序章 花の姫と風の王
ワイウイ13開幕です!
楽しんで頂けたなら幸いです
1本の大樹が、3つの異なる世界を繋いでいた。
精霊達の住まう異界・イシュラース。
生き死にと衰退と繁栄を繰り返す異界・グロウタース。
すべての命、力の源、生命の大釜・ドゥガリーヤ。
神樹と呼ばれるその大樹は、異世界を繋ぐゲートだった。そのゲートを通り、風を統べる精霊の王は、世界に仇なすモノを狩る刃として日々戦い続けていた。
13代目風の王・インティーガ。
大柄で、精悍な顔つきの青年の姿をした、風の精霊だ。
その名は、風の騎士という意味で、名は体を表すはいったモノで、彼はまさに、世界を守る騎士だった。
その強さは、精霊王の守護精霊である、力の精霊・有限の星に匹敵するほどだった。
不老不死という命を持ちながら、戦う宿命を背負う風の王は、短命だ。その運命を終わらせる王が現れたのでは?と期待される王だった。
そんな彼に恋をした精霊がいた。
神樹の娘である、花の姫・シェレラ。
モルフォ蝶の羽根を持つ、清楚で美しい精霊だった。
シェレラは、神樹を通るインティーガを見送るうち、彼の帰りを心待ちにするようになった。
そんな、英雄たる風の王と美しき姫が恋に落ちることに、時間はかからなかった。
精霊達は祝福したが、しかし誰の目からも明らかだったのにもかかわらず、インティーガは想いを秘める方を選び、花の姫の手を取ることはなかった。
花の精霊達は、風の王を意気地無しだと罵った。そんな眷属の言葉に黙していたシェレラだったが、ついに我慢が限界を超え、母である神樹の精霊・ナーガニアの制止を振り切って、インティーガのもとへ走ってしまう。
想いを寄せる姫に押しかけられ、英雄王はついに花の姫の腕の中に落ちたのだった。
しかし、幸せは長くは続かなかった。
英雄王と呼ばれるほどの王でも、戦い続ければ翳りは見える。
インティーガは、ついに命を奪われそうになった。その窮地を、シェレラは身を挺して救ってしまったのだ。
花の精霊は不死身の精霊で、死しても同じ存在として咲くことができるが、死ぬ以前の記憶を失ってしまう。
シェレラは再び咲いたが、インティーガを忘れ、尋ねてきた彼を手ひどく追い返してしまった。
追い返されたインティーガは、ナーガニアの助言で、今は身を引くことを決め、怪我を治すことに専念することにした。
だが、それがよくなかったのかもしれない。
風の王にとって、花園の花たちの噂など取るにたらないものだ。その羽ばたき1つで、花を散らしてしまう風を、花の精霊達は恐れている。故に、あまりいい噂は立てられないのだ。
ナーガニアが「あなたがシェレラを盾にして生き残ったなどという噂は、私が根も葉もないことだと娘に言います」と言ってくれた言葉にあの時は従ったが、インティーガは、シェレラが花たちを信じるのならそれでいいと思っていた。
か弱い花を盾にするような男に近づく者はいない。自分といれば、また彼女を危険に晒してしまうと、インティーガは弁解しないことを密かに決めていた。
あの時、腕の中で光の粒のような花びらとなって消えてしまった彼女が、元気にしている姿を見て、それで満足だったのだ。
不死身だと知っていたが、それでも、死なせてしまった痛みは、インティーガの潰れた左目の傷よりも、折れた左腕よりも、なくした左翼よりも痛かった。
もう、あんな想いはたくさんだったのだ。
彼女を娶る勇気がなくて、恋人という精霊という種族においてなんの意味も成さない関係しか築けなくても、インティーガはシェレラを愛していたのだから。
思いの通じた記憶がないのだから、シェレラがインティーガの為に激高することなど考えてもみなかった。
治療に専念していたインティーガは、風のもたらした情報に、慌てて城を飛び出した。
そして、何を怒っているというのか、花園に、花の精霊全員に攻撃を仕掛けた彼女の放った魔法の前に、立ちはだかっていた。
「なぜ?インティーガ様……」
花園を庇ったインティーガに、シェレラは驚きと哀しみをその瞳に浮かべていた。
インティーガは「やめろ」と、ただ、その一言しか言うことはできなかった。踵を返したシェレラを追えず、傷の癒えていなかったインティーガは更に傷を負い、不老不死の精霊が唯一冒される病である、命の期限をつけられてしまったのだった。
命の期限は、定められた月日が過ぎると、死んでしまうという病だ。インティーガに残った片翼は、死の色である暗黒色に染まってしまった。
インティーガは、2度と目覚めないと思っていた目を開けた。
「……ナーガニア……?」
「さすがは英雄王。丈夫ですね」
ベッドの傍らには、ナーガニアがいた。そして、サイドテーブルには空の薬の瓶がいくつか転がっていた。彼女が治療してくれたことは明白だった。
「シェレラは……?」
ナーガニアは、同情するような瞳でインティーガを見つめるばかりだった。
「シェレラは、自分の死の時、本当は何があったのか、知ってしまったのです。浅はかな娘!あなたが自分を盾になどしていず、自ら進んで盾になったことを知り、嘘を吹き込まれたと怒ったのです。あんな噂を信じて、怪我を押して見舞いにきたあなたを追い返したというのに」
ナーガニアの隠さない怒りを見て、インティーガは笑ってしまった。
「笑い事ではありませんよ!あなたはとにかく怪我を治しなさい。娘の手で殺された風の王など、後の王に笑われてしまいますよ?」
「ああ、確かにそうだな。それだけは、回避しよう。シェレラのためにも」
ナーガニアは憂いを浮かべた。
「娘の為に、生き残ると言うのですか?風の王の責務のためではなく?」
インティーガは見えている右目でナーガニアを見上げた。
「娘は、あなたをこのような目に遭わせたのですよ?それでもあなたは、シェレラを許すと、そう言うのですか?」
インティーガは、言った。
「許すことなど、何もない。わたしはただ、愛されただけだ。早く怪我を治して、迎えに行かなければな」
「インティ……」
風の王は、いつでも生きることを諦めない。輝かしいその姿を、ナーガニアは見守ってきた。
生きて。
例え叶わなくとも、ナーガニアは風の王の安寧を願ってきた。
月日は流れ、現在。
ナーガニアは、風の城を訪れていた。
「皆既日食、お疲れ様でした。婿殿」
「ハハ、それわざわざ言いに来たのかよ?心配しなくても大丈夫だぜ?オレ、ピンピンしてるぜ?」
ナーガニアの前で笑うのは、インティーガと比べると精霊的年齢も体格も劣る、一見すると頼りなくさえ見える青年だった。
「花園など、放っておけばいいのですよ?それをあなたという人は!」
ナーガニアが苦言を呈すると彼は、生き生きと金色の光が立ち上る瞳に、明るい笑みを浮かべた。
「シェラにも嫌み言われたぜ?でもな、何とかなったんだから、いいじゃねーか」
死ぬような目に遭ったと聞いたが、彼はそれを元ともせずに笑っている。いつものことだったが、ナーガニアはため息をついた。
「あなたは……娘を未亡人にするつもりですか?」
「そのつもりねーから、安心しろよ。オレは絶対に、生き残ってやるぜ?」
そう言って彼、16代目花の姫・シェラの夫であり、ナーガニアの義理の息子である15代目風の王・リティルは笑った。