黄色い星の少女
「悪いわね。忙しいのに手伝いなんて頼んじゃって」
沢山の資料を抱えて迎え入れてくれたのは同じ師匠の下で学んだ女性だった。年は自分よりひとつ上だが、そう変わらずに入門したからか友人のように気安く話せる仲だった。
「今年は入学志願者が多くて手が回らないのよね……」
「有名な脚本家が書いた芝居の影響かい?」
「まったくたまったもんじゃないわ。芝居の所為で志願者が増えるなんて、碌でもない子供たちが集まっているはずよ」
一頻り愚痴ってから「はいこれ。よろしく」と渡されたのは魔法学校に入学しようと提出された沢山の子供の願書と資料だった。女は左肩を叩きながら首をぐるりと回す。
「あたしが師匠の所を卒業してから魔法学校の仕事に就いて五年になるけど、今年はいつもの倍以上の希望者が来てるわ。なにが『魔法使い~煌めきの彼方に~』よ!訳の分からない題をつけて魔法の魔の字も知らない奴が書いた芝居に入学者が左右されるなんて!!」
信じられないと叫んで男の鼻先に人差し指を突き付け、女は隈のできた荒んだ瞳を細くした。睨まれてもどうすることもできないので苦笑するしかない。
苛々と溜め込んだ鬱屈を久しぶりに会う友人に吐き出してすっきりしたいのだろう。
「内容は魔法使いの冒険活劇みたいだけど、必要以上に派手な演出と呪文を唱える時の陳腐な台詞。大体悪の魔法使いがいかにもな年寄りの爺でで、手を組んでいる騎士と魔法使いの主人公が戦って勝つだなんて有り得ないわよ。剣と魔法じゃどうなるか目に見えてるじゃない?」
確かに騎士と魔法使いが一対一で戦えばいくら魔法に長けている使い手でも剣には勝てない。魔法を唱えている内に斬りつけられてしまうのだから。
「相変わらず現実的だね」
「まあね。だからあたしは貴方と違って学校に雇ってもらったんじゃない。あたしには理想や夢を追い求めて研究するのは性に合わないのよ。子供たちに魔法を教えている方が向いているわ。子供は可愛いわよ。貴方も魔法学校に雇ってもらったら?」
「……私は研究の方が楽しいからね。それに子供は苦手だし」
とんでもないと首を振った男に女が「物好きね」と苦笑する。
「じゃあ弟子もとらないの?研究が忙しいから」
「考えられないね」
二人は長い廊下を歩いて奥へと進む。学食というプレートのついた両開きの扉の前を通り過ぎて左手に現れた階段を上る。踊り場には学長の肖像画が飾られていた。
「そういえば学長は元気かと師匠が聞いてたよ」
「ああ……元気よ。超がつくくらい。昨日も夜遅くまで酒を付き合わされたわ」
「相変わらず?」
「そういうこと」
足を止めて肖像画を眺める。そこには四十半ばの女性が描かれていて、茶色の瞳が冷たい色を湛え、見る者に恐怖を与えようとするかのようだった。長い髪を結い上げ黒いドレスを好きなく着こなしている。学長は飾り気の無い杖と朱色の本を手に威厳のある姿でそこにいた。
「愚痴はいつも同じ。男って勝手」
「……それも伝えておくよ。師匠に」
「そうして」
二人は顔を見合わせて苦笑する。
師匠と学長は昔恋人同士だったと聞いている。十歳も離れた恋故に周りは反対した。そしてお互いに才能が有り、将来を期待されていた。今は恋愛よりも勉学に励めと諭され別れたらしい。
詳しいことは聞いていないが互いに伴侶を持たずに今もいる所をみると、未だに気持ちはあるのではないかというのが二人の意見だった。
「それで私はどうやって見極めればいいのかな?」
「簡単よ。やる気と才能のある子を選べばいいだけだから」
「選べばいいって……そんな簡単にはね」
「見れば解るでしょ?」
そう。才能のある子は大体見れば解る。説明しろと言われると上手くいえないのだが、肌で感じるのだ。
