夜に響く悲鳴3
カタカタカタと。
俺は必死にキーボードを叩いている。
画面は明滅。マウスでクリックすると、俺のつくったプログラムが一瞬動き……すぐに停止する。またバグだ。納期はすぐなのに。1から作ったほうが早いか? 考えてる時間がもたいない。俺はありとあらゆる可能性をピックアップして、順番にあたっていく。部屋の中から人は消えて行き、残るは俺一人。……部屋の中に、キーボードの音だけが木霊する。
そんな夢を見た。
うーむ。
眠れん。
俺はベッドから身を起こし、背伸びをする。
一度あくびをすると、眠気がさらにさめる。
眠れない、というよりは、寝る必要がなくなったという言葉のほうが正しいのかもしれない。時間にして2時間程度横になれば、疲労感はほとんど取れていた。……これも魔力とやらのおかげだろうか。この回復力が当時にあれば。あれば? あったってどうしようもない。そんなに長時間働きたくもない。……いや、違う。また元の世界(仕事)のことを考えている。まだもとにもどる算段だってついてないのに。
「目覚めよ」
ランプに手をかざし、俺が命じることで、中に小さな明かりが灯る。
簡単な魔法も、少しは使い慣れたものだ。
部屋を出て、図書室に向かう。暇つぶしとこの世界の勉強も兼ねて、メアリィが鍵を貸してくれたのだ。時たま時間が空いたら、俺はそこで本を読むことにしていた。自分の知識を深めるため。もしかしたら、元の世界に戻れるかもしれない、という淡い希望を抱いて。
けれど。
元に戻る方法が見つかったからといって、俺はそれを選択するのだろうか?
……。
分からない。
今みたいに、メアリィやレノ、美少女に囲まれ、客人という立場でいるのも、悪くないように思える。戻ったところで、馬車馬のように働くだけだし。
ならば、メアリィの杞憂を払拭できないか、と俺は思い、本を読むことにしている。つまり、黒水晶のより詳しい知識と……。
「……」
足音を殺して歩き、部屋の中から物音が聞こえないか確認する。
中からは寝息しか聞こえない。
夜毎悲鳴が聞こえるというのは、嘘だったのか?
俺はとりあえず、図書室へと向かうことにする。
時計を見ると、午前3時。
もうすぐ日が昇り始めてしまう。
すこし熱中しすぎたか。
俺は本を棚へと戻し、自室へと引き返す。
道中、ふと気になって、メークインの部屋の前を通る。
それは、虫の知らせのようなものだった。
「きゃあああああああ」
と一瞬。
悲鳴が聞こえた。
ドアに耳をつけても、その後の音は聞こえない。
今、立ち入るべきか?
それとも。
俺はレノの言葉を思い出す。
『それを望む人が居ることは』
『事実です』
もし、それが本当なら。
身を捧げることで、メイドから一般市民になりたいと望む人が居るのなら。
それをとめる権利が、俺にあるのだろうか。
この世界で、地位も名誉も、金もない。こんな俺に。
だから俺は、耳を塞ぎ。
二度とその音が聞こえないようにと祈りながら。
その部屋を後にした。
ふ。
ははは。
力ない笑い声が、口から洩れる。
ま、そうだよな。
魔法なんか使えたって。
結局のところ、俺なんて何も変わってない。
……。
嫌な夢をみたせいだろうか。少し神経がささくれだって。
ベッドの中に戻り、目をつむっても。すでに過去となった、さまざまな人の顔が浮かんでは、消えていく。
俺は飲み物を探すために、食堂に向かっていた。……廊下を歩いていると、まだ明け方前だというのに、明りがついているのが見えた。誰だろう、こんな時間に。
俺が部屋をのぞきこむと、中に居るのはミヤコさんのようだった。小さなランプの灯をもとに、手元の手紙か何かを熱心に読んでいる。
「ミヤコさん、おはよう」
俺が声をかけると、ミヤコさんは驚いた表情で紙を胸元に隠すが――、俺だと気づいて、表情を和らげた。
「なんだ、ディティール様じゃないですか」
「メアリィだと思った?」
「ええ、正直。バレたらまずいですからね」
俺とミヤコさんは目を合わせ、笑いあう。
「ま、あいつも悪気はないんだけどな」
「分かってますよ。誰もメアリィ様のことを嫌いなメイド、居ませんよ」
「ありがたい。ところで、何を読んでたの?」
俺は隠された紙切れを、指さしてみる。
「弟からの手紙です。私、飢饉が起きた年に、この家に来たから。
弟だけがこうやって、家から手紙を送ってくれるんです」
「いい弟さんだね」
「ええ、自慢の弟です。ディティール様の次くらいに、かっこいい。
……それでディティール様は、どうしてここに?」
「眠れなくてさ」
俺はミヤコさんの正面の椅子に、腰かけた。
「私でよければ、お話、聞きますけど」
「うーん、そうだなぁ」
俺は悩んだ。
この感情を、吐き出していいのか?
