3話(後半)
長くなったので前編後編に分けます。
そのまま彼女に連れられ校舎を離れ、近くの森へと向った。
10分ぐらい歩いたのだろうか。
周囲を森林に囲まれた開けた場所に辿り着く。
『こちらでいいでしょう。先ほどの件はこれ以上咎めません』
『今からどうしても試したいことを試してもらいます』
『言っておきますが、先輩に拒否権はありませんからね! 』
『私を教室で一人待たせた罰です! 』
咎めないといいつつも、彼女は興奮した様子で話しており、まだ怒っているのがわかる。
でも顔を紅潮させてハキハキと喋る姿は可愛い。
マヤは前世の妹とは違うのかもしれない。
『拒否するつもりはないよ』
『それで謝罪になるなら』
彼女の目をハッキリと見て言う。
精一杯の謝罪も含めてそう告げる。
『……変身してもらいます』
一呼吸置いた後。間違いなくマヤはそう言った。
『へ?』
『人狼になってもらいます。今から! 』
突然何を言い出すのかと思えば、変身…だと…やり方もわからないのに。
『いや、待て如月。俺は変身の仕方なんてわからんぞ』
拒否するつもりはないがあまりにも性急すぎる行為をやめさせようと身振り手振りで彼女をいさめようとするが――
『今から教えます。大したことではありません』
『その前に少しだけ』
『ちょっと私の顔を見つめていてください』
『いいですか、私から目を離さないで』
彼女は知ったことかとばかりに次の行動に移ってしまった。
拒否権は無いと言ったのだし当然だろうな。
『一体なんだ?――うおっ』
言われた通り、目を離さないでいたら彼女は突然自分の目の前まで一気に接近してきた。
先ほどまで彼女との距離は3m近くはあったが、この世で1秒を経過するも早く一気に距離をつめられた。
人間業ではない…だがこの技は覚えがある。
変身したか、擬態を解いた状況の竜人と同じだ。
彼女は…人狼というものは変身せずともこんな高い身体能力を持つのか。
『目で追えませんでしたね…』
『今、実は私は先輩の真横に移動してから横移動して先輩の目の前にきました』
話すたびに息がかかる。
そんな距離にまで彼女は詰め寄っている。
『顔が…近いよ』
近づいて気づいたけどなんかいい匂いがするな。マヤは。
などと思っていたら彼女は何かをしている。
フンフン フンフンと俺の匂いを嗅いでいる。
何をやっているんだこの子は!?
『ちょっ…何してるの?』
思わず距離をとる。
『先輩からは人狼独特の獣臭さがありません』
『獣人にしか感じない程度の匂いですが、鼻が利く私達ならわかるぐらいのものです』
『私なんかこれを消すのに凄く苦労しているのに』
彼女は顎に手を当て、推理か何かをしている様子だった。
『さっきから何を確認したいのさ』
『俺が人狼ではない―と?』
竜人との戦闘時のことを思い出す。
あそこで初めて本物の人狼を見たのだが、戦闘時の俺はあんな毛深くなかった。
いや、なんか毛が肩のあたりにあったような気がするが、腕は毛だらけではなかったと思う。
もしやそれと何か関係が―
『―先輩は私を目で追うことも出来なかった』
『通常なら、身体能力が飛躍的に上昇しているはず』
『鼻が利く様子もない』
『先輩はもしかすると…いえ、まだ結論には早いかもしれない』
淡々と彼女は呟いていた。
『独り言を言ってないで答えてくれ』
『俺は人狼ではないと?』
俺は状況を整理したいため、質問を投げかける。
その表情は眉を細めるわけでもなくこちらを曇りなき眼で見つめていた。
どうも彼女の頭の中では理解が進んでいるようなのだ。
『エンミハル様は、初めて変身した貴方が通常の人狼ではないとおっしゃっていました』
『非常に特殊な…いえ、もしかすると史上初の存在であるかもしれないと』
『俺が特殊……いや、俺もなんかちょっと違うんじゃないかとは思ってた』
その言葉で何となくだが、彼女の頭の中が理解できてきた。
『この目で確認したいんです』
『そしてそれから判断したいことがあります』
彼女は再びこちらに詰め寄ってくる。
フー、フーッと耳には聞こえるか聞こえない程度の息がこちらにかかる。
この子の興味がそそるだけの何かを秘めていることは明白だ。
『わかった。わかったよ』
『変身の仕方を教えてくれ』
俺は白旗を揚げるかのような気分で彼女の全ての命令を受け入れることにした。
『獣の性を感じればいいんです』
『俺の中に眠る獣の性を感じ取る』
マヤはゆっくりと深呼吸し、そして――
『心を穏やかにしてください』
『そして獲物を想像してください。仮もので構いません』
『獲物を追うイメージを強くもって己を解き放つ―!』
彼女の言うがままそれを試みる。
目をつぶり心を落ち着かせる。
獲物は竜人だ。
間違いなくそいつがいい。
カインと名乗る男を記憶の底から掘り返す。
体がほてってくる。
ほてってくると同時に周囲の時間が遅くなったような感じがする。
静かに目を開く。
