにシレラが取り憑かれていやがる時点で、自然にってとこには疑問しかねぇわ!』
「なんだよ?また持て余してるのかよ?太陽王様?」
『ぬあ!違うぞ。その……なんだ!おまえは大丈夫、なのか?』
「……明日、猛吹雪だな」
『猛吹雪でもなんでも来やがれ!おまえを心配して……何が悪い!』
「ダメだぜ?ルディル、美味しそうだからって、キノコは食べるなよ」
「誰が食うか!」
ん?リティルは真後ろでしたルディルの声に、振り向いた。すると、いきなり誰かに抱きつかれていた。
「来てやったぞ?リティル!」
フワリと藤の花の香りがした。視界を、波打つ緑色が塞ぐ。
「へ?ジュール?おいおい!シレラ放っておいていいのかよ!」
「そのシレラに追い出されたのだ。おまえまでつれなくするな。泣くぞ?」
「ああ、ルディル、ジュールに言わされたのかよ?おまえ、もう弱み握られてるのかよ」
スリスリと頬を頭にこすりつけてくるジュールをそのままに、リティルは夕暮れの太陽王・ルディルを見上げた。
「ちっ!」
ルディルは、丸太のような腕を組むと、凶悪に舌打ちするとそっぽを向いた。
「すげーな、もうルディルを掌握してるのかよ?さすが魔王だな」
「フフフフ。この男、隠す気さえなさそうだったぞ?それで、あの魔女はどうしているのだ?」
リティルを解放したジュールは、遠慮なくリティルの隣へ腰を下ろした。
「シェレラなら、部屋から出てこないぜ?」
「シェラの様子は?」
「あのままだな。意識体の殆どが壊れちまったからな、目が覚めねーんだよ」
「大丈夫か?」
ルディルがソファーの背もたれ越しに、リティルの顔を覗き込んできた。
「はあ?またそれかよ?シェラならここにいるぜ?」
リティルは胸に手を当てた。心にいるから大丈夫と切ない仕草に見えるが、そうではない。リティルは「なんだよ、話してーのかよ?」とリティルは、机の上の水晶球に触れた。
『ルディル、ジュール、いらっしゃい』
水晶球の中に、微笑むシェラが現れた。水晶球の中で立っているシェラは、ガラスの容器に捕らえられた小さな妖精のようだった。
「おう!男2人、妃達に追い出されたわ。おまえさん、なんとかなりそうか?」
『時が経てばとはいかないわね。風の三賢者が方法を探してくれているわ』
「わたしが外されている理由を、そろそろ教えてくれないか?わたしはリティルの父親だぞ?」
ジュールの発言に、リティルが驚いた。
「おおい!オレがいつおまえの息子になったんだよ?間に合ってるぜ?それ言うなら違うだろ?三賢者だろ?」
『ジュール、素直に甘えてほしいと言った方が通じると思うわ?』
「それを言って、拒否された時の衝撃が計り知れん」
「おまえさん、そんなことで傷つくタマかぁ?」
うさんくさそうにルディルが言った。
「わたしはガラスのように繊細だぞ?」
「ハハハハ、それちょっとわかるかもな。けどな、ジュール、オレ、甘えてると思うぜ?」
「足りんな。もっとだ!もっとわたしをほしがれ!」
ジュールに詰め寄られて、リティルは反射的に引いた。
「おまえ、暇なんだな?って言ってもな、花の王って大地よりなんじゃねーのかよ?力の性質的に風の城には住めないぜ?」
「そんなもの、何とかなる。なあ、リティル、わたしをほしいと言え!」
「身重のシレラ放っておくのかよ?ダメだぜ?産まれてきたリャリスに軽蔑されるぜ?」
「ぐっ……ああ!おまえというヤツは!心配なのだ!魔女め、甘え腐りおって!部屋から出てこないだと?ふざけるな!」
「はは、実際そう思ってるヤツもいるぜ?死に際、サクラが何か言ったみてーでな、あのインリーも険悪なんだよ。もうちょっと時間かかるんじゃねーか?」
リティルはあっけらかんとしていて、微塵も心配するところはなさそうにルディルには見えた。
『わたしが動ければいいのだけれど、今はまだ、この距離しかリティルから離れられないの。シェレラが部屋から出てきてくれないと、何もできないわね』
「そうなんだよ。オレが部屋に近づくと誰か彼かが来るしな」
「それは、当たり前なのではないか?おまえは、かなりヤバイ顔であの魔女に斬りかかったぞ?」
あれを見ているだけに、ジュールは案じていた。しかし、リティルはジュールの心配など撥ね除けてしまう。
「オレだって怒るぜ?けど、オレの失敗が招いた事なんだ……あいつを狩るのは違うぜ」
「失敗なものか!そもそも、命の終わりを受け入れなかったことが間違いなのだ。……死んだ女を娶ってしまったわたしが、言えたことではないがな!」
