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その4

降り続ける雪が、一瞬だけ止まったような気がする。

静寂の中で、さらに研ぎ澄まされた静寂。

“あの人”って…、“歌しかなかった”って?

アタシのことじゃない。

お婆ちゃんは、アタシが歌手としてデビューすることなんて知らないはず。たとえ聞いても覚えていられないはず。

じゃあ、それは…。

アタシの…。

アイヴィーは意識して歩幅を落とした。ぐっとツバを飲み込む音が、自分の耳に響く。

知らなかったルーツ。

知りたかったルーツ。

アタシと、お母さんをつなぐ共通点。

それは…歌?

自らの緊張が手から、足から全身に伝わってくる。

島田のお婆ちゃんは、何事もなかったように話を続けた。

「東京から出てきてな、カゴの鳥だったんだ。歌いたくても歌えない。せいぜい、我が子に子守唄を聴かせるくらいでな。お父さんが、無理やりこっちに連れて来ちまったから。」

もちろん、島田のお婆ちゃんの記憶があやふやになっている可能性は否定できない。誰か、別の人の話をしているのかもしれない。

それでも…痴呆でも昔のことは忘れないって、よく言うから。

「歌しかなかったんだよ、あの人には。佑ちゃんにも愛ちゃんにも、歌を習わせてな。愛ちゃんはすぐ飽きちゃったけど、佑ちゃんは、そりゃあ熱心に歌ってた。」

そう。

よく覚えている。

地元の歌唱教室には、アイヴィーも妹も小さい頃から通わされていた。童謡や民謡、昔の流行歌などを教える教室で、近所の小・中学生が対象だった。

厳密には、愛は母のすすめで習ったわけじゃない。

妹が教室に通い始めたのは、恐らく母がいなくなってから。父が“佑が通っているから愛も”と言っていた覚えがある。

そのせいもあったのか、愛は歌に熱心ではなく、いつしか通うのを止めてしまった。

アイヴィーは違った。

学校が終わると誰よりも早く教室に向かい、誰よりも遅くまで練習していた。一日も練習を休んだことはなかった。

アイヴィーは覚えている。

習った歌を母に聴かせるたび、大げさに褒めてくれたことを。

頭を撫でてくれたことを。

抱き締めてくれたことを。

そのぬくもりを、アイヴィーは片時も忘れたことはない。

母がいなくなってしまった後も、アイヴィーはずっと教室に通い続けた。

まるで、歌い続けていれば、いつか母がまた頭を撫でに来てくれる、とでもいうように。

アイヴィーにとって、その歌唱教室が母と自分をつなぐ唯一の接点だった。

そして、この街を出て行くきっかけでも。

“そう、あれが始まりだった”

時代の流れで生徒は年々減り、さらに先生の高齢化もあって、歌唱教室はアイヴィーが高校に上がる直前に閉鎖された。

アイヴィーが“ここから、いなくなりたい”と感じたのは、それが最初だった。

「東京で、歌っていれば幸せだったんだよ、あの人は。それをアンタのお父さんと、恋に落ちたばっかりに。こんな何もない田舎町で、しきたりばかり厳しくて。あの人の気持ちを分かってやれる人がいなかった。誰もいなかったんだ。」

島田のお婆ちゃんと、アイヴィーの母親。

共通点は、東京。

よそ者。

二人は、この二人にしか分からない気持ちを共有していたんだろうな。

数年ぶりに帰ってきて、改めていまアイヴィーが感じているのと、恐らく同じ気持ちを。

アイヴィーは意を決しながら、ごく自然な感じで島田のお婆ちゃんに話しかけた。自分の脈拍の音を感じながら。

「…お婆ちゃん。アタシのお母さんが出て行った時のこと、覚えてる?」


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