6話 お米も鮭もあるんじゃなって
ごはん!
米がある。その事実に死に体であった何かが息を吹き返すようであった。
「え、まことかっ」
思わず心が躍る。
「ええ。市場に行けば幾らでもありますが……」
いくらでもあるのか!
「ならなぜ今まで出さなかったのじゃ?」
当然の疑問である。かれこれこの世に自我が目覚めて2か月(前に半年は経過したと言うが、それは誤りであった。この体になってから時間の経過が遅くなっている)が経とうとしているが、飯が出された時など一度もないというのは一体どういう事なのか!
………
……
…
料理長曰く、そもそも米は南の砂漠の国たるアルマナ王国より二束三文の値打ちで買い叩かれてこのエルディバの皇都ディバタールへと流れ、主に二束三文の値打ちで草民の口に入るとされる。
なる程、この世では米は下賤の食物か。そうかそうか。それなら私の口に入らぬ訳か。うむ、そうかそうか……そうか……。覚悟はしていたが……。
100年の恋が終わった音がした。そんな下賤の食物ならば是非もない。きっと不味いものなのであろうな。これ料理長、試しにその下賤な米とやらを一目見たい。買ってまいれ。泣いてなどおらぬ。涙など当の昔に捨てたわ。あ、既にある? なる程、賄い飯として幾らかあるのか、そうかそうか。ならば見納めである。一目見ようではないか……。
白い。
雪のように白い。
輝いてる。
米ってこんなに白くなる物なのか? と言いたい位白い。
あ、いやまて。この位の白さは年初めの祝いの席で何度か見た事ある。しかしその程度である。つまり滅多にないのである。
味も見ておこう。
……うん、白米である。迷うごと無き米である。上等ではないが悪くない米である。
料理長曰く、ここにあるのはそれでも上等な代物で、市場に出回っているのは粒が割れてたり虫や石が混じってたりするとの事である。まぁそうであろう。
「え、この世界の草民は白米を食しているのかの?」
「まぁ基本はそうですね。豆や芋と混ぜて食べる者や粥にして食べる者も多いようですが、大体はこのまま炊きますね」
それを聞いて安心した。だがまさかこちらの世界のこの国の人間は白い米を食しているとは思わなかった。
元世界は改めて言うが飢饉続く春秋戦国時代の如くの乱世の世である。故に年貢として米を取っているが、満足に皆が食う分にはとても足りない。ましてやこれ程の白米にする技術は殆どない。
皆、ヒエやアワや麦や野菜等を混ぜて食している。最下層の人間ともなればそれすら望めない有様であった……。
等と昔を思い出している場合ではない。今はともかく料理である。
あとはまぁ、見た事がない食材もあったが、料理長の説明もあり、大体わかった。
とりあえず鮭やウナギ等の見慣れた魚類がいるのが良かった。
いや、この鮭……よく見ると若干色や形が違う気が……?というか大きさがいささか大きい……?
まぁ良い。ここは異界なのだから元世界とは種類が違うのだろう。
味の方は食事の際に割と出てきているが味が良いのは既に分かっている。
実は私は鮭が好きなのだ。
そもそも日本人は鮭が好きなのだ。
いわく、畳一面に鮭の皮欲しいと言う者や、一寸ぐらいの鮭の皮食べられたら死んでいいとか言う者もいる。まぁ皮に関しては嫌いという者もいる。それは仕方ない。
かの源頼朝公も献上された鮭を食べて「こんなに美味なる物がこの世にあるとは……」と大感激して和歌を送る程だったとか。
鮭の皮のおいしさも去る事ながら、身も焼いてよし煮てよし燻製してよしであり贈答品やちょっとした褒美としても最適であり、まさに完全無欠な魚なのである。
恐らく奥州あたりの地において、いずれ鮭の漁場をめぐって大きな戦が始まるであろう。たぶん。
確か筑前辺りには鮭を祀る神社があった筈。日本広しとはいえ、そこだけである。
それぐらいに鮭というものは凄いのである。
さて……
そうこうしている内に料理は既に始まっておる。
この国の料理は当然、元世界とは違う。
出し方も違う。というか本膳料理のように立派な形式がある。最も本膳料理は祝いの席や儀式的な意味が強いので、最近は引き替え膳が多いが……。
