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四章 結ばれた縁

 サキュウの部屋から動けなかった牡丹とキンモクセイは、あれよあれよという間に風の城に連行されていた。

「あ、あの……わたしは花園に帰っても……」

「オレとしては帰ってもらいたいけど、リティルが保護しろと言ったんだ。あんたもここにいてもらう」

花の王ではないキンモクセイは、居心地の悪さからそう申し出たが、風の城の執事・ラスに却下された。帰ってもらいたいと冷ややかな割に、キンモクセイと牡丹の前にはお茶とお菓子が用意されていた。精霊は食事をしなくても生きていける種族だが、食べ物の知識はなぜかある。華やかに可愛らしく整えられた、カップケーキにスコーン、そしてサンドイッチ。これを作ったのは、このずっと不機嫌な様子のラスなのだろうか。

「花の王とは、何をする精霊なの?」

華やかな声に、お茶請けに見とれていたキンモクセイは、顔を上げた。机を挟んで向かいに座っていたのは、ラナンキュラスの花冠を飾ったグラマラスな女神だ。神々しいまでの美貌に、気後れしてしまう。

「わかりません。わたしは確かに古参の精霊ですが、王という認識はないのです」

困ったように牡丹が答えた。キンモクセイは今まで気にしたことはなかったが、牡丹が王という自覚すらないことを知らなかった。おそらく、花の精霊のすべてが牡丹を王と認識しているはずだ。だが、それだけで、精霊的主人は花の姫だという認識だ。それも何かおかしいことは、改めて突きつけられて初めて感じた。

「縁結び。その言葉に聞き覚えは?」

そっと席を外したラスが、戻ってきた。

「インジュか?」

フロインの隣に腰掛けていたノインが、ラスを見上げた。

「うん。ジュールがシレラと和解したみたいだよ。シェラ並みにすごい花の姫だって言ってる」

「上手くいったのね?よかったわ。ジュールったら、シレラの話になると痛々しかったから。あら?浮かない顔ね?リャリス」

控えめに花の精霊達と同じテーブルに着かなかったリャリスの様子に、フロインはめざとく気がついた。

「……上手くいったとしても、別れが目の前にありますわ。離れたくないと、思わないんですの?」

「ジュールは、心が具現化しているだけにすぎない。シレラは死者だ。両者とも理解していると思うが?」

「そういうことではないですわ!もお!順風満タンの人にはわからないのですわね!」

正当なノインの言葉に、プイッと顔をそらしたリャリスの様子に、ラスは苦笑した。

「両親のことだから、気になるのは当たり前だよ。リャリスは、2人にこのまま存在してほしいと思うのか?」

「ラス、戯れ言として聞いてくださいまし。リティルお父様とシェラお母様のこと、好きですのよ?けれども、ジュールお父様と過ごして、この日々がずっと続けばいいのにと思ってしまいましたわ。私、存外怖い精霊ですのよ?ジュールお父様とシレラお母様を、存在させる方法を知っていましてよ?」

しませんけれどと、リャリスは俯いた。知っていてもしないというリャリスに、智の精霊としての矜持を感じる。

「……セリアがあんたを、いい娘だって言う理由がわかるよ。それがいいことなのかはわからないけど、親子で会えるといいな」

「ラス……優しいですわね。ノインとは大違いですわ!」

それにはノインは苦笑いするしかなかった。ラスの対応が、優しいことくらいはわかるからだ。たとえそれが、許されないことであったとしても、願いを口にすることくらいは許されたい。死者とは会ってはいけないという正しさに従って、ジュールがシレラをリャリスに会わせることなく葬送するとしても、あったかもしれない今に思いを馳せることは罪ではないのだから。

「記憶。か……」

「あら?ノイン、やっと過去を見る決心がつきまして?」

何か考えがあったわけではないが、ポロリと口から出ていた。

「いや、そういうわけではない。ただ、忘れただけで、王という特別な力が失われるものなのか?と思っただけだ」

「力なら、失われてはいませんわよ?」

「そうなのか?」

ラスは、花の精霊が仕事してるようには見えないけど……と言いたげだった。

「ええ。花の王の力は縁結びなのでしょう?その力が失われていたとしたら、誰も恋愛できないということになりますわよ。いいですか?王という称号を持つ精霊は、存在しているだけで仕事しているのですわ。ですので、牡丹、記憶を戻すことに抵抗があるのなら、このままでもいいのですわよ?」

リャリスは初めて牡丹に近寄った。牡丹は、余裕がないだけかもしれないが、リャリスを拒否することなく、不安げな瞳のまま頷いた。

「リティルお父様が、あなたを守れと言ったのですわ。風の城はあなたを守って差し上げてよ?」

「いいのでしょうか?花は、リティル様を散々……わたしが王であるなら、とても風の王に顔向けできません」

「いいのですわ。お父様はそういうお方ですもの。ただし、お父様に恋愛的な意味で、ちょっかいをかけるのは御法度ですわよ?陰湿に阻止しますわよ?」

「い、陰湿とは、どんな?」

反応してしまったのはキンモクセイだった。

「あら、知りたいのですの?あなた、いい性格していますのね?」

フフンとリャリスは妖艶微笑んだ。その笑顔に恐れおののくキンモクセイに「害がなければ何もしませんわ」とリャリスは上品に笑っていた。

そんなリャリスの姿を見つめていたキンモクセイは、こうやって風の城で優しくしてもらった記憶も、散ってしまえば消えてしまうのだと思った。

「リャリス様!わたし達に守られる価値はあるのでしょうか?」

「聞き飽きた台詞ですわね。それを決めるのは、誰でもなくってよ?けれども、思うところもありますけれど」

「花の王の力があればいいのならば、わたし達の恋愛感情をなくすことはできませんか?それさえなければ、あんなことには……」

牡丹は、疲れたように俯いた。

「確かに、恋愛感情は、永遠に生きる精霊には不要のモノですわ。けれども、あるモノを害があるからといって、なくしていいのか?と言われると、きちんとした調査が必要ですわね」

