遭遇戦
(くそっ。なんで俺が、あんな廃棄女共の下につけられた挙句、こんな砂漠で遭難する羽目になるなんて……!)
灼熱の砂漠を歩む一行の若い騎士は、自らの現状とその原因となった人物達への憎悪を滾らせていた。
彼は優秀な成績を収めて騎士となった。その成績・年齢を公平に審査された結果、自分の斜め前で騎士達に背負われている母娘の護衛となった。
それ自体は良かった。要人警護の感覚を養う任であり、真面目に勤めていれば充分出世も可能な職務だった。親子を実家に送り返すまでの護衛という任が終わった後の新しい配属について、上司から内示を貰ってもいた。
母娘に対しても悪い印象は無かった。母親は温厚な人格者である一方、娘の方は癇癪が激しいと感じてはいた。だがそれらは概ね近くで接する同性の騎士・侍女に向けられていた。外敵を警戒する護衛として1歩離れた場所にいた彼には他人事だった。
だが極限状況に追い込まれた今となっては、かつての待遇等関係無かった。現状を招いた元凶への憎悪と今味わっている苦痛を少しでも解消するべく、彼の思考は邪悪な方向へと流れていく。
(どうせ俺達はここで死ぬ……。なら……最後にあの女共を愉しむのもありか? 母親の方は中古だがいい具合に熟れているし、娘の方も小さいなりにいい声でくれそうだしよぉ)
死ぬ前に自分本位な欲望を叶えたい。そのような考えが芽生えていた。だが身内に牙を剥く邪念が実行されることは無かった。
「あ……?」
極限状況で鋭敏になった感覚が、誰も注意していなかった自分達の左後方に違和感を捉えた。疲弊で上手く動かない首を少しずつ回して違和感の正体を視認した。
「……は、ははっ……」
そこには砂の丘の上から自分達を観察する何者かがいた。砂漠の中の僅かな高低差を遮蔽物とし、砂の地面に伏せていた為見つけにくかった。だが見つけられた。
「ははは……はっはは……」
壊れたように笑いながら腰の騎士剣を抜剣する。愛用の騎士剣が異様に重く感じられたが、それでも仕事道具を手にした彼の心には僅かな充足が生まれた。
(他の奴らをやる前に、あいつを殺してからにするか)
冷静な思考を保てていない彼は、騎士の役目である『外敵の排除』と自分の中の邪念を都合よく混ぜ合わせた戦意を糧に手足を動かした。
「お、おいっ。な、何もしてい……る!?」
乾いた喉から掠れた声で、突如一行から外れた騎士へと呼びかける『隊長』と呼ばれた初老の男性騎士。その目が若い騎士が走っていく先へと流れ、そして隊長も自分達を観察していた外套を着込んだ何者かの存在に気が付いた。
「ぜ、全員、せ、んとう体制をと、れぇ……っ。後方に不審人物の存在を、かく、にん!」
鍛えられた騎士達の身体は、突然の命令にも忠実に反応する。心身消耗しきった彼らの動きは鈍い。それでも全員が護衛対象を後方に置きながら抜剣し、護衛体制を完了させた。
「ま、待って……」
「お、お下がりください。今から……敵を排除、い、いたします……」
地面に下ろされた護衛対象とされていた女性が、掠れた声で騎士達に言葉をかけようとする。だが乾いた喉からまともな言葉を紡ぐことはできなかった。
そうしているうちに、走り出した騎士が横に軽く飛び、一瞬前までいた場所に矢が突き立った。
(こいつ、弓矢を使うのか。だが一人しかいなくて射手の場所が割れている矢が当たるか!)
若い騎士の接近に反応した外套の人物が放った矢は当たらなかった。後ろに移動しながら指で掴まれた石を振りかぶるように右手を後ろに構えた。
(そんな石っころで何ができるんだよ間抜けがぁ!)
後一歩のところまで間合いを詰めた若い騎士だったが、外套の人物が石を投擲する方が早かった。石の投擲は胸の防具に当たりほぼ無意味に終わったが――
「がふっ、べぇ……!?」
――石と一緒に握り込んでいた砂が顔面を直撃した。目・口に砂が侵食し、異物感でむせ返る。
(め、目潰し!? こいつ、せこい真似を!)
