5.心配×不安
(ヒロインって単語が出た時のあの4人……黒歴史を掘り起こされた人みたいだった)
中二病、という言葉がある。
世間的に見てもまだまだ子供であるのに、第二次性徴を受けて妙に大人ぶりたくなる、そんな中学2年生くらいの時期に発症するという、後になって思い返してみると「あーあー聞こえなーい!!」と恥ずかしさのあまり全否定してしまいたくなるような、アレのことだ。
その中二病的な黒歴史をうっかり掘り起こしちゃいました、いう表情を浮かべたタイプの違う4人組。
その発端となったのが瑠架のあの一言だったのは間違いない。
とはいえ、なにがあったのかと訊ねるには、彼らと葉月の間にある距離は遠すぎる。
(まぁ、瑠架のあの様子だったら、ネタにして笑ってる程度だと思うけど)
葉月の知る、瀧河瑠架という人物は心の中に闇を溜め込むキャラではない。
彼女がもし不安や憎しみといった心の闇を溜め込んでしまったとしても、そこは付き合いの長い旦那様が無理やりにでも吐き出させてしまうだろう。
そんな彼女が自分からネタにしたのだから、精々で「それ、黒歴史じゃないですか。やだー」くらいの破壊レベルなのかもしれない。
それよりも、彼女には気になって仕方がないことがあった。
あの家で打ち合わせをしていた最中に1回、お茶を飲んでいた時に1回、あの場を辞してこうしてヴィンスの車に乗り込んだ後で1回、合計3回にわたってバッグの中の携帯が着信を告げた。
葉月は諸々事情があって、携帯を4つ持たされている。
ひとつは、今回使った海外通信専用のもの。
ひとつは、家族や親族といった身内との通話専用にしたもの。
ひとつは、親しい友人達だけに番号を知らせているもの。
そして最後のひとつは、それ以外の相手に番号を教える時用のもの。
どうして4つもあるのか。それはそれぞれ用途が違うからだ。
海外通信用であればそれ相応の契約を。
家族用であればファミリー割引を適用したものを。
そして親しい友人用とそれ以外用でわけているのは、もし万が一うっかり番号を教えてしまった相手がストーカーになった場合、もしくは悪意を持って携帯の個人データを盗もうと考えた場合、その時は即座に廃棄できるように。
そうならないと信用した相手だけに友人用の番号を伝える、というわけだ。
彼女のバッグの中で控えめに着信を主張してきたのは、その4つ目の携帯だ。
相手の名前は、【月城 孝介】
3年前から、葉月が付き合っている相手である。
【月城】という家は【一宮】のように数字つきの名家ではないが、その名の示す通り月城学園の創設者の一族だ。
目立った名家というわけではなく、今は名前だけが売れていて実を伴わない家柄と言われている。
そんな月城の一人息子が20代も後半にさしかかって、彼女の一人も連れてこない。そんな状況に危機感を抱いたらしいお節介な親戚が、名も実もそこそこという雨宮家の娘相手に持ち込んだ見合い話……それがきっかけで、彼らは付き合うようになった。
といっても、彼の休日が不定であることもあって、約束をしていても今回のように詫びのメールが入ることがたまにある。
逢いたい、と言われるわけでもなく。
好きだ、と言われたわけでもなく。
たまに、本当にたまに手を握ることはあっても、最低限エスコート時に腕に触れることはあっても、それ以上のことはない。
これで本当に付き合っていると言えるのか、もしそう訊ねられたら葉月はきっと答えられない。
ただ、葉月のことをどうでもいいと思っているとか、親戚がうるさいから仕方なく付き合っているとか、そういった感情は透けてはこない。
最低限の好意は持ってもらえている、そしてそれ以上の感情を育てようとゆっくりゆっくり歩み寄ってくれている、彼女にわかるのはその程度だが。
(昨日連絡をくれたばっかりなのに、まだなにかあるのかしら?)
