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その6

ライヴハウスをあちこち回ったことで、東京近郊にもだいぶ詳しくなったつもりだったけど。

まだまだ知らない場所がたくさんあるんだな。

池袋駅から初めて乗る電車に乗り換え、20分ほどでその駅に到着した。

改札をくぐると、そこはまさに都心近郊の田舎街。平屋の駅店舗が数件並び、そこそこの人が行き交っている。

短いエスカレーターを降りて、父親に教わった通り南口に出た。目の前に小さなロータリー。二つの路線が交差するターミナル駅らしいけど、駅の外はぐっと寂しくなる。

山形も寒かったけど、こっちもこっちで寒いな。東京に慣れちゃったせいかな。

地元から帰ってきたのは昨日、疲れはまだ抜けていない。風邪でも引いたら一大事だし、本当なら休んでいたいけど。

デビュー・ライヴまで、あと2週間と少し。そこから、どんな未来が待っているかは分からない。

今年中に、どうしても来ておきたかった。

もう年末もいいとこ。今日が仕事納め、なんて人も多いんだろう。通り過ぎる人たちの足は一様に速い。他人に構ってる暇なんか、ないんだろうけど。

それでもアイヴィーは、分厚いコートとニット帽で完全防御。「パンク・ロックの歌姫」の面影はない。

今日は、誰かに握手やサインを求められたい気分じゃない。山形での教訓、隠す時は徹底的に隠せ。

すっかり日が短くなり、太陽は早々に沈んでしまった。

目の前には申しわけ程度の繁華街。ぽつぽつと建ち並ぶ雑居ビルのネオンが、かえって寒々しい。

この街に、用があるんだ。


「アイヴィー。」

後ろから不意に、ポンと肩を叩かれた。

うそ…この格好で、気づかれた?

これでダメだったら、一体どんな格好をしろっていうの?

やや愕然としながら、それでも(人違いだと言わんばかりに)できるだけそ知らぬふりをして振り返ったアイヴィーは、相手の顔を認めて思わず顔を崩した。

それは、ベビーカーを押した小柄な男。

黒と銀のスカジャンを着て、ジーンズにスケーターシューズ。ハンチングを後ろ向きにかぶったメガネ顔。色白で眉が太く、あごヒゲを生やしているのは童顔を隠すためだと本人がよく話している。

「ダイちゃん!」

ダイちゃんは音楽ライター。ズギューン!時代に何度かインタビューを取ってもらった。パンク雑誌に初めて取り上げてくれたのも彼だし、DJとして自分たちの企画に出てもらったこともある。昔からの仲間。

しばらく見ないうちに、ずいぶん痩せちゃったけど。それでも、赤いほっぺに人懐っこい顔は前と変わらない。

「アイヴィー、久しぶり!」

二人はバンド流の握手をかわす。こんな場所で、仲間に会えるなんて。やっと同じ言語で話せる人に出会えた気分。

「ダイちゃん、元気だった?」

「おかげさんで。ああそう、年明けのライヴ、チケット買ったよ。楽しみにしてるぜ。」

「ホントに?ありがと!」

彼が押しているベビーカーの中で、子供が落ち着かなげに身じろぎした。ダイちゃんに目元がよく似た男の子。

「この子、2番目の子でしょ?大きくなったね…確か、コウちゃん?」

「正解。もう3歳になったよ。」

「こんばんは!」

アイヴィーはニッコリしながら話しかけた。男の子は恥ずかしそうに横を向いてしまった。

「ふふ、可愛い。」

「こら、ちゃんと挨拶しなさい。初めてじゃないんだぞ、生まれた時に会いに来てくれたんだ。誕生祝いだって、くれたんだぞ。」

「いいよ。そんなこと、覚えてないよね。」

世の中、すべてアウェイ。

アイヴィーがメジャー入りして以来、毎日がそんな風に感じる。そんな中、こうやって仲間と会えるひと時が、どんなにか心が休まることか。

「こんなとこで、アイヴィーに会えるとはね。」

「ダイちゃんこそ。」

「俺?俺、こっち地元だもん。実家に遊びに来てて、今から帰るとこだよ。」

「そうなんだ?知らなかった。」

「ファイビズムのノボルとリュウイチも同じ地元だよ。」

「そういえば、前にそんなこと言ってたね。そうか、ここが。」

彼は普段は、南東京に住んでいる。地元でDJのイヴェントもやっていて、アイヴィーも遊びに行ったことがある。

「ねえダイちゃん。『幌馬車』って店、知らない?」

「ほろばしゃ?」

「そう。ジャズのライヴ・バーだって聞いてるんだけど。」

「ああ、その『幌馬車』ね。そうそう、知ってるよ。」

そう言ってダイちゃんは、ロータリーの奥に立っている雑居ビルを指さした。

「あそこだよ。あの4階。」

「ありがと!さすが地元。」

「俺も一回だけ、行ったことがあるんだよ。若い頃に、お袋に連れられてさ。近くの大学のジャズ研(ジャズ研究部)の学生がバイトで演奏したり、ママさんが歌手でたまに歌ったりして。結構いい雰囲気の店だよ。」

「そうなんだ。」

「まあ、それ一回しか行ってないんだけどな。」

そう言ってダイちゃんはカラカラと笑った。

仲間は余計な詮索をしない。誰が何をしようと自由。

そんな無意識の気持ちが、アイヴィーには本当に心地よかった。

「じゃあ俺、行くわ。」

「あっ、うん。帰るの邪魔しちゃって、ごめんね。」

「ぜんぜん。会えて良かったよ。」

「アタシも。」

「デビュー・ライヴ終わったらさ、また飯でも行こうよ。みんなとさ。」

「いいね、あのチューハイが安いとこ。あそこがいいな。」

「オッケー、約束な。」

二人は固い握手と笑顔で別れた。

去り際、アイヴィーはベビーカーに向かってバイバイをした。

子供はまだ硬い表情だったけど、それでも手を振り返してくれた。


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