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前空学園テニス部の栄光  作者: 鷲園 茶理子
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サービスキープ


 雨ひとつ振らない夏が好き。雨が降ると誰かが泣いているようだから。

 今日も今日とて晴れ空の下、フェルトのボールがコートに弾かれて金網に飛び込んだ。

 私もボールみたいに金網越しに視線をくれる彼の側に行けたら良いのに。

 ……なんて、柄じゃないかな。


あおい! 足動いてないぞ! 歩美佳ふみかちゃんの足引っ張るなや!」


 修司くんが歩美佳ちゃんて呼んでくれた、そう、彼が呼んでくれるなら私、なんだってできるの。だって恋する乙女だもの……。

 そんな私の横をキューピッドのボールが通り抜けたり。

 ……今のボールは私が取るボールだった気がして、私のダブルスパートナーにして歩くテニス辞典・鈴木葵に視線を送れば、ああ、なんということだろう。

 お得意の笑顔造りのポーカーフェイスを目だけ崩しているなんて。


「ドンマイ! 歩美佳ちゃん!」

「うっさいわ修兄ィ! 暇ならスクワットでもしろや! 歩美佳は集中力切れやすいんだから邪魔するなや!」


 私は集中を切らしやすいらしいが、親友の鈴木葵は単にキレやすい。

 私の王子様こと鈴木修司くんの所属する男子テニス部は早出の練習だかで女子より早く終わる。

 私たち女子テニス部はといえば、三年前だか十年前だか四半世紀前だかに出た変質者対策で早練も遅練も禁止だそうだ。

 そんな歴史と伝統溢れる都市伝説的変質者対策に、修司くんは葵の練習が終わってから帰るのだという。 羨ましい。

 穏やかな激闘を先輩たちとの練習試合で繰り広げ、ボロボロの私は更衣室のロッカー前までたどりつき、隣で疲れも見せずガットの張り具合を点検している親友に声を掛けていた。


「修司くん、カッコいいよねぇ……」

「修兄ィがあ? それより歩美佳、あんたもっと集中しなよ。サーブのときは適当しないで。あれはカバーできないんだから」


 先ほども顧問の幸子先生からやる気を出せと叱られて、やっとの思いの更衣室、葵の説教が待っているなんて予知していても避けられない運命ってあるのよシェイクスピア。

 テニスは一度サーブに失敗しても二度目を許す紳士淑女のスポーツ、だから一度目は外したって良いのだと言える空気ではないですね葵さん。


「ギリギリを攻めてオーバーしてセカンドするのは良いわ。でもね歩美佳」

「あんたのは一回目を集中しないで無駄にして、二回目でそこそこのを入れてるのよ、でしょ? いつも聞いてるから私だって覚えたよ葵♪」


 その後、着替えの手も止めて始まった説教は汗で張り付いた服も乾いてしまうような勢力を持つ本日二号となるアオイ台風だった。




 一年とちょっと前。

 私は自宅から自転車で一〇分の距離、モスグリーンの制服に誘われてこの高校に入学したものの、青春を注ぎ込む部活動を決めかねていた。

 先輩方の熱の篭った手作りパンフレットを校庭のベンチで熟読し思案を夢の中にまで広げようとした頃、目覚ましのブザーよりよく届くあの声が私を本当の意味で目を醒ました。


「一年D組の鈴木修司です! テニス歴十年! 夢は世界で一番熱いプレイヤーになることです!」


 新入部員の合同自己紹介か何かだった。

 反則だ。そんな温かくよく通る声で振り向かせて、目が合ったところで白い歯を覗かせて笑顔を打ち返すなんて。

 反則だから、リプレイ映像見せてよ。


 それからの私の行動は部長のスマッシュくらい速かった。

 枕代わりにしてちょっとだけ、本当にちょっとだけプレスされた入部届けを持って女子テニス部へ走っていた。

 顧問の美人さん・幸子先生からラケットや用具代がどれくらい掛かるとか、親御さんに相談がどうのこうのと言われたけど、全ては私と修司くんの明るい未来のため!