昨夜、女子会の席で彼女の携帯を鳴らしたのも月城だ。
彼とはこの週末に逢う約束だったのだが、どうやら急に休日出勤の予定が入ってしまったらしく、それを告げて簡単に詫びる内容の簡潔なメールが届いていた。
正直言うと少し残念だが、その寂しさにもいい加減慣れてしまった。
だが、現在仕事中であるはずの彼から、彼にしてはしつこく電話をかけてくるというのは、これまでにないことで、少し胸騒ぎがする。
悪いことでなければいいけれど、と読めもしないのに勝手に先を読んでしまい、葉月は顔を曇らせて窓ガラスに額をこつんとぶつけた。
「気分が乗らないようだな。また、何か見つけてしまったのか?」
「……叔父様」
「お前はそうやって、昔からよく他人のブラックボックスにうっかり触れてしまっては、塞ぎこんでいたな。触れたくもないのに、見たくもないのに、勝手に見えてしまう。それがどんなに辛いことか私にもわからないが……その表情を見れば、察することはできる」
特撮ヒーローものや魔法少女もので出てくるような、特別な能力では決してない。
テレビで特集されるような、超能力や霊能力ですらない。
ただ彼女は、人よりも多く聞こえてしまうだけ。
あとは相手の顔色や態度、知っているなら性格などからその先を察してしまうだけ。
危険予知であれば役に立つだろうが、彼女の場合大概は何気ない人付き合いの最中にそれは訪れる。
そして、それを知った相手は気味悪がって距離を置くか、怒って離れていく。
子供の頃は何故嫌われるのか、何故突然相手が怒り出すのかわからなかった。
そんな彼女に、それは使い方を間違えると大事になると教えたのは、他でもないこの叔父だ。
『葉月、いいかい?誰もがお前のように、相手の心を知れるわけではないんだ。気持ちを思い遣ってやれるのはいいことだ、その上で気遣いができるのも。ただ、踏み込みすぎないようにしなさい。加減を間違えるとそれは相手を傷つける。そしてそれと同時に、お前も傷つける。……時には見えないフリ、見なかったことにしてしまうのも大事だよ』
言われたその時は、彼女も傷ついた。
知らず、他人を傷つけていたかもしれないという事実に、彼女自身が深く傷ついてしまった。
だが段々とヴィンスに言われたことを理解できるにつれ、言っていいことといけないこと、表に出していいことと秘めておかなければならないことの区別がつけられるようになり、そして…………表面上、『嘘』をつくのが上手くなってしまった。
他ならぬこの叔父には、全て見抜かれてしまったが。
「いいえ、叔父様。そうではないんです」
葉月は、はっきりと否定の意を示した。
今彼女が気に病んでいるのは、うっかり他人の心の闇を感じ取ってしまったからではない。
先ほど出会った4人とて、心の中に闇くらいは飼っているだろうが……それが見えてしまったわけではないのだ、と。
「…………ねぇ、叔父様。相手のことがそれほど好きでもないのに結婚した人って、どんな心境なのかしら。例えば、政略結婚とか、お見合いとか」
「お前が何を知りたがっているのかはわからないが……政略と見合いではそもそもの前提が違うだろう?政略は家同士の利益のために、本人の意思などは問わない。だが見合いは出会いが他人のセッティングした場であったというだけで、その後どうするかは当人次第ではないのか?」
恋愛感情を挟まない純粋な政略結婚の場合、当人同士がどう思おうと関係ない。
その後一緒に暮らしていくうちに相手に惹かれていくパターンや、物語などでは実はその前から相手のことが好きだったという王道パターンもある。
対して見合いの場合、ヴィンスの言うようにあくまでそれは『出会いの場のセッティング』であるだけで、受けるかどうかは当人の意思を一応確認してもらえる。
『一応』とつけたのは、親同士が勝手に盛り上がっていつのまにか流されて結婚していた、というこれまた物語の王道パターンも存在するからだ。
葉月は、自分の場合はどうなんだろうと考えてみた。
月城と会うきっかけは、見合いの場。
