避難と探り
(幼い……)
ヘレーナがブラットの素顔を見た第一印象がそれだった。
帽巾で顔が隠されていた時でも、背丈の低さ・身体の細さ・掠れ気味な声音等から、最低限成人はしていない――ヘレーナ及び世間の一般常識的には十六歳から成人として扱われる――と見積もってはいたが、予想以上にその要望は幼く見えた。
(最低でも10は超えていると思っていたけど、これだと年齢は7〜9歳くらい? それとも栄養不良で身体が成育仕切っていないだけ? でも背丈はともかく顔の輪郭は……)
「……改めてブラット殿の感謝を。フェルマー・ルアード・へレーナと申します」
「この一行の長で、このデルラ砂漠を含むフェルマー領を統括する一族に連なるものです。我らの武力行使、それに加えて、背負われながらの不格好な姿勢をお詫びいたします」
へレーナはブラットの外見に驚きつつも、謝意・誠意を見せる為に口を開く。それと同時に外見から得られる情報を分析しながら、次に話すべきことを組み立てていく。
「……わたしの、すみかに……あんない、します」
僅かに目を見開いたブラットは小さく頭を下げると、早足気味にはヘレーナ一行の最後端に移動する。
(私の言葉に驚いていた? それとも何か怒りを買うような言動があった?)
ブラットの一挙手一投足に怯えながら交渉をしていたへレーナの内心に焦りが募る。
実際は、彼の人生の中でこれ程礼を尽くした言葉を発せられたのが初めてで面食らっただけだ。別にへレーナを焦らせるような狙いがあっての挙動ではないが、彼の対人経験は年齢不相応に不足していた。
「いまから、矢をうつので、そこまで、あるいてください」
「っ」
ブラットが矢を番えたところで一行の間に緊張が走る。
(仕方のないことだけど、さっきまで戦っていた相手が背後で武器を構えているというのは苦しいわね……)
直前まで殺し合っていた相手に背中を見せる。その恐怖を受け入れて進むのが条件だ。
ブラットは自身の筋力と弓力の出せる限界距離の射を放った。矢は一行の頭上を大きく超えて砂漠の地に突き立った。
「あの矢にむかって、ください」
「承知いたしました」
ブラットが交渉の通り、先導の為の矢を放ったことで一行の緊張は僅かに散った。へレーナも小さく息を吐くと目線を騎士達の方に向け直した。
「皆さん、まずはあの矢のところまで進んでください」
「……はっ」
ただヘレーナを守る騎士たちはまだ割り切れてはいなかった。表面では素直に従っているが、声音からは疲労以外の理由で滑らかさが損なわれていた。
「道案内ありがとうございます。ブラット殿」
ヘレーナはブラッドの意識を自分に向けさせ、且つ部下達の不満を感じ取らせない為に話しかけた。一行の中では一番ブラットから関心を向けられていると予想されるヘレーナが、交渉役としては妥当だった。
「よびまし、たか?」
ブラットはより遠くに矢を放つことと騎士達の敵意に注意を払っていて、へレーナの呼びかけを完全には聞いていなかった。だが自分に話しかけてきたということは理解出来たので言葉を返した。
(声が小さいので近づいて欲しいという風なら、違和感を持たれずに距離を詰められるかしら)
「ええ、少し貴方とお話しがしたいと思っているのですが……」
ここでヘレーナはブラットと距離を詰めようとしたが、当人がそれを遮った。
「まって……つよいかぜが、きます。すながまうとぶので、かお、まもって、しゃがんで、ください」
「っ! 皆さん、今から強風が来るそうです! 顔を守ってしゃがみこんでください!」
へレーナとブラットの間に信頼関係はない。だが先の戦闘でブラットが風を味方に付けて戦闘を優位に進めていた実績がある。ブラットの指示を即座に実行することで彼の心象を稼ぐ狙いもあり、即行動に移した。
「っ!」
部下の騎士たちの反応は基本的に同じ、細かく見ると2通りに分かれた。
ヘレーナの命令を即座に実行した者と、指示に従うことを躊躇いながら従った者達だ。後者はへレーナの指示の元が自分達の同僚を殺めた子供であることを直感したが故の忌避感だった。最終的な命令を出したのがへレーナであったことから、数秒差でブラットの指示は実行された。
そして全員が地に伏せて顔を守る体制を取ってから凡そ10を数えたところで、ブラットの言葉が的中した。
「……! つっ!?」
その砂風を備えなく受けていれば、強風によって『粒状の刃物』と化した砂に眼球を切り裂かれていたかもしれない。
(私に説明して、更に集団が備えるだけの余裕がある段階でこの強風を察知していたのですか ……!)