「リティル様は……どう考えているのですか?」

「今まで通りですわ。この問題は、副官が動かなければ動きませんわね」

それでは望み薄だと思ったのだろう。キンモクセイは口を噤んで俯いてしまった。あら、お兄様に嫌われている自覚、あるのですわね。とリャリスは冷ややかに思った。だが、望み薄ではないのでは?とも思う。リティルの命だったが、インファはラナンキュラスと行動を共にしているはずだ。仕事に私情を挟むとは思えないが、何かしらの問題点を感じれば、頼れる兄心――もとい、精霊大師範の血が騒ぐだろう。

 そういえば、事の発端はノインでしたわね。とリャリスは蚊帳の外を決め込んでいる、風の城の将軍を見た。

ノインが風の騎士という風の精霊だった時、彼は花園に通っていた。彼は、花の精霊が理不尽に散らないようにしようとしていたというが、本当の事だろうか。そういうことにしておいて、何か、もっと重大なことに関わっていたのではないかと、リャリスは思ってしまう。というのは、今のところ、花が散ることは彼女達の大事な理だからだ。それを失っては、花の精霊の存在意義が問われる。

風の騎士時代のノインとは殆ど関わっていないが、知識の深さは知っていた。花の精霊の暴走する恋心は、彼が花園に通う以前には発生していない。それが、ここへきて立て続けといっていい。今も、リティルを慕う花の精霊が、4人もいる。そのうちの1人はリティルと行動を共にしている。

これも、シェレラの思惑?彼女は、初代智の精霊に入れ知恵されていた。彼は古参の精霊だった。花の王のことを当然知っていただろう。彼女に何があったのかも。

 リャリスは、チラリと牡丹の後ろ姿に視線を走らせた。

花の王が紡いだ縁は、悲恋。ということになりますわよね?それも、イシュラースの両国を滅ぼしかねない事態になった。初代風の王・ルディルと、初代花の姫・レシェラが犠牲となり、事態は治まった。

責任を感じても不思議ではない。けれども、不幸だったのか?と問われると、必ずしもそうではなかったのでは?と思う。仲睦まじく続いていけることは理想だが、時を超え、すべては丸く収まった。

15代目風の王・リティルの手によって。

今回も、風の王が何とかしてくれる?そう考えているのだろうか。だから牡丹は、知るという行動を起こさないのだろうか。

彼女は尋ねないのだ。花の王に何があったのか?と。

智の精霊の持つ至宝・蛇のイチジクには、ありとあらゆる知識が詰まっている。キーワードさえあれば、リャリスは知識を抜き出せる。それには対価がいるが、花の王という者がいるということを聞いたとき、リャリスはそのことをすぐさま調べた。リャリスの知識となったことには、対価は必要ない。リャリスは無償で花の王のことを話せるのだ。

シェレラは、封じた記憶を解放しようとしている。戻った記憶に、牡丹は耐えられるのだろうか?花の姫と風の王にかけた呪いを知って、耐えられるのだろうか。

耐えられなかったならば、何をすべきか。リャリスは1人、手段を作っていた。

 花の精霊を除く皆が気配に気がついて、何もない広いホールへ目を向けた。

突如空間に開いたゲートを越え、ジュールとインジュ、そしてシレラが帰還したのだった。

「花の王!君はすべてを受け入れ、生きることを誓えるか?」

生前の姿のまま、よくセクルースに戻ってこられたなと、リャリスはどんな手を使ったのか気になったが、それを実父には問えそうになかった。

ジュールに声をかけられた牡丹は、どういう意味と言いたげに、ソファーから立ち上がり彼を見た。その顔が、見る間に蒼白に染まる。

「皆、離れろ!」

ジュールの警告を受けて、一家は行動を起こしていた。リャリスはフッと小さくため息を付くと、何事かわからないキンモクセイを機敏な動きでソファーから引き離していた。

「リティルお父様は失敗したのですか?」

シュルリとジュールの隣に退いたリャリスは、頭を抱えて苦しむ牡丹を見やった。

「まあ、責めてやるな。リティルは最大限頑張ったぞ」

「答えになっていなくてよ?」

「リティルとお父さんには、シェレラを任せてきました。ボク達はこっちです。牡丹さんが治まらなかったら、ボクがやります。ボクには、切られて困る縁、ありませんから」

「切られると、どうなるんだ?」

身構えながらラスが問うた。

「花の王の力は、縁結びです。それは切ることもできるんですよぉ。牡丹さんは、花の姫と風の王を結んじゃったことを後悔してます!でも、切ることができなかったんです。そして、妨害することを思い付いちゃったんですよぉ。それが、番の関係なのに結ばれない理由です」

「わたし達は、恋敵として作り出されたのです。それが、風は花の天敵だというのに、惹かれてしまう理由だったのです」

リャリスの傍らに立ち尽くしていたキンモクセイが、震える声で告げた。どうやら王に記憶が戻って、花の精霊達に役割が蘇ったようだ。

「ああ……幸せになってもらいたかっただけなのに……」

「不幸じゃないですよぉ!ちょっと、すれ違っちゃっただけです。あなたは切っ掛けを作るだけじゃないですかぁ!それを生かすも殺すも、背中を押された人達です。ボクは!押してほしいですよぉ?頑張れって言ってほしいです!」

