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11.ゲスの極み×上司

「葉月の友人として二つお願いがあるの。ひとつ、葉月の連絡先は全部消してもう二度と接触しないで。ふたつ、もし今の恋が上手くいかなくても葉月をその理由に使わないで。あと、これは私個人としての意見だから忘れてもらっても構わないけど……私、貴方を許せない。男女のお付き合いってお互いに支えあって成り立つものなのに、葉月に支えてもらってるだけで、その現状に甘えようとした貴方が、嫌い。葉月に他に忘れられない人がいた、そうだとしても貴方はそれを承知で付き合っていたのよね?彼女の気遣いに甘えていたのよね?だったらやっぱり嫌いよ。でも勘違いしないで。これは社長令息夫人の言葉じゃないから。大人なら、公私混同は絶対にしないもの。そのことだけは、忘れないで」



 葉月が倒れたと聞いてさすがに顔色を変えた月城を別室に呼び、瑠架はそう一気に言い切った。

 正直、彼も風邪から回復したばかりで少し悪いかな、という気遣いはあったのだが、ああもわかりやすく顔色を変えられては他の誰かに突っ込まれかねない、と佐々木から報告を受けたからだ。


 これまで、葉月や佐々木から話を聞くだけだった彼女は、自分の社内での立場を考えてあえて何も言わずにいた。

 だが、葉月の友人として……そして瀧河瑠架一個人としてどうしても宣言したいことがあった。

 佐々木から話を聞く限りでは、月城は優秀なエンジニアだ。

 多少愛想がないことは減点対象だが、仕事に関してはとても真面目で責任感もあると技術部長の評価も高い。


(だからこそ、許せないんだよ……仕事面で、梧桐さんをフォローし始めたことが)


 それを公私混同と呼ぶのかどうか、正確なところは月城にしかきっとわからない。

 だとしても、シス課職員としての権限を越えて陽菜の被ったトラブルをサポートしようとした、そのために葉月との約束を反故にし、休日出勤まで自発的に買って出た、その事実だけ取ってみてもやや行き過ぎている気がしてならない。


 彼女にいい顔したかっただけ、とはさすがに瑠架も思わない。彼の言うように、ただ彼女を放っておけなかっただけ、それがきっかけなのだろう。

 だとしても、だからこそ、もしそちらに心が動いてしまったのなら、その時点で正直に葉月に打ち明けて欲しかった。

 葉月も佐々木すらも気づけた今になってようやく葉月に断りを入れた、そのタイミングの悪さがどうにも許せない。



 月城を部署に戻してから、瑠架はしばらくその部屋でぼんやりと考え込んでいた。

 葉月が倒れてはや3日。

 幸い怪我はたいしたことがなかったものの、意識だけが未だ戻らないという。

 彼女は今、何と戦っているのだろうか?何を思い、何を悩んでいるのだろうか?

 そんなことを考えていると、自然と頬に涙が溢れてくる。


「瑠架、泣くな」


 いつ部屋に入って来たのか、恭一郎がそっと肩を抱き寄せてくれた。

 その腕に甘えることも今はできず、瑠架はただ大人しく引き寄せられるがままに体を委ねながら、どうしてこうなったんだろう、と答えの出ない問題をぐるぐると考え続ける。


「葉月は……人前じゃ泣こうとしないんだよ。本当はそれほど強くなんてないはずなのに」

「だからってお前が代わりに泣いてどうする。……とはいえ、正直言うとちょっとすっきりしたな。こうなった以上、彼女にうちでの仕事を続けてもらうことは難しい。それだけでもうちが被る損害は大きなものになるだろうしな」

「葉月が倒れたのって、やっぱりあの男の度重なるパワハラが原因?」

「あぁ。これを機に徹底的に情報収集をするつもりだが、まず間違いないな。お気に入りはとことん甘やかす、だがストレス解消にデキる人材を使い潰す、まさにハイエナ……と言ったらハイエナが気を悪くするな。あれはただのゲスだ、ゲス」


