現風景4
カタカタと繰り返して。
……。
朝が来ていた。
集中すると、時が経つのがはやい。
……俺は、仕事のほとんどを終えて。
久しぶりの充実感に、全身を伸ばしていた。
○
長谷川は実家に帰ったらしい。
その話を、俺はアヤネから聞いていた。
「……、ごめんなさい言えばよかったね」
アヤネは目の前のグラスをかたむけた。
「けど仕事で忙しそうだったし」
「別にいいさ」
言われたところで。
俺にできることは何もなかった。
「それにしても、イヅルは、変わったよね」
「変わった?」
長谷川と同じことをいうものだ。
「ううん、……図太くなったというか、したたかになったというか」
「開き直ったんだよ」
人生に。
……。
うまくいかない、理不尽に。
「ま、強くなったよねってことで」
そして俺らは、再度グラスを合わせた。
「いいのか、お前。俺と酒なんか飲んでて。婚約者が居るんだろ?」
「……いいのよ。それに、ぜんぶが素敵なことってないみたい」
「ん? よくわからない」
けれどそういったアヤネの表情に。
俺は言葉を重ねることができず。
その日は、別れたのだった。
○
「今月末で、退職します」
俺がそう言うと。
部長は、一瞬だけ驚いた顔をして。
……すぐにいつもの表情を取り繕った。
「残した仕事もだいたい終わったし。
一度自分を見つめたいと思ってます」
「わかった。お前はいつか辞めると思ってたからな。
できれば来年まで居て欲しかったが……」
俺は何も言わずに頭を下げる。
部屋を片付ける。
仕事を辞めて。
どこに行く?
何をする?
自分を見つめるって。
……。
やりたいことって。
いや、分かってるさ。
そんなもの、ないんだ。
現状から、逃げ出したいだけだ。
それでも、いい。
ここではないところに行って。
静かなところ。
海の近くにでも行って、波の音を聞きながら、静かにお茶でも飲んで……。
そして。
俺の携帯に着信が入る。
アヤネからだった。
「急にごめんなさい。あの、イヅルは週末から暇?」
「まあ。どうかした?」
「ええっと……、旅行、そう旅行に行きたいの。
小学校のときの担任の福田先生を覚えてる?
福田先生が入院したって。様子を見に行きたいのだけど。
一人で行くのも、あれじゃない。だから付き合って欲しいのだけど」
そしてアヤネは、東北の某県の地名を告げた。
「いいよ。どうせ予定ないし」
「それじゃあ8時に集合ね」
「え、今日の?」
「……急いでるの。仕事の都合で、そこしか時間が取れなくて」
そういうことなら仕方ないが。
なんか妙に。
……。
けれどいいのだ。
人には聞かれたくない都合があるのだろう。
○
そして俺たちは、予定した場所で落ち合う。
アヤネは紅いセーターにコートという、こざっぱりした服装で。キャリーバッグは俺のと比べてもだいぶでかい。ほんの数日、という量ではなさそうだった。
「まるで夜逃げするみたいだ」
「そう、そのまさかよ」
俺は冗談で言ったつもりだったが。
アヤネの目は笑っていなかった。
「私を連れて、逃げて」
そんな現実離れした言葉は。
……ガタンゴトンという、現実の音にかき消されていった。