「わたしが……なかった恋愛感情を植え付けたとしても?ルディル様を魔法にかけたのはわたしなのです。そんなことをしなければ、誰も傷つかずにすんだのに……」

牡丹は、苦しげに頭を抱えたまま顔を上げた。

「ルディル……極限まで鈍そうですわ。当時は風の王ですし、戦闘狂のあの人は、レシェラの気持ちなど微塵も気がついていなかったでしょうね。同情ですの?」

「軽い気持ちだったのです。無限の宇宙に、精霊王が愛を知ればグロウタースはますます安泰だと言われ……」

猛風鬼神と呼ばれた、粗暴を形にしたような風の王が妃を持てば、確かに、イシュラースに波風立てることができただろう。そして、それは叶った。

「あのじじい……そんなに昔から精霊王を殺す計画を立てていたのか?いや、勘ぐりすぎか?うむむ、読めんヤツだ」

初代の智の精霊・無限の宇宙は、初代力の精霊・有限の星と共に、精霊王と名乗っていた初代太陽王・シュレイクの守護精霊だった。シュレイクは乱心の王とも呼ばれていた。

「じじいってジュールさんでも、そんな言葉使うんですねぇ。牡丹さん、しっかりしてくださいよぉ!あなたがいなくなっちゃうと、グロウタースは恋愛禁止になっちゃいますよぉ!産む力が弱まれば、風の王が大変なんです。リティルが死んじゃってもいいんですかぁ?」

「リティル様……わたしの想いは報われない……邪魔してしまう……」

「牡丹……あなたは、恋の終わらせ方を知っています。止めてみせて!わたし達が慰めますから、どうか!」

シレラが叫んだ。

「ああ……わからない……どうすればよかったの?魔法を解いても、ルディル様はレシェラ様を手放さなかった。愛することに苦しんでいたのに!」

「それは、とっくに魔法が解けてたからじゃないんです?魔法じゃない想いだったから、想い続けちゃったんですよ!」

「本当の想いは終わらない……苦しみが永遠に続く……終わらせる。今こそ、すべての縁を終わらせる!」

「えええ?どうしてそうなっちゃうんですかぁ!」

結界!結界ぃ!と慌てるインジュとは対照的に、フウとジュールはため息を付き、リャリスに目配せした。そして、ノインとフロインに視線を走らせる。

「ともかく結界だな。ノイン、フロインおまえ達も手伝え」

ジュールの言葉に、将軍夫婦は頷くと、リャリスの構築した魔方陣にそれぞれ力を注いだ。彼等の仕事ぶりに、インジュは「あ、出番ないですね」と思った。

「牡丹も、本当に望んでいるわけではないでしょう。けれども、王の職務を放棄するほどです。自分が王に不適合と思っているのでしょう。説得してから記憶を戻せばよかったのでしょうが、姫様の復讐はなったのです」

キンモクセイは、自分の手を見下ろした。その手が透け始めていた。

「わたし達は妖精にすぎません。風の城の皆様、どうか我が王を討ってください。花の王の不在は、フロイン様の歌声で乗り切れるでしょう」

キンモクセイはフロインを見た。

「わたし?原初の風といっても、わたしも理に縛られているのよ?」

「反属性か?といっても、影響を受けにくいだけであって、覆す事はできないぞ?」

「わたし達にも僅かながら縁を結ぶ力があります。わたしの力をフロイン様にわたします。次の王が目覚める間だけでも保つでしょう」

「それも犠牲と言うのだと思うぞ?まあ待て、不死身の精霊とはいえ、反属性の力を得るのは痛かろう。わたしに考えがある」

ジュールの瞳に、強い光が宿った。インジュはその光を知っている。リティルも、大きな決断の前にあんな瞳をしている。そして、そんな瞳をするときは、多くの苦痛を背負うときだ。

「ちょっとジュールさん!何考えてるか、ボクに言ってから実行してくださいよぉ?」

強行してやるつもりだった。インジュは「ボクには切れる縁はない」と言ったが、あるのだ。ここにいる誰も、リティルに討たれる決断を下した牡丹には近づけない。

彼女の結ぶ縁は、恋愛に限ったことではないのだから。

 ジュールは、腕を掴んできたインジュの真っ直ぐな瞳を見返した。

インジュは、本当に綺麗なヤツだ。それを殺さない殺人鬼を演じることで、隠して守っている。

甘い笑顔で、汚れきった心を隠しているジュールとは対極に位置していた。

こんな奴がいるのだな。天然で。

純情な心を、妖艶な微笑みに隠しているリャリス。リャリスの心を綺麗に作ったのはジュールだ。幻想の乙女を作り、醜い体に入れたのだ。ジュールはリャリスとずっと一緒にいられないことを知っていた。手を離したあと、侮られないようにと妖艶で恐ろしい姿に作ったのだ。リティルが後見人になってくれるとわかっていたなら、そんな必要はなかったなと思う。

