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18.天然×御曹司

「それでね、拓人さんがいつも以上に真面目な顔でこう言ったんです。『蓮司、ファストフードとは奥が深いものなのだな。あれほど人気がある理由が少しわかった気がする』って」

「お、奥が深いって……そんな大袈裟な」

「でしょう?早速調査するように、ってプロジェクトチームまで組んじゃったんですから、もう極端ですよねぇ」


 くすくすと堪えきれないように笑う蓮司の隣で、葉月も苦笑を浮かべる。



『フランスに戻る前に、ご挨拶できないかなって思って寄ってみたんです。ヴィンセント氏の許可もいただきましたし、ちょっと出かけませんか?』


 と、蓮司がひょっこりと顔を出したのは、葉月の日本帰国を翌週に控えた日のこと。

 許可をもらったという言葉を裏付けるように、邸の使用人達も心得たように葉月の外出の支度を手伝ってくれた。

 そして出かけたのは、郊外にある有名な世界遺産、ストーンヘンジ。

 多くの観光客で賑わうそこは、しかし季節的にまだ肌寒いこともあって誰もいない。

 もしかすると蓮司が人払いをしてあるのかもしれないが、それについては葉月もあえて触れないことにした。


 ゆっくりと遺跡の周りを歩きながら、なんでもないような日常の話をぽつぽつと交わす。

 こちらへ来て、何に驚いたか。日本の暮らしとどう違うか。

 フランスに残してきた部下たちのこと、イタリアと日本を往復しているヴィオルのこと、忙しい最中に突然『ファストフード研究』プロジェクトを立ち上げたという拓人のこと。


「拓人さんって小さい頃から四条家の跡取りになるように、って言い続けられてきて……でもほら、前ご当主とは血が繋がってませんから、相当自分を律してこられたんですよね。だからかな、30歳を超えたっていうのに妙に世間知らずというか……時々ね、お前は子供か、ってヴィオルさんにからかわれてたりするんですよ」

「ああ、なんだかわかる気がします。ドライブスルーに入った時も、注文の仕方がわからないって戸惑われてましたし。最後に商品を受け取った後は、すごくホッとした顔されてて。なんだか可愛らしいな、って」

「ふふ、良かった。貴方にそうやって好意的に受け取ってもらえてるなら、エスコートした甲斐があったでしょうね」


(可愛らしいなんて言われてたことは、絶対に言えないけど)


 そんなことを言おうものなら、きっとヴィオルは大爆笑間違いなしだし、拓人は地味に落ち込むだろう。



 彼がいつから葉月のことを『恋愛対象』として意識していたか、それは蓮司にもわからない。

 蓮司より先に気づいていたヴィオルに聞いても、はっきりとしたことはわからないのだという。

 最初は、仕事が早くて正確な契約社員がいるぞと話題になった程度だった。

 その彼女が、シュナイダーや一宮家と遠縁ながらも縁続きであること、何か目標があるらしく正規社員ではなくあえて契約社員として働いていることを知り、「なるほど」とその時はそうなのかと納得しただけで終わったはずだった。

 だが、彼女の仕事ぶりに目を留めた拓人が、自ら『フランス支社に行く気はないか』と誘いをかけ、その翌年イタリア支社の人員不足を補うために彼女を派遣したと聞いた時……その時ヴィオルはようやく『あ、落ちてるな』と感じたらしい。


 だが、拓人には若き日の苦い思い出があった。

 血の繋がりのない妹……彼女が周囲に愛されたいが故に取った行動は決して褒められたものではなく、だがそんな彼女をきちんと叱ってやれなかった、せめて兄としてもっと親身になってやればよかった、そんな強い後悔と罪悪感を抱いている拓人は、これまで何人もの女性に直接的・間接的にアプローチされてきたものの、決してそれに応えることはなかったのだ。


『なぁ拓人、知ってるか?童貞のまま30歳を超えた男は魔法使いになるんだとさ』

『そうなのか、それはすごい。では今度の休みに魔法少年のような杖を買いに行ってくるとするか』

『……色々つっこみたいんだがな、拓人。その前に童貞捨てようとか思わないわけ?』

『何故だ?私はそう性欲が強いわけではないし、好きでもない女を抱いて発散する気もない』


(まぁつまり、好きになった人以外にはその気にならないってことで……重いな)


