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現風景編

ガタンゴトン、と揺れている。

 俺が目を開けると。


 ……そこは、よく知った、電車の中だった。


 ああ。

 ……つかれた。

 何もかも。

 ……。


 そっと、目を閉じる。



 知らぬうちに。

 涙が、流れた。



現世界篇。


「あぁん? なんで終わってねえんだよ」

 丸山部長は、デスクで爪を切りながら、眉をつりあげてみせた。

「すいません」

「すいませんじゃねえだろうよ。

 今日までだって約束だろ。ああ?

 先方になんていえばいい? 時間がなくてできませんでした、てか。

 おいおい、時間管理もできないなんて、日出くんは、本当に社会人かな?」

 わざとおどけた口調でイヤミをいって、部長は一人で笑ってみせる。

 日出イヅル。

 ……それが、自分の名前だったはずだ。


 ……首からさげた社員証には、確かにそう書いてあった。

 自分の名前に妙な違和感を覚えてしまって、俺は苦笑する。

「おい、なに笑ってるんだよ」

「……すいません」

「ちっ。

 誰が金払ってると思ってんだよ?

 やる気ねーならいいんだぜ、別に。さっさと辞めてくれてもよお」


 でも。

 お金を払ってるのは部長じゃないでしょう?

 とは言わない。言っても仕方ないからだ。

 社会人として、やることは1つ。

 ……だまってイヤミを聞き流して、午後に備えることだった。


「どいつもこいつもすいませんってよぉ。

 謝りゃいいと思ってんのかね」

「すいません」

「てめえもな、いつも陰気なツラして、こっちまで辛気臭くてかなわねぇぜ。

 さぞかし親も、貧乏っちいツラしてんだろうなぁ」

「親は関係ありませんので」

「ああ? なんだぁ?

 文句あんのか」

「いえ。休憩入ります」


 俺は一度頭を下げると、自分の弁当をもって屋上へと向かう。



 俺は、箸でコンビニ弁当をほじくりながら、今までのことを思い返す。


 ……仕事の納期が間に合わなくて。

 俺は、なぜだか異世界に行ったはずだった。

 ……そこで、いろいろな人と出会い。

 メアリィが、……動かなくなり。



 そしてなぜか再び、サラリーマンに戻っている。


 メアリィは死んだのか?


 ……いや、あれは本当に現実だったのだろうか。


「エグスプロージョン……」


 俺は手を正面に向けて、かつての魔法を唱えてみるけど。


 ……当然、何も起きるはずもない。


 ま、ありえないよな。

 俺は恥ずかしくなって、頭をかく。

 病院に行けば、過労とかストレスと診断されるだろう。現実逃避の度が過ぎて、異世界に行って冒険してたなどといえば。

……そのまま診断書をもらって、部長につきつけてやろうか。そしたら二度と会社にこなくてもいいかもしれない。俺がいなくたって、回るのだ。部長のイヤミのターゲットは変わるかもしれないが……それは俺の知るところではない。


 そう、あれは。

 ……きっと夢。

 だから。

 終わりなんだ。

 優しくしてくれたことも。

 ……伝えたいと思った気持ちも。

 すべて偽物で。

 ……。


 けれどこの気持ちは。

 胸がざわざわと苦しくて、締め付けられる、この感情はなんなのだ。

 夢なのに。実在しないのに。


「もう二度と、会えないのに」



 目元をおさえ、深呼吸する。



 がちゃり、と屋上の扉を開ける音がした。

「おーい、日出。いっしょに飯食おうぜ」

 やってきたのは同期の長谷川だ。なかなかの仕事ぶりで、部長からの信頼も厚い。……俺とは同期入社という以外に、およそ共通点のない男だった。けれど彼はこだわりのなさから、俺を対等に見てくれる。ありがたいとも思うし、……それをどこか引け目に感じる時もある。


「どうした、泣いてるのか?

 さっきの部長のイヤミ、久しぶりにきつかったもんなー」

「目にゴミが入っただけだ。……ごめん、ありがと」

「ま、気にすんなよ。部長もプレッシャーかかってるからさ。

 たぶんきついんだと思うよ。お前は優しいから、八つ当たりされるんだよ」

「いらないぜ、そんな優しさ」

 俺は自嘲しながら応える。

「そうかぁ? 俺だったらあんなこと言われたらすぐ辞めちゃうけどな。

 だって腹立つじゃん」

「そりゃ、俺だって頭にくるよ。けど……」

「そこだよ!」

 びっ、と長谷川は俺に人差し指をつきつける。

「そこでためらってしまう。いろんなことを考えて。誰かに迷惑がかかるとか、金がないとかさ。それを優しいって俺は思うのよ。おっけー?

