02 うちの姉はちょっと変わっている
夕食の後、僕は庭の散策に出た。
家の空気に耐えかねたのだ。
なにも家族仲が険悪だったというわけではない。使用人たちの間に漂う、野次馬的な空気が快くなかった。
『シュミッツ兄さんが、ユディ姉さんに強引な縁談を持ち込み、政略結婚の手ぐすねを引いているのだ』
使用人たちの間では、それが共通認識らしかった。
長男のシュミッツ兄さんは、父さんが不在の間この家を預かっている。庁舎務めの若きエリートで、いわゆる官僚というやつだ。身にまとう雰囲気も華やかで、表向きはものすごく「できる」人だ。
だけど実のところ、性格はけっこう面倒くさい。
シュミッツ兄さんの発言には、僕たち弟妹は「ハイ」か「イエス」で答えなくてはならない。さもなくば兄さんはヘソを曲げてしまう。そうなったら最後、兄さんはしつけの悪い小型犬みたいにぎゃんぎゃん吠えて、相手をメタメタに言い負かしてはフンと鼻で笑うのだ。
小型犬ではあるけれど、結構な暴君なのだ。
そんなシュミッツ兄さんが、ローゼンフェルト家の威光を強めるため、より家格の高い家との縁組みを押し進めているのだという。なんでも縁談相手のルーカス・バークレイ卿とやらは、シュミッツ兄さんの学生時代からの友人なのだとか。
(うーん、なんとも面倒くさい)
これといった見どころも無い庭を歩きながら、僕はため息をついた。
貴族というのは何かと面倒くさい。権威だとか政略だとか、僕にはあまり興味が湧かない。末っ子で良かったなあと漠然と思う。
そろそろ身体も冷えてきたし、部屋に戻ろうかな……。
「――あ!」
けれど、思わず僕は声をあげた。
何気なく目をやった枝に、「イモくらいの大きさの毛のはえたモノ」が引っ付いていたのだ。
知ってるぞ、こいつは「くさいサナギ」だ。野百合の谷で、リーリエたちとなぜか袋いっぱいに集めたことがあるから。
「おまえ、王都にもいたのか! ……ぅえっ、げほっ!」
うかつに触れて、僕は腕で鼻を覆った。
そうだった。この謎のサナギ、さわるとめちゃくちゃ臭いんだった。
見た目は小動物みたいなちょっとかわいいモフモフなのに、甘酸っぱくて苦いような、ありえない悪臭を放つのだ。
「げほっ、……こんなとこで、おまえも頑張ってるんだな」
だけど僕は嬉しかった。その悪臭を放つモフモフが仲間のように思われて、僕はじっと見守った。
「ふぅちゃん?」
ふいに、頭上から声が降ってきた。
驚いて見上げると、誰かが二階の窓から身を乗り出している。
「ユディ姉さん!」
それは今回の渦中の人、ユディ姉さんだった。
僕が名前を呼ぶと、姉さんは笑って手まねをきした。
◇
「ふぅちゃん、大きくなったわね」
僕にココアを手渡して、ユディ姉さんはしみじみと言った。
そのわりに姉さんは、いまだに僕のことを小さな子供みたいに呼ぶ。
「なんだか、とても大人びたわ。きっと野百合の谷で、素敵な日々を過ごしているのね」
そう言ってユディ姉さんは、長い睫毛にふちどられたヘーゼルの瞳を細める。
姉さんの肌は、日を浴びないせいでどこもかしこもまっ白だ。顔立ちだって綺麗な部類だとは思うけれど、いつ見ても目の下のクマがひどい。
「姉さんは、あいかわらずだね」
僕はユディ姉さんの部屋を見渡してみる。
床が抜けやしないかと思うほどの本、本、本。
いたる所に飾られた、掌サイズの精巧な人形たち。
床に漠然と詰まれた謎の空箱の山。
僕が席を譲ってもらった作業机には、画材やら書き損じの紙やらが散乱している。
「……うん。あいかわらず、ひどい部屋に住んでるね」
「ふふふ、ありがとう」
「なんで?」
ユディ姉さんは、一日のほとんどをこの魔窟のような自室で過ごす。
いわく『少しだけお金をもらって絵描きの仕事をしている』のだとか。
ここで昼夜を問わず、ひたすらに絵を描きつづける。ユディ姉さんは、そんなアナグマみたいな生態の人なのだ。
「ああ、ふうちゃんが来たのがギリギリ脱稿後でよかったわ。次のオンリーは新刊を三冊出すのよ。すごいでしょう?」
ついでに、姉さんの言うことはあまり意味が分からない。
だけど僕は、昔から姉さんが好きだ。
この部屋は姉さんの要塞であり、ハウスメイドさえ立ち入りを拒否される不可侵領域なのだが、昔から僕だけは例外だった。いつでも来たい時に来て、帰りたいときに帰ることを許されていた。
姉さんはただ黙々と絵を描いている。僕は自分の勉強をしたり、読書をしたり、ウトウトしたりして時間を過ごす。
外の世界から切り離されたようなこの部屋には、いつだって不思議な時間が流れていた。
とにかく、そんな感じでユディ姉さんもちょっと変わった人なのだ。そんな事情もあるから、降ってわいた縁談がひときわうさん臭い。
僕は思いきって、尋ねてみることにした。
「ねえ、婚約するって本当なの?」