 興味のない者に対する恭一郎の毒も相変わらず健在だ。

 そのことに少しだけ心が軽くなるのを感じた彼女は、「ねぇ」と些か落ち着きを取り戻した声音で問いかけた。


「恭くんの判断を疑うわけじゃないけど……会社に警察を入れて本当に良かったの?マスコミとか飛びついてくると思うんだけど」

「それが狙いだ、と言ったら?」

「え?」


 はじかれたように顔を上げた妻に、夫は含みのある笑みを浮かべてみせる。

 それは、学生時代に何度も見せた何か企んでいる時の顔だ。


「うちの本家、久遠家は官僚一家。藤堂・一宮・シュナイダーは世界的な影響力を持つ家だし、今は四条と獅堂の協力も取り付けてある。更に雨宮葉月の兄は有能な弁護士であり、彼女を溺愛する叔父はシュナイダー社の上層部にいる。とくれば、怖いものはないと思わないか?」

「…………改めて聞くとすごいよね、そのネットワーク。あ、でもそっか……わざとマスコミを誘導することなんて簡単だ、ってことだね」

「簡単だとまでは言わない。だがわざわざこの強力タッグに逆らう命知らずな記者もいないだろ」


 警察を呼んでいいのか、そう恭一郎に連絡したのは他でもない佐々木だ。

 彼自身、こうなったら刑事事件にしてしまえと思ったようだが、さすがに独断で警察に連絡するわけにもいかないと寸前で我に返ったらしい。

 その連絡をもらった恭一郎は、父である社長の許可を得てから改めて知り合いの刑事に連絡を取った。

 そして、葉月の兄であり有能な弁護士でもある雨宮透の事務所にも。



『……病院に行かなくてもいいのですか?』

『お恥ずかしい話、妹は公私混同を酷く嫌う子でね。私が仕事の途中で連絡したりすると怒るんですよ。……っと、でもお気遣いなく。さっき顔を出してきましたから』


 では話を伺いましょうか。

 そう言って、透はわずかにゆがめた表情を改めた。


 恭一郎の依頼とは、今回のことについて表立って訴えを起こさないで欲しいということ。

 そしてそのかわりに、他に似たような膿が隠れていないかどうか探って欲しいということ。

 どうせマスコミに情報を流すのだから、いっそのことこのタイミングで会社の空気を大々的に入れ換えてしまえ、というのが経営者サイドの狙いなのだと。


『本来弁護士の方に頼むような事案でないことは承知しています。ただ、貴方は雨宮さんの身内だ。民事訴訟を起こしたい気持ちはおありでしょう。だが我々としては彼女を矢面には立たせたくないと考えています』

『なるほど。その阿呆の処遇を警察に任せるかわりに、うちの優秀な調査員に会社の膿を見つけ出せ、というわけですか。あの子が傷つけられたその代わりにすらなりませんが、調査は引き受けましょう。確かに、弁護士の仕事ではありませんが、ね』


 通常、弁護士及びその事務所の職員は、調査員の真似事などしない。

 しかし透の所属する事務所がどうして他の追随を許さないほど大きくなったのか、それは専門の優秀な調査員を何人も抱えていて、事実関係の調査や時には聞き取りなどといったことを担当しているからだ。



「それじゃ、普通だったら会社側の管理責任を問われるところを、問題追求の姿勢を見せていい方向に情報操作しよう、ってこと?」

「情報操作は大袈裟だな。ただ、クローズアップしたい情報と隠しておきたい情報を上手く調整するだけだ」

「そういうのを情報操作って言うんでしょ」


 ようやく小さな笑顔を見せた妻に、恭一郎も普段は見せない柔らかな笑みで応えた。




 ところかわって、シジョウ・コーポレーション本社ビルの一室。

 シュナイダー社の常勤取締役でありながら各国を飛び回るヴィンセント・シュナイダー、シジョウ・コーポレーション専務取締役である四条(しじょう) 拓人(たくと)、USAMIの外部役員である一宮 遥斗という大物三人が顔を突き合わせ、覗き込む先にはパソコンにつながれた外部スピーカー。