「今やっている筆記試験が終わってから子供たちには食堂で食事をしてもらって、面接という手順よ。受け持つ子たちの答案用紙が届けられるから答え合わせをしてね。さっき渡した願書と資料にも目を通しておいて」
「……これ三十人近い量の願書だけど?」
「正確に言うならば三十七人よ。四十人だったんだけど三人が受験を辞退するって」
「それ全部に目を通した挙句に答え合わせをして面談とは……人使い荒いな」
「なんとでも言って。悪いのはあの」
「「魔法使い~煌めきの彼方に~」」
二人は声を合わせてから神妙な顔をしてため息を吐いた。男は沈鬱な気持ちを抱えながら階段を上り、少し先を歩く女の後をついて行く。これからの作業のことを思うとうんざりしてしまう。できるだけ早く切り上げて、自分の研究に専念したい。
「……ところでまだ研究してるの?あの星のこと」
二階を通り越し更に上へと上りながら女は振り返りもせずに尋ねてくる。それに「まあね」と返して二階と三階の間の踊り場の掲示板に目をやる。そこには今日の試験のことと入学式と歓迎会の日程と注意書きが書かれていた。
「貴方にしか見えない星が三つ。赤と青と黄の星。どれぐらい解明できたの?」
「……君が興味を持っていてくれていたとは感激だ」
「茶化さないで」
今度は振り返り女が真剣な瞳で男を見る。
「報告できるほど解明はできていないよ。どうしてあれほどはっきりと見える星が他の人に見えないのかもね」
それは男と女の師匠ですら見えない星。男は師匠の下で占星術を主に習った。初めてその不思議な星を見たのは十五歳の時。突然東の空に青い星が現れた。次の年の冬に赤い星を北の方に見つけた。そしてそれから三年後に黄色の星を西で発見したのだ。
「ずっと観測しているけど動きが読めないし、なにを意味しているのかも解らない」
「……研究研究って毎日楽しい?」
「解らなければ解らないほど夢中になるよ」
変わらないわねと微苦笑して女は三階の廊下に出て直ぐの部屋の扉を開けた。その扉には270番~310番面談室と書かれた紙が貼られている。
「ここが貴方の仕事部屋よ」
「……なかなか快適そうだ」
中に入り窓際の机の上に資料を乗せて部屋を見渡す。普段は使われていないのだろう、机の他には受験者が座る椅子しかない。掃除されているので埃ひとつないのがまた寒々しい。
「すぐに答案用紙が届くから。よろしくね」
男の皮肉を受け流して女は手を振る。そして扉を閉めようとして途中で止めた。資料を広げ始めた男が不思議そうに目を上げる。
「赤の星は凶星なの?」
少し不安げな表情の女を安心させる言葉をかけてやることはできない。それはまだ解らないが、恐らくそうであろうことをどこかで感じていたからだ。
「青の星は吉兆を表す物だと思う」
「じゃあやっぱり赤は凶兆!?」
「それならば黄色は?」
「……なに?」
「それが解ればね」
教えて欲しいのは男の方だった。赤は多分凶。青は吉。では黄は……?今まで色んな可能性を考えてきたがしっくりくる答えは出なかった。
なにか問いたげな顔をしながらも女はそれ以上何も言わずに出て行った。小さな扉の閉められた音が部屋に響いてほっと息をつく。ちらりと窓の外を見て学校の大きさを再確認する。
魔法学校は都市部から切り離されている。生徒はみな寮に入り、休暇は成績優秀者にしか与えられない。規律が厳しく、規則を破ることは退学を意味する。智を重んじ、賢さを尊ぶ。驕ることは成長を止めること。物事の道理を知り、魔力の流れを把握することのできる魔法使いになることを目標としている。入学した時から自立することを求められるので、親といえども簡単には面会もできない。
それでも入学したいと志願する子供たちは様々な事情を抱えながらも後を絶たない。
男のように魔法学校に入らずに直接師匠の下で修業することもできるが数は少なかった。ほとんどが学校へと入学する。
「巨大な牢獄だ」