「狩るのは、オレ達には簡単だぜ?」
「その通りだ。だから!おまえに会いに来たのだ!リティル!」
優しくしていたのでは埒が明かないとでも思ったのだろう。ジュールは押してきたが、リティルはスルリと躱して笑った。
「はは、優しいよなぁ……おまえら」
リティルは、迷っていた。凄い2人に見透かされていることはわかっている。わかっているが、巻き込んでしまうことに気が引けた。気が引けたが、リティル1人ではどうにもなからないことでもあった。
「元風の王のよしみってヤツだ。水臭ぇわ」
「できる先輩には甘えるものだぞ?」
リティルは、売り込んでくる2人に、やっと折れる決心がついた。
「はは。ありがとな。まだ、できるって確証はねーんだ。でもオレは、インティーガを救う。力貸してくれよ、ルディル、ジュール」
「やっと落ちたか。このわたしの手を煩わせおって!難攻不落の城塞か?おまえは」
ジュールのフッと前髪を撥ね除ける仕草が、清々しいほど上から目線だった。
「はあ、今日おまえに協力要請されなかったら、城から閉め出されるところだったんだわ。助かったわ。ジュール」
ルディル主導だとは知らなかった。てっきり、ジュールだと思っていたリティルは、大きな安堵のため息をつくルディルの様子に釘付けになっていた。彼が、売り込んでくることは今までなかったのだ。いつもこちらから要請しなければ、座して動かない。それがルディルだったからだ。
「フフン。シレラに感謝してもらおう!おまえと一緒に行けと言ったのは、彼女なのだからな!」
リティルの隣に座ったまま、ジュールは腕を組んでルディルを「貸し1つだ」と見上げて笑った。
「……頼らせ方が、わからねぇんだ。まあ、ノインが頼りなくなったからなぁ、前よりかは、頼ってくれるようにはなぁなったんだわ。これでも」
これでも頼っているつもりだったリティルは、ルディルの情けなく下がった眉毛に驚いた。と同時に、やはり、ルディルから見れば頼りなく映るんだなと思った。
「小心者め。ああ、ルディル、このイシュラースの三賢者の1人がそばにいてやるのだ。風の王は掌握したも当然だぞ?」
現在三賢者に名を連ねているのは、花の王・ジュール、時の魔道書・ゾナ、雷帝・インファだ。リティルにはわからないが、ゾナとインファが言うには、ジュールは1人飛び抜けているらしい。ゾナは「彼は敵に回さない方がいいと、オレは思うがね」と静かに警戒していた。インファは「ジュールが手伝ってくれるなら、オレは寝られます」と笑っていた。
ゾナに警戒され、インファを掌握しているジュールに、さすが賢魔王!とリティルは太刀打ちできないなと風の王としては危機感を持ってはいた。
「あんまりオレを甘やかすなよな!これでも世界の刃なんだからな」
「その点は、世界のヤツは抜かりないぞ?花の王となったことで、魔方陣以外の攻撃が不得手になってしまった。もう、槍は握れん」
ジュールは、綺麗な手をリティルの前にこれ見よがしに差し出してきた。ジュールにはすべて見透かされているのだと、リティルは悟った。
彼はきっと「心配するな。わたし達がおまえを脅かす事はない」と言ってくれているのだろう。
「それだけ魔法が操れりゃぁ、槍なんていらねぇんじゃねぇ?繊細な魔法が使えなくなっちまったオレと、相性良すぎじゃねぇ?」
がさつでずぼらでも、最強の風の王だ。ルディルの、風の王としての最後の戦いを目にしているリティルは、彼の失ったモノを知っていた。
「ルディル、案外がら空きだからな。いい相棒ができたじゃねーか。久々に飛ぶか?今な、オレ達3人でちょうどいい魔物がいるぜ?」
友情はあるつもりだったが、きっと足りないのだ。王として、2人の王を信頼し、時に利用しなければならないのだろう。
「なんと!そんな魔物、誰が狩るつもりだったのだ?」
まあ、驚くよな?オレ達3人――最上級精霊で王の称号を持つ精霊でちょうどいいと言っているのだから。
「うーん、オレとノインかな?ただ、オレ達2人だとノインの負担がかなりあるんだよ。それで、もう1人誰にするかって揉めてて保留だったんだ」
だが、力ばかりがいるのではない。厄介なのだ。
「大きいとかそういうんじゃねぇの?どれどれ、見せてみろ」
リティルが魔物の詳細が描かれた紙を手渡すと、ジュールは立ち上がりルディルの手元を覗き込んだ。
「むむ?確かにトラップ性能の高い魔方陣が使えるわたしが適任のようだが、わたしの役、インリーならこなせるぞ?」