15代目風の王・リティルは、優しさの塊だ。

リティルもまた、作られた存在だ。インは、優しくありたかったのだろうか?赤き風の返り血王と呼ばれた彼の非道さは、賢魔王のインラジュールと1、2を争う。

リティルはインのことを「オレには優しい父親だった」と言った。そして、ジュールにさえも「おまえ、優しいよな」と言った。

そんなことを言われたのは、初めてだった。「大丈夫か?こいつは」賢魔王と呼ばれたインラジュールの姿を知らないとはいえ、魔王と呼ばれた者に向かって優しい?打算があるに決まっているだろう!と正座させてコンコンと言い聞かせたかったが、ジュールはそれを甘い微笑みの下に隠した。隠したが、眠っていた父性が目覚めた。完全覚醒だ。

どおせ死んでいる。それに、こいつは風の王だ!と遠慮する気は毛頭なかった。

 ジュールはポンッと「離しませんよぉ?」と瞳で言っている、インジュの肩を叩いた。

「心配しているのか?わたしを?フフフフ、ああ、可愛いヤツだな」

「また、そうやって煙に巻くんですからぁ!」

インジュは怒りだした。演技でない怒りに、ジュールはフフと甘く微笑んだ。

「インファを不幸にはできん」

「なんです?」と言おうとしたと思う。しかし、言うことはできなかった。ガクンッと膝の力が抜けて、インジュはジュールの足下に倒れていた。ジュールに触れられた肩に違和感がある。魔法をかけられたことを、インジュはやっと悟った。

「ジュール、いったい――」

異変に気がついたフロインが振り向いた。そんな将軍夫婦に向かって、ジュールは鋭く手を振るっていた。リャリス以外の全員の足下に魔方陣が金色の光で描かれ、立ち上る風に閉じ込められていた。

「ジュール?」

何を?と驚きで思考停止しているシレラの前に、ジュールは立った。困ったような愛しそうな笑みを浮かべて。

「ここで別れだ。ここにいるわたしは、心が具現化したモノにすぎない。わたしがどうなろうとも、インラジュールだった魂には影響がないということだ。シレラ、輪廻の輪に、送ってやれなくてすまないな」

「それは、いいのですが……」

「偽物のわたしにしかできないのだ」

「ならば、見届けます」

わかっていた答えだ。ジュールは笑った。愛しい者を見るように。

――これが、本当の別れとなるだろう。わたし達は、リティルとシェラとは違う。違うのだ。シレラ

ここには、心しかない。魂はすでに転生し誰とも知れない人生を歩んでいるだろう。輪廻の輪に乗った魂には、記憶は残らない。感情も心も、姿も違う。シレラを覚えていない。だから、縁を切られ、その瞬間シレラの心が冷めても、なんの影響もないのだ。

番という、操作された想いだと知っているのに、なくなるのかと思うと、それは……。

「わたしも存外乙女だな」

フフと、甘やかに微笑んでジュールは結界の中に侵入した。


 花の王の姿は、蝶ですらなくなっていた。

上半身は美しい女性の姿のまま、その下半身は毒々しい蜘蛛へと変わっていた。この姿は、彼女の意地かもしれない。そのままの姿より、化け物の姿となったほうが、風の精霊も狩りやすいだろうと、そんなところだろう。

『愚かな。生前の力の3分の1もないおまえに、何ができるというのですか?』

「引き返せというのか?悪いが、リティルは王妃のことで手一杯だ。空気を読め。それに、女性の扱いは、わたしのほうが慣れているぞ?」

ジュールの翼から羽が散っていく。インジュの守護精霊という繋がりが、脅かされていた。『わかっているでしょう?インラジュール。手を抜くわけにはいかないのです』

「ほほう?君はどうやら正気なようだ。しかし、リティルにはこんな救い方はできまいよ」

フフンと笑ったジュールは、一瞬ガクンッと膝をつきそうになり、それを堪えて足を踏み出した。

『救いなどいりません!インラジュール、あなたはお呼びでないのです!』

「つれないな。リティルならば、繋ぎ直そうと言ってくれるぞ?ただ斬られて終わるよりはいいだろう?こんなマネを、命ある者にさせるわけにはいかん!」

ジュールは1歩踏み出した。

『どうかしています。あなたは風の精霊ではありませんか』

「ハハハハハ!わたしが常識外れなこと、知っているだろう?しかたないのだ。リティルの事を、知人の息子としか見られないのだ。なかなかどうして、可愛くてな」

ジュールの足は止まらない。

『進んではいけません!これ以上進めば、あなたは、すべて……』

「かまわん!風の王だったこと、亡くした子供達のこと、リャリスの父であること、シレラを愛していたこと、風の城の者達のこと……すべての縁を失ったとしても、失ったことで、リティルを困らせるとしても、おまえの力、一瞬たりとも世界から消してはならんのだ!」

――子の幸せを願うことは、親として当然ではないか?ああ、いかん。その想いすら、薄れていく……

ジュールは、花の王の力を奪うのだと、それだけを強く思った。奪いたい理由を失っても、欲望は原動力となる。強い力を奪いたい。何もかもなくしても、それだけあれば目的を遂行できるだろう。欲望だけなら、人一倍だ!ジュールは槍を握った。その手から急激に力が抜けた。インジュとの縁が断ち切れたことで、死者召喚で呼び出された具現化時間が終わろうとしていた。

