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03 うちの姉が虐げられているかもしれない



「うーん、そうねぇ……」


 案の定、ユディ姉さんの返事はかぎりなく曖昧だった。

 僕はさらに畳みかける。


「シュミッツ兄さんからの手紙には『婚約を前向きに考えて~』とか何とか書いてあったんだけどさ、それって本当なの? ――ていうか、本当にお付き合いしてるわけ?」


 あえて言うけど、毎日自宅に引きこもって架空の男の子どうしが過剰にスキンシップしてる絵ばっかり寝る間も惜しんで描いている、ユディ姉さんがだよ?

 あやしいなあ。僕は正直、いろんな意味で無理があると思うんだよね。


「そうね、たしかにお茶くらいなら何度かご一緒したわよ。良い方だとは思うわよ、ルーカス氏は」


「ホントかなあ……はたして姉さんに、現実世界で現実の人間と仲良くする時間と能力があるのかなあ」


「もう、私を何だと思ってるのよ!」


 姉さんは腕を伸ばして、僕の頭をコツンとやるふりをする。


(――え?)


 だけど、僕はそこでふいに凍りついた。

 

 僕は見てしまった。袖口から覗いた姉さんの白い腕に、紫色の大きなあざがあるのを。

 あまりに思いがけないことに、胃のあたりがヒュッと冷えた。


「姉さん、それ、どうしたの?」

「何でもないわ」


 姉さんは右腕をさっと隠して、笑顔を浮かべた。

 ウソだ。僕の直観がそう警告する。


「何でもなくないよ、すごいあざだったよ。僕の目はごまかせないぞ、僕は打撲とすり傷のプロになったんだからね!」

「ふぅちゃんは向こうでどんな生活してるのよ」


 姉さんのつっこみは無視して、僕は語気を強めて問い詰める。


「誰かにやられたの?」

「ちがうのよ、これは」

「家族の誰か?」

「まさか!」

 姉さんは即座に否定する。

「じゃあ婚約者?」

「……!」


 姉さんの返答が不自然に詰まった。

 僕は勢いよく席を立って、姉さんのスカートを思い切りまくり上げる。


「きゃっ⁉」


(なんだよ、これ……)


 悪い予感は的中した。

 姉さんの両脚にも、同じようなあざがいくつもある。握りしめた指の跡だと、はっきり分かるものさえ。


(――これを、婚約者とやらが?)


 問うべき言葉さえ失って、僕はただ姉さんの顔を見つめた。あまりのショックに言葉が追い付いかなかった。


「……違うのよ。これは本当に、うっかり階段を踏み外してしまって、ね?」


 姉さんは弁解じみた言葉を重ねながら、僕の肩にそっと手を添えた。


「ふぅちゃん、今日はもうお部屋に戻りなさい。あなたは賢い子だから、どうか内緒にしていてね。……おやすみなさい」





(こんなことが、あっていいのか?)



 僕は自分のベッドに倒れこんだ。

 姉さんの部屋に招かれた楽しい気分は、すっかりまっ黒に塗り潰されていた。

 悲しくて腹が立って怖くて悔しくて、心がぐちゃぐちゃでうまく息ができない。


(こんなこと、あっていいはずがない)


 僕は唇をかみしめる。

 この縁談は、破棄しなくてはいけない。――相手がどれだけ偉いやつで、この家にどれだけ利益があるかなんて、そんなことはどうだっていい。

 弱い相手に手を上げるなんて、そんなやつ人間として間違ってるんだ。


 兄さんたちは、このことを知らないのだろうか?

 縁談を勧めたというシュミッツ兄さんに、次男のアーマイズ兄さん。彼らはユディ姉さんの怪我を知らないのだろうか。

 それとも、まさか知っていながら――?


(う……)


 無性に悔しくなって、涙がこみあげた。

 姉さんだって、なぜ「内緒にしていて」なんて言ったんだろう?

 それが正しいことなのだろうか、誰かの利益と誰かの人生とを天秤にかけて、それに見て見ぬふりをすることが――



『そんなの、おかしいわ』



 胸の底で、誰かが囁いた。

 まるで悪い魔法が解けたみたいに、思考のモヤが晴れていく。

 胸の底に住むおしゃべりな誰かは、凛とした声でさらに僕に訴えかける。


『そんなの見過ごせるわけないじゃない! お姉さんを助けなくてどうするのよ! 悪い(ヤツ)なら一発ぐらいお見舞いしてやったっていいわ。――私が、許す』



 そうだ。きっとリーリエなら。

 リーリエ・リリエンタールなら、迷わずにそう言うだろう。







 翌朝、僕は庭先でアーマイズ兄さんに出くわした。


「眠れたか?」


 兄さんはただ一言、低い声で尋ねた。

 答えはノーだったけれど、僕は無言で頷いた。アーマイズ兄さんも無言で僕の顔をじっと見つめる。とても気まずい。


 シュミッツ兄さんとはまた違ったベクトルで、僕はアーマイズ兄さんが苦手だ。

 苦手というよりも、「馴染みが薄い」のだ。アーマイズ兄さんはもともと無口な人だし、仕事の都合でほとんど家に帰ってこないから。その仕事についても、騎士団に所属しているということ以外は多くを語らない。


 もっとも「あいつは王室直属の近衛騎士(ロイヤルガード)なんだぞ!」と、シュミッツ兄さんが喋りまくっているけれど。


 アーマイズ兄さんの醸し出す雰囲気は、なんだか良くできた金属の鎧(フルプレート)みたいなのだ。黒い髪も鋼色の目も、触れたら金属みたいに冷たくて硬いんじゃないかって気がする。



「ねえ、アーマイズ兄さん……」


 アーマイズ兄さんは、ユディ姉さんのことを知っているの? ――そう問おうとしたものの、名前を呼びかけたあたりで声が尻すぼみになってしまった。我ながら不甲斐ない。


「俺か、そのへんを走っていた」

「え? ああ、うん」

「今日はルーカス卿が見える。失礼の無いよう」


 そう一方的に告げて、アーマイズ兄さんは玄関の方へと立ち去っていった。

 何も聞けなかった。だって、なんかアーマイズ兄さんは怖いから……。



(……いや、しっかりしろ!)



 今日の昼には、例のうさんくさい婚約者候補、ルーカス卿がこの家にやって来るのだ。その訪問に備えて、僕は秘密兵器を仕込まなくてはならない。

 ユディ姉さんは、僕が絶対に守るのだから。


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