乾き切っていた身体には涙で異物を眼球から洗い出す水分はなく、眼の激痛で戦いどころではなくなってしまった。
「っ!」
視力を失って悶えている敵を見逃す理由は無い。外套の人物は即座に矢筒から新しい矢を構えると、警戒が最も厚い筈の正面から矢を射た。
「が、ひゅっ……!」
喉笛に深々と刺さる矢。間違いなく致命傷だ。
ただし生物は脳幹・脊椎を貫かない限り『即死』はしない。この若い騎士も十数秒〜数時間後には必ず死ぬが、まだ戦える。
「……ぁ、が……あぁ……!」
若い騎士は最後の力を振り絞り、憎悪を滾らせて剣の薙ぎ払いを繰り出した。その斬撃は空を切った。外套の人物は先のように攻撃の隙を見計らいながらの後退ですらない、背を向けての離脱を選択していた。
(逃げ、るのかこの卑怯者が……!)
既に致命傷を与えた相手に拘る必要性は薄い。弱っている相手を先に仕留めて人数差を縮める戦術は定番だが、足手纏いを敵陣営に残しておいた方がいい場合もある。
まして若い騎士は自覚していなかったが、砂漠で疲弊していた彼らの速度は外套の人物の逃亡の脅威にならない鈍足だった。
(くそっ、追いつけねえ、遅い……! ど、どうすればいい……!?)
ようやく自分の疲弊・速度を自覚した若い騎士は、打つ手が無いことに愕然とする。異物の排出が叶っていない眼では離れていく相手を正確に捉えられない。遮蔽物のない砂漠で、若い騎士は敵を見失った。
(あれはもうだめだ。引き離されたことで現況を諦めかけている。死力で動いているのが終わる)
後方で隊の陣形を整えたヨーゼフは、部下が敵に翻弄されている様を苦々しく思いながら戦況を分析していた。
この時点でヨーゼフは若い騎士の生存を諦めた。隊長の今の役割は、部下の敗北によって得た情報を糧に敵を打倒することだ。
(見たところ敵はかなりの小柄。恐らく筋力等は体格相応)
(だがこれまで弓矢と投擲だけを使って戦っているあたり、近接戦をする気は無しか。こちらは砂漠の行群でまともに動けん……)
(力尽くは不可能。何とか遠距離攻撃で仕留めねばならんか。だが……)
遠距離攻撃を検討したヨーゼフは、外套の人物を視界に収めつつ、周囲に陣取る騎士達を見る。
(……全員、疲労の色が濃い。下手をすれば魔法1発で魔力が空どころかそのまま死んでしまう)
自陣の疲弊は絶望的だった。射程も速度も大幅に削られている。
(おそらく、1人につき魔法を1発放てるかどうか。使った者は行動不能か、かなりの確率で死ぬ)
(しかもこの距離から我らの精彩を欠いた魔法1発ではまず当たらん。最低でも敵の挙動を止める為の捨て玉がいる。こちらの人員2人と引き換え……)
「私が捨て玉の魔法を放つ。誰か1人、それに続いて奴を仕留めろ」
「「「!」」」
声無き喫驚の声が上がった。全員がヨーゼフの戦法とほぼ同様の方法を考え付きながらも、犠牲が前提であることから最初の一声をあげられなかった。
「……わ、わたしが続きます」
「副官、貴君は私の次に隊の纏め役となる立場だ。貴君だけは例外とする」
「っ!」
(最初に申し出た彼の責任感であればヘレーナ様達の為に全力を尽くすだろう。ほぼ確実に早死にする私は捨て駒として丁度いい)
ヨーゼフが語った理由は正論だったが、詭弁でもある。彼としてはこの提案ですぐに名乗り出ることが出来る人員こそを残すつもりで、言うなれば選別のようなものだった。
「相談の暇はない。私の魔法に続け、決して遅れるな」
敢えて2番手の魔法の担い手を決定もさせず、名指しもしなかった。捨て駒の任務を即座に決めれば逆に内紛に繋がりかねず、それならいっそ『誰でもいいから打て』『この1撃を逃せば次は無い』という言外の圧力に任せる方がいいと判断した。
その思惑は実を結んだ。魔法を行使しようとする者が発する独特の空気が背中から感じられた。
(感謝する)
部下の捨て身の献身を心の内で感謝しながら、ヨーゼフと部下の騎士は魔法を発動出来る状態に移行した。だが思い描いていた戦法は実行出来なかった。
(っ!? 奴は何を……?)
