スタジオ見学がありまして-前
青い空を見上げ、車輪が弾いた石が転がっていく。
ああ、当たってしまったかな…なんて思わず振り返れば、後ろには誰もいない。
「そうだった。今日は一人だった…」
小さく苦笑しながら、私は照り付ける太陽を思わず睨みつけてしまう。
…もし、私に足があれば、太陽光くらい日傘一本で防げるのに……なんて、自分の精神を棚上げしてしまう。
でもしょうがない。年々暑くなっているとはいえ、今日は一段と暑いのだ。
「……折角だし、先に入っておこうかな?」
時間前は流石に会社側に迷惑かな。
なんて思いながらも、この暑さに耐えきれなかった私は逃げる様に木陰に入ってから、携帯で連絡を入れる。
連絡先は勿論、一度知り合ってから沢山連絡を送られたあの社長だ。
『暑いので先に入ってます』と連絡を入れようとするのと同時に、『暇だったらスタジオ見学とかどう?』と返事が来た。
小さく苦笑しながら上を見上げても、太陽の反射で上手く見えないが……どうやら木陰で休んでいる事はバレバレらしい。
直ぐに先程の文章を消しつつ『お言葉に甘えて』と打ち込めば、『今日は同期のライバーは一人もいないからゆっくりしていきなさい』と嬉しいお返事。
携帯を仕舞いつつ目の前に聳え立つビルに向かって車椅子で向かうと、自動ドアの前に一人の女性が立っていた。
「ようこそ幸村華さん」
「お忙しいのにすみません。えっと…社長に言われてきたんですが…」
「伺っております。今からお部屋に向かいますが大丈夫ですか?」
「勿論です」
女性が私の車椅子を押しながら、言葉を投げかけてくれる。
仕事を邪魔しちゃって申し訳ないなぁ…なんて申し訳ない気分になりながら、私はエアコンが効いた部屋に連れられた。
一瞬だけ表札を見たが、残念ながらブーゲンビリアとしか書かれていなかった。
「お飲み物は何かいりますか?」
「いえ。お手洗いに行きたくなると困るので」
「…申し訳ございません」
「お気になさらず」
「……では私はこれで。担当の者が来るまで暫しお待ちください」
そういいながら去っていく女性の方を見つつ、私は失敗したなぁと呟いた。
…お水だけ貰った方がよかっただろうか。でも残しちゃうのもそれは失礼に値するだろう。
……まぁ一応、オムツだけはつけているから大丈夫ではあるのだけど。
「…母親か茉菜が入れば普通に出来るんだけど…うーん…」
小さく呟きながらも、暇な時間を気楽に過ごす為に思考を切り替える。
携帯端末を取り出し、配信アプリを起動し推しの最新のアーカイブを聴き返す。
やっぱり新しいグループの話題で盛り上がってるよなぁ…まぁあれだけ大々的に発表したから当たり前か。
「…というか凄い困ってる。“どんな人だった?”って聞かれても私達会ってないから答えられないよね……濁してるのは流石人気vだなぁって思うけど」
「へぇ…まだ顔合わせしてないんだ」
「そうそう。だからいい加減顔合わせしない……と…?」
後ろから聞こえた声に、思わず振り返る。
扉の前に癖っけの様に髪が跳ねている少女が、息を切らしながらゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。
「ごめんね!普通に寝坊した!」
「寝坊……あぁ…道理で髪の毛が…」
「うん!全部寝癖!いやぁ…大丈夫でしょって仮眠取ってたら……ね?」
「よくありますよね…あ、幸村華と申します。ヴァーチャルの方ですが」
「華ちゃんね!私の名前は……富士崎潔と申します。潔いの潔の部分からよを抜いて潔です」
よく間違えられるので…と呟かれた一言に、苦労してるんだなぁ…なんて思いながらも「よろしくお願いします」と呟いた。
「とりあえず社長に任されたので今から案内するね!」
「よろしくお願いします。…と言っても何も知らないのでお勧めとかを見せて頂けたら」
「…んー……仮眠室とか?よく寝れるよ?」
そういいながら、そっ…と車椅子の持ち手を持ってくれた富士崎さんを見て、小さく頭を下げる。
そのままバレない様にイヤホンを外しつつ、アーカイブを一時停止して携帯を鞄にしまった。
「まぁ仮眠室は後でもいいや!多分華ちゃん使わないだろうし!」
「ですね…富士崎さんはそこで昼寝を?」
「昼寝っていうか普通に睡眠?昨日はスタジオ使って収録してたからね」
「労基……」
「企業勢のVtuberは社員じゃないからね……」
小さく呟かれた一言に苦笑しながらも、彼女がVtuberという事実に思わず驚愕する。
…まさか案内人がVtuberだとは思わなかった。サイン貰った方が良いのだろうか?