俺が元いた世界を知らない彼女が、共感してくれるだろうか。
俺の痛みを。苦しみを。
……。
いや、そんなことを求めるなんて、子供じみてる。
けど、誰かに、そんな都合のいいように彼女の良心を利用してはいけない気がする。
俺の葛藤を見て取ったか、ミヤコさんは首をかしげて、笑ってみせた。
ふう、と俺は溜息。
「友達の話なんだけどさ。
登場人物は……そうだな、平凡な男だよ。名前はイヅル。ごく普通に勉強して、会社に入って。働いた先が悪かった。がんばっても報われないし、働いても会社の経営は傾くばかり。入社3年目にしてプロジェクトのリーダーを任されて。納期になったら、直属の上司は逃げ出していた。働いても残業代が出るわけでもない。けど、朝が来れば客からのやかましい催促の電話。頭がおかしくなりそうだった。世間を恨んだ。どうして、俺だけが。いや、俺だけじゃないかもしれない。世の中にはもっと苦しんでる人たちがいる。貧困、飢え、戦争。そう思ったけど……。ダメだった。朝起きると、泣いてるんだ。もう何が悲しいのかもわからない。夜が来ても眠れない。次の日を迎えるのが怖くて。俺は家にも帰れなくなって、会社の部屋から全部の時計をとっぱらって、ただ画面に向かって……」
カタカタと。
キーボードを叩く音だけが響く。
俺しか居ない室内。
警備員も帰り。
セキュリティも切られ。
室内の灯も消され、暖房もついてない。
俺は必死になってプログラムを書いている。
何のため?
それも分からない。
俺は、ただ。
ただ。
「どうしてみんな、笑っていられる? 分からない。
こっちに来てから、ますます分からなくなった。
正義って。生きるって。俺はもう、限界なんだ」
「いいんですよ」
ミヤコさんは、やさしく俺のことを抱きしめた。
「イヅルさんは、何も、悪くないです」
「それじゃあ、どうして?」
「どうして、かあ。わからないです。仕方ないんじゃないですか。
そうしかいいようがない」
適当な慰めがない分、ありがたかった。
「でも、その世界のイヅルさんは死んだんです」
ミヤコさんは俺の目をのぞきこんだ。
「例えば、何かの事故に巻き込まれて。
そして生まれ変わってこの世界にきた。
だからあなたは、この世界でなりたい自分になっていいんです。
私は、……私たちは、好きですよ、あなたのことを。応援してますよ。
来てから、館の空気が明るくなりました。誰も悪くなんて言ってません。
あなたは。
少し間抜けで、とびぬけて優秀な魔法使いで、たまにスケベな、自慢の存在です」
「……うん」
俺は目元をぬぐい。
「ごめん、忘れてくれ。
寝ぼけただけだ。少しホームシックになっただけだ。
朝がきて、みんなが起きてくるころには、ちゃんともとに戻ってる。
『ディティール・ラストリアス』に戻ってるから」
「名乗らないのですか?」
「いいんだ。死んだんだ。
それに友達の話さ。今の俺には関係ないから」
俺はコップに汲まれた水を飲み干した。
「分かりました」
そういって彼女は、にこりと笑った。
「そうです、今度うちの実家に遊びに来ませんか?
もうすぐお茶の収穫の時期なんです。今年は質がいいって。
緑茶がお好きなようですし、きっとお口に会うと思うのですけれど」
そんな風にして。
俺の傷は。傷? 傷と言えるほどのものじゃない。トラウマ? いや、ささいな記憶。雨が降ると古傷が痛むような。疲れるとふと思い出される、世界との距離感。自分がつらくても、誰も助けてくれない。「助けてくれなかった」という距離感は。
その距離感は、少しずつ縮まっていくのだ。
異世界転生?
これは、そんな生ぬるいものじゃない。
これまで生きてきた自分を引きずりながら、その重さに足を引っ張られながら。俺はこれからの自分を生み出していかなければならない。
ありがとう、と。