「わかってるんだけどな、インリーのヤツ、魔女様の監視に忙しいんだよ。城の守りはわたしの仕事!って頑ななんだよ」
困った娘だ。本気でシェレラを敵視してしまっている。風の王の娘が、表だって王に背いてどうするんだよ!と思うが、リャリスを失い、シェラをここまで傷つけてしまった。
一家の思いは、インリーと同じだ。インリーだけを、咎めるわけにはいかなかった。しかし、リティルは困っていた。インファも「困りましたね」と言っている。
「健気な……よし!祖父のわたしが代わりに飛んでやるぞ!」
……どうしてこんなにテンション高けーんだ?リティルは、ジュールの様子に違和感を感じていた。彼の性格なら、インリーは切り捨てられるのでは?と思えるのだが……。
「誰がおじいちゃんだよ?オレ、父親が3人もいるからな、間に合ってるぜ?」
「全員故人ではないか!」
「いいんだよ。それにジュール、近い関係がいいなら、オレ達全員1度は風の王だろ?」
「ああ、それがなんだ?」
ジュールが首を傾げた。
「年もまあまあ、いい間隔だよな?」
「うん?いい間隔ってなんだ?」
今度はルディルが首を傾げた。
「親子より、兄弟みてーだって言ってるんだよ。ノインはすでにオレの兄貴だしな」
「はっ!待て待て待て!それでいくと、このオレとこいつも兄弟ってことになっちまうじゃねぇか!」
ルディルがあからさまに引いた。
「いいではないか。転がしてやるぞ?長兄」
ソファーで隔てて、向かい合っていたジュールがそれはそれはいい笑顔を浮かべた。
「誰がおまえに転がされるか!長兄じゃねぇわ!」
「ほほう?では、リティルは赤の他人でいいというのだな?ん?」
「バカ言え!リティルは可愛い末弟……」
そう口にした途端、ルディルは頽れた。
「おーい、ルディル、戻ってこーい」
リティルはソファーの背の後ろに消えたルディルを覗き込んだ。
「フフフフ、転がしがいのある」
「あんまりからかってやるなよ、どうしたんだよ?オレ、おまえに気に入られてること知ってるけどな、それにルディルまで巻き込むなんて、何企んでるんだよ?」
「ああ、それはな、ルディルの奴め、風の王に起こるすべては自分のせいだと、わけのわからん苦悩をしていてな。おまえも、いらん気苦労を背負いおって、少しは気が晴れたか?」
ジュールの綺麗な手がリティルの頭を、ポンポンと叩いた。「わたしは味方だぞ?」そう言われているのだと感じた。
「……インジュがな、ことあるごとにおまえのこと反則だって言うんだよ。やっと意味がわかったぜ……」
「フフ、今更兄だ弟だと言い辛いが、わたし達は確かに兄弟なのだろうよ。可愛い可愛くないは抜きにして、助力を惜しまん。心に刻んでおくのだぞ?」
ヨシヨシとリティルの頭をジュールは撫でると、自分が言った言葉の衝撃から立ち直っていないルディルに「魔物狩りに行くぞ!長兄」と発破をかけていた。
『いいお兄さんね』
「はは、君まで乗るか?じゃあ、兄弟で楽しい魔物狩りに行くか!ノインいねーけど」
スウッと水晶球の中にいたシェラの姿が消えた。リティルの心に居場所を移したのだ。
「インファ、例の魔物、ジュールとルディルが手伝ってくれるってよ。今から行ってくるな!」
『了解しました。気をつけてください』
「ああ」
水晶球でインファに仕事を告げると、リティルはソファーを立って、未だ仲良く言い争いをしている2人と合流したのだった。
誰もいなくなった応接間に、城の奥へ続く扉を開き、インファが入ってきた。インファは、広すぎるホールのような空間を飛び越え、ソファーに到着する。
「ハル、うまくまとまりましたよ」
机の上の水晶球に話しかけると、その中に朝日の色をした髪の派手な顔立ちをした女性が映し出された。夜明けの太陽女王・レシェラ。風の城ではハルの愛称で呼ばれていた。
『そう、よかったわ』
「あなたが手を回さねばならないとは、よほどでしたか?」
『気にしてたのはジュールよ。あの人、軽薄そうに見えて、細やかなのよ。そのくせ、リティルに遠慮してるみたいで、はっきり言って面倒くさかったのよ!』
「ジュールが遠慮しているんですか?あの人でも遠慮するんですね。それとも、何か理由があるんでしょうか?」
『インファ、あの人はもう何代も前に死んでるのよ?それが、新たに王として存在を得てしまったの。基本真面目な風の王が、引け目を感じても不思議はないわよ』