するとマヤが自分よりかなり離れた位置に移動していたことに気づく。
変身に集中しすぎてそれすら気づかなかったか、変身前は彼女を追うことは出来ないのか。
マヤは腰を落として身構えていた。
両肩の力を抜き、両腕を下ろしている。攻撃をするというよりも移動をしたいという姿勢だ。
殺気は感じないが、恐らく先ほどと同じ行動を試みようとしているのか。
次の瞬間、マヤは俺の真横に移動しはじめた。
―見える。
彼女が一瞬のうちに前に向って前傾姿勢で飛び上がって俺の真横に移動する姿が。
そこから横にステップするがごとく高速で横移動する。
先ほどの行動がこれであったのだろう。
あの時自分は一直線に一気に距離を詰めたのだと思ったが、違った。
彼女は2回の移動を行っていたが、俺にはそれを見ることが出来なかったのだ。
先ほどより少し遠い位置で彼女が停止する。
彼女の顔がほころんでくるのを感じる。
無邪気な笑顔である。
凄く可愛い。
『目で―追えましたね?』
『どうぞ先輩。それが今の貴方の姿です』
そういって彼女はスマートフォンのカメラアプリを起動させ、自画像が撮れる状態にして見せてくる。
これはつまり鏡と同じようなものだ。
現代の女子学生というのはこうやって化粧などをするらしいのだが、液晶画面に映っていたものは――
『なんだぁこりゃぁあああああああああ!!!!』
周囲にいた野鳥が思わず飛び上がる程の大声で叫んでしまった。
俺の姿は…目が紅くて獣の耳がついててクセっ毛の膝まで届く長髪の姿であった…半妖のような姿だ。
『これのどこが人狼ぅ!?』
思わず両手で頭を抱える。
モコモコした獣耳は本物で障ると周囲の音が遮られる。
『先輩』
『今、正気ですよね?』
腰に左手を当てて右手の平を天に向けてこちらを示しながら彼女は呟いた。
『正気も何もあるか!何コレ!』
そんなのどうでもいいとばかりに叫んだ。
冗談ではない。いや冗談であってくれ。
これが…これが俺の――
『あ、驚いているだけで正気ではありますね』
マヤはそんなこちらの状況はお構いなしであった。
『如月は何が言いたいの!? 』
事実を受け入れられない俺は彼女に向けて問いかける。
マヤはニコニコしている。
なんでこの姿がそんなに嬉しいんだ。
こんな姿、恥ずかしくてとてもではないが人狼とは名乗れないぞ。
『先輩。後天性の人狼はなんでしたっけ? 』
彼女が問いかける。
この行為にはもしかしたらこちらが冷静であることを確認する意図があるのかもしれない。
『変身すると自我を失ってなんたらだろう? 』
すでに常識と化した情報。そんなものが何だというのか。
『そうです。でも貴方はきちんと自我を維持できてます』
『そんなもんこんな中途半端な姿で―』
『いえ、この姿も人狼です』
『何だって!? 』
突然切り出されたその話にさらにこちらの頭は混乱した。
『フェンリルの申し子――と呼ばれている者に似てます』
混乱して目線すら定まらないこちらを気にすることなく。
マヤはこちらをまじまじと見つめながらそう呟いた。
『フェンリル…フェンリルって北欧神話の狼の神のことか!? 』
フェンリルは有名な神の名だ。
俺でも知ってはいるのだがこれは地球の神話の神ではないのか。
そのことについて問いかけようと思ったところ彼女の方から答えを示してくれた。
『とても不思議なことなのですが、私達ヴァナルガンドでもフェンリルは神の名です』
『実在したと言われる伝説の人狼です』
『ヴァナルガンドでは唯一神に近い存在です』
『オーフェンリアの国名自体がフェンリルから取られています』
オーフェンリアの名前を初めて聞いたときから何か引っかかってはいたが、
ここにきてようやくその名前の由来がフェンリルであったことを理解した。
もしかして日本語に直訳すると、「ああ、フェンリルよ」っていうのが国名なのだろうか。
『―それでフェンリルの申し子って何?』
混乱が少し落ち着いてきたのでマヤに対して落ち着いたトーンで話しかける。
『先輩が本当にフェンリルの申し子かどうかは定かではありませんが』
『フェンリルの申し子というのは3000年に1度現れるといわれる人狼です』
『伝承と今まで確認できる記録では固有種、つまり先天性の人狼からしか生まれてこない存在で―』
『人狼の力だけを得たほぼ人の姿と、完全なる狼の姿の双方に変身できると言われています』
『先輩の今の姿は記録されて確認できる中でもっとも新らしいフェンリルの申し子ととても似ています』
彼女の話は基本的に長い。
聞き流したくなるぐらいに。
だが、聞き流すわけにはいかなかったので全て正確に聞き取った。
その話でパッと思いついた疑問をぶつける。
『俺は後天性だけど?』
『そこが問題です。もしかしたらフェンリルの申し子とは異なる新しい種なのかもしれません』
両手でこちらに向かい「どうなんでしょう?」とばかりにジェスチャーをしつつ。
マヤはそう呟いた。
