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15.熱情×敬愛

 陽菜が帰ってしばらくして、今度は葉月が思いも寄らなかった相手が訪ねてきた。

 以前派遣されていた時にほんの少し関わりを持った、そして今後新しいプロジェクトの調整役として関わることが増える、シジョウ・コーポレーション常勤取締役の四条拓人だ。


 彼は今度の新しいプロジェクトに彼自身がプロジェクト・マネージャーとして参加すること、イギリスに一足先に戻ってしまったヴィンスの代わりに彼女をエスコートしてくれと託されたことなどを話し、私では力不足かもしれないがと謙遜しながら、イギリスに行くまでの間よろしくとわざわざ挨拶してくれた。


 葉月としては忙しい兄にあれこれ頼むのも心苦しかったのだが、かといってこれまでそう関わりの深くない拓人に頼みごとをするのも気が引ける。

 断ろうかと思ったが、それが叔父の頼みごとだということで彼にも何か意図があったのだろうと思い直し、お願いしますと素直にそう頼み込んだ。



 そうして何気ない話をしていくうちに、話題は陽菜のことへと移る。


「結果的に梧桐さんはいい具合に育ってくれましたけど……先回りしてフォローするというのも、一歩間違えば彼女を助長させてしまったかもしれない。そう、叔父に言われました。確かにそうですよね。上司の横暴はあったかもしれない、でもそこから身を挺して庇ってやることだけが教育じゃない、もしかしたら庇われて守られて、それが当たり前になってしまうかもしれない。そんな危険性に思い至らなかったんですから」


 拓人はそんな葉月の自嘲を含んだ言葉に珍しく苦笑し、「私もその気持ちはわかるつもりだ」とどこか寂しげにそう呟いた。


「私には、血の繋がらない妹がいてね。私は母の連れ子で、その子は父の愛人の子だった。金と権力に異常に執着していた父が、その子供と関わるようになって変わり始めた。その子のために資財と人脈を無駄遣いし、会社の役員会も時々欠席するようになり。たまりかねて調査をしてみれば、妹がすべて原因だった。結局何がしたかったのか、私にもその場にいたヴィオルにも蓮司にもわからなかった。ただ、その子は言っていたよ。自分がこの世界のヒロインで、私達は彼女を愛する運命なんだと。その時、ようやく気づいたんだ。もしまだ小さい頃、あの子を厳しく叱ってやっていたら……と」


 最後まで言われなくても、葉月には聞こえた。

『厳しく叱ってやっていたら、あの子は変わっていたかもしれないのに』

 そう嘆く、兄としての声が。


(前に瑠架が言ってたのは、きっとこのことね。確かに四条さん絡みなら公言できなくて当然だわ)


 何故だか、葉月にはすべて繋がった気がした。

 瑠架が言っていたことも、遥斗や瑠璃がどこか居心地悪そうにしていたことも、恭一郎が訳知り顔でいたことも、こうして拓人が気にかけてくれていることも。





「シュナイダー氏から、プロジェクトに君が調整役として関わるのだと聞いた。ようやく、あの時の約束が果たせるのだと……そう言ってもいいだろうか?」


 静かに、葉月を見据えるチャコールグレーの瞳。

 そこには、以前彼女がシジョウ・コーポレーションに勤めていた時に何度も向けられた、強い信頼と期待が宿っている。


『君の仕事ぶりは見せてもらった。どうだろう、海外の支社で能力を伸ばしてみないか?』


 思えば、彼のその一言がきっかけだった。

 彼女は日本という狭い国を飛び出し、業績の安定していなかったフランス支社の蓮司の下で必死で経験を積み、そして今度は業績を伸ばし続けているイタリア支社でヴィオルを支えた。

