夜に響く悲鳴6
「お兄様は、お兄様ですよね」
俺はメアリィに呼びかけられて、振り返る。
メアリィの顔は黒く塗りつぶされていて。
その表情はうかがえない。
「だって、お兄様は嘘をつかない」
「しばらく前に旅に出たけど、帰ってきた」
「記憶がないのは、ショックな出来事があったから」
「でももうすぐです」
「もうすぐ」
「私が」
「思い出させてあげる」
そしてメアリィは嗤う。
「ね? お兄様」
○
ベッドからとび起きて。
ぜえぜえと、荒い呼吸をする。
胸が苦しい。……それは、たんに寝苦しいから、という理由だけではなかった。
俺は。
ここに居ていいのだろうか?
メアリィが発した言葉。
俺の根本的な恐怖は。
俺がディティールでないのなら。
不要なのでは、という恐怖だった。
また世界から棄てられるかもしれない、という恐怖だった。
最近、どんどん眠りが浅くなっていく。
……寝なくてもいい。けれど。
夜が長い。
俺は布団にうずくまり、爪をかじりながら。
みなが寝静まる夜、朝がくるのをじっと待ち続けている。
「……さま、お兄様!」
俺はメアリィの声で、目を覚ます。
「ちゃんと聞いてますか! もう、せっかくのお話だったのに」
「悪い悪い……。なんだっけ?」
俺はあくびをかみ殺しながら、メアリィにたずねた。
「ほら、ルペルタさんがもうすぐ任期満了になるから。
お別れ会でも開きませんか、というお話です」
師匠が?
といっても、いい思い出などあまりなかったが……。
それでも魔法のイロハを教えてくれた、恩人ではあるので。
「いいね。俺もできることがあるなら、手伝うよ」
「やったぁ! それじゃあ、お兄様はイベント担当です。
盛り上げてくださいね!」
と、いつも通りのメアリィの笑顔を眺めつつ。
俺は自室に戻る。
「いや、見送るほどのことじゃないさ。
私は、魔術師組合から派遣されてきた。派遣元に戻るっていうだけのこと」
師匠は、いつぞやの仮面をかぶったまま、鼻のあたりをかいた。
「でも、もうお会いできないのでしょう?」
「んーまあ、難しいかもな。
こっちにも都合があって、またこの家に厄介になるかどうかは、約束できない」
「お世話になりました」
「おお、ゴミクズ。お前も、たくましくなったな……」
感慨深い目で、俺を見てくる。
「ディティールです。……そろそろ、名前で呼んでもらえませんか」
「悪い悪い。ディティール。もっとマシな魔法使いになったら、組合に顔をだせ。
お前なら大分いいところまでいける。私が紹介してやるよ」
別に、偉くなりたいわけではなかったから。
けれど俺は、その好意がうれしくて。
うなづいて、手をさしのべる。
師匠はその手を、両手で包み込んでくれた。
「困ったことがあったら、すぐに言ってくれ。
時と場所と金次第で解決してやるよ」
「……そういうのって普通、ボランティアじゃないですか」
「はは、こっちはプロなんだ。冗談じゃない。
ただし、成果のほどは、信用してくれ」
「さてさて、お兄様。
そろそろ余興の時間ですよ!」
俺は両手を上にむけて広げ。
「ブレスト・ウェディング!」
と唱える。
手のひらから、小さく火の塊が生み出される。塊は頭をもたげ、両翼を広げ……、そのまままっすぐ空へと飛び立っていった。
一匹、そして二匹。
俺が意識を集中するごとに、火で生み出された架空の「鳥」は、どんどん空へと飛び立っていく。
「お前の魔法も、器用になったもんだ」
「おかげさまで。
っても、何の役にも立ちませんけどね」
俺のイメージは、手品で帽子から鳩を出す。そんな感じ。
師匠は、俺の出した鳩を、目をほそめながら見つめていた。
「魔法の一番の基本は?」
「思うこと」
「よく覚えてたな」
そりゃー、あんだけ死ぬ思いをさせられたら。
「クソの役にも経たない魔法が使えるってことは、それだけ現実に即したイメージを練り上げられてるってことだ。威力がなくとも、十分に高等な技術だよ」
そうですか?
