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2.女子会×愚痴


「今月も一ヶ月お疲れ様でしたー」

「でしたー」

「かんぱーい」


 カチン、とグラスの触れ合う音がして、楽しそうな笑い声があがる。

 鮮やかなオレンジ色の液体が入ったグラスが葉月、カフェオレ色の液体が入ったグラスが海外事業部所属の葉月の友人、そして真紅の液体が入ったグラスが総合商社USAMIの経理部に勤務している女性のもの。


 彼女達三人が集まっているのは、エトワールというフランス料理店のVIP用個室。

 VIP用というだけあって防音設備は完璧、内線で呼ばない限りは従業員も入ってこられないとあって、重役たちの会合や打ち合わせなどに使われている。

 海外事業部所属の友人……艶やかな黒髪に明るい琥珀色の双眸を持つ女性、瀧河(たきがわ) 瑠架(るか)の母がこのエトワールの経営者であることから、特別に月に一度はこの部屋を貸しきらせてもらい、外に漏らしたくない愚痴なんかを言い合う場となっている。



 瑠架は、今年26歳。

 月城学園高等科を卒業後間もなく婚約者と結婚、だがそのまま附属大学へ進学した後で婚約者の家が経営するTKエンタープライズに入社し、数ヶ国語を話せるというその語学力を生かして海外事業部の主戦力となっている。

 ちなみに、2年前に娘、1年前に息子をもうけ、現在は2児の母親だ。


 もう一人の女性は、瑠架の学生時代からの先輩で、駒澤(こまざわ) 梨花(りか)。27歳。

 彼女も月城学園の附属大学を出てからすぐに総合商社であるUSAMIに就職、現在は経理部で主任職につくほどの実績をあげている。


 彼女達と葉月が知り合ったのは、葉月がUSAMIの期間限定契約社員として入社した時のこと。

 即戦力を買われた契約社員ということで、女子社員達から距離を置かれていた彼女に最初に声をかけたのが梨花だった。

 葉月自身も契約社員だからと自分から距離を置いていた部分もあったのだが、素直に能力を評価してくれた梨花に対しては拒むに拒めず、気がつけばランチだけでなくディナーもご一緒する仲にまでなっていた。

 そんな日々の中、高等科時代から親しく付き合いのある友人を、と紹介されたのが瑠架だ。


 葉月がTKエンタープライズに入社するきっかけになったのが、瑠架の『実は総務の主任さんが産休入るらしくて』の一言だった。

 葉月が即戦力となれる人材だというのは梨花から聞いて知っていた、だから産休明けまででいいから助けてもらえないか、そう言われた彼女はそれじゃあ紹介という形を取らず、派遣として正式に面接をと公私をきちんとわける形でその申し出を受けた。

 なので殆どの社員は瑠架の紹介だとは知らないが、面接に関わった人事担当者としてあの野上はそのことを知っている。

 だからこそ、彼は余計に葉月のことが気に入らないのだろう。



「で、噂に聞いてた葉月ちゃんとこの新入りさんって結局どうなの?」

「んー、人事部に本社行きを推薦されたってだけのことはあると思いますよ。電話も丁寧だし、わからないことはすぐにヘルプを出してくるから教えるのも楽ですし。教えたこともすぐ実践できるほどのスキルもあると思います、けど」

「けど?」

「あー、うん。けど、だよねぇ……あの子自身が悪いわけじゃないんだけど」

「だよねー」


 正直、瑠架はその梧桐陽菜という女性の存在に危機感を抱いていた。

 誰からも愛されるようなオーラを纏った、華奢で可愛らしい女性。

 早速好色部長や嫌味な次長から大袈裟なまでに歓待されただけでなく、関西支社では上司や後輩、お客様に至るまで可愛がられたというある種の伝説を築いた存在。

 だから、「まさか」と危惧したのだ。

 彼女が、瑠架が高等科時代に見かけた悪夢の再来ではないか、と。

 周囲に男を侍らせ、甘やかされることを当然と甘受し、自分は『ヒロイン』なんだと好き勝手振舞って周囲を傷つける、そんな女性なのではないか、と。


 だが、葉月に連れられて郵便を届けにやってきた梧桐陽菜という女性は、確かに華奢で庇護欲をそそられるような愛くるしさを持ってはいるが、フロア内のイケメンをチェックするでもなく、男性にだけ過剰な愛想を振りまくこともなく、逆に過剰に男性を避けるわけでもなく、ごく普通に「よろしくお願いします」と挨拶をし、郵便を配り終えるとまた綺麗に一礼してフロアを出て行った。

