14 手の甲に口づけ
「御倉くんが万尋を好きなんじゃないかって話」
万尋の友達の瀬尾さんに言い当てられて、思わず苦笑する。
本人以外にはこんなにわかりやすいのに、想い人はなかなか気付いてくれない。
気付いてくれないというよりは、『そんな訳がない』と打ち消されてるのか。
まぁ、それならそれでも構わなかったんだけれど。
隣の万尋の耳元に口を寄せる。
あぁ、肩が強ばってる。
彼女の緊張が手に取るようにわかる。
いや、緊張してるのは俺なのか?
「後で、ちゃんと言うから」
そう囁けば、その細い肩が跳ねた。
「御倉くん、さっきのって」
夕方、駅で待ち合わせることにして、瀬尾さんとは一度別れた。
先を歩く俺の後ろを小走りでついてくる万尋が小動物に見えた。
「じょ、冗談だよね? 御倉くん、かっこいいし」
「それはない」
かっこいいなんて。
この十数年、年端もいかない幼女に一目惚れして必死に追いかけてきた情けない神の端くれです。
なんて、自嘲する。
小走りに走ってきたせいで、軽く息が上がっている彼女を見下ろす。
あの時の、幼い頃の面影をどこか残したかんばせは、紅く上気している。
末席とはいえど、神に愛された娘は健やかに育ってくれた。
「からかったりとか、」
「まさか、そんなこと」
そんなこと出来るはずもない。
というか、そんなことをして何になる。
「……少し、話せる?」
自宅のマンションにほど近い稲荷神社の境内へと誘えば、コクリと首を縦にする。
鳥居を潜れば、馴染みのある空気がこの身に纏わりつく。
それもそのはず。
ここの主は俺の身内のようなもので、ウカ様達と同じように可愛がってくれている方だから。
そんな馴染みのある気配達が、興味深そうに俺と彼女の回りを伺っている。
何か面白いことがあるのではないかと。
基本的に神という存在は楽しいことを好む。
それは稲荷の神もその神使も変わらない。
「御倉くんと前にここであったよね? 入学式よりも先に」
「うん」
この姿で初めて会ったのは確かにここだ。
三月の終わり頃に、彼女は稲荷寿司を携えてここにいた。
「俺は、ずっと万尋のことが好きだったよ」
万尋を一目見た時から。
あのひとときの夏休みから。
ずっと彼女の側で、鳥居の中から見ていた。
視界の中に、どこからともなくはらはらと紅白の花びらが落ちてくる。
それはきっと彼女には見えるはずもないもの。
「……ずっと?」
「そう。ずっと」
「御倉くんと出会ったのって……? え、でも……」
「覚えて、ない?」
首を傾げれば、同じように彼女も首を傾げる。
『うーん』と唸って考えこむ彼女を、石段に、俺の隣に座らせる。
「千迅は元気?」
「え、それはもう。姉の私よりしっかり。……って、妹のこと、話したっけ?」
「ううん。俺、会ったことあるよ。千迅」
赤ん坊の頃だけど。
あの柔らかな頬は忘れていない。
人の赤子ならではの柔らかさ。
それに掛けた祝いはちゃんと効いているようだ。
「ちょっと待って? じゃあ、会ったのは子供の頃?」
「そう。万尋の家の近くの稲荷神社で」
今、この時と同じように稲荷の鳥居の中で出会った。
あの時の甘美な時間は、ここ最近の俺の周囲を取り巻きつつある。
「…………な、ぎなの?」
「……うん」
彼女の口が俺の名を紡ぐ。
再び出会ってからはなかったことで、『御倉くん』と名字でしか呼ばれていない。
「え、本当に? 私の空想の友達ではなくて?」
「空想なんかじゃない。万尋のお母さんにも千迅にも会ってる」
「だって、こんな偶然」
「偶然じゃあ、ない」
これは偶然ではない。
ここまで手を尽くしてこうなるように、再び出会えるように仕向けて来たんだ。
間近でまじまじと見つめられる。
はっきりと思い出そうとしているのか、それとも確認しているのか。
その見開いた榛に、緩んだ顔の俺が写っていた。
「あなたの目に見覚えはあるの。光の加減で色が変わって見える、不思議な色」
「……うん」
「はっきりとは思い出せない。まだ、ちょっとだけ、待ってくれる?」
「……いいよ」
コツンと、右手の甲に彼女の手が触れる。
それを絡めるように握り込んだ。
嫌がるようなそぶりもなく、細い指が絡む。
「返事も待った方が良い?」
「あー、うーんと、」
そう尋ねれば、彼女は膝に顔を伏せた。
耳元がうっすらと赤く染まっている。
照れているのか、それとも?
「御倉くんのことは、多分好きなんだと思う」
「多分」
「うっ。……お友達から、とかじゃ駄目ですかね」
あぁ、照れているんだ。いじらしい。
そうと知ればなおのこと、可愛らしく見えてくる。
俺の可愛い万尋。
「……いいよ。それでいい。今のところは」
「御倉くんて、結構いじわる?」
「そうかな。凪って呼んでくれないの?」
右手に握った手の甲に口づける。
引っ込めようとするその手は、解放してあげない。
その反応すらも可愛らしい。
これが彼女にとっての『意地悪』なのかもしれないが。
「む、無理。そんな、呼べないから」
「じゃあ、今日の所は。豆腐、食べに行くんでしょ?」
頭から湯気が立ち上りそうなほどに赤くなった彼女の腕を引いた。