 その経験があったからこそ、USAMIでもTKエンタープライズでも海外事業部の仕事を手伝うことができたのだし、彼女は今でもあの時の拓人の言葉に感謝し続けている。


 尊敬しています、と朝陽がキラキラした眼差しで言ってくれたことを、葉月もまたこの目の前の男に告げたことがある。

 シジョウとの契約が切れ、USAMIへの就職が内定した時に


『四条さんのこと、心から尊敬しています。だから、もし私でお役に立てることがあったら、声をかけてください』

『ありがとう。その言葉、覚えておく』


 そう言葉を交わしたのを最後に、これまで二人が会うこともなかった。


「……君も、覚えていてくれたのだ、とそう思っても構わないか?」

「はい。お役に立てるのでしたら何なりと」

「…………あまりそのような類の言葉を、男に対して使うのは感心しない。いいように誤解されてしまうだろう?」

「……はい?」


 四条さんでも、ですか?

 その問いかけに、彼は「私でも、だ」と至って真剣な表情で重々しく頷いた。






「それでは、我らがカリスマリーダー四条拓人君の遅すぎた春を祝しましてー」

「ヴィオルさん、それじゃあんまりですよ。せめて、意中の相手との約束を果たせたことを祝して、くらいにしておきましょう」

「はぁ……どちらにしても心から祝福しているという気持ちが見えないな。とにかく乾杯」

「ってなんで君が仕切るんだ!?」


 実に賑やかな、都内某所。

 珍しく時間の合った男達が、高級住宅街の片隅にひっそりと陣取る落ち着いた佇まいの邸に集まり、リビングで宅飲み。

 と、そこまでは普通の男子会と言ってもいいだろう。

 だが集まっている顔ぶれが、シジョウ・コーポレーションの若き取締役、イタリア支社の相談役、フランス支社の責任者、TKエンタープライズ社長秘書、USAMIの非常勤役員、とそうそうたるメンバーとくれば、ただの男子会ではないことくらい素人にも通りすがりの主婦にだってわかる。



「酒が回る前に報告を聞こうか、瀧河君。君のところの実に将来有望な女性社員のその後の経過はどうだ?」

「ええ、引継ぎという段階は既に脱しているように思えます。幸い雨宮さんが入院中に作ってくれたという引継ぎノートのお陰でね」


 どこまでも真面目な拓人の問いかけに、恭一郎はにやりと笑いながら答えた。


 葉月がこつこつと作り上げた『引継ぎノート』

 そこに書かれてあったのは、葉月の人脈形成のコツや、効率よく業務をこなす裏技、タイプの違う支社の面々を上手くあしらうポイントなどで、そのひとつひとつを読み込みながら陽菜はそこにこめられた葉月の気持ちに気づき、時折こっそりと涙ぐんでいるそうだ。


「優秀だと騒がれていた姉は天狗になることもなく素直に育ち、無能だと囁かれてた弟も大成長を遂げた、ってわけか。どっちも、原因は雨宮葉月嬢。はぁ……うちにいた時も思ったが、彼女はどれだけ他人に影響力を持ってるんだ」


 真似できない、と項垂れるのは早速酔いが回ってきたらしいUSAMI非常勤役員の一宮遥斗だ。

 彼も葉月の仕事ぶりは見て知っていたが、まさかここまでとは思ってもいなかったらしい。

 が、その嘆きに似た呟きに緩々と頭を振ったのは拓人だった。


「彼女が直接影響を与えたわけではないだろう。ただ、うちの社員にも何人かいるファンのようにその姿勢に惹かれた、ということなのだろう」

「そうだな、俺もそう思うよ。惹かれても羨んでるだけなら成長なんてしないもんな。特にその梧桐……えーっと、朝陽だったか?彼の場合、瀧河くんの教育がいいように作用したんだろうな」