 そこから流れ出す聞くに堪えない悪口雑言を黙って聞き終えた三人は、音声が途切れた瞬間一斉に大きなため息を吐き出した。

 どの顔にも『呆れた』とでかでかと書かれてある。


「…………正直なところ、私もこれは刑事罰が妥当だと思う。というか、うちの社員だったら速攻訴えているレベルだな」

「日本じゃ中々そういうわけにもいかないんですよ、拓人さん。加害者は過剰なまでに守られるくせに、被害者の人権はまるっと無視ですからね。雨宮さんのことも考えて、ここは社会的制裁っていうのが妥当じゃないですか?シュナイダーさん」

「まぁ、そうだろう。するとしても略式起訴なら、書類審査だけで終わるからあの子が矢面に立つ必要はなくなる。とはいえ、当の加害者がそれに同意すれば、の話だが」


 略式起訴とは、軽微な罪の場合に公判を行わず書類審査のみで罰金刑を言い渡す、という簡素な手続きのことだ。

 罰金程度でと彼女に近しい人間なら憤るかもしれないが、簡素な手続きとはいえ罰は罰だ。

 市区町村役場と裁判所に前科の記録が残る程度とはいえ、彼の経歴に【 × 】がつくのは事実であり、その上会社もクビになり経済的な制裁まで受ける、となればこれで充分かもしれない。

 要は、加害者である上司に制裁が出来、なおかつ葉月が矢面に立たされないことが重要なのだから。



「ああ、そうそう。ちょっと頼まれごとされたので、ついでにその上司とやらを調べてみたんですが」

「もしかして、愛しの奥方からかな?彼女の妹さんは当事者である雨宮さんとは友人だと言うし」

「ええそうですよ、羨ましいですか?未だ独身貴族の拓人さん」


 遥斗とその妻である瑠璃は従兄妹という関係にあり、幼い頃から見知った間柄だった。

 彼は彼女に一目惚れ、彼女も彼に好意を持ってくれたということもあって早々に婚約関係を結ぶにいたり、なんの弊害もなくごく自然に結婚したという幸せカップルの典型である。

 以前共通の友人に『他の女の味とか知らないなんて不幸だな』とからかわれたこともあるらしいが、彼は何食わぬ顔で『妻以外は女に見えないものでね』と言い放ったというから、未だ新婚気分継続中ということのようだ。


 ちなみに、どうして四条家の跡取りである拓人が未だ独身であるのか……それは学生時代に受けたトラウマが原因であるらしいのだが、関係者はそのことについては触れたがらずに誤魔化すため、表立っては謎のままである。



「で、ですね。その上司なんですが、どうやらこの春くらいから息子が登校拒否してるらしいんです。まぁああいう……弱きをくじき、強きに擦り寄るみたいな性格ですし、家でも子供に対しては傍若無人に振舞ってたらしいですね。そんな父親に威厳もなにもあったもんじゃないですから、当然息子は反発するわけです」

「そういう家庭の場合、母親が大概家の中の権力者だったりするものだが」

「シュナイダーさん、正解です。妻には頭が上がらなかったようですね。しかも言いたいことをはっきりと言う、正義感の強いタイプらしいです。誰かに似てませんか?」


 つまり野上は、反抗期である息子と頭の上がらない妻に対する鬱憤晴らしも兼ねて、殊更葉月にキツくあたっていたということらしい。


「…………ゲスが」


 地獄に落ちろ、という拓人の低い呟きに他の二人は同じ思いを抱いて黙り込んだ。

 



 重い沈黙がたちこめる室内に、突如鳴り響く内線音。

 ふぅっとため息をついて、拓人がソファーから立ち上がり電話のスピーカーボタンを押した。


「どうした?」

『会議中申し訳ありません。今ほどTKエンタープライズの瀧河様よりご連絡がございまして、伝言を承りました。今お伝えしてもよろしいでしょうか?』

「ああ」

『申し上げます。「雨宮さんが目を覚ましました。しばらくは身内以外面会謝絶とのことです」以上です』

「……ああ、ありがとう」


 よかった、という呟きは別室の秘書には届かず、室内に小さく響いて、そして消えた。


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