……成せぬというのか?守ってやることは、すでに……ジュールは片足が暗い夜風に変わり、バランスを崩して転倒していた。

「見るに耐えませんわ。お父様」

顔を上げると、リャリスが傍らに立っていた。

「無様な姿を、見せないでくださいまし。お母様、覚悟はよろしくって?」

お母様?ジュールは誰かに体を支えられ、驚いて彼女を見た。

「ごめんなさい、インジュ。わたし、娘と約束してしまいました」

体を支えてくれたのは、申し訳なさそうに視線をそらしたシレラだった。

「今度はわたしが、ちゃんと産んであげると」

産んで……?ハッと前方へ視線を向けると、リャリスの握ったジュールの槍が花の王を貫いていた。

『お父様、私が糸となって差し上げますわ。今の私には、切れた糸の端が見えましてよ?』

「リャリス!」

『私、リティルお父様も好きですけれど、お父様が他人となってしまわれるのは許せなくってよ?対価は、私の存在。いいですか?ちゃんと産んでくださいまし。智の精霊・リャリス。待っていましてよ?』

繋がりが戻るのを感じる。ジュールの体を支えながら、シレラは手を差し出した。その腕の中に、ヒスイでできたイチジクの実に巻き付いた蛇の姿をした宝が飛んできた。シレラはそれを、躊躇いなく下腹部へ押しつけた。蛇のイチジクは、スウッとシレラの中へ消えたのだった。

「いいのか?シレラ。このわたしは、ただの記憶にすぎん。インラジュールとしての記憶と意識は保持できても、姿形は変わってしまうかもしれん。煌帝・インジュの守護精霊という今のわたしでは、これは転成ではなく目覚めだ」

シレラは首を横に振った。そして、愛しそうに微笑んだ。

「風の王ではないあなただから、わたしは、想いを聞くことができたのです。ジュール、今の、わたしの目の前にいるあなたでいいのです。あなたこそ、いいのですか?」

再び番となるのですよ?シレラはジッと、ジュールの瞳を見つめてきた。

「いいと言える今が、少々不思議だな」

ジュールは、困ったように笑った。

「ジュール、わたしは何番目でもかまいません。けれども、わたしのもとへ、帰ってきてくださいね?正妻はわたしですから!」

それを持ち出すのか?ジュールは数多の浮名を流したが、今愛しているのはシレラだけだ。やっと手に入れたのに、誰に目移りできるというのか?

「複雑なことをいうな。振ったこと、根に持っているのか?」

「縁結びの花の王です。恋愛に奔放なほうが、それらしいのでは?」

「はあ……なんて女だ、君は……ともかく引き継ぎを済ませよう。リティルとインファが戻ってきたら、言い訳せねばならん。はあ……」

ジュールはため息をついた。もう風の王ではないとはいえ、元風の王だ。この選択は、リティルの怒りを買うと心得ていた。それに……

「あと、インジュを慰めてあげなくては」

「あいつは放っておけ。じらしてじらしてじらし倒してやる!迎えに来なかったら、首に糸をかけて引きずってやる!」

リャリスを振るとは許せん!とジュールは言いながら、シレラの肩を抱き寄せると、襲ってきた花吹雪に身を委ねた。


 黒い種の割れた後、インファとラナンキュラスはやっと到着できた。

「ああ!インファ様、これ、割れ割れ!」

ラナンキュラスは、青ざめると割れた黒い種を指さすと、インファの袖をグイグイと引いた。

「落ち着いてください。防げなかったものはしかたがありません」

「ああ!リティル様!」

割れた種の台座の下に、リティルが血塗れで倒れていた。それを見つけて、彼女は悲鳴を上げた。

「……ラナンキュラス、治癒魔法をお願いできますか?オレは彼女と話をしてきます」

「は、はい!って、彼女?……きゃあ!シェレラ……!」

ラナンキュラスは、割れた黒い種を前に立ち尽くしているシェレラに気がつき、思わず呼び捨てにしていた。

「父さんのこと、頼みましたよ?」

「は、はいい!」

ラナンキュラスは騒々しく、血まみれで倒れて動かないリティルに治癒魔法をかけ始めたのだった。

 フウとため息をつくと、インファはシェレラの近づいた。

「13代目花の姫・シェレラですね?」

「ええ」

「花に復讐するのではなかったんですか?」

「……わたしの……魂を砕いて」

「それは、虫がよすぎませんか?そういうことは、事を起こす前に、自分ですべきことだと思いますよ?オレとしては、斬っても問題ないと思うんですが、王の裁きに任せますよ」

シェレラは、やっとインファを見た。彼の背後には「まだ動いちゃダメです!」とラナンキュラスに止められるリティルの姿があった。

止血はされているが、傷ついた左目はまだ開くことはできないらしい。左目だけではない。左の片翼も具現化されず、左腕も痛むのだろう、無事な右手が添えられていた。

その姿が、花の精霊を庇いに来たインティーガといやでも重なった。この傷をつけたのが、自分であるという事実が、実感のなかったシェレラの心に重くのしかかった。

なぜ、ここまでしてしまってから我に返ってしまったのだろう。

「気分は?」

リティルは言った。疲れているとしか読めない表情だった。シェレラは答えられなかった。

「冷静なんだな?これで錯乱してたら、オレでも斬ってたぜ?」

ははと、リティルは力なく笑った。

話をする。意味などないのでは?とシェレラは思った。言い逃れなどできないことを、しでかしたのだから。これだけ、イシュラースを騒がせれば、私怨では動かない風の王でも斬る口実を得られる。

「風の城に、来てもらうぜ?迷魂って疑われるとマズいからな、適当な器に監禁するけどな」

「リティル様、この人許しちゃうの?」

言えないシェレラの代わりに口を開いたのは、リティルを支えるインファの後ろからシェレラを指さしたラナンキュラスだった。

「シェラが正気に戻したんだ。あいつが斬るなっていうんだから、何とかするしかねーだろ?」

相変わらず疲れ以外の感情を読み取れない瞳で、リティルは気怠げに答えた。リティルはシェラを見なかったが、ラナンキュラスはシェラが倒れていることに気がついて、駆け寄ろうと足を踏み出しかけ、そこで体を強ばらせた。