学校を取り巻くのは広大な森と小高い山。森の中には湖があると聞いたことがある。山にはモンスターが出る。もちろん野生の動物も多く生存している。薬草も毒草もある。そういうものを森や山で学ぶのだ。
危険を前提に。
「さてと……取り掛かるとするか」
資料を手に取り十人分程目を通した所で答案用紙が在学生によって届けられた。取り敢えず答え合わせの方を優先することにして資料は端っこに追いやる。
「……意外と簡単な試験なんだな」
試験は一般常識の範囲内で答えられる問題ばかりだった。しかも受験者はみな子供なので大人から見れば馬鹿馬鹿しく感じられるほどだ。
まあ知識は入学してから蓄えることができる物だからあまり重要な点ではないかもしれない。必要なのはその子供が持っている才能。いくら頭が良くても魔法使いとしての大切な素質を持っていなければ、どんなに頑張っても上達しない。
「みんなお利口さんだからちゃんと勉強してきているね」
どの子も及第点。問題は面接。やる気があって才能のある子を選べと言われても、この世界には魔法の源が溢れていて魔法使いでなくても源を使い明かりを灯したりすることができるのだ。
そういう点においてどの子も才能があるといえる。ただ抜きんでている子を選ぶとなれば厳しい眼で見なくてはならない。
もしかしたら三十七人中十人いるかいないか。
「全員落第させても面白いかもしれないな」
もう一度資料を手にして自嘲気味に笑う。あまり魔法使いが増えたら困る。みんなが一斉に源を使えばそのうち無くなってしまうかもしれない。本当に使わなければならない時に使えなくなってしまっては困るのだ。
「商売敵も少ないにこしたことはないしね」
勢いよく資料を投げ捨てて立ち上がり窓辺に寄る。そしてそっと窓を開けると濃い緑の匂いが風に乗って入ってきた。鳥の囀りが聞こえて一瞬現実を忘れる。
「そろそろお願いします」
「…………ああ」
先程答案用紙を持ってきた学生が扉を叩いて報せる。それに面倒臭そうに頷いて見せると少し不安そうな顔をしながら頭を下げて退出する。
すぐにまたノックが聞こえた。緊張が伝わってきそうな小さなその音に受験生だと苦笑して窓を閉めて椅子に座る。「どうぞ」と応えると「失礼します」の声と共に男の子が入ってきた。
「どうぞ座って」
「はい」
椅子を勧めると真面目な顔で返事をしておとなしく座った。その顔面蒼白になるほどの緊張ぶりに笑いが込み上げてきたがそれをなんとか精神力で飲み込んだ。
仮にも手伝いとはいえ試験官を任されているのだから受験生を笑い飛ばすわけにはいかない。幾つかの質問をしてから退出を促す「以上です。ありがとう」を告げるとほっとしたのかやっと小さく笑って「ありがとうございました」と深々と頭を下げて出て行く。
「ふう……子供の相手というのは大変だ。私は学校の先生にはむいてないな」
質問に答えられないと泣きそうになるし、救いを求めるような瞳で見つめてくる。つくづく実感して願書の名前の所に不合格と書く。
至って普通。光る物が無いと感じたからだ。
それから「以上です。ありがとう」を十三回続けたがあまりピンと来る子供はいなかった。今の所は合格者なし。あとで怒られるかもしれないが仕方ない。
「どうぞ」
「失礼します」
今度のノックの音は少し力強く好感が持てた。自分は魔法使いになるのだという強い意思が感じられる。
入ってきたのは女の子だった。茶色の髪にすみれ色の瞳。黒いワンピースの胸元に星の形のブローチをつけていた。緊張した頬が少し赤く、唇は微かに震えていたがその瞳は真っ直ぐにこちらを見ている。
「座って」
「はい」
腰を下ろして顔を上げた少女と目が合う。一瞬こちらが怯んでしまうほどの視線に驚く。睨まれたわけではない。ただ目が合っただけなのに圧倒された。
これは間違いなく合格だ。