 潔癖と純情をこじらせた31歳独身童貞男はひたすらに重い。

 いくらカリスマだ美形だと騒がれていても、彼の地位や名誉、面の皮一枚に惹かれて集まってくる女性たちでは到底引き受けられないだろうし、彼もまたそんな彼女たちになびく事もない。

 長い付き合いである蓮司もヴィオルも、葉月が四条拓人一個人を受け入れてくれることを心から望むばかりだ。

 ただしそうなるには一番の強敵を乗り越えなければならないことも、彼らはよく知っている。

 ヴィンセント・シュナイダー……もし彼が葉月の血の繋がった叔父でなければ今ごろとっくに、彼女は彼のものになってしまっているだろうから。



 蓮司は、隣で眩しそうに空を仰ぐ女性に視線を戻す。

 整った顔立ちをしているが、華やかなというよりは気の強そうな印象を受ける横顔。

 この顔をキリリと引き締め次々と仕事をこなしている様子を見れば、梧桐陽菜でなくとも羨んだり憧れたり時には僻んだりしたくなるかもしれない。

 凄いなと憧れる反面、強いコンプレックスを抱いて自己嫌悪すら抱くかもしれない。


(……月城という男も、彼女にコンプレックスがあったんだろうか)


 付き合っているのに、弱音を吐き出さない。愚痴を言わない。頼ってもらえない。

 恐らく彼女は疲れているだろう彼の先回りをして気を利かせ、彼が弱みを見せることすら拒んだのかもしれない。

 そう、彼は感じたのかもしれない。……息苦しくなったのかもしれない。


 それだけの男だったんだよ、とヴィオルは嘲っていた。

 彼にはきっと、陽菜のように全力で甘えてこられる相手の方が合っていたんじゃないか、と。

 頼られて、嬉しくて、そして葉月と過ごす時間を削ってまで役に立とうとした、それはつまりそういうことなんだろう、と。


(だけどね、月城さん。彼女は、本当はこんなに弱い人だったんですよ)


 葉月は、甘え方を知らなかった。愚痴を言ってはいけないと戒めていた。

 彼女をもっと知ろうとして、そしてそれに気づけていれば。

 そうしたら…………なにか、変わっただろうか。



「……少し、昔話を聞いてもらえませんか?」


 葉月が頷いたのを確認してから、蓮司は静かに話し始めた。


 シジョウの分家に生まれた彼は、異性を意識しだすちょうどその時期に一人の女の子と出会った。

 その子も同じような年代だったのに、彼に対してやたらと媚を売ってきたりチラチラと『女』の顔を見せたりと、可愛い子だったのにどうしても嫌悪感が先立ってしまい、それ以降何度近寄ってこられても好きになれなかった。

 そのことがあり、彼はずっと恋愛感情を持つことができずにいた。

 異性はもとより、同性であっても恋愛の対象として見られない……もう一生、まともに恋愛することはできないんじゃないか、彼はずっとそう悩んできたのだ。


「頑張ってお付き合いしようとしたことはあるんです。でも、ダメでした。恋愛って頑張るものじゃないんですよね……努力したからどうなるものでもないんですよ」

「……少し、わかります」

「そうですか」


 自分が気持ち悪いモノの様に思えた時期もあった、と蓮司は続ける。


「でもね、梨花さんに出会って……そのままの僕を受け入れてもらえて、その時気づいたんです。梨花さんに逢えて良かった、って。他の誰でもない、彼女で良かった、って。ふふっ、惚気ちゃいましたね」

「本当ですね。ごちそうさまです」


 できるなら、貴方にもそんな恋をしてもらいたいな。

 そんな身勝手な願望は、最後まで口には出さなかった。




 そして、葉月が日本に戻る日がやってきた。

 その当日、久しぶりに羽田のロビーに降り立ってみると、予め時間を聞いていたらしい透と拓人が待ってくれていた。


(え、っと……兄さんはわかるとして、どうして四条さんまで?)


