1 稲荷の庭で
私の家の近所には、小さな神社がある。
朱い鳥居に、朱い社。
神主はいないけれど、由緒は正しく江戸時代から。
氏子はご近所の皆さんで。
私たち近所の子供は、そこを遊び場に育ったといっても過言ではないのかもしれない。
夏休みにはラジオ体操のために鳥居の前に集まり、おままごとやお絵描きのために境内(そんなに広くはない)を借り、雨宿りのために軒を借りた。
今思うと、とっても不敬なのだけれど。
まるで自分の家の庭のように、そこに親しみを持っていたのだ。
私はそこで彼と出会った。
小学校低学年の夏休み。
友達の家からの帰りに雨に降られ、そこに立ち寄ると先客がいた。
「だぁれ?」
狭い軒の下で体育座りを決め込む彼に呼びかけると、その肩がびくっと跳ねた。
そして、おそるおそるといった風に振り向く。
──綺麗な子だった。
雪のように白い肌に、金色にも見える飴色の瞳。
ふわふわと揺れる灰色がかった柔らかそうな髪。
驚いて見開いた瞳が、今にもこぼれ落ちてしまいそう。
「雨宿り?」
返事こそないものの、コクンと頷く。
「あたしも雨宿り、いいかな?」
「……うん」
今度はしっかりと返事が返ってきた。
きっと人見知りする子なんだなと、つかず離れずの距離に腰を下ろす。
「雨、止まないね」
「……そうだ、ね」
雨はまださぁさぁと音を立てて降っている。
もう少し小降りになってから帰ろう。
そうじゃないと、家に着くまでに濡れてしまうだろうし。
何よりも隣に座る、この彼の事が気になる。
「どうか、した?」
彼の視線が、私の手元に向いていることに気付く。
手元にあるのは、その頃お気に入りだったキャラクターのアップリケのついたバッグのみ。
遊びに行くために色鉛筆やスケッチブック、塗り絵を入れていた。
「気になる?」
彼からの返事を待たずに、バッグをひっくり返す。
バラバラと、お絵描きの道具と貰ったビー玉とお菓子が散らばった。
まさかそんなことをするとは思ってもいなかったであろう彼は、再び目を見開いた。
「……ごめん」
「……ううん」
全く関係のない彼も、その手を伸ばしてお絵描き道具を拾う。
二人額を合わせるように屈んで拾い集める姿は見ようによっては、とても微笑ましいものであっただろう。
ただ、単に私がガサツなだけなのだが。
(それは大人になってもあまり変わっていない)
「あたし、まひろって言うの」
「まひろ?」
スケッチブックの名前欄を指差す。
『遠野 万尋』。
今はもういない祖父が付けてくれた名前。
「万尋」
「うん。あたしの名前」
「……ちょっと借りるね」
そう言った彼はサインペンを手に、スケッチブックの最後のページに書き始めた。
『御倉 凪』
「みくら なぎ。凪って呼んで」
そう言って彼は、にっこりと微笑んだ。
それを切欠に私と凪は、遊び友達になった。
夏休みの間中、神社で待ち合わせて遊んだ。
近所に同じくらいの歳の子供があまりいないこともあり、嫌な顔をせず遊びに付き合ってくれる凪が大好きだった。
「万尋。このおやつ持って行って、凪くんと食べなさい」
今日も凪と遊ぼうと家の玄関を飛び出そうとしたら、お母さんに呼び止められた。
二月に生まれたばかりの妹の千迅を腕に抱いたお母さんに、紙袋を渡される。
ずっしりと重みのある紙袋に首を傾げると、『ドーナツとジュースが入ってるからね』と言われた。
「ほらほら、暑いんだからちゃんと帽子被って。今度、凪くんを連れて来なさい。お母さんも一度ちゃんと凪くんに会ってみたいわ」
「そう? じゃあ、今度遊びに来てって言ってみる」
凪と遊ぶようになると、私の口から彼の名前が出ない日はなくなった。
我が家では、彼は私のボーイフレンドとして周知されていたらしい。
(父だけは認めないなどとのたまっていたようだが)
「凪!」
「……万尋」
炎天下の青空の元、神社の鳥居に寄りかかるように凪はそこにいた。
白い麦藁帽子の下の白い顔が火照って、やや赤く上気している。
ほっとしたような表情を浮かべて。
「顔、真っ赤だよ? 屋根のある所にいたら良かったのに」
「……だって、万尋を待ってたから」
そんなことを言って、はにかむように微笑む。
そんな凪を木陰のある方へと引っ張って行って、紙袋から缶ジュースを取り出した。
「それは?」
「ママから。ジュースとドーナツだって。凪と食べなさいって」
そうして、今日の遊びの予定を決めるのだ。