多分、じゃないよ。
スカートを折っていて短い。それは中学のときからだ。真っ直ぐで背中を覆うくらいに髪が長い。それも中学のときから。ヘアーアイロンで痛んで色が落ちたのか、毛先あたりが日の光で茶色くなっている。睫毛がすこしくどい。これは中学のときと違う。頬が最初からそうであったようにピンク色をしている。これも中学のときと違う。高校生になって二年目にもなると、彼女の性格だから化粧くらいは齧っていると予想できていた。長袖の白いブラウスの袖を折っていて、ベージュのベストを着ている。色とデザインの派手なケースに入ったスマートフォンを片手に持って、右肩にスクールバックを担いでいる。そして、僕をずっと見ていた。僕が映る彼女の瞳には、僕の各部分へと飛んでゆく。まず顔、次に服、ちらりと足元、そして頭。
「一浪、だよね?」
「そう、だけど」つい僕から視線を外してしまう。彼女と最後にした話は別れ話だったから、すこし気まずい。
「どうしたの、その」
僕はうまく彼女と顔を合わすことができなかった。「ああ、いや、別に理由は自分でもわかっていないんだけど、さ」つい中学のときと同じような態度になってしまう。「え、何がわかんないの? ……っていうか一浪、通学かなんかで電車乗ってたっけ?」佳代は僕との距離を詰めてくる。これも中学のときと同じようだ。多分、彼女は僕が思っている以上に気まずさなんて感じていないのだろうと思った。「ほんと、久しぶりだね」
「ああ、うん。いや、この電車は使ってない。久しぶりにここ来たし、」
「でも制服じゃないし、どっか行くの? くらげ町方面ならこの電車に乗らないと駄目だよ? 駅前の方に行くなら今にあっちのホームに電車がくるからそっちに」
「いや、違うんだ」と僕は彼女からの質問を断ち切った。「この電車に乗るとかじゃなくてさ」
彼女は「うん?」とした顔で僕を待っていた。なんと説明したらわからない。視点がころころと変更される。一度として視界が定まらない。頭の後ろを掻く癖がつい出てしまう。
「その……、佳代に会いにきた、みたいな」
へ? と彼女は声を洩らした。ちらっと目をやると、チークとは違う赤みが頬に滲んでいて、わかりやすく照れをまたたかせていた。「いやいや、ちょっとよく分かっていないんだけど私」だからそれは俺もだって、と僕も言いたくなった。
「いきなりどうしたの、一浪」佳代はまだ顔を赤らめたまま、いささか無理して平然とした態度に戻した。
「いや、ごめん」何となく僕は謝る。
「えーと……」佳代はぎこちない瞳で僕を見たりして、はにかみを振り切ったように大きな声で「ねっ!」と声を上げた。「一緒に帰ろうよ。私の家と一浪の家、同じ方面だし」
佳代は中学のときと同じような態度で、同じような笑みが魅力的な表情で僕に接してくれた。「お、おう」僕と佳代はちいさな階段をおり、そのまま歩いた。「ほんとに久しぶりだけど、一浪、変わったね。なんか」佳代は僕のほうを何度か目をやりながら、そう言った。そうかな、と僕は返した。帆音にも言われたし、ヤギ顔のあいつにも言われた台詞だ。
「どこらへんが変わった?」
「んー、わかんないけど。なんか変わった」佳代はずっと持っていたスマートフォンを鞄のなかに片づけた。それから右の僕に顔をむけた。まだ頬が明るんでいる。チークなのか、照れなのか、底の浅い夕日だけでそれは区別がつかなくなる。化粧とかは関係なく、僕は中学のときより佳代がなんだか綺麗に見えた。二人で歩くのも久しぶりだし、この道も久しぶりに歩いた。線路と道を隔てるガードレールも錆が増えている。その下で僕らの歩みによって流れてゆく季節の花や草も懐かしい。佳代は今、どんな感覚でどんな気分なのか、僕には読めなかった。別れたときのことなど、もうどうでもよくなっているのかもしれない。それでも僕はこうしてまた隣同士で佳代と歩いていることに、とても懐かしさと当時とよく似た気恥ずかしさを感じている。変わった、と僕は言われたけれど、何も変わったものなんて無いような気がしてくる。
「よかった」
「え?」
突然、佳代はそんなことを言った。知らぬ間に僕は左を向いて、簡単に佳代の横顔を見られるようになっていた。「いま私、嬉しいな」もっと左を見れば、夕日がくらげ町の海の方面から、僕らまで達している。
先ほどとは反対方向の電車が僕らを通り過ぎていった。ほんのすこしだけ、風が残った。この踏切をこえれば、すぐに佳代の家がある。とくに交わした会話といっても、深い意味なんて持たないものばかりだけど、ほのかに心が戻ってきたような気になっていた。「なあ、佳代」
「ん?」踏切音が終わり、遮断機がゆっくりと上がっていく。
「さっき、俺が「変わった」って、言っていたけど、やっぱり詳しくは説明できないか?」
佳代は小さくうなって、すこしの間険しい顔をした。「んー、ごめん。やっぱりわかんないな」ごめんね、と佳代は言った。
「そうか。いや、別にいいよ」僕は佳代の家の前で足をとめて、佳代に手を振った。「じゃあ、また」
うん、と佳代は肯いた。「でも一浪。変わった、って言っても何もかも変わったわけじゃないよ。むしろ変わったものなんてたいしたことないところだよ。確かにちょっとは変わっちゃったかもしれないけどさ、一浪はなにも変わらないままだよ」
僕はおもわず曖昧に振っていた手を止めてしまう。僕はなにも、変わらないまま。
「気持ち悪いかもしれないけど、言っちゃうとね。一浪と会ったとき、とても気まずかったの。ほら、中学のときの最後があれだったし。でも、「佳代に会いにきた」って言われたとき、かなり嬉しかったんだよね。多分、じゃない。言っちゃうけど、さ? 私さ、まだ一浪のこと好きなんだよね。多分、じゃないよ。多分、じゃなくてさ」
僕はなにも言わなかった。夕日によって住宅地にたたずんでいた影がすこしずつ傾いていた。
「だからさ」佳代は家の玄関の鍵を開けながら、僕に訊ねた。「また、メールとかしてもいいかな?」
う、うん。そんな声と、そんな仕草しか、僕はできなかった。頭でもつれていた帆音の言葉やいろいろなことが、端っこの部屋まで追い出されていた。ひどく脱力感を占めていた。心が元あった場所をその沈黙で忘れて、透明になっていた。するりするりとそれらは戻ってくるけれど、なにも生まれない空白はじっと残っていた。電車が通り過ぎていったあとの風みたいに。
「それじゃあね」佳代はなにも変わらない顔で笑って、家へと入っていった。ドアが閉まる音で、僕の中で変わらないものは何かがすこし見えたような気がした。気がした。瓶サイダーが、飲みたい。