「それにしては、用意周到だったとインジュから聞いています。もっとも、あの親子もツーカーですから、咄嗟に連携してしまったんでしょうね」
『……リャリスの事、残念だわ』
「妹は……実の父にまた置いていかれることが、嫌だったんですよ。オレ達といた時間より、インラジュールと一緒にいた時間の方が格段に長かったんです。そんなジュールが、感じる心をなくしてしまうなんて、耐え難いですよ。父の想っていた女性との間に生まれられるなら、オレでも選んだかもしれません。最もオレは初めから、そういった2人が両親ですけどね」
『ごめんなさいね』
「あなたまで、何を言い出すんですか?」
『ううん。忘れて。あ!そうそうシレラ、順調だから』
「そうですか。必要な物、人材があれば言ってください」
ハルは「ありがと、じゃあね!」と明るい声で言うと、水晶球からいなくなった。
「とは言ったものの……セリアで役に立ちますかね……」
情は深いが、がさつな妃を思い、インファは頭を悩ませてしまった。母がいれば……と思い、インファは高い高い天井を見上げた。この上の部屋には、現在魔女と呼ばれている女性が閉じこもっている。
インファの知る花の姫は皆行動力があるが、こういう方向に行動を起こした者はいなかった。そんな彼女――シェレラを斬ろうとしたリティルだが、1ヶ月経って落ち着いたようだ。様子を見に行こうとして、一家のほぼ全員から妨害を受けていた。
「あちらも何とかしなければいけませんが、どうしたものでしょうかね」
どんな猛獣も広い心で手なずけてしまえるインリーと、世話焼きのセリアがこぞって敵視してしまっている。籠城する彼女の心を解きほぐせる者が、現状誰もいないといっていい。
カルシエーナは暗殺を企てているようで、傍観者のケルゥが防波堤になってくれていて、今のところ騒動は起きていないが、風の王夫妻の次男・レイシと共謀すれば危うい。
執事のラス、その妻エーリュは、シェレラには関わらないと言い切っていた。リティルに危害を加えるようなことがあれば、その時は……と本気の目をしていた。
表面上はいつも通りなノインとフロインの夫婦だが、彼等がシェレラを受け入れることはないだろう。それは、ゾナも同じだ。
そして、インファでさえ何を考えているのかわからないインジュ。
始まる決意を固めつつあったインジュは、リャリスをシェレラに間接的に殺され、何を思っているのだろうか。
「時を、待つしかありませんね」
シェラを癒やせたら、おそらくすべては好転する。
夫に、シェレラを救う方を優先させたのは彼女だ。そしてシェラは、あんな状態でもシェレラに働きかけていたらしい。残念だが、届くことはなかったが。
インファが話をしに行ってもいいが、辛辣な事しか言えない。リティルがとりあえずは適任だが、避けて通れないとしても、インファも父に頼ることには気が引けていた。
「はあ……厄介ごとばかりですね……。とりあえず、太陽の城直通のゲートでも作りますか?」
インファはソファーを立つと、作るならこのあたりだろうか?と何もない壁を前に考え込み、応接間に入ってくる者、入ってくる者に疲れているのでは?と心配されたのだった。
智の精霊・リャリス。
彼女は結局、インジュの答えを聞かないまま遠いところへ逝ってしまった。
1ヶ月経った今でも、彼女の事を夢に見る。そう、うっかりジュールに漏らすと、彼は、インジュにはかなり厳しかった彼には珍しく、抱きしめてくれた。かすかに、藤の花の香りがした。
「わたしは、おまえのことを、認めていたのだがな」
「ええ?嘘ですよねぇ?だってボク、ジュールさんには攻撃しかされてないですよぉ?」
刺されたし、麻痺させられた!と抗議するとジュールは「すまんな」と、しおらしく謝ってきた。
「あ、ああの!何か企んでます?」
「あいつが、リャリスとまた名を付けろと言ったのでな。産まれてくる智の精霊には、リャリスと名付ける。おまえには、酷なことになるな」
「大丈夫ですよぉ。ボク達、始まってすらいませんでしたし。産まれてくるリャリスには、ボクを、嫌ってほしいです」
「……すまないな」
「謝らないでくださいよぉ!」
ますます変だ。ジュールは自信のある自分を演じているというのに、弱みを見せる相手がボクというのも、変だ!とインジュは心配になった。
「すまないな。わたしはリャリスに、煌帝・インジュがいかにいい男かを吹き込むつもりだ!12年後、おまえに恋させてやる。振るなよ?振ってくれるなよ!?」
