5話
『―ではこちらをどうぞ』
鮫洲の係員はそういって無表情で免許証を手渡す。
お役所仕事的すぎるなと思いつつも無表情で受け取る。
以前の免許と記載内容は殆ど変わらず、新たに普二の上の段に準中型と記載される。
結局1発合格にて準中型免許を習得したのだった。
免許を取得する間、マヤとの訓練は続いていた。
獣気についての基本的な使い方を教えてもらったが、ここで俺は再び己の体において他の人狼とは違う特性を持っていたことが判明する。
変身しない限り人と全く身体能力が変わらない。
それは気の性質、すなわち気質にすら及んでいた。
変身しない限り獣気は使えない。
これは怖い。
なんらかの理由で変身が解くような状況であれば殆ど戦闘行為は行えない。
一方で、変身せずとも唯一人狼と同じ部分が皮膚組織などの強度であった。
人狼は人間の形態でも拳銃弾などは貫通しない。
はじき返してしまうほど強固なものを持つ。
それが俺にもあったのだ。
それは気を用いて破断係数を上昇させることにより、さらに防御力は上げられるということ。
ただし、マヤ曰く―
『―変身した場合でも私達はどんなにがんばったって弾けるのはブラウンチップの5.56mmぐらいまでです』
『7.62mmあたりからは怪しくなってきます―』
――真剣な眼差しで訓練中にそう伝えられた。
鉄板にして15mm~20mm程度の強度ということになる。
変身無しでは防御力が若干落ちると見ても、44口径マグナムぐらいは何もせずとも弾き返せるといいのだが……
俺はりんかい線の車内でクロスシートに腰掛けつつ、そんなことを考え、
とある場所へ向っていた。
―それは、事務所である。
ようやく獣人としてのスタートラインに立ったのかもしれない。
「ちあんいじそしき」なる活動拠点だ。
これも彼女の持ち物件らしいが、スマホの航空写真で見るところとても小さい。
新宿の都心部から山手通りの方のビルの片隅にポツンとある小型の物件。
おそらくビルの隙間にあって土地を売るにも狭すぎて売れないような所に事務所はあるのだろう。
渋谷とかでもそんな建物を良く見る。
彼女からは不合格でも本日はここに立ち寄ることと指示されていた。
~~~~~~~
事務所の目の前にくると、予想通りビルの間に挟まるようにして小さな3階建てのオフィスビルであった。
1Fはガレージなのかシャッターで閉じられているが車1台ならわりと大きなものでも入りそうだ。
横幅は4m、高さも4mはある。
構造は鉄筋コンクリートにむき出しの赤い鉄骨フレームを組み合わせた随分カジュアルな見た目だ。
新築であろうか。
ここの2Fに彼女がいるはずである。
2Fに辿り着くと、漫画やドラマの探偵事務所のような空間が広がっている。
『きましたね先輩! 』
奥の若干高そうな社長用か会長用に見えるような木製の机に腰掛けていたマヤは、パッと立ち上がりつつこちらに声をかけた。
ものすごい違和感を感じる。
なぜなら彼女は夏服の制服姿であった。
初めて獣気に目覚めさせた際に、俺がリバースしてしまった影響を受けて彼女の制服は今新しいものを仕立ててもらっているが、まだ間に合っていない模様だ。
にしても、まるで子供がおままごとをしているようにしか見えない。
事務所のセンスはいいが、マヤは制服と部屋着以外に服を持っていないのか。
未だに2パターン…いや夏服と冬服を合わせて3パターンしか見ていない。
訓練中にチラチラ見えていたアレも……毎回同じ色だったが、気に入ったモノを複数揃えていると言っていたのでそっちはさすがに着回しするようなことはしていないだろう…
臭いをとても気にする子だしな。
『ほいよ、二輪以外にも四輪も使えるぞ』
机に免許を置き、合格したことを示す。
『早い…ですね……』
『これなら今日から活動できます』
一瞬免許を見た後、こちらに視線を送りながらマヤは呟いた。
『ここは、他に誰もいないのか? 』
自分達の声以外はシーンと静穏が響き渡る部屋が気になり質問を投げかけた。
『残念ながら、先輩と私だけです……』
彼女がシュンと肩を下ろす。
『治安維持とは何をやってる? 』
やや声のトーンを落とす。