簡単な自己紹介後、その場で交換させられた連絡先に届いた月城からのメールは、『今はその気はないが、すぐに判断できないので何度か逢ってから考えたい』という、お断り一歩手前ギリギリに位置するような内容だった。
そうしてそれが、ずるずると3年も続いている。
月城は今年30歳、葉月は26歳。なのに未だキスもなし、というのはさすがに「ないわー」と呆れるレベルだろう。
もしかすると、彼は葉月というそこそこな条件の相手をキープしておいて、心惹かれる相手を待っているのではないか。……と、そんなぐっさり来るような指摘をしたのは、彼女の兄の透だ。
もしそうだとしても、葉月にはどうこう言う権利はない。
彼女も、月城に対して個人的に好意は抱いているものの、幼い頃から忘れられないひとつの面影をずっと追い求め続けているのだから。
その罪悪感もあって、彼女は彼に『キープ』的な扱いをされても文句を言えずにいる。
「変なこと、聞いてしまってすみません」
もういいんです。
そんな言葉で自己完結してしまった葉月の横顔を見て、そうかとヴィンスはその嘘を受け入れた。
かわりに、ぎゅっとハンドルを握る手に力を込め、
「…………攫って行こうか」
そう、ぽつりと何気なく呟いた。
え?と驚いて視線を向けた葉月と、前を向いたままのヴィンスの視線が交わることはない。
「お前が望むなら、叶えるよ。国内でも、海外でも、お前が煩わされない場所まで私が攫って行ってやる。そして、他に何も考えられないくらいに……」
「こき使われるんですね、わかります」
違うよ、とはあえて否定しなかった。
かわりにヴィンスは、とろけるような笑みを浮かべて軽く首を傾げる。
さて、どうしようか?と問いかけるように。
遊ぼうよ、と戯れにじゃれつく大型の肉食獣のように。
「……それを、お前が望むのなら。望みのままに、葉月」
「え、嫌ですよ。そんな馬車馬のような生活」
ふふっと小さく笑った葉月にあわせて、ヴィンスもくすりと声を立てて笑う。
車内の空気がようやく和んだところで、葉月のマンションの駐車場に車が静かに滑り込む。
「部屋まで送れなくてすまないな」
「いいえ。ここまで送ってくださってありがとうございました」
一礼して入り口へ向かおうとするその背に、「葉月」と低い声がかけられる。
「先ほど言ったことは、冗談や戯れなどではない。だから……本当に辛くなったら、そう言いなさい」
言いたいことだけ言い残し、車はあっという間に走り去った。
(なんなの、あの人。大人の色気に思わず頷きかけちゃったじゃない)
ズルいなぁ、と彼女は朱に染まった顔のほてりを冷まそうと、冷たい指先で頬を包み込む。
きっと彼は、彼女が隠そうとしている想いを知っている。その上でああして時折翻弄してくるのだから、本当にズルい。
ヴィンスに助けを求めることも考えた、だが今はまだその時期じゃない。
まだ、やれる。
そんなことを思いながら、彼女は最初に逢った日から結局ずっと『他人用』の携帯に登録されっぱなしの月城に連絡すべく、4つ目の携帯をバッグから取り出した。
が、その通知ディスプレイを見て、大きく息を吐く。
【不在着信3件 未読メール1件】
葉月の知る3件の着信の後しばらくして、メールを送ってきたらしい。
内容がもし急用なら着信履歴を残すだけで済む、メールもあわせて送ってきたということは恐らく彼の中での『急用』は片付いた、ということなのだろう。
彼女は手早く着信履歴を消し、未読メールを開く。
そこには、会社で思わぬトラブルが発生したため連絡したが、事態が落ち着いたようなので気にしないで欲しい、というなんだか的を射ない内容が綴られてあり、最後は
【明日も朝から出勤になった。この埋め合わせはどこかで必ず】
と、珍しく中途半端なまま途切れていた。
(埋め合わせか……なんか義務っぽいのよね、その言い回し)
一度きちんと話をしてみようか。
これまでに何度となくそう決意しては、そのたびに休日出勤だイベントの手伝いだとタイミングを逃し続けてきたが、それでも今度こそ。
硬く決心をしたはずなのに、自動ドアに映るその白茶色の双眸は何故か揺れていた。