インジュの背中に回されている、ジュールの腕に力がこもった。インジュはゾッとした。やっぱりこの人、ボクには厳しい!と悟ったのだ。
「ひい!嫌ですよぉ!絶対、嫌です!花の王の娘じゃ、反属性かもしれないじゃないですかぁ!それで辛いの、女の子の方ですよねぇ?そんなのダメですよぉ!」
インジュはいきなり両肩を掴まれて引き離された。え?怒らせた?とインジュは青ざめた。
感情がわからなかったのは、ジュールが俯いていたからだ。冷や汗を垂らしながら、ジュールの、緑色に変わってしまった緩やかに波打つ髪を見つめていると、彼は低く呟いた。
「知っているか?花の王が何に属する力なのか」
花なんだから、大地では?とインジュは首を傾げた。花の精霊達は、大地の領域にある花園が住まいだった。記憶を封じていても、力が失われたわけではなかったのだから、花は、大地に属する力で間違っていないはず……と思いながら、インジュは自信がなかった。
顔を上げたジュールが、ズイッと顔を近づけてきた。この人滅茶苦茶いやらしい!とインジュは反射的に目をギュッとつぶっていた。
「――透明な力、大地寄りだ」
え?耳元で囁く、ジュールの声は、低く、知的で、でも冷たくなくて、耳に心地よかった。ではない!
「ええっ!」
言葉を反芻すると思ったのだろう。インジュはジュールに容赦なく手で口を塞がれていた。
「智の精霊が司る力が何なのか、知っているだろう?それは誰の腹を借りようと変わらん。しかし、わたしの力は大地寄りだからな。風の城に居座ると力を削がれてしまう」
智の精霊の使う力は、透明な力だ。神樹の濾過した真っ新な力。神樹由来のその力を、神樹のから産まれた至宝・原初の風の精霊であるインジュも、不完全ながら使えた。
花の王も、その力の使い手?もう、インジュの理解力では、何が何だかわからなかった。
ジュールはやっとインジュから手を離して、健全な距離に立った。
「そ、それで、ルディルの所だったんです?」
「光、特に太陽光は、大地とすこぶる相性がいいからな。しかし、風の城からは遠すぎる」
「ジュールさん、リティルのそばに、いる気なんです?」
「14代目風の王・イン。年功序列なら、あいつは次男だな。知っているか?インティーガのヤツは、あの容姿で24だ。わたしより年下なのだぞ?」
え?24才?英雄王って呼ばれてたから、32才のルディルと同じくらいだと思ってた!と、インジュは顔にありありと浮かんでいた。
「ちなみにジュールさん、精霊的年齢いくつなんです?」
「26」
「嘘ですよねぇ?って、年功序列ってなんです?」
もっと若いでしょう?とインジュは真顔で言ってしまった。
「わたし達風の王はどこか繋がっている。それを、グロウタースに当てはめるなら、仲がよすぎる兄弟だ!という無意味なことなのだが、その絆は驚くほどに深いのだ。シレラとわたしで縁を結ぶが、同時に切ることもできる。だが、この絆、鋼のようでな。切るには相当の儀式がいるほどだ」
「その絆が、今の風の王のリティルに構っちゃう、原因って事なんです?」
「そうだ」
「あのぉ、煩わしく思ってたり?」
「すぐ切れそうなモノなら、撚って撚って撚りまくって何が来ても切れないようにしてやっていたな!ああ、それをすると長兄とも強固になってしまうな。あの大男相手では、変な噂が立ちかねん」
長兄って、確かめなくてもルディルですかぁ?とインジュはゾワワと全身に鳥肌が立った。
「ひいい!あ、あ、あの!リャリスとボクの縁、紡いじゃダメですよ?」
「そんなことは、せん。わたし達が手を下すということは、特別な縁となるということだ。番の関係に匹敵する。無理矢理では意味がなかろう?」
「そ、そうですか。あのぉ、それで、なんの話でしたっけ?」
ホッとしながら、インジュが本題に戻すと、ジュールは少し考え込むように腕を組んだ。
「風の城のもっと近くに、居を構えられないかとな」
「え?っと、それ、どうなんでしょう?透明な力って、神樹由来ですよねぇ?でも、だからって神樹の森に何か建てちゃうのは……」
透明な力大地寄りでは、風の城にはやはり住めない。反属性である風の城では、大地の力は半減してしまうからだ。
「イシュラースもグロウタース同様、あの森は不可侵領域だからな。どちらにせよ、今は動けん」
「本気です?そんなにリティルって、頼りないですかぁ?」