質問をするまでも無い。それでも何も聞かずに帰すわけにもいかないので、どうすべきか悩んで願書と資料に目を落とす。
そこではたと気づいた。
「あの……?」
恐る恐ると言うふうに尋ねてくる声に我に返る。顔を上げて「すまない」と謝ろうとしたら窓から射し込んだ光が少女の星のブローチに反射して目が眩む。金色の光。
それは限りなく黄色に近い。
「そうか……」
呟いて納得した。十年間の疑問のひとつに答えを見出すことができた。
「どうして魔法学校に入学しようと思ったのかな?」
「それは、魔法使いになりたいからです」
何故そんなことを聞くのだろうかと困惑している少女に男は頷く。理由はそれ以外にあるはずが無い。今年六歳になる子供に尋ねたところでそれ以上の答えは出ないだろう。だが「どうして魔法使いになりたいのかな?」と敢えて質問を繰り返す。
少女は唇を噛んで俯く。泣くのではなく考えているようだったからじっと答えが出るまで待った。
「魔法が……一番好きだからだと思います。色んなお話に出て来る勇者や聖者よりも魔法使いが好きなんです。だから魔法を勉強して立派な魔法使いになりたい」
顔を上げた少女の瞳がきらきらと輝いた。喋りながら自分が魔法使いになりたい理由を再確認して更に気持ちを固めていく。
それは揺らぐことは無いように見えた。
「それから……魔法が私にとってとても大切な物になるような気がするんです」
「大切な物?」
少女が大きく頷いて膝の上の小さな手をぎゅっと握りしめた。自分の中にある言葉にできない思いをなんとか形にしようと頑張っている。
「必要だっていう感じです」
「成程。よく解りました。ありがとう。以上です」
にっこり微笑んで面接終了を告げるが、上手く言葉にできなかったことに納得のいかないまま立ち上がり少女は頭を下げた。
「ありがとうございました」
少女は出口まで行くともう一度会釈してから扉の向こうに消えた。
背もたれに体重を乗せて深くため息を吐く。願書を手にして合格と書こうとしてまた息を洩らす。
悩んでいる間にまたノックが響いた。ひとりの気になっている少女にかまけてはいられないのだ。
「どうぞ」
あと二十二人の子供の面接をしなければならない。今は目の前のことに集中することにして仕事をこなしていく。
結局合格者は九人。
あの少女を入れて。
「さて……どうしようか」
少女の願書と資料を手に再び悩んで窓の外を見た。もう日が暮れ始めている。夕日が森の向こうに傾いて茜色に染めていく。
「どうだった?合格者は何人?」
女がやっと終わったと安堵した表情で部屋へと入ってきた。その手に合格者の願書を持っている。
苦笑して「九人だよ」と机の上にまとめていた合格者の願書を左手で取って渡すとざっと目を通した後で不思議そうに首を傾げた。
「八人分しかないけど?」
「それなんだけど……」
言いよどんだ男に先を急がせるわけでもなく、先程まで子供たちが座っていた椅子に腰を下ろすと大きな欠伸をひとつした。膝の上に置いた合格者の願書は二十六枚。女が受け持った受験生は六十人。男が八人分渡したので六十人中合格者は十八人だ。
「希望者が増えても合格者はそう変わらないみたいね。他の所でも合格者は十五人前後みたいだから」
「九人しか受からないのかと怒られると覚悟してたんだけど」
大きなため息を吐いて女は小さく頷いた。
「もっと少なかったら怒っていたかもね」
「……それじゃ尚更言いにくいな」
渋い顔をして男は願書に視線を落とす。別に責めるような風でも無く「なんなの?」と短く問う。
「怒らないで聞いて欲しいんだけど……この子を私に譲ってほしいんだ」
「それって……どういう意味?」
「弟子にしたいと思ってね」
女が目を丸くして「弟子?」と繰り返す。確か昼までは子供は苦手だとか、弟子をとるつもりはないと言っていたはずではなかったか。それが急に面接をした子を弟子にしたいと言い始めた。