俺は褒められて、背中がむずがゆくなる。
「ねえ、お兄様」
師匠の行く馬車を、見送りながら。
メアリィがこちらを心細そうに見上げていた。
「お兄様は、生きてますよね?」
「……当たり前だろ」
変な質問をする。
「居なくなったり、しませんよね」
「まあ、しばらくは」
「魔法の基本は『思うこと』。
お兄様は、私が作り上げた魔法では、ありませんよね」
……。
「違う。そういう妄想のことを、荒唐無稽っていうんだぜ」
「そうですよね。少し、不安になってしまいました。
お兄様はだから、昔一緒に遊んでいた場所や、私の好物。
お母様の名前。お父様の失敗。
覚えてます、よね? 」
……。
……。
俺のどんな言葉も、思いも。
メアリィの曇った顔を、晴らすことはできない。
……俺は、偽物なのだから。
「……ごめんなさい! お兄様だって、疲れてますものね。
すこし不安になってしまいました!」
メアリィは露骨なから元気で、笑ってみせた。
「それじゃあ約束通り。
あとでお父様のところに行きましょう。
……本当の話を、聞かせてもらわなきゃ」
とんとん、と軽いノックのあと。
俺とメアリィは、メークインの部屋の中に立ち入る。
窓際に、椅子が1つ。
西日が差し込むその椅子に、メークインは座っていた。
「お父様。お話があります」
最初に口を開いたのは、メアリィだった。
「話を――、事実を聞かせてもらいたいのです。
本当にお兄様は死んだのですか? お父様が……、手をかけたのですか」
「それを知ってどうする?
私が言ったことは事実だ。
なぜそれを信じられない」
「……納得できないからです!
どうしてお兄様を、どうしてお父様が、どうして……」
「それ以上のことを、知る必要などない」
「お父様! ごまかさないで!」
メアリィのさけびは、悲痛だった。
「……そこの男……、いや、ディティールと話がしたい。
メアリィはすこし席を外してくれないか」
口をへの字にまげたまま。
メアリィはこちらを振り向く。
その視線に。
頷く。
まかせろと。
コツコツコツと。
靴音を立て、メアリィが部屋を後にする。
「……おっさん、いいんだぜ、俺は、別に。
記憶を復元する魔法を手に入れた。
あんたが口を開かなくたって、真実を知ることはできる」
「ふ……威勢がいいな、異世界の迷い人よ」
メークインははじめて。
俺を相手にして、表情を和らげた。
「その魔法を使うなら、ぴったりの場所がある。
この前お前らが行った、地下の牢屋だ」
「……なぜだ」
「そこで復元魔法を使うといい。
望むと望まざるに限らず、すべてを知ることができよう」
「どうして急に協力的になる?」
「全てが、今更だからだ――。
お前など居なければ――。
お前が来なければ、何も変わらず、何もばれず、……そしてメアリィは暗い表情をしたままだったか。どっちつかずか。歯がゆいものだ」
「何を言ってる!」
「交換条件だ。
真実を見たあと――」
そしてその条件に。
俺は頷いた。
●
俺とメアリィは、このあいだ「ガーゴイル」と戦った牢屋に来ていた。
あいかわらず、陰気な空気が漂っている。
「『リスボーン』」
俺が教わった通りに魔法を唱えると。
真っ暗な牢屋の中に光が満ちて。
当時の状況が顕に、再現される。
それは、戦いだった。
精悍な顔つきの大男――メークインは鎧を着込んでいた。その傍らには、白いローブをまとった、金髪の女。おそらくメークインの嫁だろう。そして、二人のうしろに、まだ幼い少年が杖を手に、立っていた。……それがおそらく、ディティールだろう。
「『ラプラスの悪魔』を封じるには、今しかないわ」
女が口を開く。
「お父様、僕が囮になります!」
「ディティ。お前を危険な目に合わせるわけには」
「僕だってラストリアス家のはしくれ! 死にはしません!」
威勢良く、少年が前に飛び出る。
石像の紅い瞳が、ギロリとディティールを補足する。