「逆だな。頼りになりすぎて、皆が縋ってしまう。その結果が、今回だ。ルディルが言っていた。そばにいられんせいで、リティルにとって最悪な結果になるとな」
「最悪です?リャリスのことはショックですけど、大好きな両親のホントの子供として生まれられるなら、まだ救いあったんじゃないんです?」
「リャリスは、わたしを利用したにすぎないぞ?というのはな、リャリスは、わたしが花の王の証を奪い取るだろう事を薄々想定していたのだ。わたしがあと一歩届いていたとしても、あいつはおそらく同じ事をしてシレラ共々転成させていただろうよ。最悪だと言ったのは、わたしに転成という道を見せてしまったことだ」
「ダメなんです?ボク、ジュールさんがこのままいてくれたらいいのになぁって、思っちゃってましたよぉ?」
「ほほう?可愛いことも言えるのだな。取って食うぞ?」
凶悪に甘やかに笑ったジュールの指が、インジュの頬を撫でた。インジュは撫でられた頬を、手で押さえていた。
「どうしてそうなるんですかぁ!怖いからやめてくださいいいい!」
「フフフフ。ああ、今回の事案とリティルのことだったな。転成とは、精霊にとって大切な理を塗り替えるということだ。大切なモノを手放すということだ。わたしは生ある者ではなかったからな。どんな扱いを受けてもいいつもりで、おまえの仮初めの守護精霊をしていたのだが、リティルには、わたしがインラジュールに見えていたのだろうな」
「それは、ジュールさんが偽物だから、ぞんざいに扱ってもいいってことです?そんなこと、リティルじゃなくてもできませんよぉ!」
「そのようだな。だが、わたしもインも、おそらくルディルも、こうやって具現化させたものを利用できるぞ?その為に具現化させているのだからな。まあ、わたし達のことはいい。リティルは、こんなわたしのことも、インラジュールのまま別れたかったのだ。2度と会えなくなってもな。風の王としての尊厳を、守ろうとしていたのだ。それを、わたしは踏みにじってしまったな」
「罪滅ぼしです?それで、リティルのそばにいようとしてるってことです?」
「言っただろう?風の王は仲のいい兄弟だと。そして、もう風の王ではない。風の王に縛られることなく、リティルの手を、理想に届かせてやれるのだ。しかし、その為にはそばにいるしかないだろう?」
「ノインじゃダメなんです?あの人だって、インだったことあるんですよね?」
「今のノインでは、できん。風の王の心を、知らんからな。わたしの、いや、リャリスの犠牲を傍観していたからな。わたしが見込んだノインとは、心がかけ離れてしまったようだ。今回、ヤツが力を使ってくれさえすれば、犠牲は、わたし1人で済んだのだ。ヤツは、信用できん」
ジュールに言い切られ、インジュは途端に心細くなった。
「で、でも、ノインは……ノインですよ……」
「そうだな。それでいいのだ。そもそも、ノインを奪ってしまったのは、このわたしだからな!だからというわけでもないが、わたしがルディルに代わってそばにいてやろうと思うのだ」
「……今回、風の王としてなら、どんな結果がよかったんです?」
「1番簡単なのは、首謀者であるシェレラを討伐すること。だな。わたし達はそうしただろう。だが、リティルの理想は、言わずと知れているな。黒い種を守り、シェレラをインティーガに逢わせて葬送する。そして、牡丹に記憶と向かい合わせ、花の王の力を取り戻させる。できたかもしれんぞ?」
「それは……そうかもしれないですけど……」
「あまり深く考えるな!ただ、可愛いリティルのそばにいたいだけだ。あいつめ、わたしの父性を無駄に刺激するのだ!オレ達兄弟だろ?と言われなければ、自称・父親の位置に納まってやったものを!」
ジュールが吠えた。インジュは冗談じゃなかったんです!?と驚いた。
「本気だったんですかぁ!ジュールさんが、リティルのお父さんになっちゃうといろいろややこしいんで、兄弟で!風の王兄弟の次男でお願いします!」
「次男はインだからな。わたしは三男だ」
「細かいです!ノインは認めないって言ったくせにぃ!」
インジュには、ジュールがどこまで本気なのかわからなかった。だが、大切なモノを大事にしたい気持ちは、同じだった。
今回の事案・花の乱は終わっていない。
首謀者はまだ風の城にいるのだから。
リティルの理想は、そんな首謀者であるシェレラさえも救うこと。
しかし、それを実行するには困難だ。いつもは協力的な一家の大半が、ほぼ全員が快く思っていないからだ。