外套の人物が、突然誰もいない方向に矢を放ったのだ。こちらに放たれた矢を払い落とすつもりで剣を握り直したヨーゼフも虚を突かれた。
その一瞬が命取りだった。
(風が……!?)
突如、大柄で鍛えた騎士であるヨーゼフがよろめく程の強風に見舞われた。巻き上げられた砂に眼球を毀傷されないように顔面を庇う。
「ぎゃあっ!?」
「どう、した!? ガハッ、ゴホッ!」
突然背後から上がった悲鳴に大声をあげて振り返った。乾いた喉から激痛と熱が湧き上がるが、気合で堪え、砂嵐に阻害される視界の中で部下の状況を確認する。
部下の首の左に矢が突き立っていた。
「な……!?」
(馬鹿な、何故左側から矢が刺さっている!? 角度が合わん! いや、そもそも何故守られている彼に矢が当たる!?)
今矢に射られた魔法準備中だった騎士は、ヨーゼフを挟んで丁度対角線上にいる立ち位置だ。矢を射られたとして、ヨーゼフの方が先に餌食になる筈だ。
それに魔法を使う者を護衛するのは、魔法使いの所属する隊の集団戦術の基本だ。当然この隊もヨーゼフ達二人の周囲を騎士達が護衛しながら魔法の準備をしていた。
周囲の騎士の防壁・熟達の騎士ヨーゼフの防衛を突破して、中央に矢が通っていた。
(まさか、さっきの強風で矢の軌道が変わったのか! だが自然の風を予想するだけならまだしも、風の流れに乗せてこんな急角度で正確に射抜く等可能なのか!?)
殆ど真横からとしか思えない角度に戦慄を隠せない。身体が乾き切っていなければ冷や汗が止まらないところだった。
(どうする!? 接近戦に持ち込める体力は無い。遠距離攻撃はこちらの命を削る上に、確実性にも欠ける……! いや違う!)
「……基本方針は変わらんっ。私の捨て玉の後に続いて魔法を放て。1度見た曲芸で2度も遅れを取るな」
「……はっ」
騎士達は戦闘の続行を了承する。同僚の致命傷を手当ても出来ず、悲しむ間も無く戦闘を続行することに息を詰まらせながらも防御の態勢を整えた。
「投擲が来るぞ、備えろ!」
外套の人物が、何かを投擲する構えを取った。敵の遠距離攻撃の特殊性を実感している一行は、投擲者の方角と全方位を同時に警戒する構えを取った。
だがこの投擲は一行を直接殺傷する者ではなかった。投擲された袋は凡そ二対一程度の感覚で、ヨーゼフ達に近い位置に落ちた。
(投擲に失敗した? いや、あの袋はまさか!? い、いかん、あれに飛び付いたら奴の餌食だ!)
その袋の落下時の撓み具合から袋の中身を推察したヨーゼフは、鋼の如き精神力で自らを律した。ただし自分の制御で精一杯になり、部下の統制を一瞬忘れてしまった。
「み、ず!」
外套の人物がヘレーナ達が最も欲する物の名前を叫んだ。その一単語に込められた力は絶大だった。
「み……みず!」
「お、俺が……!」
二人の騎士が隊の陣から離れた。極限状況下での水の魔力に引き寄せられた。
騎士達の心身、特に心の強さは見事だった。だがその強さは『騎士』の基礎があって発揮される。
だから『騎士の強さ』が力を発揮できない場でまで強いかは、騎士ではない『人間』の精神力による。
「ば、馬鹿者! 戻れ! 奴のわ……」
罠と叫ぶより先に矢が二本同時に射出された。そして二本共がそれぞれの首に突き立った。
(彼奴め、こちらの急所を的確に抉ってくる! あの水袋で二人仕留められ、しかも残った我々も意識が散らされる!)
