18 彼女たち
真っ暗な廊下を点々と置かれた行灯が行く先を照らす。
足元が見えない中を着慣れぬ着物の裾を持ち上げて進む。
少し先を行く狐の番の先の白い尾がゆらゆらと揺れていた。
その柱の陰に、襖の隙間にこちらを伺う気配がある。
よくよく目を凝らせば、それは小さな狐や子供たちのようで。
向けられている視線に嫌な感じはしない。
興味津々にこちらを覗いているといったところか。
『……あれが末の様の?』
『……綺麗』
耳をそばだてれば、そんな声も聞こえてくる。
『綺麗』は着せられた装束に対してだろう。
では、『末の』とは?
誰を指しているのか。
どれくらい歩いただろう?
そんなに長時間ではないが、暗いせいか、時間の感覚が麻痺していた。
ずいぶん歩いたような気さえする。
「狐さん?」
そんな中、とある場所で狐たちがぴたりと止まる。
開け放たれた襖の代わりの衝立の向こうから柔らかい光が漏れている。
その明るさにほっとして、息を吐いた。
『さ、万尋様。こちらに御座います』
狐たちに促されて、部屋を間仕切る御簾を潜れば、目にも鮮やかな几帳が幾重にも重なる。
その色とりどりに目を奪われて、部屋の主たちに気付くのが遅れた。
『あぁ、あなたが万尋。こちらにいらっしゃい』
『どうぞ、遠慮せず』
ぼうっと立ち尽くす私へと、この部屋の主たちはそう優しく促す。
凛としたよく通る声は、その真っ直ぐな性質を伺わせる。
鈴を転がしたようなその声は、その優しく慈愛に満ちた響きとは裏腹に強制力を持つ。
恐る恐る足を進めて、彼女たちの側へと寄る。
『さぁ、もっと側へ。私たち、あなたに会ってみたかったのよ?』
『末の、の目を盗んでしまったけれど』
「……私に? それに、あなたは……」
彼女たちのすぐ目の前に用意された席に着く。
上等の座布団に肘を置くための脇息。
お茶碗さえもすでに用意されていた。
まるで、時代劇ぐらいでしか見ないようなシチュエーション。
席に着いた私を、身を乗り出して覗き込む彼女たちは絵巻物の姫か人形か。
白磁のような肌に、赤い唇。
射干玉の、という形容詞が似合うほどの艶やかな黒髪の上にはぴょこんと自己主張する耳が揺れる。
……耳?
『私は宇迦之御魂神。ウカ、と呼んで頂戴』
『大宮能売大神。アメ、と呼ばれている。会うのは初めまして、万尋』
「ウカ様に、アメ様?」
そう復唱すれば、『様なんていらない』と言われてしまう。
だが、誰が敬称を付けずにその名を口にできるだろうか。
言われずとも、やんごとない方々なのは一目瞭然だった。
『あなたは私達の秘蔵っ子の好い人だから』
「秘蔵っ子?」
『そう。私たちの末の子の』
まるで言葉遊びのような会話に、頭がついていかない。
わざと分かりづらくしてはぐらかされているのか、それとも私の理解力が足りていないのか。
『凪と言えばわかるかしら』
「凪って……御倉くん?」
『あぁ、そう名乗っているのね。御倉は私の名でもあるわ』
『きっと、ウカ様を敬ってのことでしょう。あれも稲荷の端くれですから』
彼女たちの口から凪の事を語られる。
どうして? これが夢だから?
それとも、夢ではない?
聞きたいことは沢山ある。
知りたいことも、問い詰めたい程に。
だが、どれも言葉には上手く出来ない。
開いた口は言葉を紡げずに、はくはくと開いては閉じる。
『いいえ』
『これは夢』
『夢だけれど、夢ではないかもしれない』
『凪は現世に住まう者ではない』
『だって、産まれたときからあの子は私たちの子であり、末の子でもあるのだもの』
背筋がざわっと粟立つ。
何を言っているのだ、この二人は。
だが、否定するだけの言葉は持ち合わせていない。
その言葉を真とするのなら、ここは。
『ここは私たちの庭』
『本来、人の子は入りえない場所』
『言うなれば神の庭と言ったところ』
『ようこそ、万尋。あの子の想い人』
『あの子は聡い子ね』
『もう気がついてしまったよう』
背後から、衝立の向こうからバタバタと騒がしげな足音が近付いてくる。