「どうしました?」

異変に気がついたインファがラナンキュラスの背に声をかけると、彼女はインファを見上げた。

「インファ様……あたし……」

戸惑うラナンキュラスの体が透け始めていた。

「牡丹ちゃんが記憶を取り戻したんです。それで……やっぱり王には戻れないって」

俯いたラナンキュラスの儚げな肩を、インファは思わず掴んでいた。

「いいんです。あたし達妖精ですもん。王が揺らげば、存在できないです。今頃、花園の花たちも死んでいってると思います」

ラナンキュラスは顔を上げた。彼女は、明るく笑っていた。

「でもこれで!リティル様を苦しめなくてすみます。そこだけは、牡丹ちゃんに感謝です」

そんなに、顔に出ていただろうか。インファを見上げたラナンキュラスは、すぐに視線をそらした。

「インファ様の手、暖かいです。やっと、怖くなくなったのに、惜しいなぁ。暴走恋愛体質も調べてくれるって約束したのに……」

「花は、また咲きますよ。牡丹が次代へ王を明け渡すとしても、新たな王の下、あなた達はまた咲けます。再会するための、短いお別れですよ?」

顔を上げたラナンキュラスの頭を、インファは優しい笑みを浮かべて撫でた。瞳を見開いたラナンキュラスは、泣くまいと思っていたことだろう。見事に失敗して、その大きめな瞳が決壊した。

「泣かないでください。あなたはもう、オレの妹も同然ですから、兄として会いに行きますよ」

「それ、嬉しいです。すごく!インファ様……約束ですよ?あたし、待ってますからね!お兄ちゃん!」

涙の痕をそのままに、笑ったラナンキュラスの笑顔が薄れる。インファは、ニッコリと微笑み、彼女を見送った。

悔しいか悔しくないと聞かれれば、悔しい。インファにも、心があるのだから。

次元を斬る事のできる剣――次元の刃は、最上級精霊となったインファであっても1日1回が限度だ。改良できないかと研究はしているが、次元を渡る力は、神樹の精霊と花の姫しか操れない特別な力で、やはり、シェラの血を引いているだけのインファでは操りきれるものではなかった。今日の一振りを、サクラの為に使ってしまったインファは、分断されたリティルのもとへ地道に飛ぶしかなかった。幸い、ラナンキュラスが方向だけはわかり、ニココが部屋に張り巡らされた拒絶の意志に抗って穴を開けてくれ、これでも短時間でたどり着けたのだ。しかし、間に合わなかった。

『花の王の記憶が壊されちゃったんで、ボク達風の城に戻ります。お父さんはリティルとシェレラ、お願いしますよぉ?』

という連絡がインジュからきたのと、インファがここへ到着したのがほぼ同時だった。

もし。はない。サクラを見殺しにできたか?と問われれば、できないと答えるしかないからだ。背中に隠れていたニココが、インファの肩に上ってきて、見上げてきたのがわかった。「大丈夫です」そう言う代わりに、インファはニッコリ微笑んだ。

 さて、彼女をどういう形で風の城に連れていこうか?と視線をシェレラに戻したところで、インファは、水晶球が光るのを感じて、再び、今度は少し離れるしかなかった。

父は、重い雰囲気を纏っていたが、大丈夫だろうか?と頭をよぎったが、事が起きたはずの風の城からの通信では出ないわけにはいかなかった。

『お父さん……あの……』

相手は、歯切れの悪すぎるインジュだった。これは、失敗でしたか?とすべて丸く収めたなら、テンションの高いジュールが連絡してくると踏んでいたのだ。

「治まりませんでしたか?被害は出ましたか?」

被害が出ているとしたら、ジュールだ。彼とはもっと話をしてみたかった。インファとも縁ができてしまった彼には、もう2度と会えない。インファは、先走って感傷に浸ってしまった。

『あ、あの……ええと……牡丹さんは狩ったんですけど、その……』

これは、埒が明かない。「戻ります」と声をかけようとすると、インジュを押しのける者があった。高飛車な男性の声。これは?

『怒られてやると言っているのだ。現状だけでもささっと伝えないか!』

ん?

「……ジュール……ですよね?」

インファは思わず目を眇めて、水晶球を覗き込んでしまった。声も姿もジュールだが、雰囲気が違っていた。

『ああ、花の王の力を奪い取って、新たな花の王として目覚めたジュールだ!ハハハハハ!死ぬかと思ったぞ!これ以上に衝撃的な報告もあるのでな、早く戻ってこい』

花の王として目覚めた?それを聞いたインファは目眩を覚えて、蹌踉めいた。色欲魔のジュールなら、花の王を安定してこなしそうだなと思ってしまい、インファは長い長いため息を付いた。この場で小言を言っても始まらない。インファは水晶球の中のジュールに視線を合わせた。

「帰ります」

『待っているぞ?』

フフフと甘やかに笑うジュールが、どこか強がって見えた。期間限定インジュの守護精霊というとてつもなくあやふやな存在だった彼が、王の称号を代償もなく引き継げるのか?とインファは、徹底的に霊力構造を調べてやる!と心に決めたのだった。

