19.憧れ×目標
「「ズルいです!!」」
双子だけあってどことなく似通った顔立ちの男女二人に異口同音でそう言われ、葉月は困ったように親友に視線を向けた。
が、親友ですらも同じ思いであるらしく、「うん、ズルいよね」と笑顔で同意されてしまう。
「療養目的でイギリスに行ってたのはしょうがないとしても、その間ずっとシュナイダーさんに独占されてたわけでしょ?……まぁそこは一万歩譲って許されるとしても、なんで蓮君がデートに誘っちゃうわけ?」
「んー、なんでもフランスに戻る前にご挨拶にって言ってたわよ?」
「それおかしいから!フランスに戻る前にイギリス行くっていう、その感覚が既におかしいからね?葉月もそこんとこちゃんとつっこもうよ」
「そうは言われても、獅堂さんは梨花さんの婚約者でしょう?誤解のしようもないわけだし」
「恋愛感情があるとかないとか、そういう問題じゃないの!」
私だって葉月に逢いたかったんだから!
と腰に手を当てて主張する親友は文句なしに可愛い。
二児の母に見えないほど可愛らしい、のだが……同じようにムッとした表情で「そうですよ」とうんうん同意する梧桐姉弟はどうしたものか。
いつの間にかこんなに懐かれて、と嬉しくなるやら困惑するやら。
嫌われるよりはいいことなのだが、二人を見ているとどうにも子犬が飼い主に懐いているようにしか思えないこともあり、葉月としては内心複雑なのだ。
彼らにもファンがいる、以前朝陽の取り巻き達に問い詰められたようにまた誤解されて敵意を向けられないか、彼女にとってはそのことが心配だった。
「大体、蓮君が逢いに行ったってだけでもズルいのに、戻ってきたら今度は四条さんが独占とか……あの人、大人しい顔して意外と積極的で騙されたなぁ。見てることしかできないヘタレだとばっかり思ってたのに……」
「えっ?瀧河さん、それって……」
「えぇっ!?シジョウの御曹司ってもしかして?」
「うん、そう。この前、やっと告白したみたい。ね、葉月?」
笑顔で同意を求められた葉月は、梧桐姉弟からの探るような視線も合わせて受けながら、帰国してすぐのあの『告白』を思い出していた。
君が好きだ。傷ついた心につけこむようなことはしたくないが、前向きに考えてみて欲しい。
学生時代から今まで、何度か告白をされたことはあったがあそこまで真っ直ぐで、ひたむきで、そして裏表のない告白は初めてだった。
学生の頃はどうしても下心が見え隠れしていたし、社会人になってからは『考えさせて欲しい』という答えはイコール『No』だと受け取られてしまい、上手くいかなかった。
ヴィンスのことを差し引いても好ましいと思える相手はいたのに、そんな相手には決まって「君は強いから一人でも大丈夫だ」と何故かそう断言され、相手の気持ちが離れていくタイミングで葉月から別れを切り出してきた。
だからだろうか、彼女の恋愛偏差値は意外と低い。
今も、拓人の告白を頭の中で処理するだけで一杯一杯になってしまい、どう返事したらいいのか、いざプロジェクトが始動してしまったらどんな顔で接すればいいのか、まだその答えが出せずにいる。
「…………えぇっと……そう、ね」
「…………」
「…………」
「…………」
「な、なに?」
「……ううん。葉月の照れ顔なんて、珍しいなーと思っただけ」
いいんじゃないかな、と瑠架は少しだけホッとしたような表情でそう言う。
これまでも、女子会と称して飲みに行った時などには愚痴を言い合ったり悩み相談をしたりしていたが、そんな場ですら弱みを見せないように常に聞き役に回っていた葉月が、今は年相応の女性らしく恋愛話に頬を染めている。
彼女が月城のことを吹っ切ったからだというのはわかっているが、きっとそれだけではないだろう。
良くも悪くも、今回のことは葉月がずっと身に纏っていた『デキる女』の鎧を外すきっかけになってくれた、そのことだけは瑠架は素直に良かったと思えている。
