その2
そして今、アイヴィーは国道から実家へと続く細い路地の前に立っている。
北国の年末、正午前。
通りには誰もいない。
赤い髪の奇抜な格好をした女に目を向ける者はいない。よくよく見れば、それが近所の家出娘だということにも、誰も気づかない。
アイヴィーはホッとすると同時に、そんな気分がやりきれなかった。
やっぱり、来るんじゃなかったかな。
深呼吸を一つすると、用心しながら足を踏み出す。
気のせいだと思っていたけど、また雪が降り始めたみたい。吐く息は白く、手袋を通しても寒さは容赦なく指に突き刺さる。
実家までは、ここから歩いてたったの5分。
気分は永遠。
足取りは、どこまでも重い。
ひと言で言ってしまえば「合わせる顔がない」ということ。
アイヴィーは高校を卒業する直前、ある日突然、家を飛び出した。
それまで、全くそんな素振りも見せなかった。
学校でもマジメに授業を受け、教師に反抗することもなく、隠れてアルバイトをすることもなく、強いて言えばクラブ活動をしていなかったくらいで、何の問題もない生徒だった。
家でも同じ。アイヴィーは父親に反抗することもなく、母親がいない家の事情もよく理解し、妹と二人で家事を助け、父をサポートしていた。
卒業後は地元大学への進学が決まっていた。
目に見える兆候も何もなく、ある日アイヴィーはここからこつ然と姿を消した。
学校では大騒ぎになった、と絵里子たちは言っていた。
父親の気持ちは、いかほどのものだったか。
誰かに誘拐されたのかもしれない。
事件に巻き込まれたのかもしれない。
どこかで死んでしまっているかもしれない。
そんな心配をなるべく減らしたくて、上京してすぐにアイヴィーは自宅に手紙を送った。それだけはしておきたかった。
しかし、父の気が晴れたわけではないはず。
怒っているのか。悲しんでいるのか。
それとも、失望しているのか。
電話口の声では、アイヴィーには何も判断がつかない。
父の気持ちは、やっぱり会ってみないと分からない。
だからといって、アイヴィーが心から望んでここへ来たわけじゃない。
手続き的な用があって仕方なく帰京し、「どうしよう」と悩んでいるうちに絵里子たちと会い、何となく背中を押されて、気づけばここまで来てしまった。
でも、腹を決めてしまわないといけない。家はすぐそこ。
今のアイヴィーの気分を表すように、雪はどんどん強くなる。
そもそも、アイヴィーが家を飛び出した理由は、未だに自分でもよく分かっていない。
父親との関係に問題はなかった。反抗するような理由もなかった。学校や人間関係にもあつれきはなかった。
何もなかったのが、かえって悪かったのかもしれない。
とにかく、高校を卒業して大学に行って、その先の自分はというものが全く想像できなかった。
それは17歳当時のアイヴィーにとって、死ぬよりも恐いことだったかもしれない。
早まることはなかったのかも。
卒業してからでも、良かったのかも。
父親と、もっと話し合えば良かったのかも。
そんな良識は、若さと衝動の前に砕け散った。
気づくと、アイヴィーはカバン2つだけを持って東京にいた。
パンク・ロッカーになるために。
置き去りにしてきた過去。
捨ててきた故郷。
ケリをつけなきゃ。
つけなきゃ、だけど。
自宅を目の前にして、その言葉とは裏腹に。
足が前を向かない。