家族と芸術
(この人たちは、わたしに、おとなのなかまがいるとおもって、あいたがっている? でもひとのなかまに、あわせると、ひとじちにとられるかも……。みんななら、このひとたちも、つかまえようとはしないかな?)
「ここに、わたしいがい、ひとは、いません。ここのだいひょう、なら、わたしです」
拠点の責任者としての責任感と年齢に比して聡明な頭脳が、ここでブラットに嘘を吐かせた。
(ぜんぶがうそ、じゃない。人のなかまがいないことをごまかしただけ。ひと、いがいのかぞくもいる。ここのまとめやくもわたし。だいじょうぶ)
一流の詐欺師は多くの真実の中に嘘を混ぜる。その観点で言えばブラットには詐欺師の素質がある。だが、この時点でのブラットは詐欺師としては二流だった。
「……貴方が、この拠点の代表者?」
真実の中に嘘を隠すには、最低限欺きたい嘘以外の要素を真実と認識させる必要がある。10になるかならないかの子供が拠点の代表者というのは、真実味に欠けていた。
「ここは、おばあちゃんとわたしが、2りで、すんでました。おばあちゃん、しんでから、人ですんでいるのは、わたしだけです」
(それだけは、うそでもいいきる……! それしかない……!)
「ですが、先程貴方は『みんなにつたえる』とおっしゃっていたので……」
ヘレーナが矛盾を解消しようと言葉で一歩踏み込む。ブラットもそれに挑むという意思表示の如くヘレーナの目を見据えた。
「……じゃあ、みんなは、ここでよびます。みなさんは、ぜったい、これからここにくるこたちを、きずつけないように、してください」
ブラットはヘレーナ達に背を向ける。そして両手を手笛にすると、鳥の囀りにも似た鋭く眺めの手笛を響かせた。
(今のは呼び笛……ということは、この後に彼女の『家族』がここに来るということに……)
(どのような人がいるのかは結局わからないまま。だけど友好的、せめて消極的にでも私達の滞在を認めて貰えなければならない)
そうしてブラット、あるいはブラットが呼んだ何かの動きを待ってヘレーナが10を数えた頃に、オアシスの奥から影が飛び出してきた。
「……鳥?」
1羽の鳥が木々の間を抜けてブラットが伸ばした手に舞い降りた。
木々の間を抜けてブラットの手に舞い降りた鳥を見ながら、少年とその手で小刻みに動く小鳥、そして小鳥が抜けてきたオアシスの奥の方の間で何度も目線を往復させる。
(小鳥が1羽来たけれど、人が来る気配はまだない。人質に取られることを警戒している? それとも本当に彼女だけがここに?)
中々状況に対する解答が得られず焦りと不安が募るヘレーナが、再度ブラットからオアシスの方に目線を移したその時だった。
オアシスの奥から、無数の鳥、蝶、蛾が無数に羽ばたきと共にブラットの元へ群がってきた。羽を持つ生物に僅かに遅れて、今度は地と木々を伝う小生物達が顔を覗かせる。
「ちょ、ちょっと、こんなにたくさんの生き物達が……」
小鳥や猫等の小動物はともかく、虫が得意ではないヘレーナは後退ってしまう。地に伏せている騎士達も、地面から自分達の近くに群がってくる小生物達に怯む様に身じろぎしていた。
集まった生物達はヘレーナ達ではなくブラットの近くに群がっていき、彼女達に向かうものは1匹もはいなかった。
そして両腕から頭の上、周囲の地面や木々、文字通り八方を小生物で溢れかえらせたブラットが、オアシスからヘレーナ達の方に向き直ると、両腕を掲げるように伸ばしながら笑顔を浮かべた。
「この子たちが、このオアシスの……わたしのかぞく、です」
「……きれ、い……」
『家族』を紹介するブラットの姿を見て、ヘレーナの口から零れたのは感嘆の言葉だった。
彼女は死と隣り合わせの一行の責任者だ。最適解を選ぶ為に常に全霊の思考と警戒を備えなければならない立場であり、ヘレーナ自身がそう自認・自戒していた。
そんな彼女があらゆる計算を忘れて、目の前の光景に魅入っていた。
ヘレーナだけでなく、再度ブラットを警戒していた騎士達も、一枚の絵画に対面したように惚けていた。
(私も皆も、ついさっきまでたくさんの虫や動物を気味が悪いとしか思っていなかった筈なのに……)
ヘレーナ一行がオアシスの奥から群がってきた生物達に抱いた心象は
『夥しい数の小生物達』
だった。直截に言うと嫌悪していた。
だが忌避していた生物達がブラットの周囲に群がったその瞬間に、その感情は反転させられた。
神話の秘境のように突然砂漠の中に現れたオアシスの神秘性。
人と人以外の生物達の垣根を超えた絆。
貴族でも稀な緑色の髪と幼いながらも美しい顔に、人相手では決して見せなかった強張りの一切無い微笑み。
希少性、精神性、外観、あらゆる要素が負の印象を掻き消す、それどころか不利に映る筈の構成物をも取り込んで成立していた。
「みんな、きてくれてありがとう。ほかのみんなにも、つたえてください」
神聖な宗教画が現実に具現化したような神秘的な光景に見惚れる贅沢な時間は、ブラットの生物達への語り掛けによって終了させられた。
生物達が羽搏き・這いずりと共に空と地を伝って思い思いの軌跡を描き、やがてその場にいる生命は人間達だけとなった。
「いまのこたちが、わたしの、かぞくです……」
生物達がオアシスの奥に戻っていくのを確認したブラットは、ヘレーナ達に向き直る。
ブラットから会話を再開したが、ヘレーナはその言葉に応答を返し損ねた。
「……? あの、ヘレーナ、さん……?」
「……え、あ、ああ、すみません。少し驚いてしまって……」
ヘレーナは惚けていた表情を隠すように右手を口元に置きながら、小さく頭を下げる。
「おどろかせて、すみません。ここにいるのは、わたしと、あのこたちみたいな、むしや、ちいさなどうぶつだけ、です。あのこたちが、わたしのかぞく、です。あのこたちを、おどろかせたり、こわがらせることは、しないでください」
ブラットは彼女の反応を、多くの生物達を呼び寄せたことへの驚きによるものと解釈した。そのような反応を取らせた自身の行動も詫びた。
「わたしも、ここにすんでいるこたちに、あなたたちに、ちかづかないよう、いっておきます。どくをもっている、こも、いるので、おくにはいかないで、ください」
「承知いたしました」
ブラットの危機感を煽る警告に対して、ヘレーナも表情を引き締めて首肯する。
実はこのオアシスに毒を持った生物はいない。少なくともヘレーナが想像している『毒針等を武器に人間を攻撃してくる生物』はおらず、ブラットもそのことを把握している。
ブラットの発言の元になっているのは、彼がまだホランド街にいた時、浮浪者が飢えから生きた虫をそのまま食べて、少ししてから死ぬ者がいたという記憶だ。栄養状態が劣悪な浮浪者が適切な調理等をせずに生物を生きたまま口にする。不調を訴えるのは当然であり、その生物が毒を持つという根拠として成立しない。
だがブラットはこの瞬間だけその記憶を都合良く誇張して、一行の行動制限に使うことにした。
「まだ、あなたたちがきたことを、しらないこたちに、おしえてくるので、ここで、やすんでいて、ください」
「格別のご配慮、感謝いたします」
そして二人の表面的な会話が終了し、ブラットはオアシスの奥に消え、ヘレーナは騎士達の方に向き直った。