海月
僕の話が終ったとき、母はすこし悲しそうな顔をしていた。しかし、それから続くものはなかった。彼女はすこし顔に陰ができたように見えた。自分のことは、自分でよく把握しているつもりだ。こうやって誰かに話さなくても、僕が一体どんな性格で、どんなものが好きで、どんな環境にいるのか、ちゃんと理解している。しかし、一つだけ僕には理解できていないものがある。その答えを知りたくて僕は母に今までを話したのだ。「どうして自分は忘れられたのか」、ただそれだけがわからない。
母は無言のままでいた。僕は僕という人間がどんな人間かを知っている。そして今、それを母に話した。しかし母の顔は、悲しそうだった。まるで僕に、「そうじゃない」とでも伝えているみたいだった。
「一浪」
母は僕の名をつぶやいた。色彩の薄い彼女の瞳には、僕の顔と、後ろで浮かんだクラゲがうつっていた。
「クラゲって、漢字にするといろいろあるのね」そう言うと母は鞄からメモ帳とボールペンを取りだし、そこに「海月」「水母」という風に書いた。「この町も「くらげ町」って呼ぶけど、漢字にすればこうじゃない」母は「暗気町」とそこに書いた。
何の話をしているのか、僕にはさっぱりわからなかった。
「どうして「暗気」って書いてクラゲなんだと思う?」
母の話はとても退屈で億劫だった。悲しそうな顔をしたまま、クラゲの名前の由来について話しはじめる。僕の背後からは女のナレーションがクラゲについて解説をしている。メモ帳に母が書いた「海月」という文字が見えて、すこし瓶サイダーが欲しくなった。海と、月。僕は海の水面に反射して、月が二つ生まれたあの景色を思い出した。しかしあの二つの月は、本物と偽物でしかなくて、海は偽物の方を抱えていて。「親だけど、わたしはあなたを助けることはできないと思う。……ううん、違う。親だから、わたしはあなたを助けることはできないのだと思う。でも、一浪。考えて。考えて欲しいの」
母の声に熱がこもる。二つの月が僕を見つめる。波が僕の前で立つ。
「海があなたに教えてくれることは何?」
海は僕に何を教えようとしているのだろう。
「月があなたに教えてくれるものは何?」
月は僕に何を教えようとしているのだろう。
僕は母じゃなく、自分に言う。
「わからない」
わからない、って。