 小さなハードル、いいえ、飛び越えられる低いネットだと思った。

 ……ネットは飛び越えちゃいけないけどね。


「一年B組! 飯田歩美佳! テニス経験はありませんが、頑張って場外弾になるくらいのトリプルアクセルを決められるストライカーになりたいと思います!」


 今にして思えば、こんな挨拶をしていたらテニスの強豪校だからと入学した葵が怒るのは当たり前で。 右の八重歯をキラリと光らせる笑顔で詰め寄られたのも無理はない。


「始めまして。私は鈴木葵。同じ一年よ。あなた、テニスっておカネも掛かるし、怪我もするし、ふざけに来たならやめておいたら? うちは特に厳しいわよ」

「さっき幸子先生にも言われたけど大丈夫。私、タフだしお母さんと交渉する準備もしてるもの」


 最初の出会いはこんな感じだった。

 葵が何か続けようとし、私の方も喧嘩を売られていると身構えたとき、拮抗を崩す温かい声がネット越しに聞こえてきた。


「葵ー! 男子終わったから駐車場の自販機で待ってるぞー!」

「取り込み中って判れ! バカ兄ィ!」


 鞄の肩掛けベルトをオデコに引っ掻けたヤンチャな姿を見せてくれたのは、さっきの鈴木修司くん。

 その視線の先に居るのは私と火花を散らす鈴木葵さん。

 このとき、私の明正な頭脳は、お兄さんをゲットするために妹さんから仲良くなるという完全作戦を立案し、修司くんに意識を向けて無防備な葵の両手をラケットを握るように強くグリップしていた。