 可愛い外見をしている、だがごくごく普通の真面目な女子社員、というのが瑠架の第一印象だ。



 それで、どうして瑠架と葉月の二人が『けど』と言いよどんでいるのかというと。


「あの子自身、仕事をすぐに覚えようって意欲はあるし、能力も高い、はず。けどねぇ、のがみんが甘やかしすぎなんでしょ?」

「甘やかしというか、あれはもう彼女をダシにして私をいびろうとしてるとしか思えない」


『のがみん』というのは、あまりに頻繁に名前を出すのを嫌がった葉月がつけた上司の愛称だ。


 彼は陽菜の異動初日以降もずっと彼女と葉月を暇さえあれば監視し続けており、仕事を先へ先へと進めようとする葉月をたびたび呼び出しては、ちょっと急かしすぎるんじゃないのか、まだ電話は早いんじゃないか、とねちねちいびってくる。

 それに基本的に逆らえない葉月はやむなく教えるペースを落とすのだが、そうなると陽菜が今度は「次になにかお手伝いできることはありませんか?」とやる気を見せてくる。

 つまりは板ばさみになる、ということだ。



「一応教えるペースは落としてるけど、それまでにお願いしたことは全部出来てるし。次のことを教えたくても、その都度割り込まれちゃどうにもね……」

「割り込むってたとえば?」

「んーっと、たとえばメールの割り振りなんかを教えてる時に、来週の会議の資料コピーしてきてって言われるとか。で、彼女が離れた隙に、そんな雑用は優先度が高くないでしょって嫌味残されたりとかですか」

「うっわ、なにそれ。メールの割り振りで他支社とか他部門とかの役割なんかを覚えられるし、郵便だって場所と顔を覚えるには絶好のお仕事でしょ」


 と梨花の言う通り、その部署に馴染みのない新入りが最初に覚えるべきは他支社及び他部署がどんな仕事をしているのか、どんな人がいるのかを覚えることだ。

 総務にかかってくる電話の殆どはお客様や取引先からであり、その電話をいかに早く担当者や担当部署に繋げるかが重要となってくる。

 だからこそ葉月も電話を取り始めた陽菜が他に早く馴染めるようにと、郵便を配ったりメールを振り分けたりする仕事を教えようとしている、のだが。

 それを上司に『雑用は後』と却下され、じゃあ何を教えればいいのかと日々頭痛に悩まされていたりする。


 ただまだ救いようがあるのは、上司からの圧力にいち早く気づいた陽菜が最近では「雨宮さん、私今手が空いているのでメールの振り分けやってもいいですか?」と自分の意思でやるのだと提案してくれることだ。

 彼女が望んだことなのだから、上司はダメだとは言えない。ただ憎憎しげに葉月を睨みつけ、渋々許可を出す程度で済んでいる。

 そんな経緯も聞いた梨花は、あからさまに顔をしかめた。


「その子をお飾りにしたいんなら別だけど、使える人材にしたいならその上司のやってることって逆効果よね。瀧河先輩の会社でもそういう無能な人材がいるのねぇ」

「まぁ、あの人も直接人事権を持ってるわけじゃないですから」


 今年28歳になる瑠架の夫、瀧河恭一郎は現在社長秘書として父親について回り、何百という社員達の上に立てるように経営について学んだり、人脈を広げたりと忙しい。

 そんな彼はわかりやすく妻を溺愛しているものの、公私混同はしないとばかりに愚痴は聞くが手は出さないという線引きを徹底させている。

 総務部の癌であるタヌキ部長やハイエナ次長についても、存在は知っているが大きな損害に繋がらない限りは放置、ということらしい。



「葉月ちゃんも。正社員ってわけじゃないんだし、辛かったら辞めてうち戻ってくれば?今ならお得な正社員待遇に加えて未婚のイケメンだってよりどりみどりの大サービス中ですよ、今だけです!」