山羊の胃袋を成形した水を携帯する為の耐水性袋。水を誘い出された騎士二人は息絶えた。その二人が掴み取るでもなく、砂の大地に転がっている。戦闘に集中しようとしてもどうしても目が追ってしまう。
「敵はこちらに水袋を投げてきた! つまり奴の荷物にはまだ水がある! 奴が投げてきた水袋には手を付けるな!」
(今、あの水袋を回収する訳にはいかん! それをすれば水の奪い合いになって、確実に戦闘どころではなくなる!)
護衛騎士18人のうち3人を戦闘不能にされたが、まだ15人残っている。射撃を警戒していても、1、2人を水袋の回収に向かわせて、その間の護衛することは可能だ。
それでもヨーゼフは回収を選ばなかった。投げられた水袋はどう見積もっても全員が満足に飲める量は無い。そんな水を手にしたら、水の奪い合いで内紛が起こる危険があった。
(奴はほぼ確実に水をまだ持っている。もしその水を、今度は我々の中に直接投げ込んできたら、もう収拾がつかん! 次の一手を打たれる前に仕留めなくては!)
今度こそ自分の牽制の魔法を放とうとした。しかし今度は自然の猛威によって再び阻まれた。
(か、かぜが、こんな時に……!?)
「全員、奴の曲射を全方位から警戒せよ!」
ヨーゼフは敵の特殊射撃への警戒を命じた。風の強さからまた曲射が可能と判断したからだが今度はその程度では収まらなかった。
「ぐ、ぉあ……!?」
本当に酷い砂嵐は、中の人間に呼吸を許さない。顔を地に伏せ身体と腕で作った隙間で呼吸を確保し、自然の猛威が収まるのを待つしか無い。
ヨーゼフ達は遭難中にこの規模の砂嵐とは2度遭遇している。よって隊の騎士達も対応については把握していた。
(奴も顔を伏せたな! 今なら攻撃もあた……)
「ガホッ」
遮られつつある視界の中で敵の隙を突こうとヨーゼフだったが、寸でのところでその行動は起こせなかった。
「全員顔を伏せて砂嵐をやり過ごせ! ヘレーナ様とアンシャナ様に覆い被され!」
聴こえている事を願うしか出来ないヨーゼフは、地に伏せながら命令する。幸い騎士達も直ぐに顔を伏せてやり過ごす体制になれた。ヘレーナ・アンシャナ親子を背負っていた女性騎士達も、無事二人を庇う姿勢を取ることが出来た。
(奴も流石に砂嵐の最中で仕掛けてくることは無いのか。とはいっても、最初から現時点まで主導権を握られ続けている。何とかせねば……!)
顔を伏せながらも横目で敵を捕らえつつ、戦闘開始から一方的に翻弄されてばかりの戦局の打開を考える。
ヨーゼフの名誉の為に状況を整理しておくと、彼はこの戦闘で殆ど失態を犯してはいない。
前提として、ヨーゼフ達の心身の状態が悪過ぎる。戦闘の準備段階で絶望的に不利だった。
とはいえ悪条件でも勝たなければならないのがヨーゼフの立場だ。この場合、隊の3割程度での決死隊でも作って外套の人物を攻撃し、ある程度消耗を与えた上で本体が全力で叩く。この程度の危険な戦術を採用して、ようやく生還の可能性が有るかという状態だ。
(私の決断が遅いばかりに、3人も無駄死にさせてしまった。せめて今からでも私が先頭に立って決死隊を率いるしか……)
「がぁ!?」
突如ヨーゼフの右側から悲鳴が上がった。何とかその方向を腕の隙間から確認すると、部下の背中に矢が刺さっていた。
(まさかっ!? この砂嵐の中で風を読んで、我々への曲射を成功させたと言うのか!?)
外套の人物は地に伏せながら、地に伏せながら矢を放った。弓を地面に触れるか触れないかのところで横向きに構え、うつ伏せになった身体の首辺りで矢を番えるという尋常ならざる構えで矢を命中させていた。
勿論、砂嵐の只中でうつ伏せになっている状態では、ヨーゼフ達を目視することは叶わない。しかし位置関係を記憶してその距離感に合わせ砂嵐の風を読めば、大雑把にヨーゼフ達を狙うことは可能だ。
(いくらなんでも、この砂嵐の中で何発も当てられる訳がない! 頼む、砂嵐が過ぎた後に戦える状態を保っていてくれ……!)
ヨーゼフ達は敵の射撃が外れる事を神に祈るしかなかった。