「アドバイスありがとう鈴木さん! あなたって良い人ね、私たち親友になれそう! これからも沢山教えてね!」


 いきなりの展開に葵が目を白黒させていたのを今でもよく覚えてる。


「……え?」


 修司くんのレーザービームのような視線を掻い潜るように葵の真ん丸の耳元で言葉を続ける。


「私、お兄さんの修司くんとコンビを組みたいんだけど、どんな練習すればいいかな!」

「混合ダブルスなら、大会は結果を出した上級生同士で組むから、一年では出れないわよ?」

「なら、結果を出せるように頑張るわ! よろしくね!」


 冷静なプレイヤー鈴木葵ではなく、私の友達鈴木葵の八重歯を両方出しての笑い方。

 後で知ったことだけど、葵はブラフスマイルという作戦のために練習中から笑顔を絶さない。

 けれどこのときの笑顔はそれとは別種の笑顔だとなぜかすぐにわかったりして。それから私と葵はなんだかんだと馬が合った。

 教えたがりの葵と、ルールも覚えていない私、修司くんを煙たがる葵と大好きな私、ボレーやドロップは上手いけど守備範囲の狭い葵と、技術はないけどダッシュだけは有る私。

 馬だけでなく息も合っていた私と葵は、一年の終わる頃には部の中でも有数のダブルスに成長していた。

 それから二年生になり、葵の教えたがりは後輩に移ったりしないかとも思ったが。


「歩美佳! 後輩の前でふざけた打ち方すんな!」

「歩美佳! サボり方ばっかり教えんな!」

「歩美佳! いい加減にしろ!」


 ブラフスマイルのままで怒鳴る器用な親友にゴメンと謝ったり、たまにケチと言ってみたり。

 そんなとき、親友は両方の八重歯を見せながらバカと笑ってくれる。

 夏の大会も間近になり、最近は葵とダブルスの練習ばかり。

 練習は大変だし、遊ぶ時間はないし、たまに時間が出来て葵と遊んでも、いつも話題はテニス一択。

 葵が私の家に遊びに来たときも持ち込みDVDでテニスの勉強会。

 中に子供の頃の修司くんが映ってなければ張り倒していたんじゃないか。

 ただ、後輩を教えながら自分も一生懸命練習する葵を見てると私だけサボってばっかりも居られないわけで。




「ギリギリを攻めてオーバーしてセカンドするのは良いわ。でもね歩美佳、あんたのは一回目を集中しないで無駄にして、二回目でそこそこのを入れてるのよ」


 部活が終わり、本日三号となる葵台風が上陸したのは駅前の薬局二階に構える牛丼屋さんの小さなテーブル席だった。

 残念なことに、お洒落なカフェでティーブレイクするよりも、トレーニングでブレイクした私と葵の身体は牛丼屋さんで大盛りツユダクをせめてもの女子らしさとしてスプーンでお召しあがりになっていた。

 こんなカロリーの塊を食べても太る心配もできないような練習量に私は吊っていないネットみたいにヘトヘトとテーブルに突っ伏していたが、葵は新品のネットみたいにピンと背筋を伸ばしたまま説教を続けている。

 私だって見栄っ張りだが努力家の親友に殊勝な気持ちになることもある。

 最近、修司くんのことを忘れて葵とのダブルスのことを考えている自分を好きになれたのも、相棒のおかげだ。


「葵……いつも、ありがとね」


 こういう不意の言葉に弱い葵を本当に可愛いと思うけど、葵は見られたがらないから、私は頭をテーブルにくっつけながら喋ることに決めた。


「今年はダブルスのレギュラー取れるよね。先輩たちとの練習試合だって勝ったもん……ちょっとダブルフォルトはしたけどさ」

「そうね。ミスらしいミスはあんたのダブルだけだものね」


 妙にこもった声だった。 台風継続中だったのか? 怒ってるのか?

 顔向けもできないけど向けないわけにもいかないし。


「いつもコーチさせてゴメンね。でも試合になったら頑張るから」


 顔を上げると、葵は笑っていた。

 左の八重歯を光らせるブラフスマイル。

 初めて見た。ヤバイ。めちゃくちゃ怒ってる?

 分かってるなら練習からちゃんとやれ、ってこと?


「――歩美佳。あんた才能あるんだよ? 高校デビューで、もう私に追い付いて」


 葵の説教バリエーションのひとつだ。マズイ、本当に怒ってる。才能を腐らせるなとかそういう説教だ。


「うん。ゴメン。本当、練習も頑張る。本当だって。葵の足、引っ張らないように、頑張るから」

「――当たり前よ」


 結局最後まで、相棒はブラフスマイルのまま。

 翌日、私は口では謝らないことにした。

 いつも頑張っているけど、今日は殊更無敵。

 サーブだって、昨日は何回“も”ダブルフォルトしたけど、今日は何回“か”、に減りはした。

 練習試合では葵のお株を奪う手前で落ちるドロップショットを決め、相棒の名前を呼んで振り返ったとき、またもや葵は左の八重歯を光らせ、顧問の幸子先生と視線を絡めていた。



 この日の練習終り、次の大会のレギュラー発表をすると幸子先生がA4用紙をゼムクリップで纏めた簡素なリストを持ち出した。

 そんな急に! 私がそう声を上げたが、返ってきたのは朗らかな笑い声だったことから察するに周知の予定だったらしい。

 幸子先生は聞こえなかったとばかりにリストから名前を読み込む。


「シングルス1は部長の樋山里穂」


 大会はシングルス三人、ダブルス二組で行われると私でも知っている。私たちの枠はふたつ。祈るように見た葵は左の八重歯。


「シングルス2は三年の木村昴」


 葵、何怒ってるの? 祈るなってこと? 自分の力を信じろ的な?


「シングルス3は二年の飯田歩美佳」


 ねえ、次からダブルスだよ、絶対呼ばれるよ。

 鈴木葵と飯田歩美佳って。あれ?