 本当にイヤなら辞めりゃいいのよ。迷惑? 知ったこっちゃないね。俺の不満はどうすりゃいい? 金がない? 誰かに借りりゃいいじゃん。最悪、サラ金もあるわけだし。そうやって食いつないで、バイトでもして、自分に合う仕事見つけりゃいいんだからよ」

「……そんな風に、考えたことなかったな」

「だろ? お前は真面目すぎるんだよ。

 あ! おまえのエビフライくれよ」

 長谷川は目ざとく俺の弁当からエビフライを見つけると、箸でつきさして、自分のほうへと引き寄せた。

 その仕草がなんだか意地汚くて。……いいことを言った長谷川とのギャップに、俺は思わず笑ってしまう。


「……なんだよ」

「なんでもない。ありがとな」

「ふん。

 ……でもさ、実をいうと、さっき俺はおまえのこと見直したんだ。

 お前、親のことを言われた時『親は関係ありません』ってはっきり否定したろ?

 あんなにどストレートな反抗、見たことないぜ。お前はみてないかもしれないけど、部長は顔面真っ赤になるし、部屋中ざわついてた。きっと午後からお前ヒーロー扱いされるぜ」

「はは、ありがと」

「いや本当に。

 前はそんなこと言うキャラじゃなかったのにな。

 急にどうした。アドラーにでもはまったか?」

「……別に。

 部長の言葉には力がないと思ったから」


 ――そう。

 辞めちまえという、部長の言葉には力(魔力)がこもってない。


 だから火を起こすこともなければ。

 真空で切り刻むわけでもない。



「ふ。ふふははははははは!!」


 なにが面白かったのか、長谷川は大声で笑いだした。


「なんだよ」

「いや、別に、いいんだ。

 好きだぜ、俺はそういうの。

 ひぃー、ひっひっ。

 そうだよな。部長の言葉には、力がない。

 真面目も行き過ぎりゃ立派なもんだぜ」

「馬鹿にしてんのか?」

「違う、違う。

 感心したんだよ。

 前のお前ならそんなこと言われたら、泣きそうな死にそうなツラで歩いてたからさ。

 強くなったな、と思って」

「強い? 俺が?」

「ま、入院してるうちに、脳がどっか進化したか?

 どっちにせよ、いいことだ。午後も一発頼むぜ!」

 長谷川は俺の肩を強めに叩くと、階段を下りて行ってしまった。




 強い、か。

 そりゃそうだろ。

 ここじゃ、言葉じゃ奇跡を起こせない。

 物理的に、人を傷つけることは、できない。


 ……魔力のない言葉じゃ、何も起こせない世界。


 それが、現実だ。

 そして。

 俺の居た場所だ。


 昨日までと、違う。



 だから俺が強くなったのではない。

 向こうが弱いのだ。



 俺はそう結論づけて。

 弁当をくしゃくしゃと袋の中にまとめた。






 午後、自分の机に戻り、事務処理を続ける。

 ……。

 あまり記憶がないが、どうやら一週間ほど会社を休んでいたらしい。

 その間にたまっていた引き継ぎやら、俺へのメールやらを一通り確認するだけでも、一苦労だ。


 

「ごほん。日出くん」

 俺は部長に呼びかけられ、顔をあげる。

「さきほどは、悪かったね」

「いえ、気にしてませんので」


 ……なんのことだ?


 ああ、俺が言い返したから、怒ったと思っているのか。

 意外と気が小さい。

 ……部屋の中から、忍び笑いが聞こえた。


「そ、そうか。ならいいんだ。

 ところで、さっそく仕事を頼みたいんだが。

 今日中にまとめてくれるか」


 俺の机の上に、辞書ほどの厚さの書類を置く。


 パソコンの時計を確認すると、あと30分で勤務時間が終わる。


 ……いつもの部長の嫌がらせの手口だった。



「すいません、今日は帰らせてもらいます。

 ……えっと、まだ具合が悪いので」

 俺は書類を机に置いたまま、自分の仕事を続ける。


 うしろで部長が怒っているような気配がしたが。

 ……無視して、俺は自分の仕事を続ける。




「ふ、やったな親友! 飲みに行こうぜ!」


 そして俺がきっちりとタイムカードを通すと。

 妙に上機嫌な長谷川が話しかけてきて。



 ……結局3件もはしごするハメになった。



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