これはただ事ではない。
「なんでまた」
「星だよ」
「星って……なにが?」
困ったように笑って「私が星といったらそれ以外にないだろう?」と願書を差し出した。受け取って女は名前と住所、それから生年月日を見て気付く。
「まさか」
「黄色の星が出た日に生まれた子だ」
「でも、そんなの世界中に何人もいるでしょ?この子がその星の」
「間違いないよ」
女の言葉を遮って言い切った男の目は確信に満ちていた。
あの少女の胸に輝いていた星。偶然ではなく会うべくして出会ったのだ。十年前に見つけた青い星。そして次の年の冬に現れた赤い星。そして三年後に出てきた黄色の星。この三つの星が男にしか見えないこと。
そして黄色の星がなにを意味しているのか。
解ったのだ。
少女は木の星が出たその日に生まれ、そして男と出会った。それだけで十分だ。あの星が男にしか見えないのは役目があるからだ。
黄の星を導き魔法を教える為に。
目があって圧倒されたのは少女にではなく、その運命に気付いたからだ。
「……まったくしょうがないわね。でもね。学校に来るか貴方に弟子入りするかを決めるのはこの子よ?」
「解っているよ。もちろん」
嬉しそうに笑う男につられて女も笑う。
「今度その子に会ってみたいわ」
「きっと君の力を借りなければならない時がくるからその時にね」
「あら?授業料高いわよ?」
「今日の手伝い分で帳消しだよ」
「有望な学生を横取りしといてよく言うわ」
「まだ学生じゃないから横取りにはならないだろ?」
「でもうちの受験生だし、合格者よ?」
「決めるのはこの子だからね」
「……負けたわ」
軽口を叩きあう表情は明るい。体はクタクタでもう動く気力すらないのに、女は男が久しぶりに饒舌に話す姿を見られて嬉しいからと笑う。
喜びの向こうで冷静な男の頭は赤い星のことを思い浮かべた。黄の星の少女が見つかったということは赤い星の宿命を持った人物がいるということでもある。
それが怖かった。
凶星。
なにが起こるというのか……。
男は魔法学校からの合格通知を手に少女の家を訪ねた。少女の家がある街は様々な工業が盛んな所で職人たちが多く住んでいた。南にある港から数多くの商品が国外に輸出されている比較的豊かな国だ。
住宅街にある二階家のドアを叩くと母親らしい女性が「どちらさま?」と顔を覗かせて不思議そうに見たことも無い訪問者を見上げる。
「突然の訪問をお許しください。私は魔法学校からの使いで参りました」
名乗って頭を下げると女は「まあ……わざわざありがとうございます」とドアを開けて男を中へと招き入れた。二階へと続く階段の下から母親が娘に降りて来るように伝え、男を奥へと案内する。
「学校から使いの方が来るなんて聞いていなかったので、何の用意もしておりませんが」
「いえ。本来ならば通知は配達されるものなんです。お気遣いなく」
居間へと通されて男は椅子を勧められ座る。母親はお茶を淹れに台所へと姿を消した。
なに不自由ない生活が窺える家だった。母親のエプロンは清潔で髪も綺麗に結い上げられ、掃除も行き届いている。どちらかというと裕福な家。
「……そんな子がどうして」
魔法学校に行かなくても年頃になれば結婚して子供を産み、幸せな生活をして沢山の人に祝福されただろうに。わざわざ苦労して魔法を学び、魔法のために生きるという。
学校へ行ったとしても途中で挫折する者も多いのに。
「こんにちは」
母親よりも先に居間に辿り着き、入り口から少女がはにかみながら挨拶をする。白いブラウスに赤いスカート姿で胸にはあの時と同じ星のブローチをしていた。
男は座ったままで会釈して「こんにちは」と応えた。
「あの……面接の時の先生ですよね?」