その代わりに、ルディルとジュールはリティルの味方だ。だが、ジュールが悩んでいるように、そばにいない2人にはリティルに協力することが困難だった。
リティルは、一家の妨害にあい、シェレラに近づくことさえできない。リティルが強行すれば、一家の皆は退くだろうが、不和が生じてしまうかもしれない。一家と揉めている場合ではないリティルは、とりあえず傍観という道を選んでいた。
あれから1ヶ月、謝罪も何もなく部屋に閉じこもっているシェレラの態度にも、一家は不満を募らせていた。インファは、一家を納得させる材料も説得力もないと、困っていた。シェラとは、応接間の水晶球で姿も見えるし話しもできるが、痛ましい姿で、王妃をこんな姿にした!と一家の怒りは日に日に高まる始末だった。
こんなに一家の雰囲気が悪くなったことはなく、インファは半ば途方に暮れていた。
深夜、インジュはシェレラの閉じこもっている部屋の前に立っていた。
どんな責め苦を受けるとも、現状を好転させる為には、シェレラが自らこの部屋から出るしかない。
リティルの望みは、シェレラをインティーガに逢わせることだ。その前に、シェレラが死んでしまうことだけは、避けなければならない。なぜ、皆、そんなわかりきったことを忘れてしまったのだろうか。風一家は、風の王・リティルの理想に手を届かせる為にいるというのに、今の一家は、リティルの道を塞いでいる。
インジュは、息を大きく吸うと、扉を開いた。
扉は何の抵抗なく開いた。初めから、この部屋には鍵はかかっていなかった。
フワリと、部屋の中から夜の適度に冷えた空気が流れてきた。見ると、明かりのついていない部屋の奥、バルコニーへ通じる掃き出し窓が開いていた。暗い部屋の中、ベッドの端に腰掛けて、こちらに背を向けたシェレラの姿は、ボンヤリと光って見えた。
彼女の背に咲いた、シェラと同じモルフォ蝶の羽根が、発光しているのだ。
「シェレラさん、明日、この部屋出てください」
「連れてきておいて、追い出すの?ずいぶん勝手な王様ね」
振り返らないシェレラの言葉は、インジュの想定内だった。
「聞きますけど、ここに閉じこもってどうするつもりなんです?1ヶ月ありましたよねぇ?どこにも鍵がかかってないこと、知ってますよねぇ?葬送を願えば、叶ったと思いますよぉ?だってあなた、この城に嫌われてますからねぇ。生きもしない、死にもしないって、なんなんです?」
「どっちでもかまわないの。けれども、あの人が決めないことを、わたしが決められないと思っただけ」
「あの人って、リティルのことです?リティルは風の王ですよぉ?あなたがどうしたいか言わないと、導けないですよぉ?あなた、風の王の恋人だったんですよねぇ?風の王の理、知らないんですかぁ?」
『風の王』にインジュが触れると、シェレラは振り返って語気を強めてきた。
「あなたに、何がわかるのよ!そばにいようとしたのに、知ろうとしたのに、遠ざけられたわたしの気持ちが、あなたにわかる?わたしの何が気に入らなかったのか、それさえもわからない!一方通行だったわ!インティーガ様に、愛されていたのかどうかさえ、わからない……」
「風の王は、リティルも含めて不器用よ」ずっと昔、シェラが言っていた言葉がここで蘇ってしまった。シェラは更に、未だに「オレでいいのか?」と聞かれると笑っていた。
もう何百年も夫婦をしていて、イシュラース1仲睦まじいと言われているのにそんなでは、他の風の王が壊滅的だったのは言うまでもない。
あの色欲魔と有名だったジュールでさえ、花の姫には手を出せなかったのだ。彼よりも絶対純情だったインティーガが、恋人までいったシェレラに想いを伝えられなくても、納得してしまう。
「あなた、リティルに殺されそうになりましたよね?どうしてだか、わかります?」
「わたしのしたことで、誰かが犠牲になったから?」
シェレラは風に襲われていた。気がつけばベッドから落ちて、バルコニーから差し込む月の光の中にいた。突き落とされたことに気がついたのは、影が落ちてきたからだ。
「智の精霊・リャリス。ボクの、恋人だった女性です」
「!」
静かな声を聞いた。その刹那、シェレラは両手を押さえられ床に押し倒されていた。驚いて見上げた彼の瞳は無表情で、シェレラはゾッとした。抵抗するが、ビクともしなかった。
「キスさえ、させてもらえませんでした。リャリスの唇は、どんなだったんでしょうね?」
抵抗できないまま、シェレラは唇を奪われていた。