「それは妻にも言われましたよ。その所為で彼女の熱烈なファンが増えてしまった、どうしてくれるの、ってね」


 冗談めかしたその言葉に他の全員が笑い、場が一気に和んだ。






 そして、葉月の退院の日がやってきた。

 どうしても迎えに来ると譲らなかった兄の透をどういう手段でか穏便に説得し、家まで送り届ける役目を勝ち取った拓人が、病院裏の通用口で彼女を待っていた。

 正面からだと他の出入りする患者さんの迷惑になるから、と葉月からそうお願いしたからだ。


「お待たせしてすみません。しかも、目立たない車で、なんて無理言ってしまって」

「いや、構わない。元々私もヴィオルのような派手な車は好みではなくてね。国産でなくて申し訳ないが、それほど珍しくない車種を選んできた」


 どうぞ、とエスコートされるようにして乗り込むと、外のコンパクトな見た目に反して中は意外と広々としていた。


(さすが、四条さんって趣味いいわね……)


 気障なレザーも、落ち着きすぎる木目調も彼には似合わない。

 ごく普通の、飾り気のない車内にぽつぽつと置かれたカーアクセサリーが、彼の趣味のよさを引き立てているようだ。

 ドリンクホルダーの上には、無香料の消臭剤。

 運転席と助手席の間には、断熱素材でできた上品なCDラック。

 こまめに掃除しているのか、砂埃や糸くずひとつ落ちていないマット。

 手入れしているのが別の人間だと仮定しても、ここまで徹底して管理されているからには彼が自分の所有物には責任を持っている、という証拠のように葉月には思える。



「家まで送るようにと君の兄君から聞いているが、何か食べるものはあるのか?」

「あ………いえ、多分ないです」

「……だろうな」


 数日の入院ならまだ良かったのだが、今回は少し長引いてしまったため冷蔵庫の中身は恐らく殆ど期限切れになっているだろう。

 気を利かせて義姉あたりが処分か回収をしてくれているとしても、退院にあわせて新しい食材を入れておいてくれている、ということは恐らくない。


「出発は何時だ?」

「明日の朝です。なので、最低限今日の夜までの2食分があればしのげます」


 なぜなら、葉月は明日の朝イチでヴィンスのいるイギリスへと向かうことになっているからだ。





(あのヴィンセント・シュナイダーの元で1ヶ月、か……)


 引き止めることはできない、それどころか彼女の心の負担になることも言えない。

 それだけ、今の葉月が傷ついているというのは、拓人もよく理解しているつもりだ。

 ならばせめて、と彼はそ知らぬ顔で「夕食まで、少し付き合ってもらっても構わないか?」と控えめに、断ってもらっても構わないという意思も同時に示した上で、彼女を誘った。


「疲れているのなら無理にとは言わない。指定してくれれば希望のスーパーまで立ち寄ろう」

「いえ、その……まさか誘っていただけるとは思ってなくて。体調の方はお気遣い無用です。入院患者は規則正しい生活がモットーですから」

「…………そうか。なら、辛くなったら言ってくれ」


 少しだけ目元を和らげて、拓人はサングラスの下のチャコールグレイの瞳をちらりと葉月に向けた。



 その後、

 葉月のリクエストで拓人が人生初のファストフードのドライブスルーに挑戦したり、舌に馴染みのないジャンクフードに目を瞬かせたり、高速を思い切りかっ飛ばして遠方の道の駅まで行ってみたり、某有名コーヒーチェーンの商品が意外と彼の口にあっていたり、と主に拓人にとって有意義な半日を過ごし、名残惜しそうに車は彼女の住むマンションの駐車場へと滑り込んだ。


「私ばかりが楽しんでいたようで…………すまない」

「いえ、私も楽しかったですから。だって四条さん、アレは何だこれは何だって子供みたいで」

「面目ない。君が戻ってくるまでにはもう少しスマートにエスコートできるよう、ヴィオルから学んでおこう」

「ヴィオルさんですか……随分極端な気がしますが」


 楽しみにしてますね、と葉月は笑った。

 それは、また誘って欲しいという意思表示だと拓人もそう受け取った。


(それが信頼感からくる言葉でも、今は構わない。君を傷つけたくはないからな)


 待とう、と彼はかすかに笑い返した。


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