一話 青梅や 葉にしたるは 雨雫 嵐の後の 空高くかな
「天は奴を選ぶか」
我は静かにそうつぶやく。
草木に滴るは雨雫。先ほどまでの嵐が嘘のような晴天である。
陣幕の外では悲鳴や怒号、刀や槍が交差する音が響く。その意味では眼前に戦場が広がっている。と言えなくもない。
戦況は芳しくない。いや、もはや負けともいえる状況であった。
こちらの戦力は総勢約3万に対してあちらは5千。
だが敵はこちらの動きを狭める為に、こちらの拠点となる城を囲むように砦を設置し、その3万の軍勢を可能な限り分散させ、総大将である私が率いる本隊の動きすら狭めた。
……敵の狙いは地形を利用した後方への急襲。
3万もの軍勢である。しかも用意周到にこちらの城を囲むかの如く設置された敵砦。
否応なくこちらは分散され、そして例に漏れず統制から外れた軍は勝ち戦に乗って乱暴狼藉を少なからず行っている。
その隙を突かれた形となった。
懸念は最初からあった。
それでも、我はあえてその相手の策に飛び込んだ。重ねて言うがこの飢饉の時代。もはや春秋戦国時代の如くの乱世の世である。戦をするとなれば滅ぼすか滅びるかの二択である。
ならば、我は己の理想の国造りの為に体現してみせよう。今までしてきたように、今回もまた体現してみせよう。
……それがこの有り様、である。
我は戦が苦手だ。良き師にめぐり合わなければ我は僧として、戦に苦しむ民たちを救う為に説法を繰り返して、そして平穏に死ぬ筈であっただろう。
その生き方もよかったのかもしれない。だが、我はもっと多くの人間を救いたかった。
故に、大名となりて領地に法を敷き、幕府に頼らずに、中華に匹敵する国を築きたかった。
今回の尾張攻め。かの地を治めるはうつけの悪名高き者。しかしうつけと呼ぶにはあまりにも野心と才がありすぎた。
尾張は米所であるとと共に伊勢湾一帯の経済の中心となる場所。かの者は祖父の代から続く銭の才能があり、放置するにはあまりにも危険すぎた。
よって、我は三万の兵を起こして雌雄を決しに来た。
「しかし、天は奴を選んだ」
再び我はそうつぶやく。
重ねて言うが相手は銭についてよく知っている。今は内乱が続き力を付けられずにいるが、今に銭の力をもってして天下を手にすることもできるであろう。
だがそれは今までの武士とは明らかに違う力である。天下を望めば必ず荒れるであろう。将軍やそれに順ずる名家達、ほかにも三好、北条や武田、朝倉や上杉に毛利、敵対すれば仏すら斬るやも知れない。
天は、それを望むか。
それも悪くない。と静かにつぶやくと自然と笑いがこみ上げてくる。
我は今から死ぬであろうと言うのに、まるで自分の息子のように心配と期待、あるいは自棄などが混じった何かがこみ上げてくる。
そういえば実の息子は無事に生きられるであろうか。この戦で我が死ぬとなれば、武田は手のひらを返して攻め入ってくるだろうし、松平の倅も故郷の三河へ帰れば独立するであろう。
なぜならこの戦は博打も博打。今までの小競り合いとは訳が違う三万という大軍勢の大博打。勝てば尾張国という米所と経済の地、そして幕府を凌駕する名声を得られるであろう。負ければ三万の軍勢を動員した負債。そして今まで築いてきたすべてが失われる。
如何なる才があってもこれを立て直すことはままならないであろう。
それに我が家は我と師による統治支配。力ある者が己の力によって民と家臣を治め、支配をする。故に家臣らは補佐する程度の能力にとどめていた。師亡き今、今川家は我のみで支えている現状、我が死ねば全てが裏目に出る事になる。
子・氏真にはあいつなりの才がある。武家としてはやってはいけないが、運が向けば公家として名を残すやも知れない。
眼前に敵の兵が躍り出る。
護衛の数人の武士が抑えるも、それとて長くは持つまい。
死ぬとわかってもなお、ただで首を取らすのも癪である。我は前に出て服部と名乗る兵に切りつける。
しばらく、目の前の兵達と戦うも、すでに主なこちらの護衛の将は討ち取られている。もはやこれまで、か。
と、思考をしていたら、案の定槍で刺されてしまった。
槍を刺した者は毛利良勝と名乗る者。先ほど斬りつけた際に指を何本か落としたが、無駄だったらしい。
「見事なり」
我は血が滴り落ちる槍を引っこ抜き、静かにその場所に座る。
血がしたたり落ち、咳と共に血が容赦なく溢れる。急速に力と熱が出ていくのが判り、もはや助かるまいと悟る。
せめて最期は武士らしく腹を切ろう。半壊した鎧を外し、脇差を取り出す。
「介錯し、この首を信長殿に届け、手柄と致せ」
我の声に、毛利良勝は改めて刀を構え直す。
歌を詠む気にもなれずただただ残念である。我も天に選ばれたかった。それだけである。
一呼吸。澄み渡る空を見上げる。
そして近くの梅の木を見る。
青梅に滴るは雨雫。先ほどまでの嵐が嘘のような晴天であった。
「天は奴を選んだ。それもまた、良し。」
我はそう小さくつぶやくと手に持った脇差で腹を掻っ切った。
そして毛利良勝から刀が振り下ろされ、視界は闇になった。
切腹もさることながら首を斬られるというのも、中々痛いものだ……。
こうして、我、『今川義元』は桶狭間の地にて、死んだ。
……………
…………
………
……
…
* *
で、あったのだが……
「…ここはどこじゃ」
気が付いたら女子の体になり、見知らぬ部屋? の重圧な木綿布団の中で気が付く。
どういうことだ、これは。何なのだ、これは、どうすればいいのだ、まるで訳がわからぬ。誰か説明してくれ。
今川義元(1519~1560)
戦国時代の大名
合理的な軍事改革等の領国経営を行い、外交面でも才覚を発揮して武田・北条と同盟を結ぶ三国同盟を結成させる。
最大所領は駿河・遠江、三河や尾張の南部(駿河は静岡県の中部〜北東部。遠江は静岡県の大井川以西。三河は愛知県の中部と東部。つまりだいたい静岡市から名古屋の南辺りまでの東海道一帯が支配地域であった)
戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。
〜Wikipediaの今川義元の記事の引用〜
桶狭間の戦いは最近では信長軍の正面強行説が主流化しております。
なので、大変勝手ながらここでは交通事故転生として扱わせて頂きます。
以前(2019年7月13日まで)はトラック転生でしたが、やはり1馬力しかなく積載量もない織田信長軍をトラックと仮定するのは流石に無理があると思い、真に勝手ながら交通事故と変更させて頂きます。トラック転生好きの方には大変申し訳ありませんでした。
タイトルロゴは もにゃゐずみ様(@Monyaizumi)より描いて頂きました。大変ありがとうございます。