「あはは、深夜の通販番組の見過ぎですよ、梨花さん」

「もう、スカウト自体は本気なんだってば!イケメンはともかく、社員待遇は本気だから。葉月ちゃん抜けて、打ち込みの効率かなり落ちたんだからね?」

「はいはい、ありがとうございます」


 葉月は、一般家庭よりちょっとだけ裕福かな?という程度の家に生まれた。

 中学までは普通の公立に通っていたが、年の離れた兄が司法試験に一発合格したのを受けて一念発起し、月城まではいかないものの進学校である私立の高校に入学した。

 そこを首席で卒業後、さて就職はどうしようかと考えていたところに、海外に住んでいる叔父が『社会勉強だと思って、シジョウ・コーポレーションの契約社員募集に応募してみないか?』と声をかけてきた。

 そして真っ向から試験を受け、期間限定契約社員として入社。

 1年間は本社で勤務した後、そのあまりの入力スピードの速さ、仕事の正確さ、語学力の高さなどを買われ、翌年には立ち上げたばかりのフランス支社での事務サポート業務に抜擢される。

 その翌年は業績が上がってきたため人材不足だったイタリア支社に異動、そしてその翌年には正社員へという誘いをありがたくも断って、今度は同じ総合商社であるUSAMIの契約社員として入社した。


 学歴だけ見ればそれほどたいしたこともないのだが、葉月の場合は職歴がとにかく派手だ。

 シジョウで通算3年、USAMIで2年、そしてこのTKエンタープライズで3年目。

 いずれ劣らぬ大企業ばかりを渡り歩いてはいるが、どれも期間を区切った有期雇用契約ばかりだ。

 そういった点も、野上には面白くないのかもしれない。

 今の会社に入社時もその頃人事部所属だった野上に、「腰掛けのつもりじゃ困るんですよ」とか「契約した以上はきちんとやり遂げてもらわないと」と初っ端から嫌味を言われてしまったほどなのだ。



 葉月のスペックなら、充分正社員としての採用枠を狙える。

 だがどうして彼女は契約社員にこだわっているのか?

 それには、難関試験に挑むという彼女なりの目標があった。


「今年は試験受けなかったんだね。来年にかけるの?」

「ええ、そのつもり。自分なりに模擬テストとかやった感触だと、もうちょっとで合格ラインに行きそうだから」

「え、それすごいじゃない!合格したらそんな最低上司のとこなんて辞めるのよ?契約期間が残ってたってそんなの切り上げられるんだから」

「試験は毎年4月だから、ちょうど契約も切れる時期なんですよ。私、5月から契約してるから更新しなければ済む話だし。それまでにあの子に味方をたくさん増やしてあげないとですね」


 今は、葉月が風除けになってやれるからまだいい。

 だがもし今後、葉月がそこを辞めて、また新しい新入りが総務に入ってきたら。

 その時、あの聡い陽菜が今度は嫌がらせのターゲットにならないとは言い切れない。

 そうなった時、せめて愚痴を吐き出せる相手ができるようにと、葉月はどうにか時間を見繕って陽菜を連れて郵便の配達に出向いたりして、他部署の先輩達と顔合わせさせている。


(だってあの子、いい子だもの。ちやほやされていい気になる様子もないし……)


 むしろちやほやされていい気になっている兆候があるのは、双子の弟の方だ。

 ……というのは、営業部に在籍している瑠架の元同級生からの証言らしい。



 そろそろお開きにしようか、というタイミングでピリリリリ、とデフォルト設定にされた電子音が鳴り響く。

 葉月は未だ愛用している二つ折りの携帯を取り出し、唯一デフォルト設定のままにしてある登録者の名前がそこにあるのを確認してから、留守録に切り替えた。


「あれ、良かったの?」

「いいのいいの。たいした用事じゃないんだし」


 ツキンと刺す胸の痛みを誤魔化すように、葉月はひらひらと手を振って笑った。



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