「ダブルス1は三年の近藤椎菜と森燕」


 待って。シングルス3は誰って言った? 


「ダブルス2は三年の高村明日奈と二年の佐藤麗、呼ばれなかった子は今日は帰って良いわ」


 葵は他の皆と一緒に出ていく。

 ねぇ、待って。私、意味が解らないよ。

 幸子先生がそれぞれの子に何か言っていくが理解できない。教えてよ葵、いつもみたいに。


「飯田さん、驚いてるかもしれないけど、あなたのダッシュは天性の物よ。鈴木さんとも相談してたけど、飯田さんがダブルスの練習に熱中できているから隠していた、解るわね?」


 意味がわからないよ。なんでこんなに苦しいの? 私準備運動ちゃんとしたよ? ねえ葵?


「明日からも頑張りましょう! 解散!」


 ――解っている、葵はあそこに居る。

 いつも修司くんと待ち合わせする駐車場裏の自販機前。私は誰よりも大事な親友の元へ向かうのだ。走れメロス歩美佳。

 ――解りたくなかった。

 幸子先生はフルネームを千葉幸子と言うが、教頭と体育担当も千葉姓なので幸子先生と呼んでいる。苗字が重なることも有る。

 ――解れば戻れないから。

 鈴木修司と鈴木葵、年子の兄妹とするより、同姓の幼馴染みとした方が自然だと。

 ――嘘だ。解っていた。

 ずっと葵は一緒に練習していた。私には才能があると言って、私が投げ出さないように付きっきりで。

 ――解っていない訳がなかった。

 葵が半年掛かったドロップを私が一週間で身に付けて、そのときにブラフスマイルの裏に寂しさを押し込めた。

 ――解れと誰かが言うんだ。

 兄妹じゃないなら、ふたりの間に有る絆のことを恋愛と呼んで、そこには親だろうと親友だろうと無二の親友だろうと許されない睦まじさで。

 ――解ってたよ、ふたりが互いにどう思っていたか。

 駐車場裏で私には見せなかった弱さを晒す葵と、私には見せるわけもない優しさと情で慰める修司くん。私が来ることなかったね、手か舌かはわからないけど葵の涙は修司が拭いたんだね。今どんな気分なの葵、八重歯が修司の中だから見えないよ。

 晴れ空が滲んでいる。私のために泣いてはくれない空を見ながら涙を飲み込んでブラフスマイルを真似てみる。


 フォルト。修司の気持ちを見てみぬふりしてラインオーバー。

 ダブルフォルト。葵の気持ちも見てみぬふりしてこれもラインオーバー。


 でも葵、お相子だよね? 今、修司の背中越しに目が合ったのに反らしたもんね? 涙で見えなかったことにしろって意味だよね。解るよ。

 良いよ。まだ親友で居てあげるから。あなたが修司を見せつけた分だけ、私の才能を見ながら造り笑いをさせてあげるから。

 あなたが教えてくれた技術は全部あなたより使いこなしてあげる。ブラフスマイルも葵より上手くやってみせるよ。


 身体のように弾けたボールは、雨粒が伝うように晴れた身体は一点を目指していた。

 私のラケットも全部置いてあるのは部室しかない。葵と一緒だった時間だけが詰まった場所、私は部室を撥ね開けた。


「部長。練習試合、して貰えませんか」


 幸子先生とA4用紙と対面していた部長は、いつもと同じ……いつもより優しい表情を見せてくれた。


「僕も試合したいけど、遅練は違反だよ?」


 プレースタイルとは対照的なおっとりした口調に、幸子先生はあっさりと良いよと告げる。帰りはふたりとも送って行くと云ってくれた。

 厳しい人だけど、こういうときは甘えさせてくれる。自転車も乗せられる幸子先生の大きな車。居心地のいいこの部室。これからはシングルスになる退屈なまでに刺激的で、甘酸っぱくて吐き出してしまいたくなる夏はまだまだ長い。


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