「『リフレクション!』」
ディティールはけれど、魔法の鏡を生み出し、その視線をさえぎった。
「イリュージョニスト!」
魔法の鏡をさらに、女が強化する。
「あなた、今よ!」「お父様!」
二人の声に応じて。
メークインは体ほどもある巨大な剣を、ガーゴイルに向かって振り下ろした。
ぎいいいいいいいいいいいいいいい
と。
金属のこすれあうような奇声をあげ。
ガーゴイルはその場に崩れ落ちる。
「やったの?」
「いや、こんな簡単に倒せるはずがない。
封印の準備だ!」
ディティールが、両手を構え、何事かをとなえる。
束の間。
紅い瞳が、ギロリと動いた。
「危ない!」
女が、ディティールを突き飛ばす。……そして、紅い光線に射抜かれてしまう。
そしてだんだんと石化が始まる。
「あなた! 早く、私ごと封印を!」
「おまえ……」
「『魔封環!』」
唱えたのは、ディティールである。
ディティールの手から生み出された光の輪は、まっすぐにガーゴイルと、女を包み込む。
「お母様、すいません……」
「いいの、ディティール。
わたしのかわいいディティ……」
ガーゴイルと女が混ざり合い……1つの石像となり、動かなくなる。
同時に。
ディティールはその場に崩れ落ちていた。
……そしてその額には。
石像と同じ、紅い瞳が――。
「おまえ、どうしてそんな無茶を!」
「僕もラストリアスのはしくれ。
お父様。これで、誰も悲しむことがない」
「おまえがやる必要がなかった。
……お前に、やらせてしまった」
メークインは、目から大粒の涙をこぼす。
「……僕の、寿命だったのでしょう。
お父様より先に死ぬ親不孝を、許してください」
石像が。
いなないた。
それにディティールは咄嗟に反応すると。
懐に忍ばせていたナイフを自分につきたて。
命を散らした。
部屋には、メークインの嗚咽だけが響き渡る。
そして――。
○
「どうして……」
メアリィは、泣いていた。
「お父様は、どうして本当のことを教えてくれなかったの」
「お前を心配していた。
真実をいえば、暴走すると思っていた。
……何も知らなければ、不幸にはならないと」
そう、メークインは語っていた。
「お兄様は、……」
メアリィははっとして。
俺のほうを向く。
そして俺に向けたことのない表情で。
「なら、あなたは誰なのですか」
俺は。
○
部屋の中に、取り残されている。
真実を負うものと、真実に追われるもの。
よくいったものだと、歯噛みする。
すこしずつ謎解きをしていこう。
あのシーンに。
メアリィが居なかったのはなぜか。
誰もメアリィの心配をしなかったのは?
……メアリィが生まれていなかったからだ。
なら、メアリィの母親が、妊娠していたのか?
違う、そんなそぶりは誰もみせていなかった。
……。
あのシーンには、続きがある。
一人取り残された、部屋の中で。
泣き声をあげる、赤ん坊と。
それをすくいあげる、メークインの姿。
『もし、真実を見ても――。
伝えないで欲しい』
俺の魔法で、息も絶え絶えになりながら。
メークインは、俺に懇願した。
『自分の親が、悪魔だなどと』
『そんな残酷なことは』
どうして俺に?
その問いに、メークインは口をゆがめて。
『息子に似ていたから』
なんと、自分勝手な。
メークインの願いは、2つ。
「ラプラスの悪魔」に呪われた自分を、殺すこと。
悪魔はディティールとともに死んだものの。
この家に残る「呪い」がメークインをむしばみ、……呪いの代償として、メイドを石像にしていたらしい。それが人さらい――「夜に響く悲鳴」の正体だった。
……そしてもう一つは。
メアリィが人間と「ラプラスの悪魔」との間に生まれた子供であるという事実を、隠しとおすこと。
くそっ。
どうして俺ばかり。
俺ばかりが嘘をつかなければならない?
俺だけが。
俺だけ!
くそおおおおおおおおおお!!!!