ともかく、貴族内で最も一般的な形式の食事としては、
第一に軽めの野菜料理やチーズなる牛の乳を固めた塊を出す。最もこれは酒の肴としてであり、含まない場合もあるという。
第二に汁物。味噌がないのでこの国の一般的な玉ねぎの汁で代用である。
第三に魚料理。これはもう鮭一択で、焼き鮭である。
第四に肉料理。牛や豚、鳥なのであるが、牛や豚は馴染みがなさ過ぎてどうしてよいか分からぬ。そもそもできれば食べたくないのであるが、出された物ならば仕方ないので食べるようにしてる。食べなければ生き返る訳でもないし……。味は良いので食べられはするが……。というかこの世界の牛って肉が柔らかくて驚いたものである。
とりあえず肉料理は完璧にこちらの料理法に従わざるを得ない。
第五に野菜料理。第一の時にも出したが、あれは酒の肴としてでありこちらが真打である。とりあえず練り物もこちらに入るので練り物多めにしておく。
第六にチーズ。またチーズか。と思ったが、数が多い。中には納豆すら霞む程の臭い物やウジがたかってる物すらあるという。ちと頭がおかしいのではないかと思ったが、この国およびここあたりではチーズとは漬物や豆腐のようなもので、ウジがたかってる物以外は普遍的な物だという。
結論を言うと、煮物と魚以外私の出る幕がない……。
というのもチーズの存在感が大きい。というか牛の乳を放置すると豆腐のような塊になるとか初めて聞いたぞ。というか匂いやばい。前に北条領より珍しい魚の干物を手に入れたが、それに匹敵する位くさい。
というか白飯の出る幕もない。この国の貴族達は米を食わずにパンを食う。今まで食べてきたが、綿の如く柔らかい物からカリカリな感じの物まで多彩ではあった。
ううむ、当初の目的であった『婚約相手に(本膳)料理を振る舞う』という目的は中々に難しいようである。料理自体は覚える事も多いができるが。
米はあるが、味噌なし、醤油なし、その上本膳料理に欠かせぬ様々な物が不足している。
コンニャクなど存在すらせぬ。料理長に聞いても「それは?」というし、特徴を言っても「それは本当に食べ物なのですか……?」という始末である。
……確かによくよく考えてみれば練った芋に草木の灰を水に溶いたものを入れるとか正気を疑われても仕方ないとも言える。よくこんな製造法を見つけたものじゃな……。
料理一つに中々苦戦させられたが、とにもかくにも次にマウテリッツ伯に会うまでに作れる料理を増やさなければなるまい。精進あるのみである。(なお精進料理も考えはしたが、ここは寺ではないし馴染みもないだろうから候補には入れてなかった。結果的に良かった)
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「それにしても、まさか皇族様が料理しだすとは驚きましたね。」
「まぁな……。だがエミーリエ様きっての要望だ。受けるしかないだろう」
真夜中。粗方片付いた厨房にて部下と料理長が使用した調理器具や皿を拭きながらそう会話をしていた。
エミーリエとはオドレイの母の名前である。
「……オドレイ様可愛かったですね」
「……ああ」
二人は黙々と作業を行っている。
「……唐辛子、食べた時はビビりましたよね」
「いきなり食べるんだもんな……」
あれは参った。と料理長は静かに言う。
「というか、一体どんな古本を見たら『唐辛子は霜焼けの薬、袋に入れて寝るとあったかくなる』という古い認識になるんですかね……?」
「まぁ……最初はそんなモンだろう?」
「ですかね……」
「それより、オドレイ様、初めてにしては妙に要領良かったぞ。お前もあれぐらいやれ」
「うへぇ」
等と雑談は続く。
「……そろそろ夏に差し掛かるし、アレをまたやるか」
料理長はふいに、だが何かを決意した目で言う。
「アレ。ですか……」
何かを察する部下。
「そうだ。米が下賤な物でなくなる唯一の料理だ」
「仕入れと仕込みが大変なんですよねぇ」
そうボヤく部下。
しかしその顔には苦労を危惧する顔ではなく、笑みに近いものであった。
米が下賤な物でなくなる料理とは一体なんなのか?
果たしてオドレイの運命や如何に……
つづく。