現風景編
ガタンゴトン、と揺れている。
俺が目を開けると。
……そこは、よく知った、電車の中だった。
ああ。
……つかれた。
何もかも。
……。
そっと、目を閉じる。
知らぬうちに。
涙が、流れた。
現世界篇。
○
「あぁん? なんで終わってねえんだよ」
丸山部長は、デスクで爪を切りながら、眉をつりあげてみせた。
「すいません」
「すいませんじゃねえだろうよ。
今日までだって約束だろ。ああ?
先方になんていえばいい? 時間がなくてできませんでした、てか。
おいおい、時間管理もできないなんて、日出くんは、本当に社会人かな?」
わざとおどけた口調でイヤミをいって、部長は一人で笑ってみせる。
日出イヅル。
……それが、自分の名前だったはずだ。
……首からさげた社員証には、確かにそう書いてあった。
自分の名前に妙な違和感を覚えてしまって、俺は苦笑する。
「おい、なに笑ってるんだよ」
「……すいません」
「ちっ。
誰が金払ってると思ってんだよ?
やる気ねーならいいんだぜ、別に。さっさと辞めてくれてもよお」
でも。
お金を払ってるのは部長じゃないでしょう?
とは言わない。言っても仕方ないからだ。
社会人として、やることは1つ。
……だまってイヤミを聞き流して、午後に備えることだった。
「どいつもこいつもすいませんってよぉ。
謝りゃいいと思ってんのかね」
「すいません」
「てめえもな、いつも陰気なツラして、こっちまで辛気臭くてかなわねぇぜ。
さぞかし親も、貧乏っちいツラしてんだろうなぁ」
「親は関係ありませんので」
「ああ? なんだぁ?
文句あんのか」
「いえ。休憩入ります」
俺は一度頭を下げると、自分の弁当をもって屋上へと向かう。
○
俺は、箸でコンビニ弁当をほじくりながら、今までのことを思い返す。
……仕事の納期が間に合わなくて。
俺は、なぜだか異世界に行ったはずだった。
……そこで、いろいろな人と出会い。
メアリィが、……動かなくなり。
そしてなぜか再び、サラリーマンに戻っている。
メアリィは死んだのか?
……いや、あれは本当に現実だったのだろうか。
「エグスプロージョン……」
俺は手を正面に向けて、かつての魔法を唱えてみるけど。
……当然、何も起きるはずもない。
ま、ありえないよな。
俺は恥ずかしくなって、頭をかく。
病院に行けば、過労とかストレスと診断されるだろう。現実逃避の度が過ぎて、異世界に行って冒険してたなどといえば。
……そのまま診断書をもらって、部長につきつけてやろうか。そしたら二度と会社にこなくてもいいかもしれない。俺がいなくたって、回るのだ。部長のイヤミのターゲットは変わるかもしれないが……それは俺の知るところではない。
そう、あれは。
……きっと夢。
だから。
終わりなんだ。
優しくしてくれたことも。
……伝えたいと思った気持ちも。
すべて偽物で。
……。
けれどこの気持ちは。
胸がざわざわと苦しくて、締め付けられる、この感情はなんなのだ。
夢なのに。実在しないのに。
「もう二度と、会えないのに」
目元をおさえ、深呼吸する。
がちゃり、と屋上の扉を開ける音がした。
「おーい、日出。いっしょに飯食おうぜ」
やってきたのは同期の長谷川だ。なかなかの仕事ぶりで、部長からの信頼も厚い。……俺とは同期入社という以外に、およそ共通点のない男だった。けれど彼はこだわりのなさから、俺を対等に見てくれる。ありがたいとも思うし、……それをどこか引け目に感じる時もある。
「どうした、泣いてるのか?
さっきの部長のイヤミ、久しぶりにきつかったもんなー」
「目にゴミが入っただけだ。……ごめん、ありがと」
「ま、気にすんなよ。部長もプレッシャーかかってるからさ。
たぶんきついんだと思うよ。お前は優しいから、八つ当たりされるんだよ」
「いらないぜ、そんな優しさ」
俺は自嘲しながら応える。
「そうかぁ? 俺だったらあんなこと言われたらすぐ辞めちゃうけどな。
だって腹立つじゃん」
「そりゃ、俺だって頭にくるよ。けど……」
「そこだよ!」
びっ、と長谷川は俺に人差し指をつきつける。
「そこでためらってしまう。いろんなことを考えて。誰かに迷惑がかかるとか、金がないとかさ。それを優しいって俺は思うのよ。おっけー?