責め立てる口調になって彼女の機嫌を害する気はないことをアピールしておく。
『正直に言うと、後方支援なんです』
『私みたいに家柄が家柄だと、単独では最前線での活動は許してもらえません』
『爵位も足枷として付与しているものですから……』
彼女はこちらから視線を逸らしつつポツリと呟く。
共和主義においては選ばれた者により強い権利と義務と責任が及ぶ。
なるほど。
貴族に近い存在を保護するため、爵位を与え、権限を与える一方でそうやって身動きを抑制しているわけか。
ただ、前線にすら出させないとは妙だ。
治安維持活動は戦闘行為だけではないはず。
この裏にあるものは若いまたは幼いからそうさせているというだけではあるまい。
『如月、多分だけど俺に隠し事というか説明していないことがあるよね』
『君は俺で賭けてる』
『今の所その賭けは当たりかどうかは知らないけ――』
『別に先輩を私の道具にしようとは思っていませんッ! 』
マヤは非常に大きな声でこちらの言葉をさえぎった。
言い方がよろしくなかったのか。
『確かに。先輩に賭けたというのは間違っていません……』
『王女の高貴な血を浴びて人狼として生還した者』
『その話を、事件の後すぐさま知り合いから聞いて、何かピンとくるものがありました』
マヤは相変わらずこちらから視線を逸らしているが、先ほどの大声とは異なり今度は声のトーンがかなり小さくなった。
『それで保護と管理を申し出たのか』
『ええ、それも活動のうちですから……』
『もし先輩が変身して自我を失うとしてもこの仕事を手伝ってもらいたいとは思っていました』
『でも今では少し考えが…変わったというか…』
『フェンリルの申し子の可能性があって、自我を失わず、獣気すら使いこなす先輩なら―』
『再び―没落貴族から過去の栄誉を取り戻すことが出来るかもしれない―と』
『!!!!』
パッとこちらを振り向き、マヤは大きく目を見開いて驚いた表情を見せる。
額には汗が浮かび上がってくる。
己の秘密を知られた―そんな表情である。
『悪いな。事を急いでいたお前の姿が気になって学校のクラスメイトに確認させてもらったよ』
『お前の家、お前の祖父にあたる代でやらかしちゃったのか』
『はぃ……』
今にも泣きだしそうな鼻声混じりで彼女はクラスメイトの話す噂に近い話が事実であると認めた。
『貴族とはもう言えないほどにめちゃくちゃに崩壊してしまって…』
マヤは何度も瞬きして目から涙が零れ落ちそうになるのを抑えながら鼻声で答える。
『それで、その後を次いだ祖父の長男、お前の父親の兄にあたる人間もよろしくなかった…と』
『……その通りです……』
それはシンと静まった2人だけの室内だからこそ聞こえたが、
外では聞こえないようなか細い声による返答であった。
『それで、やりたい放題であった先代の、お前の父の兄には妻子もいなかったので』
『完全に崩壊したお前の家系を何とかするため、家を出て行った君の父である弟の長女が家を継ぐことになったと―』
『そうです。私の父は己の権利の放棄を宣言してしまっていたため、法的に継承権が無く……私が』
マヤから鼻をすする音がする。
13歳の子が背負うには重過ぎる。
自然と俺の拳には力が入っていた。
『父親は兄の暴走で家を離れていたが、君も、君の父上も自らの血に誇りがあったわけだな?』
『……』
マヤは黙ってコクンと頷いた。
その姿を見ていられなかった俺は、彼女に明かしていない己の存在を打ち明けた。
『お前が俺を信じてくれるなら聞いてくれ。今から俺なりに真実を話す』
『俺は一度死んで―転生してこの世界にきている。』
『この世界の住民じゃない』
『えっ?』
あまりにとっぴな話に彼女がこちらを向く。
その目は赤く、とにかく泣くのを我慢しているという様子である。
『いいか、俺の目を見て聞いてくれ』
俺はそう念を押して話を続けた。
彼女からは一切目線を外さない。
マヤもその意味を理解している様子だった。
『その俺も、前世ではお前と似たような家柄にいた』
『飛龍という苗字が真名だと言ったのは俺の中では真実だ』
『旧家としての飛龍家は、この世界には存在しないが……俺はこの別の世界におけるこの地で、平安時代から続く旧家の家系の出身者であって跡継ぎだった』
