10 神の庭
次に目が覚めたときには、体は随分と楽になっていた。
傍らには狐が、申し訳なさそうに控えていた。
『凪、申し訳ありません。凪のことを相談したばかりに……』
「……怒っていないよ。ごめん、心配させて」
『そんなことは』
それから侍女に取り囲まれ、されるがままに着替えをさせられる。
お山に来た時くらいにしか着ない堅苦しい着物を着せられた。
(それでも病み上がりのせいか、まだ楽な方の着物だ)
侍女にかしずかれ、ウカ様の元へと案内される。
衣擦れの音と、時折鳴る床の音が静かな中に響く。
喧騒ははるか、遠い。
なんだか落ち着かない。
昔はここに住んでいて、これが当たり前だったのに。
ここしばらくはこんな風にかしずかれたり、世話をされることはなかったから。
現金かもしれないが、早く自分の社に帰りたい。
『あぁ、凪。体調はどうです?』
「大丈夫、ウカ様。佐田様も。心配かけました」
ウカ様の元へは既に佐田様も大宮様も、田中様やしの様までがおいでになっていた。
これぞ稲荷神、の五柱が一同に揃っているのだ。
『心配なぞ。わたくしたちの凪のことなのですから』
『心苦しく思うことはない。たまのことなのだから』
『さあ、こちらへいらっしゃい』
下げられていた御簾の中へと招き入れられる。
『さぁ、話を始めるとしようか』
佐田様が顎をさすりながら、ニヤリと笑った。
結論から言うと、『相手は人間と言えどもまだ子供。時間はある。嫁に貰いたくば、惚れさせろ。あと、精進しろ』。
神とはいえ、随分な物言いである。
「……それでいいの?」
あまりにも呆気ない結論で、聞き返してしまう。
少なくとも、そんな簡単な話ではないと思っていた。
『いいも、何も。凪がその子供を嫁に貰って神籍に入れるも、人間のように暮らし家庭を持って生きていくも、お主次第だということ』
『どちらにしても、修行して精進せねばならぬな』
『何しろウカが乗り気でね。凪に意地悪をするなと言われておる』
『私たちの凪ですからね』
『……それで、どうする?受けるのか、受けないのか』
「……受けるさ、勿論」
それからあれよあれよという間に、周りが整えられていった。
口を出す暇もないほどに。
自分の社には代理の者が立てられ、俺はお山で修行という形になった。
なかなか、社に帰る機会はなかった。
それでも『仕方ない』と思ってそれを受け入れた。
自分で望んだことなのだから。
長い時間を渡る者からみればほんの少しのこと。
砂浜の数多の砂粒のほんの一匙に過ぎない。
俺の代わりに社に派遣された者も、狐も、彼女のことは快く教えてくれた。
晴れ着を着てお参りに来たこと。
父親の手伝いでお神酒をあげに来たこと。
『まぁ、あれだ。凪が社から中々お山に帰ってきたがらないのも解る』
「……そう?」
『あぁ。食い物は旨いし、祭事もちゃんとやってくれてるし、信仰が生きてるというか。人の世が身近に感じられるな』
「……うん」
代理の彼の口さがない言葉に、頬が緩む。
なかなか悪くないだろう?
『まぁ、ちゃんと預かってるから安心して励めよ』
「あぁ、頼む」
彼は一度、廃された社の神だ。
だから、尚更良い印象を受けるのだろう。
参る人がなくなれば、信仰がなくなれば、そこは荒れてしまう。
俺たちの力ではどうすることもできない。
止めることも出来ずにただ、見守るしかない。
それを彼は見てきているのだ。
『あぁ、凪。こちらにおったか』
「佐田様」
狩衣の裾を翻し、佐田様が庭へ降りてくる。
そして、渡されたのは厚めの茶封筒。
『お主、寺子屋に行く事になったぞ』
「……は?」