覚えていたのだろう少女が確かめるように尋ねてきた。それに笑顔で頷き近くに来るように手招きした。
「おめでとう」
「え……?」
ゆっくりと歩み寄った少女に合格通知を渡す。少女は封筒を開けて中を確認するが、書かれていることは難しい言葉ばかり所々しか理解できないだろう。入学式の日時と入寮日時が書かれているのだけは解るはずだ。合格だろうと判断したのか少女は「ありがとうございます」と礼を言った。
「先程君の母上にも伝えたことなんだけど本当は通知は配達されることになっていてね。直接関係者が手渡しに来ることは無いんだよ」
「それってどういう」
困惑気味の少女に男は優しい微笑みを向けて「特別だからだよ」と告げる。反射的に首を横に振ってそれは違うと少女は否定した。自分が特別だと感じたことがないのだとその仕草でわかる。
「あの時は手伝いであそこにいたけれど、私は魔法学校の先生じゃないんだ。合格した君にこういうことを言うのはどうかと思うんだが……君を」
少女の肩に手を乗せてじっとその瞳を見つめた。すみれ色の瞳は激しく動揺している。泣くのではないかというぐらいに大きく揺れながらも、しっかりと男の視線を受け止めていた。
「弟子にしたい。私の所に来ないかな?学校よりもしっかり身につくし、君を立派な魔法使いに育てると約束するよ」
「私を、弟子に?」
戸惑いの表情を浮かべながら少女は問う。想像もしていなかった申し出に手の中の合格通知を見下ろした。
魔法学校へ行くか、男に弟子入りするか。
「……本当に立派な魔法使いになれますか?」
「勿論。君が途中で投げ出したり、諦めたりしなければね」
突然訪ねてきて弟子にしたいと言った男を伺うように眺めて少女が困惑した表情を浮かべる。学校か弟子入りかを選ぶ権利を与えながらも男は圧力をかけて逃さないように誘導する。
学校は何百人という生徒に二十人程の先生しかいない。そうなると全員に指導が行き届くとは考えられない。優秀な者はついて行けるだろうが、そうではない者はどんどん置いていかれる。そして一度躓いた者が這い上がることは難しいだろう。
逆に弟子入りとなると師匠が複数の弟子を持つこともあるが大体が少数の場合が多い。学校で学ぶよりは深く勉強できるだろう。その師匠が優秀な魔法使いであれば弟子入りする方が有意義だ。
そう説いて男は落ち着いた雰囲気で理知的な顔立ちに見えるように微笑んだ。
「どちらでもいいのよ?」
いつの間に来たのか悩んでいる娘に母親が耳打ちする。普通の親ならば得体の知れない男の下への弟子入りなど断り、断固として魔法学校へと入れるだろう。それを娘が望むようにしなさいと言う。
男はどうやって両親を説得しようかと考えていたがそれは杞憂に終わりそうだった。
母親を振り返り「いいの?」と少女が念を押す。それに笑顔で頷いて「好きにしなさい」とわが子の背中を母親は押した。
「私……先生に教えてもらいたい」
母の笑顔に後押しされて決心し少女はにっこりと笑い「お願いします」と深々と頭を下げる。自分の決めたことを後悔しないように手の中の合格通知を真っ二つに破いてそれを母親に渡した。
「そうか。一緒に頑張ろう」
「はい」
差し出された手を少女が握って二人は師弟関係になった。母親が「よろしくお願いします」と頭を垂れる。
「娘さんをお預かりします」
大切な娘を弟子に出すのだから心配で仕方ないだろうに、母親は優しく少女の頭を撫でながら「ちゃんと頑張るのよ」と諭す。もしかしたら母親の勘で娘の将来が茨の道だとどこかで感じているのかもしれなかった。
「きっと立派な魔法使いに育てますから」
これから男の研究は少女を育てながら進んで行くだろう。だがそんなことよりもこの子を立派な魔法使いにしてやらなければならないのだと心に決める。
それが少女にとっても自分にとっても必要なことなのだと信じて。