『飛龍家は大したことはやっていない。ひたすらにこの国を駆け回り、本州を開拓をし続けた国人と呼ばれる者達だ』
『元々は貴族で、帰農者、または帰農組とも言う』
『平安時代を過ぎると、貴族の大半は立ち行かなくなった』
『マヤが学んでいる中学や高校の歴史の教科書では全く触れられない事実だ』
『帰農……?』
マヤが首を傾げる。
日本人の大半の連中も聞き慣れない単語であろう。
貴族と呼ばれる者達が地主のような農民に落ちていたことなど全く知られていないから。
『貴族の中には、農業すら営んで生と血を繋ぎ止めようとする者もいた』
『そんな彼らを慕って使用人達が集まり、共に農村を開いていたわけだ』
『日本の日本史では鎌倉時代以降の貴族については殆ど語らない』
『語るほどの歴史なんて無いと思ってる』
『そんな……』
マヤが絶句する。
しかし俺の話がウソではないと理解はしてくれている模様だ。
『大いなる血を引くということだけを糧にして、豪族などに養ってもらうほど弱々しかった存在』
『中には地域を支配する力を得て下克上を計り、上へ上がった者もいたというが』
『そういった戦国武将の大半は、そう主張するだけで正統な血を引かず、血を引いていると捏造していた馬鹿共だ』
『本物の方が話にならんほど無能で、何とか生きている程度に落ちぶれて…いたのさ……』
思わず声が震えてしまった。
己の家系を自虐するには勇気がいるが、事実は事実だ。
俺は、彼女に飛竜のことを話すことで過去の事を思い出していた。
いや、強烈に蘇ってきたというべきかもしれない。
~~~~~~~
――飛龍家は不思議なことに各地で農村を開くと、なぜかまた別の地に渡り、新たに農村を開くということを繰り返す不思議な一面と歴史的経緯を持つ一族であった。
藤原北家を先祖にもつ飛龍家は、東へ、北へと進み鎌倉時代以降の本州を開拓していき、山形のあたりまで北上していった。
そして江戸時代後期に、現在の東京西側の地域へ戻ってきたのだという。
そんな東京でも農業を営むが、戦後の農地改革によって土地をほぼ奪われ、一気に衰退した。
曽祖父はこの状況を打開しようと地方議員選への出馬を決め、出馬するものの落選。
それが再起をかけた飛龍家にトドメを刺した。
俺の母方の祖父にあたる人間は、何とか血だけでも繋ぎ止めようと苦労したが、男が生まれることがなく、俺の父を婿養子にした。
もう見ることは出来ないが、信じられないことに、俺の戸籍を見ると俺の祖父は実に14回結婚し、13回離婚している。
子供を生むためだけに、双方同意の下、妻をとっかえひっかえしたという狂気の過去を持つ。
だが、今でいう精子が少ない体質だったのか、子宝に全く恵まれず、唯一の子が母だった。
それが14番目の妻の子であり、俺が知っている唯一の祖母は14人目の妻である。
血の繋がらない祖母が他に13人いたと言われるが、その事実を知ったのは祖父の葬式に13人が集まった時のことだ。
彼女達は祖父の行動を非難することも否定することもなく、祖父の供養の場に参列した。
7番目の妻は―
『―こういう事ぁーね、地方ではよくあるんよ』
『連絡も無かったけど、待望の男の子が孫に生まれてよかったやねぇ』
――と、この時代の女性は本当に強いなと思わずにはいられないほどに、葬式の後の食事の場でにこやかに俺の頭を撫でつつそう呟いた。
俺が飛龍に尋常でない拘りがあった分、日本社会で孤立した際のダメージは計り知れなかった。
飛龍は元々そういう優秀な一族ではないと母からは言われていたが、せめて戦前の状況にまでは戻せるようになりたかったのだ。
それがあまりにも上手く行かず、生を諦めたことを一族の先祖は恨んでいるだろうか――
俺が死んだことで旧家の飛龍家は完全に終わった。
平安時代から続く歴史はあの日、あの踏切の上で完全に幕を閉じた。
飛龍復活を考えるなら、俺は嫁探しをして息子に賭けるべきだったのかもしれないが、
だが、あの時の俺は背負いきれなかったのだ。
子供に十字架を背負わすなんてこともやりたくなかったのだ。
~~~~~
