12 不思議な彼
いつも枕元に置いてあるスマホが鳴る。
あれ? アラームセットしたっけ?
眠くて目が開かなくて、手を伸ばしたがその手は空をきる。
「え?」
それに驚いて目を開く。
着のみ着のままの自分に、二重に驚いた。
しかも、昨日ちゃんと部屋まで帰ってきた記憶もない。
スマホはまだ鳴っている。
「コート、コート」
一応、コートは脱いでいたらしい。
椅子に掛けてあったコートのポケットを探れば、けたたましい着信音とバイブがその在処を示した。
「……うん? 着信?」
自慢じゃないが、目覚めがもの凄く悪い。
だから、着信とアラームは同じ着信音にしている。
ただ、寝ぼけながら電話に出てしまうこともあるのでいいのか、悪いのか。
そのスマホの画面には『御倉凪』の表示。
昨日、番号を交換したばかりだ。
「……っと、も、もしもし?」
『……起きた?』
電話が切れてしまう前に、と慌てて出れば、くすくすと笑う声が耳に届いた。
「あー、うん。今、起きました」
『だと思った。おはよう』
「……おはよ」
えーと、気まずい。
昨日、途中までは御倉くんといっしょだったのは覚えてる。
だが、そこからがさっぱりだ。
私、なんかやらかしてないよね?
『朝ご飯、買ってきたんだけど』
「え、いや。そんな訳には」
『おすすめのパン屋さんのだけど』
うっ。
そんなこと言われたら断りづらいじゃないか。
ってか、是非ともそのパン屋さんを教えてほしい。
実はパンが好物だったり。
『……っていうか、着いた。鍵、開けて?』
「……は?」
いや、ここオートロックのマンションなんだけど?
どうやって入ったの?
御倉くん、そんな人だったの?
もしかして:ストーカー?
「ちょ、ちょっとだけ待って」
それだけ言って、通話を切る。
玄関を開ける前に、鏡で顔をチェックする。
うわ、ひどい顔。
着替えどころか、化粧も落とさずに寝たんだからそりゃそうなんだけど。
鍵を開けて、恐る恐るドアを開けば、すぐ横で壁に寄りかかっていた。
朝日の中でやや灰色がかった髪が、キラキラして見えた。
「おはよう」
「……お、はよ」
「……お邪魔していい? 昨日もうお邪魔したけど」
昨日は部屋まで連れ帰ってくれたってこと?
いやいや、人になんてことさせたんだ、私は?
「ちょっと待って」
靴を脱ぐ前に、ドアに備え付けの郵便受けを開けた。
「ここに鍵入れてったから」
そう言って、郵便受けから取り出したカードキーを手渡される。
慌てて両手で受け取った。
「……もしかして、コート掛けておいてくれたのは御倉くん?」
「皺になったらいけないと思って」
いつもなら、もっとどこか適当な所に掛けてしまうだろう。
そのせいであれこれ行方不明にするんだけども。
「昨日はごめん。あと、ありがとう」
「大したことはしてないから。グラス、ある?」
コンビニのビニール袋から牛乳の1Lのパックを取り出して、テーブルに置いた。
食器棚からグラスを取り出した所で、彼にすっかり流されていることに気付く。
「ひとつでいい」
そう言って私の手の中からグラスをひとつ抜き取ると、それに牛乳を注いだ。
そして、それを私の目の前に置く。
テーブルの上には彼が持ってきたサンドイッチやパン、お持ち帰り用のカップに入ったコーヒーが並べられている。
「御倉くんはグラス要らないの?」
「このまま飲むから平気」
そう言ってラッパ飲みのように口を付ける。
ゴクゴク、と飲み下す度に動く喉仏に魅入った。
「……食べないの? 好きなの選んで」
「あ、うん」
ベーグルにハムとチーズを挟んだものを手に取って、かぶりつく。
薄切りの玉ねぎとハニーマスタードが効いている。
「あ、美味しい」
「それは、良かった」
思わず声を漏らせば、御倉くんがフッと微笑んだ。
「……聞いてもいい?」
「うん」
「あのさ、どうやってここのマンションに入ったの? 下のエントランスはオートロックだよね?」
そう。部屋のドアはカードキーで開け閉めするが、下のエントランスはそうはいかない。
カードキーは郵便受けにあったのだから、使えないはず。
一体、彼はどうやったのか?
彼はきょとん、として天井を指差した。
その仕草に首を傾げれば、口に入っていたものを飲み込んでから口を開く。
「俺の部屋、ここの二つ上の階」
「……へ?」
「昨日初めて知った」
よくよく聞けば、彼も大学生になってから一人暮らしを始めたのだと言う。
このマンションは両親の知人の持ち物で、それまでは親戚の家に下宿していたとか。
両親は海外に赴任しているらしい。
「まぁ、そんな訳だから」
「そっかぁ。そうなんだ」
そんな偶然ってあるものなんだろうか?
いや、あってもおかしくはないけれど。
まず、あることじゃないんじゃないかな。
「なんかあったら、遠慮なく頼って。俺で良ければ」
「……うん。ありがと」
なんだか腑に落ちない気がする。
でも、御倉くんは悪い人ではない。
仕組んで出来るようなことでもないだろうし。
なんとく不思議な雰囲気の中、朝食を済ませ、私の支度を待って、一緒に大学に行くことになった。
それに疑問が無いわけではないけれど、断る理由もなかった。
──なんだろう? この感じ。
なんとなく、不思議な感じがした。