 一方、インファに取り残されたシェレラは、無言で、こちらとは目も合わせようとしないリティルと気まずい空気の中にいた。

血まみれの小柄な風の王の姿を見ていて、シェレラは思考がまとまるまでに、自分を取り戻していた。

彼は愛妻家だったはずだが、倒れているシェラを見に行きもしない。ルキルースとはいえ、体があそこにあるということは生きているということだが、それならばなぜ、リティルはシェラのもとへ行かないのだろうか?精霊の死は、儚い。命を失えば、その体は自身の司る力となって分解し、跡形もなくなる。裏を返せば、体がまだ存在しているということは、その精霊が生きているということになるのだ。

「シェラは、」

「あいつの名を、おまえが呼ぶな」

殺されるかと思った。憎しみという感情を殺し損なった瞳だったが、リティルは、その言葉だけで何もしようとはしなかった。

「父さん、ジュールが何かしでかしたようです。父さん?どうかしましたか?」

そこへインファが戻ってきた。インファは父王のそんな暗い感情に気がつかなかったようだが、違和感は感じたようだった。だが、インファを見たリティルの瞳には、負の感情がなくなっていた。

「ん?なんでもねーよ。ニココ、風の城に扉開いてくれよ」

『お安いご用ニャン。ケルゥとカルシエーナは、ルキ様手伝ってくれてるニャン。ニココも、ルキ様と合流するニャン』

「ああ、ありがとなニココ。諸々片付けたら、また来るな!」

リティルは笑うと、ニココの頭を撫でてやった。ニココも、嬉しそうにリティルに戯れ付いた。そんなやり取りをボンヤリ見ていたシェレラは、さっき向けられた瞳は夢だったのでは?とそんなことを思ってしまった。

何事もなかったかのように、リティルは倒れているシェラの体を抱き上げに行くと、ニココの開いた扉に入って行ってしまった。

「何か、ありましたか?」

言えるはずもない。風の王に、殺気だけで殺されそうになったなんて、口が裂けても言えなかった。

「いいえ」

そうですかとインファは言ったのみで、とても紳士的にシェレラは促され、風の城に足を踏み入れる事となったのだった。


 ルキルースから扉を潜ると、そこはシェレラの記憶にある場所だった。だが、当時とは所々違っていた。

リティルはすでに、シェラを別の場所へ置いてきたのか、彼女の姿はなかった。

「ジュール!おまえ、なんてざまだよ!」

見ればリティルは、波打つ緑色の髪の、ずいぶん優しい顔をした花の精霊に詰め寄っていた。シェレラはその花の精霊に、目が釘付けになった。あの人は、どう見ても男性だ。甘やかで華やかな顔立ちだが、男性だ。男性の花の精霊などいないはずだった。

「ハハハハハ!そう怒るな、リティル。これで、わたしもそばにいてやれるのだ。喜ばしいだろう?」

芝居がかった物言いの煌びやかな男は、優しげな手つきで、リティルの顔を1撫でした。すると、腫れて開かなかった左目が癒やされていた。

「気にするなリティル。よく頑張ったな」

フフと甘やかにジュールは微笑んだ。その、エメラルドグリーンに変わってしまった瞳の中で、リティルは両目を見開いていた。ジュールは遠慮なくリティルの左肩に触れる。フワリと熱を感じ、左目同様傷が癒やされていた。

「けど、おまえ……」

ジュールの背中にあった金色のオオタカの翼はなくなり、代わりに蝶の羽根が生えていた。鮮やかな黄色の下羽根を持つ、キシタアゲハの羽根だ。

リティルは刹那言葉を失った。

おまえもなのかよ……?リティルの瞳が揺れる。風の王の翼を失ったジュールの姿が、かつて、リティルの心を守る為にその存在をノインへ作り替えた父のインと重なっていた。

リティルが失敗したが為に、また、過去の風の王が犠牲に――

「申し訳、ありません!」

その声にリティルは驚いて、やっと彼女の存在に気がついた。そこには、下げられるだけ頭を下げた、見慣れない精霊がいた。

「風の王の責めは、わたしも受けます。ですからどうか、ジュールだけを責めないでください!」

「えっと……君は誰なんだ?」

暗に顔を上げろと言ったつもりだったが、彼女は上げなかった。彼女の耳の上には、鳥のような花弁を持つ極楽鳥花が咲いていた。そして、彼女の背には、黒地に黄色がかった緑色の葉っぱのような模様が美しい、トリバネアゲハの羽根が生えていた。

「申し遅れました。元5代目花の姫・シレラです。言い訳でしかありませんが、縁結びの王の一端を担う、蜜月の精霊・シレラとしてジュールと共に転成しました」

一向に顔を上げないシレラの両肩をムンズと掴み、ジュールは上半身を起こさせた。顔を上げたシレラの顔は、妖艶さは微塵もないが、本当にリャリスと瓜二つだった。

「すまんな。わたし1人では成せなかったのだ。インジュがやる気だったが、任せるワケにはいかんだろう?」

「ボクは、転成する気なんてありませんでしたよぉ!とりあえず監禁する気でしたよぉ!」

「おまえ、あいつに近づけば、結んだ縁を1つずつ切られるおまけ付きだったのだぞ?縁結びの縁とは、何も恋愛に限ったことではないのだ。親子、姉弟、家族、友人、人と人との繋がりすべてだ。今を生きているおまえの縁、1本も切らせるわけにはいかんだろう?」

優しく諭すジュールに、しかしインジュの気持ちは治まらなかった。

「だからって!……リャリスに、絶対、ぜっっっっったい会わせてくださいよぉ?もおおお!いつこんなことしようって思い付いたんです?ボクを巻き込んでくれれば、リャリスは……死なずにすんだじゃないですかぁ!?」