「…Vtuberの方だったんですね」
「うん!そだよー!……あれ?華ちゃんもしかして知らなかった!?」
「恥ずかしながら…一応色々追ってた心算だったんですが…」
私の一言を聞いて、車輪が一瞬悲鳴を上げる。
…その一瞬の音に思わず口を歪めながら、私は気付かない振りをした。
「…っ…!そっかー!私もまだまだって事だね!後で富士崎潔で検索してよ?ちゃんと検索エンジンでするんだよ?」
「勿論。YouTubeもSNSもフォローさせて頂きます」
「ふふ。やったー!ファン一人獲得!」
お互い当たり障りのない会話をしつつ、第一スタジオと書かれた場所の扉を開ける。
空調はちゃんと効いていて、薄手の長袖を着ている私ですらびっくりするほど寒い。
「此処は第一スタジオ!歌ってみたとか踊ってみたを取る時に使ってるかな。因みにゆー君……は知らない?」
「憂鬱日向君ですか?」
「あ…うん。…うん!そうそう!ゆー君とかはMixも一人でやっちゃうんだって!凄いよねー!」
「日向君って殆どの歌ってみたは自分でMixしていますからね……2作品くらいですかね?他の人がMixしたのは」
「あれ?もしかしてゆー君推しだったり?」
「いえ。推しはリリアです」
「あ……そ、なんだ……やっぱり、…リリアって有名だもんね…」
小さく呟かれた一言に、重い空気が圧し掛かる。
…なんて返せばいいのかわからない。……だって私は、本当に知らないから。
その人の事を知らない人間が、慰めの言葉を吐いた所で、意味はない。
「…富士崎さんは、リリアの事嫌いですか?」
「……」
私の口から出た言葉に、振動が返ってくる。
それに気付かない振りをしながら、富士崎さんの返答を待ち続ける。
「…華ちゃんはこれからVtuberするんだっけ」
「そうですね」
「……じゃあ、これからわかるんじゃないかな。あの子の“貪欲さ”と……それを覆って隠してしまう程の“才能”が」
「…才能」
「そう。……きっと、諦めると思うよ。特に、夢を見てる新人の子とかは特に」
――私も、そうだったから。
そんな、達観した様な声と共に車椅子が押され始める。
…才能。その言葉に聴き馴染みはないといえば嘘になる。…唯、私は言われる側だったけど。
「私も昔はね。この企業の子達を引っ張っていけるような、格好いいVになろうって考えてた。
念入りに準備をして、こういう配信にしようかな…とか。
…最初は、上手くいってる気になってた。着実に登録者も増やせて、再生回数も上がって。
でも、そこ止まりだった」
「…そこ止まり、ですか?」
「えぇ。……たとえ企業が後押ししてくれたって、この業界に残る“違和感”というのは残り続ける」
「違和感?」
聴き馴染みのない言葉に、私は小さく首を傾げてしまう。
それを見た富士崎さんは「多分貴女には問題ないかもしれないけど」と前置きをしてから、呟くように言葉を捻りだした。
「…例えば、今ではもう受け入れられているところも多いけど……女性の姿で“男性の声”っていうのは、かなりの違和感になるよね?」
「えぇ。それはまぁ……現代社会の釣られクマーとは聞きますが」
「……結構古い言葉知ってるんだね。
それはどうでも良いんだけど……人間って結構、そんな風に“この姿なら”“こういう声がする”っていう“偏見”を持っている事が多いの。例えばおっとり系だったらお姉さん系の声が“ド直球”無気力系な幼女は“それはそれで”…みたいなね」
その言葉に私は昨日見た配信を思い出し……そして、小さく頷いて納得をした。
…確かに「声に違和感がある」というのは、実際問題プラスにもマイナスにも繋がりやすい。
それが企業だったら、あるいは本当に個性的な声だったら“もう少し見てもいいかなぁ…”という意識を持つこともある。
「“自分ではこの子はこう喋る”というのがあっても、他の人間は“この喋り方は違う”と思ってしまう。これが私達の業界で問題視されている“違和感”なの。
企業側は高い金を払ってイラストを描いてもらってオーディションしてるから、声に合わせて変更なんかは出来ない。声を合わせるのが一番だけど…」
「素人にそんなことをやっている余裕はない。…そこで出てくるのが“才能”ですか?」
私の一言に、富士崎さんが「そうね」と諦めた様に呟いた。
「…裏で大量にスタッフさんがスタンバってて、絵師さん……ママが全力で描いてくれて、SNSで沢山沢山宣伝されてて。……すべてが“完璧”な状態でパスをされた。
『後は自分の力を出しきるだけ』……“素人の”自分の力を?…どうやって?」
「………」
「怖かった。初配信で大失敗してしまうのが。…“放送事故”という意味じゃない。
“何も残せなかったら”“誰もファンにならなかったら”…そんな“失敗”を私が犯してしまったら、私は未来永劫、自分に自信を失ってしまう」
…個人に比べ、企業Vtuberの自殺率が年々高まっている……そういう記事を見た事がある。
昔に比べて法改正もされ、Vtuberという仕事は以前よりも多くなった。……「企業勢が過ごしやすくなった」のだ。そうなると、個人勢は殆ど見向きもされなくなり……個人のVは言い訳がしやすくなるのだ。
「今は環境的に個人Vが活躍し辛いから」「昔に比べて企業勢が幅を利かせてるから」…そんな思いが蔓延する。
「何回もね。なんで“受かってしまったんだろう”って思っちゃうの。私よりも絶対、良い人はいたのに、どうしてこの“身体”に私が座っているんだろうって。…本当に死にたくなる。この程度の実力しか持ってない私が」
だけど、企業勢は違う。
大量の応募から選ばれ、実力でその席を勝ち残った企業勢は“言い訳”がし辛くなる。
恵まれた環境は、心を縛る鎖になり……整えられた道は、足を引っ張る足枷になる。
「…ファンが応援を止めるのって。思ったよりも分かりやすいよ。
だけど、応援を止める原因を突き止めるのはその十倍は難しい。
必死に頑張って見つけて、それを直してる間にも、またどんどんファンが減っていって……どうすればいいか、今でもわからない」
小さく呟かれた一言に、私は何も言えなかった。
私はまだ配信者ですらないから、その悩みを、感じた事はない。
……今はまだ。