「ところで葉月、ちょっとだけお仕事の話になっても大丈夫?」
「ええ、なに?」
「梧桐君なんだけどね、今度正式に海外事業部に異動って話が出てるの」
「え?なにそれ、すごいじゃない!」
大阪支社のホテル部門に配属されてから2年、本社では営業部に所属していた梧桐朝陽は、異動してしばらくは優秀な姉と比べられてはため息をつかれるような、自分のダメなところが全く見えていない問題児だった。
そんな彼を変えたのは、現在社長秘書をしながら社内統括業務を勉強中である瀧河恭一郎の鶴の一声。
海外事業部に研修に出せ……その一言から突然エリート部署に放り込まれた朝陽は、そこで己の無力さを痛感させられたついでに『助っ人』雨宮葉月の凄さを思い知り、それ以降業務に真面目に取り組むようになったのだという。
それだけでは飽き足らず、彼は苦手としていた外国語にも取り組み始め、陽菜に教えてもらいながらパソコン操作もマスターし、姉同様に意外とチートだった能力を次々と開花させていった。
と、そこで恭一郎が再び一声を放った。
妻である瀧河瑠架を別部署に異動させるので、その穴埋めとして梧桐朝陽を海外事業部へ寄越せ、と。
「実は俺、海外事業部への異動願いを出してたんです。まだまだ先のことだろうって思ってたら、なんだかいきなり叶っちゃってびっくりなんですけど」
「異動願いって、またどうして?梧桐君、営業部の仕事合ってるみたいだったのに」
「俺もそう思ってたんですけど……なんて言うか、天狗になってた俺の鼻をポキンと折ってくれたのが海外事業部なので。それに、えっと、そこに行けばいずれはシュナイダー社とかともやり取りできたりするでしょ?俺、陽菜と違って雨宮さんと一緒に仕事したことないから、やってみたいなって思ってて。だから」
今度は朝陽がえへへと照れる。
どうやらあの『御姉様と呼んでいいですか!?』はその場を和ませる冗談などではなかったようで、彼は熱のこもった眼差しをじぃっと葉月に向けてくる。
と言ってもその熱は葉月の見たところ『憧れ』の域を出ておらず、どちらかと言うとテレビのヒーローに憧れるようなそんな純粋でキラキラとした、眩しい眼差しだ。
「あ、でも朝陽が使い物になる頃には四条さんと結婚して会社辞めてるかもよ?」
「えーっ!マジでぇー!?」
そんなことないですよね!?と同意を求められた葉月は、どうかしらと首を傾げることしかできなかった。
騒ぐだけ騒いで、盛り上げるだけ盛り上げて梧桐姉弟が帰宅したその後。
一転して静かな宅飲みへと雰囲気を切り替えた瑠架は、さっきまでは遠慮があって口に出来なかった話題を切り出した。
「あの、ね……私の異動先なんだけど」
「ええ。なんとなくだけど想像はつくわ。彼女がいたから言いにくかったんでしょう?」
「……やっぱりまるっとお見通しかぁ……まぁ、そうなんだよね。うん」
梧桐姉弟がいては出しにくい話題、そして陽菜がいては言いにくい部署。
瑠架の異動先は、技術部システム課……ということだ。
そして、瑠架が言いにくそうにしていたもうひとつの理由、それは
「あの人、異動するの?」
「あぁ、うん…………恥を忍んで、って技術部長に申請してきたみたい。最初は退職って話だったらしいんだけど、部長が機転を利かせてくれたみたいでね。今時、こんないい条件の就職先なんて中々見つからないぞ、って」
「優秀だものね、彼」
「そうだね。だから私事で辞めて欲しくなかった、っていうのが本音。でもほら、本社は居辛いだろうから……さ。うん」
いくらフロアの端と端に離れているといっても、陽菜のいる総務部と月城のいる技術部は同一フロア内にある。
彼はシステム課の中でも内勤業務が主であるため、社内にいることが多い……つまり何かのタイミングで顔を合わせる機会がそこそこある、ということでもあるわけで。
(きっと、自分のことだけじゃない。梧桐さんのことも気遣って異動願いを出したんだわ)
