1.ヒロイン×ヒーロー
最初数話は前の連載版とほぼ同じですので、読み飛ばしても大丈夫です。
カクヨムで連載していたものをそのまま転載しています。
人は、その一人ひとりが自分の人生におけるヒーローであり、ヒロインである。
そう、どこかの偉い人が言っていた。
それは紛れもない真実で、自分の人生は自分のためのものだと幼い『彼女』はそう信じて疑わなかった。
だけど、本当にそうだろうか?
世の中には、自分がそうと選んだわけでもないのに、周囲の思惑だけで転落人生を歩まされる人がいる。
逆に、まるで世界に愛されたかのように、そこに存在するだけで当たり前に周囲の人間に愛され、庇護され、求められる人がいる。
そう、今『彼女』の目の前で愛らしくにこにこと微笑んでいる……まだ幼さの抜けない女性のように。
「はじめまして!このたび、関西支社お客様コールセンターより本日付で本社総務部に配属となりました、梧桐 陽菜ですっ!事務仕事にはまだ慣れていませんが、これからよろしくご指導ください!」
「同じく、関西支社ホテル部門より本日付で営業本部に配属となりました、梧桐 朝陽です。姉ともども、よろしくお願いいたします」
4月の定期人事異動。
この会社……ホテル経営を中心としながら、最近ではそれに付随した介護事業やあらゆるサービス業にまで手を広げた多角経営を行っている【TKエンタープライズ】でも、年に1度定期的な人員入れ替えを行い、社内での不要な癒着や馴れ合いが起こらないように、また優秀な社員が埋もれてしまわないようにと手を尽くしている。
全国のみならず世界的規模で業務運営を行っているだけあって、国内や海外への異動者も何人かは出てくるのだが、既婚者や家族持ち、事情のある者の異動は極力考慮してくれる。
(……らしい、とは聞いてたけど、まさか双子を一緒に本社に連れてくるなんてね)
両親を早くに亡くして姉弟二人きり。
名のある名家であるから後見人はついているようだが、それでも幼い頃から支えあってきた姉弟をバラバラに異動させるということもなく、二人は同時に関西支社に配属になり、そして今回もまた同時に本社に配属となった。
人事部が贔屓したわけではなく、事情を知る者の話では『二人とも優秀だったから引っ張ってきた』だけであるらしい。
双子の姉である梧桐陽菜は、染めて間もないのだろう明るい茶色のマッシュショートヘアに、生き生きと輝く鳶色の瞳をした、美女とまではいかないまでも可愛らしい顔立ちの華奢な女性だ。
弟である梧桐朝陽は、姉と同じように染めた髪を清潔そうに見える長さでまとめ、こちらはやや好奇心を隠しきれていない眼差しで、集まった社員達を順番に眺めている。
本来は部署内でこじんまりと行われるはずの新入り紹介だが、どうせなら二人一緒に紹介した方が効果的だとやけに張り切った総務部次長が音頭を取り、こうして皆一旦仕事の手を止めてフロアの中心である営業本部のエリアにひしめきあっている、というわけだ。
パチパチと自己紹介に対して『よろしく』という意味合いの拍手が起こり、それが収まってようやく新入りお披露目の場はお開きとなった。
集まっていた他部署の面々は足早にデスクに戻って行き、姉は総務部次長に、弟は営業本部長に連れられて、それぞれのセクションへと戻って行く。
やれやれ、と社員達の列に紛れていた『彼女』……雨宮 葉月もバレないようにこっそりため息をつきながらデスクに戻り、今日も山積みにされているデスク上のお仕事を片付けるべくパソコンを立ち上げた。
まではよかった。
「えー、では改めて……我が総務部に新しく入ってくれた期待の若手を紹介しよう。皆、集まって」
おっほん、と咳払いしてから声を上げたのは、普段は総務次長のデスクの後ろでのんびりふんぞり返っているか、仕事中の女子社員の背後に立って『いやあ、君。疲れてるねぇ。肩でも揉んであげようか?僕、上手いよ?』とセクハラをかますか、その程度しか存在感のない総務部長である。