触れるだけではない口づけに、シェレラは驚き恐怖を抱いた。
「――やっ!」
やっと首を動かせ、シェレラはインジュの口づけから逃れた。
「嫌?何もかも、どうでもよかったんじゃないんです?操を立てる恋人は、とうの昔にいないじゃないですか。どうです?恋人を失った同士、楽しみませんか……?」
「何言って――」
「聞こえないんですよ、彼女の声。どこを捜しても、いないんです。寂しいんです。どうしてくれるんですか?」
哀しくて、寂しいのは本当だ。触れられなくても「インジュ」と呼んでくれるだけでよかった。好きだと言ってくれたリャリスに、答えようと思っていた。それなのに、彼女はまた逃げてしまった。逃がしてしまった。
生まれ変わる彼女は、同じ名だという。だがインジュの知っているリャリスではない。彼女は死んだのだ。インジュは、彼女の死と共に目覚めてしまった心を、葬送できないでいた。
「精霊は、永遠の生き物なんですよねぇ。グロウタースの民みたいに、いつか追いかけてってできないんです。一緒に死ねる、あなたが、羨ましいですよ……。どうして残ったりしたんです?置いていかれるしかないボクは、永遠に触れられなかったリャリスを、夢に見て生きなくちゃ、いけないのに」
インティーガは、輪廻の輪に還っていない。だが、どんな嘆きも、どんな痛みも、死は優しく、なかったことにしてくれる。記憶も、感情も、すべてを失わせ、新たな生を約束してくれる。
皆、来世では違う魂と交わり、泣いたり笑ったりするのだ。シェレラは、哀しみと苦しみの中、インティーガを思わなくともよかったのだ。
「――めんなさい……ごめんなさい……!」
インジュは、泣き出したシェレラを見下ろしていた。この涙が、恐れからだとしてもよかった。この謝罪が、今の現状から逃れたいためでもよかった。
心を、感情を動かすこと。それが、インジュの目的であり役割だったのだから。
「生きなさいよ……」
「……え?――」
「リャリスを殺しておいて勝手に死ぬなんて許さないって、言ったんです。風の王・リティルが下す裁きを、自分の足で立って歩いて、聞きに行ってください」
インジュは翼を広げると、シェレラの上から扉まで飛んだ。
「ああ、言い忘れました。智の精霊・リャリスは、風の王・リティルの養女です。あなたは、風の王・リティルの娘も殺したんですよ……?」
インジュは扉を閉めた。
脅かしすぎましたねぇ。フウとため息を付いたインジュは、顔を上げた。
「魔女・シェレラに、手、出さないでくださいね?ボクと争いたいんだったら、止めませんけど」
廊下はランプが灯り、昼間の様に明るかった。シェレラの部屋の扉前から動かないインジュの視界に、どこからともなく、黒いワンピースを着た黒髪の美少女が姿を現した。
「どうして?そんな人守ろうとするの?」
破壊の精霊・カルシエーナの、血のように赤い瞳には純粋な怒りがあった。彼女は自分に正直だ。好き、嫌い。その二択しかないのが彼女だ。
「シェレラを守ってるんじゃないんです。ボクは、リティルの願いを叶える為に生まれた精霊です。リティルが救うと言うのなら、ボクはその願いを叶えます。例え、そのせいで一家の誰かと争うことになっても!」
カルシエーナは、憎らしそうにインジュを睨んでいたが、襲いかかってはこなかった。どれくらい睨み合っていただろうか。カルシエーナの背後に、ヌッと黒い影が立った。
「おめぇの負けだ、カルシエーナ。インジュ、一家のヤツにはオレ様から伝えとくぜぇ?治まらねぇヤツは、オレ様とおめぇで発散っつうことでいいなぁ?」
白銀髪の大男は、カルシエーナの両肩を後ろから押さえていた。カルシエーナとはおやこほど年の離れた彼は、再生の精霊・ケルディアスだ。
「はい。ありがとうございます、ケルゥ」
「いいってことよぉ。あの女にキスしたことはよぉ、リャリスには黙っといてやんぜぇ?」
監視されてましたもんねぇ。と、インジュは苦笑いした。
「……いいですよぉ?バラしても。ボク、産まれてくるリャリスに関わる気、ありませんからねぇ」
同じ材料を用意しても、同じ者は産まれない。
ジュールは、産まれてくるリャリスの相手にと言ってくれたが、それは、リャリスが可哀想な気がした。
それに、そんなことを吹き込んだとしても、智の精霊として産まれてくるリャリスが、鵜呑みにするとは思えない。
心は不可解だ。シェレラに言ったことのどこまで、自分自身の心だったのか、インジュにもわからなかった。