彼女を見つめる。
彼女は顔を落とし、黙りながら鼻をすすっている。
そんな彼女と自分が重なり、思わず抱き寄せた。
『お前の気持ちは痛いほどわかる……同じ思いをして…今生きているから……』
『こういう時は我慢しなくていいんだ』
そう呟くと、彼女の心は解き放たれ、13歳の子供らしく大声で泣き出す。
一人で背負いきれるものではない。
同じ立場の人間であるからこそわかる。
母方の祖父は、狂気にかられてはいたが、俺とは違い、その心は鋼のごとく強靭なものであったのだ。
その思いを無碍にした自分と、どうにかしようと俺で賭けたマヤは対極にいる。
マヤは恐らくあの祖父と同じように立ち向かおうとしている。
境遇は似ているようで、鏡で反射するかのごとく真逆の存在だ。
『ヒオウさん……わたひは……』
彼女は顔を俺の胸より下に埋めたまま、鼻声で何か伝えようとしたが――
『なぁ、如月』
『治安維持活動だけでお前の家系はどうにかなるのか』
その話を遮り、今日もっともマヤに聞きたかったことを伺う。
『後方しへんだけでは……だめでふ……』
マヤはいつの間にか俺の背後に手を回しつつ顔を埋めている
ただ、抱きしめているというよりかは顔だけ沈み込ませている感じでやや前傾姿勢である。
『やはりあの手この手が必要か』
『いえ……』
背後に回していた手を再び手前に持っていき、
マヤ顔を上げる
そして上目遣いになる。
『単独でなければ、活動するにあたっての権限はあるので、情報を手に入れて最前線で活躍して名を挙げれば……』
マヤは俺のシャツをギュッと握り締めた。
『そのためにフェンリルの申し子の肩書きが必要…だった? 』
その言葉にマヤは顔を横に振る。
フェンリルの申し子だと思って俺を保護しようとしたわけではないという意思表示だった。
『フェンリルの申し子という可能性は私によっても嬉しい誤算でした…』
『本当は変身することが危険な先輩に人の姿のまま支援してもらいつつ、私が戦う予定でしたが、これなら二人で戦えます……』
『それだけじゃない……先輩が先輩みたいな人でよかった……』
すくっと立ち上がりつつマヤが話す。
すでに俺を保護する前から、その覚悟は決まっていたのだろう。
強い子だ。
『ちょっと落ち着いたほうがいい』
『それから今日やるべきことをやろう』
『はいッ……』
泣いたことで気持ちが楽になり、少し元気が出てきたのか、彼女はいつもの声のトーンに戻りかけつつ声を発した。
切り替えが早いタイプかもしれない。
――それから15分後、お互いにお茶を飲んで落ち着いたあたりで彼女が本題を切り出す。
なにやら印刷した紙を提示して―
『先輩、私達には移動手段が必要です』
『何のために先輩に車の免許を取っていただいたか』
『車を運転してもらうためですッ』
すでにその姿はいつもの彼女に戻ってきていた。
『なぁ、ちょっといいかな』
『バイクじゃだめか?』
免許を取った手前言うのもなんだが、今の俺は四輪より二輪に恋してる。
雨という条件さえなければ、これほどコスパに優れた長距離移動可能な乗り物は他にない。
そのため、彼女に対して移動手段は二輪にしたいと訴えを申し出る。
『二輪も手に入れます』
『確かに小回りもききますしね』
『ですが、長距離の移動においては二輪では厳しいかと』
彼女は正論すぎて反論できない意見を述べてきた。
13歳とはいえ、ある程度真面目に活動を考えているということはわかる。
『じゃあ、二輪は俺が買う。貯金がある』
『燃料など以外は経費で落とさなくていい』
俺は仕事用みたいにされると愛着が沸かないので、二輪については私物を持ち込むことを提案した。
『仕事中に、この間みたいに破壊された際の修理代とか出してもらえると嬉しいかな』
思わず本音が漏れる。
毎回破壊される展開だと俺の貯金通帳は破産確実。
『いいですよ。そうしましょう』
彼女はにこやかに俺の願いを聞いてくれた。
『では、車について私はこれを提案しますッ!』
バシッと印刷された紙に映るその姿は…フィアットのABARTH 595であった。
――どうしてそんな車を選ぼうとしている!!!
没落貴族についての詳細は番外編で描写致します。