19 焦り、荒れる
本当に腹立たしい。
気づかなかった自分にも、隙をついて連れて行ってしまった彼女たちにも、そうと知っていて手を貸したであろう狐たちにも。
ようやく俺の部屋に万尋を招いたというのに。
俺の部屋で、俺の作った料理を食べて、洗い物を片付けているうちに事は起きてしまった。
二人掛けのソファに埋もれて寝てしまった彼女に、始めは『疲れていたのかな』と思って見ていたが、そのうちに異変に気付いた。
揺すっても、その名を呼んでも反応がピクリともない。
寝ているというより、気を失っているような。
それに、狐たちの姿も見えない。
いつもは行き先くらいは告げていくというのに。
「気を利かせた? ……そんなことはないな」
本当は今日、万尋を狐たちに会わせるつもりでいた。
もちろん、ペットの狐として。
だが、それを喜んでいたはずの狐たちが姿を見せないなんておかしい。
それはそれは、まるで俺の育ての親のように待ち望んでいたはずの彼等だから。
気を利かせて席を外すなんて有り得ない。
俺か俺よりも高位の者に頼まれない限りは。
「ウカ様たちの仕業か」
無礼を承知で着替えもせずに裸足でウカ様の館に上がる。
廊下を足早に進みながら、薄手の紺色のマリンパーカーを脱ぎ、その辺の物陰から覗く神使の狐の子供に向かって放る。
「ちょっと預かって」
『凪さまぁ』
館のあらゆる物陰から覗くのは、まだ年若く幼い神の子供か神使の子供たち。
いつになく荒れた俺の姿に怯えているのか。
だが、今はそこに気を配っている場合ではない。
夜目の利く我らに灯りはそんなに必要はない。
足元を照らす程の灯りでさえ、迷うこともほぼない。
だが、人の子である万尋にはそうではなかっただろう。
見知らぬ場所に、先が見えぬ程の暗闇。
陰に潜む小さき者たちに、話の通じぬ彼女たち。
さぞ、戸惑っていることだろう。
ウカ様の部屋を目指してズカズカと廊下を進めば、曲がり角で人に出くわした。
ぶつかるよりも先に、その大きな手に肩を掴まれる。
『凪か? どうした、そのような様相で』
『……佐田様』
稲荷神五柱の一人、佐田彦大神だった。
髪をみずらに結い、がっしりとした体躯にいつもとは違うラフな装束を纏ったその方は、今まで呑んでいらしたのかどこか酒精の香りがした。
服装を改めもせず、デニムのパンツにざっくりしたサマーニットのままでここまで来てしまった。
それに裸足のままだ。
佐田様には奇妙な格好に見えているに違いない。
『凪にしては、随分と慌てているようだな。稚児らも慌てている。顔も般若のようであったぞ。……ウカがまた何かやったか?』
出で立ちについては見逃してもらえるらしい。
そして、察しも早い。
流石は彼女らと千年以上もの付き合いだというべきか。
「……どうも、万尋がウカ様に拐かされたようで」
『……行くぞ、凪』
その一言だけで事情を理解した佐田様に連れられて、ウカ様の居室へと向かう。
ウカ様たちの居室のある奥は本来、俺などが気軽に伺ってよい場所ではない。
特別に目をかけて可愛がられていたからそのあたりは大目に見てくれているが、本来そんな神格ではない。
何せ、生まれからして格が違うのだ。
『佐田様、凪、お待ちください』
『狐か』
離れへの渡り廊下にさしかかった時、目の前に狐の番が姿を現した。
個体の差があまりなくて分かりづらいが、この番は俺の所の番だ。
『只今、許可を取って参ります故お控えください』
「……邪魔。どいて」
『凪!』
狐の張った結界の防御壁を蹴破る。
存外に脆く、池の薄氷のように砕け散る。
その破片が雲間から覗く月の光にきらきらとダイアモンドダストのように一瞬だけ瞬いては消えた。
『……いいのか?』
あっさりとかわされてしゅんと耳と尾を下げる狐たちを見やって、佐田様がさも気の毒そうに言う。
落ち込んでいるように見えるが、いつものこと。
どうせすぐに俺の親のような顔をして、進言という名のアドバイスとやらをするのだ。
「いつものこと。それに、此度の件はあの二匹も関わっている。そうでなければ俺の目を盗むなんて出来るわけがない」
『……そうか』
「そうだよ、行こう」
さらに暗い廊下に足を進めた。