「おかえり、葉月。なんだ、凄い荷物だな」

「ただいま、兄さん。ええ、お土産とか叔父様にいただいたものとか……先に送ろうかとも思ったんだけど」

「まぁちょうど良かった。戻るついでに部屋に寄って適当に置いてくるさ。冷蔵ものとかはないよな?」

「ないけど……え?」


『置いてくるさ』と透はそう言った。

 この言い方からすると、葉月も一緒に乗って行って荷物を下ろすという意味ではないらしい。

 困ったように首を傾げている間に、透は葉月が両手一杯に持っていた荷物を次々とカートに載せ、「じゃあ後でな」と颯爽と去っていく。



「待ち伏せのような行動を取ってすまない、驚いただろう?」

「え、ええ……正直、少し」

「君の兄上には、事前にお願いして少し時間を貰ったんだ。君とビジネスライクな関係になる前に、どうしても話しておきたいことがあったものでね」


 送ろう、とエスコートされて乗り込んだ車は、以前退院時に迎えに来てくれた時と同じものだった。

 彼なりに気を使ってくれたのだろう。


 静かに走り出した車の中、交わされる会話は体調のことやイギリスでのことなど、あたりさわりのないものばかり。

 そして最初のSAに入ったところで、意を決したように拓人は葉月に視線を向けた。


「雨宮さん、私と交際してもらえないだろうか?」

「…………え?」

「ここに来るまで、ずっと考えていた。君に負担を掛けたくはない、君を傷つけたくはないのだと悩んで、だがプロジェクトが動き出してからでは遅いと思ったんだ。私が君の取引相手になる前に、君がシュナイダー氏の代理人となる前に、と」


 本当は、ずっと待つつもりだったんだと拓人は語る。

 葉月は今傷ついている、その心が癒えるまで、また誰かを心に受け入れられるようになるまで待とう、と。

 だが、それを見透かされた上で透に言われてしまったらしい。

 同じプロジェクトチームに所属する仲間、ビジネスライクな関係になってしまったら、余計に言いにくくなってしまうんじゃないですか、と。


「こんな言い方は卑怯だとわかっている。だが、願わくば少し……ほんの少しでもいい、前向きに考えてはもらえないだろうか?」


 君が、好きなんだ。


 真っ直ぐな、飾りのないその言葉に、静かな熱を孕んだその瞳に、葉月の鼓動が跳ねる。

 そうでなくても拓人はカリスマ性のある美形だ、そんな彼が真剣に愛を告げてくれているという事実には、傷心の癒えていない彼女であってもときめきを感じてしまう。



「……少しだけ、時間をください」

「わかっている」


 いくらときめきを感じても、だったらすぐ交際をと気持ちを切り替えることなど、彼女には出来ない。

 月城に対して心残りはもうない、傷ついた心は叔父によって癒されてきた。

 だけど、その叔父に対してずっと何年も抱えてきた実るはずのない恋愛感情に、まだ整理がつけられずにいる。

 この療養の期間中、ただでさえどっぷりと甘やかされて愛情を注がれ続けたのだ、思い切るまでにはやはり時間が必要だし、今度こそきちんと思い切ってから拓人の想いに向き合いたいと思う。


「無理だと思ったら、言ってくれて構わない。だから、もし君が嫌でなければプロジェクトが始動してからも、時々食事や外出に付き合ってもらえないだろうか?」

「……わかりました。……なんだかすごく、贅沢な申し出を受けた気がします。保留にするなんて、四条さん狙いの方々に非難されそうですね」

「どうだろうな……私は君のファンに非難されそうな気がしているが」

「え、ファンですか?いえ、そんな大袈裟な」

「君は自分がわかっていない。うちの社にも未だ根強い雨宮葉月ファンがいるんだ。彼女達に知られたらと思うと、気が気じゃない」


(そこ、『彼ら』じゃないのね……)


 残念なようなホッとしたような、複雑な気持ちになりながらも葉月は小さく笑って応えた。


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