自分が辛い思いをするだけならきっと耐えられる、だが間接的にであっても自分が原因で傷つけてしまった相手がいて、そんな彼女に気を遣わせないためにと彼は自ら異動の道を選んだのだろう、と葉月はそう思っている。
「ところで、異動先ってどこの支社?」
「聞いて驚け、オーストラリア!しかもご両親も連れて家族連れ赴任になるんだって!」
「…………それはまた随分と……思い切ったわね」
もしかしたら彼は、日本に戻ってくる気がないのかもしれない。
どこで道が違ったのか、とはもう悩まない。
だが一抹の寂しさが、彼女の心の隙間を吹き抜けていった。
月城の異動話が陽菜にどう影響するのか、彼女自身どう考えているのか。
既に葉月の関知するところではなくなったものの、やはり気になってしまい本格的に仕事が始まる前に聞いてみようと、休みの日に彼女は陽菜を誘って繁華街のカフェに来ていた。
朝陽も来たがっていたようだが、『今日は女子会!』と陽菜が断固拒否したため、泣く泣く諦めたのだと彼女はおかしそうに笑ってそう話し、そして
「月城さんのこと、ですよね?……いつ聞かれるかなぁってずっとドキドキしてたんです。朝陽には、ちゃんと説明しといたからって言われたんですけど、やっぱり直接お話したくて」
葉月も陽菜も、互いに相手を気遣うばかりに彼の話題を持ち出せずにいた、ということらしい。
「異動のお話、聞きました。聞いた時はやっぱりショックでしたけど……でもなんだか、わかった気がします。雨宮さんがどうして、月城さんとのことを内緒にしてたのか。おおっぴらにしちゃうとどうしても、周りに気を遣わせちゃうというか、余計に気まずくなっちゃいますよね」
「貴方だっておおっぴらにしたわけではないでしょう?」
「はい。でも先輩たちに言わせると、私わかりやすかったらしくって。それに、あれ以来月城さんの態度もおかしかったし。だから、何があったのか大体バレちゃってるみたいです」
それでも、陽菜はめげなかった。
表向き平然と振舞っていたこともあり、逆に先輩達に大丈夫かと心配されてしまったのだという。
「…………実はここに来る前に、空港に寄ってきたんです」
「え、それってもしかして」
「はい……本格的に移住する前に、下見に行くそうで……もう会社も有休に入っているようなので、待ち伏せしちゃいました。時間とかは、佐々木主任にお願いして調べてもらって」
「結構大胆ね」
「そうですね、私も自分でビックリです」
空港で運よく月城を捉まえられた陽菜は、ただ一言「お世話になりありがとうございました」とだけ告げて、頭を下げた。
さすがに最初は戸惑って言葉もなかった月城も、彼女が最後のお別れに来たことに気付いたらしく、「これから頑張って」と応じてそのまま行ってしまったのだそうだ。
トラブルがあって、助けて助けられて、互いに惹かれあって、そして行き違いがあって気持ちが変化して、離れることになって。
そこに葉月も大きく関係していることもあって、彼女は何も言ってやることができなかった。
ただ陽菜の表情は、どこか吹っ切れたように明るい。
「ところで、頑張れって言葉は本当に頑張ってる人には言っちゃいけないんだって、雨宮さん知ってました?」
「ええ。追い詰めてしまいかねないから、気をつけてはいるけど」
「そうですよね。しかも『これから』ってことは、これまで頑張ってなかったみたいな言い方ですよね」
「……え、……えぇ」
失礼しちゃう。とムクれる陽菜に、葉月は同意したものかどうなのかと戸惑うしかできない。
「よし!私、もっともっと頑張って『第二の雨宮葉月』を目指します!」
「……それはやめた方がいいと思うわ。切実に」
倒れるわよ、と冗談めかして付け加えられた言葉に対して返されたのは
「大丈夫ですよ、安心してください。今の上司、すごくデキた人ですから!」
だった。




