10話 宮廷医ヨハン・ベットリヒという男
前々から近世だからこそできる事をやります
ヨハン・ベットリヒという男とは何者か。
ヨハン・ベットリヒとは胡散臭いイカサマ野郎だ。と街中の酒場にたむろしている男たちは言う。
ヨハン・ベットリヒとは変態野郎だ。と裏通りの娼婦館の女達は言う。
ヨハン・ベットリヒとは錬金学者の片隅にもおけぬとんだ屑だ。ととある錬金学者は言う。
そんな男が、宮廷医という職に付けたのは、その医者としての能力と話術。そして錬金学での実績の賜物であった。と、当時の私は想うのである。
そもそも錬金学というものは、古代テルバスタ王国にて起こった自然学と錬金術に端を発する学問であり、当初これらはなんら関係のない学問(この世の何故を問う学問)と技術(元々は金を造る技術)であったが、我がエルディバ皇国の前身であるテルティバ王国の魔法研究機関および『初皇帝』の目に止まった事により、次第に関連づけられていき、自然学と錬金術の知識(技術ではない)は同じ道を辿る事となり『錬金学』となり得たのである。
ことヨハン・ベットリヒの錬金学は、他の錬金学者と同様に多彩に分けられる事となるが、燃焼についての論文が多数見受けられる。特に主だったものとして『燃焼とは《燃素》を持つ物質固有の現象である』と『太陽は石炭と魔法石の複合体である』という論文である。
特に太陽については今も議論が続けられている問題であり、当時は創造神が作りたもうた術式の一つとも、世界神が変化した物とも言われており、そこに一石を投じたヨハン・ベットリヒは、その容貌と言動から胡散臭いペテン師と呼ばれ、以前から娼婦間での噂も相まって民間においては、よろしくないものであった。(最も医者としての腕は中の中であり、容貌とその言動さえ普通なら普通に評価はされると思われる)
とにもかくにも、ヨハン・ベットリヒという男はどうも胡散臭い男なのである。
クラリエル・ゴッター著 『あの日々の記憶』から一部抜粋。
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「んんっっっ浮かない顔をして、オドレイ様らしくありませんぞぉぉぉ」
笑っているのではないかと疑念を抱く喋り方をするのは宮廷医の一人、ヨハン・ベットリヒという中年の男がニヤつきながら声を近づいてくる。
「ヨハンか。うーん。まぁ少し悩みがあっての……」
このヨハンとか抜かす奴。あまり好きではないが策謀とは程遠い人物であるが故に、この程度の事ならば話しても問題あるまいと考えた末に相談してみる事にする。
………
……
…
「な・る・ほ・どぉ。つまりオドレイ様はウナギの旬は冬であるという事を母上様および皆さまに証明したいという事ですな」
書庫内部にて簡易的な机と椅子があったので、そこで事の次第を相談してみた。
「ふうむ。これは草ですなぁ。草生えまするなぁ」
顎に手をあててふむふむと言った様子のヨハンが続けてそう言った。
「く、草? どういう意味じゃ?」
「あ、いや。古代の言い回し、もとい表現の言葉でしてな。古代人は面白い事に遭遇すると『草が生える』と言って表現していたそうですぞ。私としては高貴な身でありながらそのような疑問に真剣に悩むというその事自体が面白い状況であると思ったので……」
ヨハンはそう弁解を行う。
ふむ、『草生える』とは『萌えいづる』のような物か。それにしても古代の言い回しを現代でも使うとは……。
「ふうむ。しかし、確かに言われてみれば魚や動物の中には冬を越す為に脂身を蓄える物が多いですからなぁ。確かにウナギの旬は冬なのかもしれませぬなぁ」
そう言って話を切り替えるヨハン。いちいち感に触る喋り方であるが悪意はない。悪意があったら斬ってると思う喋り方ではある。今は獲物ないけど。