一箇所に土着する民には、その土地の気候をある程度肌で感じ取れる者がいるということはへレーナも知識として知っている。ただその能力をここまで間近で体感したのは久しかった。
そうして砂嵐に耐えていると、少しずつ風が穏やかになっていった。
「ブ、ブラット君。そろそろ風は鎮まりそうですか?」
「……まだつづく、かもしれません。わたしが、いうまで、しゃがんでくださ、い」
今の風ならブラット達が動く分には問題ない程度だったが、巻き返しを警戒したブラットは現状維持を選択した。
そして更に風が弱まってきて、ようやくブラットは立ち上がった。
「……もう、だいじょうぶです。かぜ、しばらくおき、ません」
「か、感謝します。皆さん、風が収まったのでもう大丈夫だそうです」
ブラットからの終了宣言を受け、一行は伏せていた身体を起こす。そして一行の行軍とヘレーナとブラットの会話も再開された。
「見事な風の読みでした。おかげで砂嵐に対して余裕を持って備えることが叶いました。どのようにしてさっきの風を読んだのですか?」
「……なんとなく、むこうのほうから……かぜがつよくなって、いるのを、かんじました……」
「そ、そうですか。では私等が風を察知して事前に備えたりすることは難しそうですか?」
「……すぐにはむり、です……ここで、ながくせいかつ、していれば、できると……おもいま、す」
「わかりました。申し訳ありませんが、案内と危険の察知も、全てお任せしてしまいます。必ずこの恩には報います」
「は、い……」
(とりあえず、『安全の為に風を察知する方法を知りたい』という名目を会話のきっかけにできた。後はこちらに隔意を抱かれないよう、細心の注意を払って距離を詰めつつ、情報を収集しなければならないわけね)
圧倒的に不利な立場にいるヘレーナ達だが、だからこそブラットの関心・好感度を獲得し、より救助に積極的になってもらわなくてはならない。また最悪見捨てられてた時に、少しでも自力での生還の確率を高めるために、位置情報等の情報収集も並行して行う算段――自力の生還などほぼ不可能であり、見捨てられないようにすることが第一だが――だった。
「目印になるようなものが何もないように見えますが、やはりこの砂漠で長く暮らしているんですか?」
「……たぶん、5ねん……くらいに、なります……」
「そんなに長く、1人で……ご立派ですね」
ここでへレーナが『1人で暮らしている』と早合点して見せたのは、ブラット側の背景を探る為だ。彼に仲間がいれば『間違いを訂正したい』という意識が起きる可能性がある。相手の発言を促す駆け引きの1つだ。
(これで彼の仲間に関する情報が得られれば……)
雑談の裏の思惑を気取られないか、内心で冷や汗をかきながら会話を進めていく。ブラットは雑談を不愉快に思うことも裏の思惑を警戒する気配も無く返答した。
「……おばあちゃんと、3ねんくらいまえまで、くらしてました……でもしんでます……」
「! す、すいません。立ち入ったことを……!」
腹の探り合いを気取られずに済んだと安堵していたところで、思わぬ背景を明かされ、慌ててヘレーナは謝罪した。
本来の彼女は相手の言動・立ち振る舞い・事前情報等から相手を刺激しないようにしつつ、会話を盛り上げて情報を集める社交を得意としている。ブラットのような見かけからして恵まれない境遇にいると予想できる相手に、いきなり背景を探るような危険な質問を投げる失敗を犯したしてしまった。多少回復してもまだ限界まで追い込まれている状態のままだからだ。
「……だい、じょうぶです……いまは、かぞくが、います……さびしくない、です……」
「あ、ありがとうございます」
( 危なかった、この会話で不況を買っていたら……! 今の私は思考力が落ちている)
(この状態で腹の探り合いをしようとしてもまた失敗する。彼女に仲間がいるということは突き止めた。これ以上は危険な話題を避けて、優先順位を決めて話さなくては……!)
ヘレーナの細い双肩に
『現況で一行の唯一の命綱である人物との交渉役』
の重圧が、伸し掛かる。彼女は
『フェルマー伯爵家に連なる者として恥となる振る舞いは出来ない』
という責任感は何度も背負ってきたが、集団の長を担うのは初めてのことだった。
「ご家族がいる、とのことでしたがその方々は我々がブラット君の住処に行くことを許してくれるでしょうか?」
へレーナはブラットの拠点に移動することだけを考えることにした。拠点で休息できれば思考力もある程度は復活する。駆け引きはそれからすると割り切った。
だが、ブラットの仲間は気がかりだったため、ここだけは探りを入れるしか無かった。取り繕う余裕も無いので直裁に尋ねた。
「……たぶん、だいじょうぶ、です……ヘレーナさんたち、は、みんながいるばしょの、まえのところに、いってもらい、ます……みんなには、ちかづかなければ……けんかしなくて、すみま、す……」
(拠点の一区画に隔離する、というわけね。それは当然として……ブラット君の拠点にはこの人数を隔離して収容して、元の住人と距離を置く広さがある? 放棄された廃村等を拠点にしているのかしら?)
(それに彼女は私達を偵察、最悪排除する為にきた筈。なら私達を連れて行くのは彼女の独断ということになる。こんな子供にそんな権限が……? 拠点の支配者に厚遇されているということなのかしら?)
(それなら命の危険がある偵察・戦闘の任を任せるのも不自然。いや、ホランド街のように排他された者が集まった拠点で、人員の構成や技能が偏っている?)
ブラットとの駆け引きこそやめると割り切ったが、一行の命運を背負う責任感が彼女の思考を止めさせない。
「ヘレーナ、さん? だいじょうぶ、ですか?」
「っ!?」
黙り込んでしまったヘレーナを案じたブラットの呼び掛けで、彼女はようやく思考を中断させられた。
「す、すみません。少し呆けてしまって……」
「……あとすこし、で、すみか、みえてくる、ころです……」
「ありがとうございます」
ヘレーナが黙り込んだ理由を疲労によるものと判断したブラットは、彼女を奮い立たせるために前向きな情報を開示した。
「アンシャナ、後少しよ。頑張って」
「……は、い。お母様……」
隣で背負われているアンシャナの背にそっと手を添えながら気遣うヘレーナ。その娘を思う母親の姿を、珍しい、それでいて眩しいものをみるように眼を細めて見つめていた。
「……あと、すこし……」
ヘレーナ達の前、騎士の1人が譫言のようにブラットの発言を復唱していた。ブラットの『あとすこし』の言葉は、確かに一行の希望となっていた。