特筆すべき点もない小太りの中年オヤジ、そのすぐ隣に立たされている陽菜のどこか困ったような表情を見て、葉月のみならず総務部内の女性社員全てが彼女に同情を寄せた。
(あーあ。早速気に入られちゃって可哀想に)
「えー、梧桐陽菜クンだ。あの名門月城学園高等科を出てすぐに我が社に入社、2年間関西支社でコールセンター業務をこなしてくれていたのだが、お客様方からも非常に評判がよろしくてね。そこで、ぜひ本社にと推薦の声が上がったというわけだ。いやあ、我が総務部が彼女を獲得できるとは正直思ってみなかったよ。我が総務部はなんといっても会社の柱だ。事務経験は少ないそうだが、なあにまだまだ若い!なにせまだ21歳だ。これから色々覚えて戦力になってくれることを期待しているよ、陽菜クン」
「あ、はっ、はい!よろしくお願いいたします!」
「結構結構。やる気溢れる若い力、いいねぇ。総務部内が一気に若返った気がするよ」
一瞬だが、総務セクション内の空気がピキッと固まった。
タヌキ部長の言葉に悪気はない。彼はただ、ストレスがたまらないように思ったことを素直に口にしているだけなのだ。
一瞬だけ固まった空気も、あのタヌキに腹を立てても仕方ないよねという諦めの空気に変わり、そしておざなりな拍手をきっかけにして、今度こそ皆各自の仕事に戻っていった。
葉月も当然のようにデスクに戻ろうとしたのだが、今度は陽菜を引き連れた総務次長に「雨宮さん、ちょっと」と呼びつけられた。
(今度はなに?お気に入りの子が入って来たんなら、そっちに集中すればいいのに)
総務次長の役職について1年になるこの上司、野上隆は葉月とはとことんそりが合わなかった。
葉月がこのTKエンタープライズに来たのは2年前のこと。
といっても正社員での入社ではなく、期間契約社員としてだ。
彼女は高校を卒業してから2社の大手企業を渡り歩き、そして2年前にこの会社に雇われた。
最初の名目は総務部主任であった女性の産休代理ということだった。
そのため葉月は極力引き継がれた仕事を効率よく進めることだけを考えて仕事を進め、いざ産休でその社員が戻ってきた時にスムーズに業務を引き継げるようにと、変更点などがあれば随時書き出したりしていた、のだが。
翌年になってみると、その女性社員は子育てのためフルタイムの勤務が難しいこと、家庭の事情で子供の面倒を他の家族に見てもらえないことなどを理由に、他部署への異動を願いでてきた。
基本的に、産休明けの社員を元の部署に戻すというのが決まりだが、本人の事情を考慮してのイレギュラー措置ということで、彼女は比較的時間の調節がしやすい部署へと異動していった。
その穴埋めのために葉月の契約は1年延ばされ、更に今回は異動してくる新人への引継ぎのためということでまた1年契約を延ばされた。
この会社自体は嫌いではない。それどころか、気の合う友人や有能な先輩、そして何故だかタイプの違う美人やイケメンが多く集まっているということで、目の保養にもなっている。
総務部の先輩達も、基本的には優秀で公私の区別はきちんとつけられる尊敬できる人ばかりだ。
ただし、タヌキ部長とハイエナ次長(葉月命名)だけは除く、という条件付だが。
何を言いつけられるのか正直気が重かったが、ここでもたもたしていては今はまだ機嫌のいい野上がいきなりキレないとは言い切れない。
何しろ彼は、お気に入りの社員をとことん構い倒す反面、気に食わない葉月のことをとことん貶してストレスの解消を図る、というのを習慣にしているのだから。
このことを知った別部署の友人などは、「ヒトとしてさいってー。私が人事部長だったら即効ヒラに格下げしてるわ」と葉月のかわりに怒り狂ってくれた。
その実、彼女は人事部も真っ青になるほどの発言権を持った人物と親しいのだが……そこはそれ。公私混同になるから、と葉月は『ここだけの話』で収めてもらっている。
「お待たせしました。何か御用でしょうか?」
「何か御用、じゃないでしょう。雨宮さんには梧桐さんの教育係として1年間ここに残ってもらう契約をしたはずです」