「何かいい妙案はないかの?」
「んんんっっ。それは少し骨が折れますぞぉっ。なにせ今までの風習や習慣に基づく概念なので、生半可な事では難しいですからなぁ……」
「やはり駄目かの……」
そう残念がる私であったが、その拍子にヨハンの表情が変わる。
「んんっっ!!! ひらめきましたぞっ! 魚の油を採る要領でウナギの切り身を水に入れて湯沸かし、油を採取し、その量を比較するのですぞっっ!!無論夏と冬のウナギを比較しなければならないので継続的な実験をしなくてはいけませんがなぁっ」
ひらめいたっ!と言いたげな表情と共に飛び出す妙案。ついでにそれに伴うリスクもついでに最後に言ってる程堅実な案である。
「おお!そのような手があったか! しかし油を保存するのはちと面倒じゃぞ?」
「紙に記録すれば楽ですぞぉ。ついでに論文方式に記録を取り、学術評議会に叩きつけて認めて貰えればオドレイ様の目的も楽に達成できますぞぉ」
その点なら問題ない。とばかりに親指を立てて片目だけバチコンと閉じて見せるヨハン。俗にいう『ウィンク』という奴である。
「学術評議会?」
「通称学会ですぞぉっ。皇立大学を根城にしており、このエルディバの魔法や錬金学、錬金術、ありとあらゆる学問や分野の論文を評定に掛けて評価を下す連中ですぞぉお。ちなみに会費を払えなければ学会を追放されて晴れて『学会を追い出された学者』になりまするっっ」
なにやら興奮しがちに語るヨハン。早口になってるので胡散臭さ2割増しである。
「その例えが全くわからんが、とにかくウナギの油を比べて、その論文とやらを書いて、その学術評議会に提出すればよいのじゃな?」
その後半の学会を追い出された学者がちとよくわからぬが、とりあえずやるべきことを確認する。
「んんっ。そうなりますかな。少なくとも脂が冬の方が多いという証明ができて、かつその証言に重みをもたせることができますぞぉ。学術評議会は単なる箔付けでしかありませぬが、しないよりした方がいいですぞっ」
「むう、そうか。ではやろうかの……」
「んんっっいいですなぁあ。これこそが錬金術!! これこそが自然哲学!! 錬金術も自然哲学も自然界や社会や文化における普遍的な現象に対しての疑問を解き明かす為に用いられた手法なのですぞぉぉぉ。【習慣】に基づいた『概念』が誤りならばブチ壊してしまいましょうぞ!!! この不肖ヨハン・ベットリヒ、微力ながらオドレイ様のお力になりまするぞ!!!」
ヨハンはそういうと天を仰ぎ歓喜極まる声を上げながらそのような詩的な事を言いだす。
このヨハンという男はやはり好きという尺度の半分辺りしか尺度が行かない気がする。しかし彼の言う通り、まさに私は、かつて勇者が築いた『夏にウナギを食べる風習』に基づいた『ウナギの旬は夏』という概念をぶち壊そうとしている。
ならばそのようにしてみせようか。
「ではオドレイ様ぁ。道具や実験器具の為に少しソレガシの部屋にお出でくだされっっ」
ええい、かっこよく決めたのに変な意味合いの言葉をかける出ないっ。
「それはちょっと危険じゃから婚約者のマウテリッツ伯と共に行こうと思う」
「おうふぅ。ソレガシ、ひと様の婚約者に手を出す程怪しい者ではござりませんぞぉぉお」
「はははこやつめ!ははは!」
「おうふふふふっっ」
そういう事で笑いに満ちた相談は終わり、婚約者と共にヨハンの部屋を訪ねるのであった。
つづく
近世と言えば科学的手法による自然の解明です。
この世界では錬金術が(科学の最初の存在たる)自然哲学と交わった為に、自然哲学が昇華して錬金学という学問となり、文明が発達したりしなかったりします。
次回は1月21日を予定しております