5話 飯を作ってやろうというのじゃ!
「礼をいう。自分を忘れて赤子のように泣き喚く醜態を晒し、お恥ずかしい……」
「いやいやこちらこそ、かのオドレイ嬢にお会いできて栄光というものです」
厩舎を少し出て、脇にある原っぱにおいて私はマウテリッツと名乗る者に礼を言っていた。
「マウテリッツ・ナッサウ・グノー=オラニエと言えばエルディバ一の乱暴狼藉者ですよ」
とクラリエルは小耳にそう入れるが、気にしない。
最近やっとこの世の名前表記を把握してきた。『名前・主な土地名・母親姓=父親姓』というのが一般的な貴族の名乗りであるとされる。私に土地名がないのでつまりそういう事なのであろうな。うん。
というかクラリエル。本人の近くで言う台詞でないぞ。それは。
「して、マウテリッツ殿。本日はどのような用件で参ったのじゃな?」
「少しの野暮用。とでも言いましょうか……。姫君の気にする事ではありませんぜ」
そうやってはぐらかすように笑うマウテリッツ。
うーむ。どうも何かある。何かあるが、特段害があるようには思えぬな……。
「おおっそうじゃ、マウテリッツ殿、もし時間がよろしいのなら御領地のナッサウやバルカネア州の話をしてもらいたいのじゃが……」
「え、オドレイ様。それはいささかご迷惑では……」
それは分かっておるがの。しかしこれで奴の要件が分かるというもの。
「はははっ。姫様の命に逆らえる野暮用等ありますまい。よろしい。教えて差し上げましょう」
そう言って笑いながら領地について語りだすマウテリッツ。
ふうむ。これは……なるほど。大体わかった。
だが、それはそれとして、見れば見る程に孕石に似ておる……。
「? どうかしたのか。オドレイ嬢?」
「うむ、お主の顔を見ておった」
こやつの目的は大体察した以上、早々に切り上げるべきであろうな。事実の確認を行う上でも。
「え」
驚く顔がますます孕石に似ておる。
「良き武人の面構えじゃ。精進すると良い」
とりあえず見たままの事を言ってみる。
面食らったマウテリッツの隙を突いて私は立ち上がる。
「ビビアーヌ。クラリエル。今日はもう部屋に戻るとするぞ」
「え、あ。はい」
「え、あねうえ。もう?」
「うむ、マウテリッツ伯。今日は礼を言う。後日またお会い致しましょう」
そう言って立ち去る。
我ながら些か強引であった。
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とりあえず母上に確認をとった。そして今、一人で私は私の部屋にいる。
今の今まで母上の存在を言っていなかったが、実は初日の夜には既に共に食事をとる関係であった。
うむ、私の察し、見事的中である。
つまり、あのマウテリッツ伯は、未来の御婿さんである。旦那様である。夫である。
「う”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”んんんんんんんん””””””””!!」
私はここにきて初めての奇声のような声(とは言え大分抑えてる)を上げてベッドにうずくまる。
やってしまった。
まさか未来を共に過ごす者の出会いがあんな最悪な出会い方だったとは……
「ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん””!!」
これは非常にマズイ気がする。
まさか馬の去勢で大泣きしてる時に出会う等、想定外すぎる。
唯一の救いは奴がアポなしの遠巻きに様子を見に来た程度だと言う事だが、それでも私の気がん”ん”ん”ん”ん”と言った気分である。
ふと、ベッドの脇にある鏡を見る。元世界では在り得ない程の巨大で鮮明な鏡である。
とても真っ赤である。
「ん”ん”ん”ん~~」
一通り確認してはベッドの布団に顔を埋める。
「ふう。さて……」
一折悔やみは済んだ。後は挽回するのみである。
私、オドレイ・D=エルディバは10年程経てばオドレイ・D=オラニエとなる運命にある。
それに異を唱えはせぬ。唱えた処でどうにもならぬからである。
まぁ正直、あ奴ならばまぁやっていけそうな気はする。気がするだけだが。
しかし、馬の去勢で泣いたとあっては私が納得できない。
挽回せねばならぬ。なんとしてでも。
手っ取り早く、しかも目に見える形で見返せる方策は一つ。
料理である。
うん、とりあえず腹に飯をぶち込んで有耶無耶にしようという魂胆である。
しかしである。これには非常に大きな問題がある。
米がないのである。味噌もない。味噌がなければ醤油もない。
醤油とはアレである、味噌の上澄みに溜まってるあの液体である。寺に入ってた時に知ったのでよく覚えてる。
米なし、味噌なし、醤油なし……これでは一体どんな料理ができるのやら……。
いやしかしまたれい。毎日美味しい料理が出てきているのだから、米、味噌がなくともできる事が証明されている。
要は私の、元世界での調理作法がこの世界で通じるか否か。である。
「そんな訳で母上、料理がしたいのじゃ」
いわく、そのマウテリッツ伯との対面時に飯を振る舞いたい。と告げる。
なんとそれは誠か。健気に殿方の心を掴もうと言うのか。と母上。
うん、それは誠なんだけど、言いたい事を言う母上であるな……。
「最近は貴族の中でも料理をやる者が増えているようだし、私も菓子作りを昔はやってたからねぇ」
そう言って許可を出す母上であった。
そんな訳で母上の許可をとって料理を作れる次第となった。無論、料理人の指導の元であるが。
むしろ好都合。この世には如何なる食材があり、どのような手法で調理されるかが興味あった。
しかし米が欲しい……ダメ元で聞いてみる。どうせないであろう。
「え、米? ありますよ」
師となる料理長が意外そうな顔をする。
その言葉は、恥ずかしさと今までの生活の疲れで死に体であった私の心に、一筋の光をもたらす言葉であった。
つづく。