会話に乱入してきたインジュは「ひどいですよぉ!」と叫びながら泣き崩れた。そんなインジュに、かける言葉がない様子だったが、シレラは膝を折り、床の上で握られたインジュの手に両手を重ねた。

「――てよ。待てよ!リャリス……リャリスが死んだ?ジュール!おまえ!」

リティルは、乱暴にジュールの腕を掴んでいた。花の王として目覚めたジュールの瞳は、風の王だった頃よりも甘い色気を纏っていた。その瞳が、気丈に、しかし憂いを浮かべてリティルに注がれた。

「……わたしがすべて、引き受ければいいと思っていたのだが、力が及ばなかった。リャリスは、わたしの行動を読んでいたらしい。シレラを懐柔し、助けに来たのだ」

「ジュールには信念が、わたしには魂がありました。融合すれば牡丹の力にも勝てたと思います。けれども、それをすれば、ジュールはすべてを、本当にすべてを失う事になったでしょう。リャリスは、ジュールを救ってくれたのです」

インジュを気遣いながら、シレラが立ち上がらないまま言葉を繋げた。

「確かに、死者召喚で心が具現化しているにすぎなかったが、あそこまで繋がりを絶たれれば、鬼籍の消滅は免れなかっただろうな。だが、それになんの問題がある?もう、この城の誰の前にも化けて出てやれんのだ。わたしの鬼籍など、惜しくはなかろう?」

やめろよ。やめてくれよ!そんな風に笑って、煙に巻くのはやめてくれ!

「!」

リティルは、無意識に彼女を捜していた。1度は封じ込めることに成功していた感情が、溢れ出す。止めなければならないとわかっているのに、どうしようもない。

――どうして、おまえは、おまえ達はこんな子供な王を守ろうとしたんだよ!

お父様と呼んで、ホッとした顔で抱きついてきたリャリスの顔がちらついた。容姿に似合わず、尽くすタイプだった彼女に、自分を大事にしろよ?ともっと、ちゃんと諭せばよかった。もう会えないなんてそんな!

その目が見つけてしまった。この事態を引き起こした女。多くの者を傷つけて、復讐を成した自己中心的な振る舞いをした女!

 シェレラは、風の王に狩られるつもりだった。

あの黒い種を砕いたとき、もう、何もかもどうでもよくなった。他の花の姫は、意中の風の王の風に抱かれ、始まりと終わりの地へ導かれていった。輪廻の輪の中へ還ったのだ。

しかし、インティーガはあの合唱の中にはいなかった。当然だ。彼は、力の精霊の剣によって殺されたのだ。何者の呼びかけにも答えられないくらい、心さえもバラバラになってしまった。もう、わたしの行いを止めてくれるあの人はいない。

シェレラは黒い種を砕けてしまった。インティーガはどこにもいないのだと、シェレラのすべてが悟ってしまった。その瞬間、シェレラという存在にも興味がなくなった。

シェレラは、憎しみの宿った瞳で、斬りかかってくるリティルの剣を見つめていた。

――始めからそうすればよかったのよ?

シェレラは突き出された切っ先を、受け入れた。


 正直、止める必要はないのでは?とノインは思った。けれども、体は動いていた。それはおそらく、動いた皆、一緒だろう。

「――父さん、やめましょう?」

インファは、体の前で止まった切っ先の先にいる者に、そう声をかけていた。感じたことのない殺気の籠もった、見慣れたショートソードの持ち主。彼の吐く息に合わせて、僅かに切っ先が上下に震えていた。

「リティル、おまえが下すまでもない。この場の誰でもいい。命じろ」

リティルの左肩から、斜めに体の前に鞘から抜かない大剣を差し込んだノインが、静かに言った。鞘に収まった剣は、応接間の象眼細工の床にめり込んでいた。

「そうだ。ノインの言うとおりだよ?オレなら、感情なくいくらでも狩ってやる」

リティルの剣を握る腕を両手で掴んでいたラスが、前髪に隠れていない右目で、インファの後ろを睨んだ。

「刃を、向け、るべきは……あいつじゃ、ねーんだ……」

リティルは憎しみに揺れる瞳で、絞り出すように言葉を呟いていた。

「オレだ。オレがあのとき、最後の矢を――」

シェラではなく、シェレラに放っていたなら、花たちとリャリスは死なずにすんだ。

選択を誤ったのは、オレだ!オレなんだ……。リティルの手から、音を立てて剣が落ちた。

「リティル、おまえには無理だ。シェラが放てと言ったのだろう?それを無視して、誰かを殺すことはできんさ。リャリスは、死んだのではないぞ?産まれ直すのだ。容姿は前と同じにはできないが、12年待ってくれさえすれば、会わせてやる」

そっと、ジュールは遠慮なくリティルを後ろから抱きすくめた。そして、小さな子供にするようにヨシヨシと頭を撫でた。

「ジュール……!ごめんな……!あいつのこと、託されたのに守ってやれなくて、ごめんな……!」

「バカなヤツだ。実の父がここにいるのだぞ?その役目は、わたしの役目だ!おまえが背負うことではないぞ?まあ待て!そんなに泣くな。リャリスは智の精霊だ。我々のすべてを利用したに違いないぞ?それを証明してやる!だから、12年待て!12年くらい待てるだろう?」

そんなことに、うなずけるわけないだろ!リティルは、ジュールに子供のように慰められながら、泣くしかなかった。


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