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4 狐の去ぬ間に

 すぐ側でラジオ体操の音がする。

子供達にとっては待望の夏休みが始まったことと、朝が訪れたことを知る。

そもそも、この身に季節はともかく、世の中の暦と時間の概念があまりない。

ましてや、夏休みなどある訳もない。

 

 例の彼女──万尋(まひろ)──は夏休みともなれば、毎日のようにラジオ体操に参加し、昼間は他の子供達と一緒に社の周りを走り回っている。

注意して見ている訳ではないが、気がつくと気配を追ってしまう。

……気にするな、と言われる方が難しい。

今日も今日とて、脇息に頬杖を付きながら、その声を聞く。

 

『……聞いておりますか、(なぎ)?』

 

 少し苛立ったような狐の声。

全く聞いていなかった。

首を傾げて、狐を見遣る。

 

『全くもう、凪ときたら』

「ごめん」

『いいんですがね』

 

 聞けば狐は今日から3日ほど、社を空けると言う。

他所の社へ挨拶回りをするそうだ。

 

『だから、凪には大人しく、留守番をお願いします』

『くれぐれも、迂闊な行動は慎んで下さい』

 

 そんな心配はいらないでしょうけどね、と狐達は念を押す。

まるで、母親のようだ。

親はないけども。

 

 狐が連れ立って出掛けると、途端に社の中は静かになる。

浴衣の袂に手を入れて考える。

 

 ──今なら、いけるか。

 

 しばらく顕現の能力は使っていない。

少しの時間ならば大丈夫か。

 

 見た目はあの子と同じぐらいの年格好に。

着物もどこかで見かけた子供のように、現代風に。

ギンガムチェックの半袖シャツにハーフパンツ。

どこからどう見てもその辺の子供にしか見えないような出で立ちで、社を抜け出した。

 

 ──暑い。眩しい。

 

 久々に社から出た身を襲うのは、真夏の炎天下。

強い日差しが容赦なく照りつける。

普段、社に引き籠もっている身には中々に厳しい。

 

「……帽子が必要だったか」

 

 そう呟くも、この暑さのせいか人っ子ひとりとして見当たらない。

そりゃそうか。

こんなに暑いんじゃな。

じりじりと地面を焼く日差しを避けて、社の軒に腰を下ろす。

 

「雨でも降れば少しは涼しくなるか」

 

 残念ながら、俺にそんな力はない。

そんな気象の操作や天変地異なんて、俺に出来る訳もない。

 

 

 

 流れる空気に湿っぽさが混じる。

幾分か、土の匂いがする。

夕立の気配だ。

 そう思っているうちに、ぽつりぽつりと滴が落ちる。

見る見るうちに雨足が強まってきた。

 

 そんな頃、社に駆け込んでくる人間がいた。

正確には軒の下。

俺のいる場所に、だ。

 

 ──万尋(まひろ)だった。

 

 傘を持っていなかったのか、出掛けている最中に雨に降られたようだ。

自分の確認もそこそこに、手に持ったバッグの中身を確かめている。

 

「だぁれ?」

 

 ようやく先客に気がついたらしい。

真っ直ぐに俺を見て、話しかけてくる。

 彼女の顔をこんなに近くで見たのは、あの祭の夜以来だ。

ましてや、こんな明るい中では。

こんなに都合良く顔を合わせる機会があるなんて。

咄嗟に声が出ない。

 

「あたしも雨宿り、いいかな?」

「……うん」

 

 ようやく言葉を返すと、万尋が1メートルほど離れた所に腰を降ろす。

 そうして、彼女はこちらをじっと観察している。

この髪が、瞳が珍しいのか。

こちらが視線に耐えられず、彼女の持ち物に目を落とした。

 

「気になる?」

 

 俺の目線が手元にあるのに気付いて、こともあろうにその中身をぶちまけた。

バラバラと散らばっていく、色鮮やかな筆記用具とビー玉。

まさかそんなことをすると思わずに、呆然と散らばる様の向こうにある彼女を見つめていた。

 

「……ごめん」

「……ううん」

 

 慌てて足元のビー玉を拾う。

手を伸ばして届く物を拾い上げ、彼女に手渡す。

 

「あたし、まひろって言うの」

「まひろ?」


 彼女が手にした物の名前欄を指差した。

遠野 万尋(とおの まひろ)』と書かれていた。

遠野、万尋、と口の中で反芻(はんすう)する。


「万尋」

「うん。あたしの名前」

「……ちょっと借りるね」

 

 そう断って、その帳面の最後に俺の名前を書く。

御倉 凪(みくら なぎ)』と。

本当は苗字など、ない。

ただの『凪』なのだけど。

苗字は知り合いから借りた。

嘘ではないが本当の名前でもない。

 

「……なぎ、って呼んで?」

 

 万尋に『凪』と呼ばれるのが好きだ。

その小さい口から紡ぎ出される自分の名前に、胸が苦しくなる。

心の臓が掴まれたようにぎゅっとなる。

だが、不思議と気分は高揚する。

視界の端では、あの紅白の花びらが舞っていた。

 

 ──その笑顔も、可愛いその声も、繋いだ手の平も、その清純な気配も、すべて俺だけに向けられたものであったら良いのに。

彼女に触れ合ううちに、そんな邪な想いを抱いてしまう。

 

 ──いけない、それは駄目。

 

 そう自分を律して(かぶり)を振った時、俺の心の内を知ってか知らずか彼女は言う。

 

「凪が同じ学校だったら良かったのに」

 

 同じだったらずっと一緒にいられるのに、と。

 

──あぁ、不味い。

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