本当にイヤなら辞めりゃいいのよ。迷惑? 知ったこっちゃないね。俺の不満はどうすりゃいい? 金がない? 誰かに借りりゃいいじゃん。最悪、サラ金もあるわけだし。そうやって食いつないで、バイトでもして、自分に合う仕事見つけりゃいいんだからよ」
「……そんな風に、考えたことなかったな」
「だろ? お前は真面目すぎるんだよ。
あ! おまえのエビフライくれよ」
長谷川は目ざとく俺の弁当からエビフライを見つけると、箸でつきさして、自分のほうへと引き寄せた。
その仕草がなんだか意地汚くて。……いいことを言った長谷川とのギャップに、俺は思わず笑ってしまう。
「……なんだよ」
「なんでもない。ありがとな」
「ふん。
……でもさ、実をいうと、さっき俺はおまえのこと見直したんだ。
お前、親のことを言われた時『親は関係ありません』ってはっきり否定したろ?
あんなにどストレートな反抗、見たことないぜ。お前はみてないかもしれないけど、部長は顔面真っ赤になるし、部屋中ざわついてた。きっと午後からお前ヒーロー扱いされるぜ」
「はは、ありがと」
「いや本当に。
前はそんなこと言うキャラじゃなかったのにな。
急にどうした。アドラーにでもはまったか?」
「……別に。
部長の言葉には力がないと思ったから」
――そう。
辞めちまえという、部長の言葉には力(魔力)がこもってない。
だから火を起こすこともなければ。
真空で切り刻むわけでもない。
「ふ。ふふははははははは!!」
なにが面白かったのか、長谷川は大声で笑いだした。
「なんだよ」
「いや、別に、いいんだ。
好きだぜ、俺はそういうの。
ひぃー、ひっひっ。
そうだよな。部長の言葉には、力がない。
真面目も行き過ぎりゃ立派なもんだぜ」
「馬鹿にしてんのか?」
「違う、違う。
感心したんだよ。
前のお前ならそんなこと言われたら、泣きそうな死にそうなツラで歩いてたからさ。
強くなったな、と思って」
「強い? 俺が?」
「ま、入院してるうちに、脳がどっか進化したか?
どっちにせよ、いいことだ。午後も一発頼むぜ!」
長谷川は俺の肩を強めに叩くと、階段を下りて行ってしまった。
強い、か。
そりゃそうだろ。
ここじゃ、言葉じゃ奇跡を起こせない。
物理的に、人を傷つけることは、できない。
……魔力のない言葉じゃ、何も起こせない世界。
それが、現実だ。
そして。
俺の居た場所だ。
昨日までと、違う。
だから俺が強くなったのではない。
向こうが弱いのだ。
俺はそう結論づけて。
弁当をくしゃくしゃと袋の中にまとめた。
○
午後、自分の机に戻り、事務処理を続ける。
……。
あまり記憶がないが、どうやら一週間ほど会社を休んでいたらしい。
その間にたまっていた引き継ぎやら、俺へのメールやらを一通り確認するだけでも、一苦労だ。
「ごほん。日出くん」
俺は部長に呼びかけられ、顔をあげる。
「さきほどは、悪かったね」
「いえ、気にしてませんので」
……なんのことだ?
ああ、俺が言い返したから、怒ったと思っているのか。
意外と気が小さい。
……部屋の中から、忍び笑いが聞こえた。
「そ、そうか。ならいいんだ。
ところで、さっそく仕事を頼みたいんだが。
今日中にまとめてくれるか」
俺の机の上に、辞書ほどの厚さの書類を置く。
パソコンの時計を確認すると、あと30分で勤務時間が終わる。
……いつもの部長の嫌がらせの手口だった。
「すいません、今日は帰らせてもらいます。
……えっと、まだ具合が悪いので」
俺は書類を机に置いたまま、自分の仕事を続ける。
うしろで部長が怒っているような気配がしたが。
……無視して、俺は自分の仕事を続ける。
「ふ、やったな親友! 飲みに行こうぜ!」
そして俺がきっちりとタイムカードを通すと。
妙に上機嫌な長谷川が話しかけてきて。
……結局3件もはしごするハメになった。