「はい。承っております」
「だったら早速引継ぎを開始してください。……梧桐さん、彼女は契約社員の雨宮さんといって、君が覚えるべき仕事を引き継いでくれますから。君なりのペースで確実にひとつひとつ仕事を覚えていってください。わからないことがあったり、なにか困ったことがあったら、私か直接部長に言ってもらって構わないから。いいですか?」
「あ、はい」
それじゃ、君の席はここですよ。
備品は後ろのグレーの棚に入ってますから、そこから取ってきてください。
電話はしばらく慣れるまでは取らなくてもいいですよ。
普段葉月に向ける時は常時不愉快そうなその顔を今はデレデレと崩し、まるで入社したての新入社員にするように……否、まるで一人娘に構いたくて仕方のない父親のように、彼女がちょっと周囲を見渡せばわかるようなことまでひとつひとつ教えていく野上。
陽菜はそのひとつひとつに律儀に「はい」「はい」と返事しながら、デスクの上に並べたステーショナリーを引き出しに手早く片付けていく。
それを見て、わりと手際はいいなと葉月は少し彼女に対する『華奢で言いたいことも言えなさそうな女性』という印象を上方修正する。
「あのっ、雨宮さん……これからよろしくお願いします!」
野上が傍を離れたタイミングで、葉月の前にきちんと座り直した陽菜がはにかむような笑顔を向けてくる。
なんだ、第一印象いい子じゃないか。そんなことを思いながら、葉月も軽く会釈を返す。
「契約社員の雨宮です。こちらこそよろしく、梧桐さん」
「雨宮さん、ちょっとこっちで打ち合わせいいですか」
「…………はい」
(また?ただ挨拶しただけじゃないの)
彼が「雨宮さんちょっと」と呼びつける時は、大抵ろくでもない八つ当たりか憂さ晴らしかストレス解消かのどれかだ。
それでもまだフロア内にいる時であれば嫌味程度で済むのだが、今回のように別室に呼びつけられた時は彼も容赦がなくなるので要注意だ。
うんざりしながらもそれを顔に出さないようにして呼ばれた別室に出向くと、彼は体育会系のがっちりと鍛えた身体を椅子に深く沈め、そこに座りなさいと目線と顎の角度だけで手前の席を示す。
「あのね、梧桐さんのことですけど」
「はい。何か気をつけることがありますか?」
「そうじゃないでしょ。なに先読んで先走ってんの。ちゃんと人の話を聞きなさいよ」
「……申し訳ありません」
彼はこうして葉月が先回りして話を進めようとすることが特に気に入らないらしい。
葉月としてはただ「はい」と返事することで愚鈍な印象を植え付けたくないため、あえて先回りして口を挟んでみたのだが、そういう聡い顔をこの上司は殊更嫌う。
彼は『女』という存在を心の中で軽視しているんだろう、と彼女はそう思う。
だからこそ、自分に従順そうな相手には優しく、自分の地位を脅かしそうな相手には威嚇して脅しつけてくるのだ。
と、そこまでわかっていながらあえて態度を変えない、そんな自分にも彼を煽っている責任はあるんだろうな、と彼女はそっと自嘲する。
もういいから黙って聞こう、と諦めて黙り込んだ葉月を見下ろすようにしながら、野上は陽菜についてあれこれと『気をつけること』を述べ始めた。
曰く、一宮や四条と並ぶ名家である梧桐家のお嬢様だから気を使うように。
曰く、葉月の常識を押し付けずに優しく、傷つけないように接すること。
曰く、総務部に早く馴染めるように他の社員との仲立ちをしてあげること。
(ああ、まぁつまりは自分達に都合のいいように育てろってこと?)
【梧桐】という名は、葉月も聞いたことがあった。今はそれほど力もなく、名家であるという名だけが残っているような家だが、だからこそ上司達は彼女を育てて実績を上げさせれば自分達の将来も安泰だ、とでも考えているのだろう。
アホらし。と吐き捨てるのは簡単だが。
「承知致しました。極力彼女に苦労も面倒もかけないよう、細心の注意を払って業務の引継ぎを行います」
いつも通り澄ました顔で、葉月は今日も上司に向かって嘘をついた。