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10/12

その10

立て続けに2曲を歌い終え、すっかり満足した聴衆の拍手に囲まれて、ママはニッコリと笑った。

「ありがとうございます、皆さま。」

清々しい顔。歌い切った顔。

その充実感は、アイヴィーもよく知っている。

“ああ、アタシも早くライヴ、やりたいな”

スタジオワークも悪くない。よくミキサーの前で煮詰まってるけど、曲が完成した時の解放感も嫌いじゃない。

でも、アイヴィーにとって必要なのは、やっぱりライヴの空気なんだ。改めて気づかされる。

デビュー・ライヴまであと2週間。

“そこまで待てるかな”

まあ、それはいま考えても仕方ないこと。

差し当たっては、今夜。

“このライヴが終わったら、アタシは一体どうするつもりなんだろう?”

「それではここで…せっかくの年末でございます。わざわざお集まりいただいた皆様のために、今夜は少しお遊びをしてみたいと思います。」

そう言うと、ママはゆっくりとフロアに降りてきた。

「今夜はひとつ、どなたか、私とデュエットなどいかがでございましょうか?」

拍手とともに、軽いどよめきが起きる。

ママの歌声を前にして、素人の声など念仏みたいなもの。よっぽど喉に自信がある者でなければ、恥をかくのは確実。

「そうは申しましても、皆さま、恥ずかしがられておりますので。ここは私が、指名させていただきたいと思います。」

みな笑顔ながらも、指名を恐れて顔を合わせようとしない。

「皆さま、急に静かになってしまいましたね。」

そう言ってママはまた笑いを誘う。

何を思って、こんな余興を始めたのだろう。

「そこの…若い方。」

ママはそう言って、フロアの奥の方へ手を差し伸べた。

アイヴィーはぼんやりと様子を見ていた。

ママの手を見て、右を向き、左を向き、そしてもう一度前を向く。

ようやく、その手が自分に向けられていることに気がついた。

「あ…アタシ?」


ママはアイヴィーの目の前に立ち、優しく笑顔を向けた。

「こちらのうら若き女性に、盛大な拍手をお願いします。」

余興の相手を免れた安堵と、面白い遊びが楽しめそうだという期待に満ちた、ひときわ大きな拍手。

隣の男が、連れの女性に何やら耳打ちしている。この人以外に、まだアイヴィーが誰なのかを理解している人はいないみたいだけど。

「さっ、ステージへどうぞ。」

そう言って、ママは優しくアイヴィーの腕に触れ、気がつくとアイヴィーは自然に立ち上がっていた。その行動に、我ながらビックリする。

組まれた腕が、ひたすら心地よい。

ママはごく自然な動きでアイヴィーの頭に手をやり、ニット帽を脱がせた。アイヴィーの赤い髪に周りが軽くどよめく。あちこちでひそひそという話し声。

しかし、ママとアイヴィーが連れ立ってステージに上がり、共に正面を向くと、ひそひそ声は明らかなざわめきに変わった。誰もが、二人の顔を見比べている。

今や聴衆は、それがどんな意味を持つのか知った。

ステージに上がった若い女性が、最近テレビに出始めた歌手である、ということだけでなく。

顔だけじゃない。物腰、しぐさ、そして醸し出す空気。

誰が見ても、それは一目瞭然だった。


「ねえ、ちょっと待って。」

白髪の店員がマイクスタンドをもう一本用意する中、アイヴィーはママにささやいた。まるで夢から覚めたみたいに。

「アタシ、ジャズなんか何にも知らないんです。歌える曲なんか、ないと思う。」

ステージに上がるつもりなんか、全くなかった。

ママに笑顔を向けられ、手を差し伸べられ、共に腕を組んだ。そのぬくもりが、アイヴィーの身体を勝手に突き動かしただけ。魔法にかかったみたいに。

現実問題として、できることと、できないことがある。

知らないものは知らないし、歌えないものは歌えない。

助けを求めるように、アイヴィーはママに目で訴えた。

でも彼女は、ただ優しい顔をしてこちらを見ている。

“いったい、どういうつもりなの?”

突然店にやって来た、若手の新人歌手。

いや、それ以前に…。

“誰だか分かっているんでしょ、アタシのこと?”

これだけの聴衆がひと目で理解した。

当の本人が、分からないはずがない。

それでも彼女は、優しさ以外に一切の感情を見せず、取り乱す素振りも見せない。

どんな思いで受け止めているんだろう。

どうするつもりなんだろう。

マイクのセットが終わり、ピアノが軽い響きを立てた。

その音が合図だったかのように、ママは言葉を発する。アイヴィーに、そしてフロアに向かって。

「では…何を歌いましょうか?」

固唾を飲んで見守る聴衆。

これから何が起こるのか、誰にも予想もつかない。

「そうですねえ…ではクリスマスも過ぎてしまいましたが、季節柄ということで。」

そう言って、彼女はアイヴィーにニッコリと笑いかけた。

「“聖者の行進”と参りましょうか。」

ひときわ大きな拍手が降り注ぎ、指笛も鳴った。みんな、納得の選曲みたいだけど。

アイヴィーだけが、その意味を必死で考えている。

聖者の行進。

聖者の行進って、なんだっけ。

聖者の行進。聖者…。

突然、アイヴィーはその曲が何だか、分かった。

知らないどころじゃない。

よく知ってる曲だってことも。


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