どうなんでしょうっていうのはむしろこっちが聞きたいぐらいだ。
『如月、俺を人狼だと思う根拠はあるか?俺はこの姿は明らかに中途半端な姿だと思う』
俺は下を向いた。
この姿は俺の望む人狼じゃない。
まるで獣になって荒れ狂う人狼になって地球の大地を駆け回りたかった…のに。
『先輩からは少量ですが獣気を感じます』
『獣気?』
マヤから聞きなれない単語が返ってくる。
『魔族を除いた獣人達の固有の力です』
『マナ、気、魔力、様々な名称はありますが』
『獣人はやや特殊な形質の気を体に帯びます』
『先輩からはまだ体内からきちんと開放されていないため少量ですが獣気を感じます』
『人間は普通の気しか…使えない?』
『現在までに確認される限りはそうです』
『それに、身体能力は人狼のそれです』
『昨日先輩が倒した竜人も、人狼の力でなくては不可能な傷を負っていますし』
俺は再び顔を上げた。
マヤは決してこちらを嘲笑するかのような表情はしていない。
むしろ何かとてつもない喜びと敬意のようなものを感じる。
いかな彼女が真面目そうな子であるとはいえ、本当に中途半端ならこんな表情にはならない。
そして、彼女は嘘をつけないタイプの人間だ。
そんなマヤが俺を人狼だと言っている。
『妙な部分はあります』
『フェンリルの申し子でも基本的な身体能力は人より上のはずです』
『でも先輩は、変身しないとそんな身体能力があるようには感じません』
人差し指を天に向って指しながら左右に動かし、マヤは言う。
にしても彼女は手が良く動くな。
『確かに今の状態なら物凄く素早く力強く動けそうだけど、普段はそんな力出せない気がする』
彼女から目線を逸らしつつ周囲を見渡しながらそう呟いた。
別に人の気配を感じたわけじゃないが何となくそんな行動をしていた。
現状は変身したままだが、変身すると五感が研ぎ澄まされるらしくありとあらゆる事象が気になってくる。
まだこの状態に慣れていないのかもしれない。
『後天性でも身体能力は跳ね上がるはずなのですが』
『でも、人狼ではないとは思いません』
『これでもそこそこ歴史ある家柄の者ですが、私は先輩を否定しませんよっ』
『先輩は……人狼です!』
彼女は、はにかんでこちらにそう答える。
それはとても可愛くて、妙に納得できる説得力をもった表情だった。
『それで如月。いいかな』
『はいっ!』
先ほど、自分を食堂から連れ出した頃とは打って変わってマヤは元気になっていた。
彼女が何故そこまで機嫌が良くなったのかわからないが、
フェンリルの申し子にはそれだけの価値があるのかもしれない。
『試したいことはそれだけ?』
再び彼女の方を向いて呟く。
『いえ……本日はもう1つ』
『先ほど説明した獣気ですが、これを扱えるようになるための初歩的な諸術を受けてもらいます』
マヤの顔が少々神妙なものとなる。
精神を集中しようとしているように見える。
彼女の様子から、彼女がそれを施すのだと察した。
『そのままじゃ使えないのか』
『残念ながら、気というものは外的要因がない限り自由自在に使えません』
『栓のない酒樽に栓を作る行為だとでも思っていただければ』
『一度開放できるようにしてしまえば後は訓練次第です』
外的要因がなければ気を使いこなせないというのは初耳だ。
まるでAKIRAみたいな話だな。
あれも鉄雄は外的要因によって超能力に目覚めていたけど…まさかあんな感じで気でバリアか何かを張ったマヤに高速で激突しろっていうんじゃないだろうな。
念のために聞いておく。
『それで諸術とは?』
『2つ方法があります』
『1つは、丸薬を呑み続けて時間をかけて栓を作る方法』
『もう1つは、とてつもない量の気を特殊な方法でもって体内に注ぎ込み、一気にそのようなものを形成する方法です』
『多分それ前者の選択肢ないと思うんだ』
『ご名答です。丸薬はとても高価ですし2年ぐらいかかります』
『そんな時間は私達にはありませんので』
そう言うと彼女はスーッと息を吐き、両手を前にかざす。
深呼吸を繰り返し、すでに諸術とやらの準備を開始してしまっていた。
『…死なないよな?』
彼女を信じたいがやはり怖い。
彼女はまだ13歳の女の子だ。
多少大人びていて精神年齢は16~17ぐらいに感じるが、怖い。
『ご安心を。今まで何人か諸術を行ってきましたが10割成功ですし難しいものではありませんから』
そういって彼女は近づき、俺の胸に両手を添えた。
『先輩。多分気絶すると思いますが変身は解かないでくださいね』
『もう2度目なので、変身しているという意識を続けていれば解けませんが』
『解かれると最悪死ぬかもしれませんから』
待て、今死ぬといったな?
やっぱり今日はやめたほうがいいかもしれない。
嫌な予感がす――
静止しようと口を開こうとするも間一髪間に合わなかった。
彼女が何らかの諸術とやらを行った影響だとは思うが、そのまま俺は意識を失いその場に倒れた。