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修行 後編

「ねえ。買い物に行かない?」

 ドアの向こうから顔だけ覗かせて姉が外へと誘いに来た。昨日はパーティで沢山の男性に誘われていたのに姉は魔法使い見習いの妹をデートの相手に選んだらしい。

「明日には帰るんでしょ?ねえ、付き合ってよ」

 拗ねたように唇を尖らせてお願いする姉の魅力的な顔に負けて読んでいた本を閉じて頷いた。

「どこに行くの?」

「色々よ」

 嬉しそうに妹の手を取り階段を駆け下りる。早口で行ってきますと声をかけて外へと二人で飛び出した。空は水色、雲は薄い糸状で風は少し肌寒い。道行く人々の服は色鮮やかで軽やかだ。とりわけ女性の華やかな色と作りには驚かされる。

「……本当に私って田舎者だね」

 皆美しく着飾って競うようにお洒落している。それを口を開けてみている自分がひどく浮いて見え、逆に笑いが込み上げてくる。

「女の子なんだからもっと可愛い格好しなくちゃ」

「そんな格好してたら山で生活できないよ」

 長いスカートを引きずってひらひらのリボンを揺らし、髪を整えてなどと考えていては修業ができない。動きやすい格好を、とスカートすら穿かないことも多い。男の子っぽくなっていくと両親に悪いような気がするので、できるだけスカートを穿くようにはしている。

 折角女として生まれて、両親はなに不自由無く娘として育ててくれていた。その思いを踏み躙るのは良くないと思う。無理を言って修行に出してもらった身だ。それなのに応援してくれている。その両親を裏切ることだけはしたくない。女であることを恥じたり、やめたくはない。

「あら可愛い」

 姉が急に小走りで装飾店の飾り窓へと向かった。赤いベルベットの上に置かれた二つの銀の指輪。王冠の形をしており、一つは波型に十字架。もう一つは山形に星のデザインが施されている。十字架の方には真紅のルビー、星の方には青いサファイアが埋め込まれていた。

「お姉ちゃん?」

「……決めた」

 深く頷いて姉は店のドアを開けた。新しい布の匂いと木の香りがふわりと漂い鼻孔をくすぐる。右手奥の方にカーテン用の厚い布と見本品があり、手前の方には趣味の良いテーブルセットや小さ目の家具が置かれている。左奥にカウンターがありそこから上品な男性が近づいてきた。

「何か御入り用でしょうか?お手伝いできることはございませんか?」

「外に飾ってある指輪を譲って頂けませんか?」

「あれを……でございますか」

 言い淀んで男は考え、姉とその後ろにいる少女を見やり「申し訳ございません」と深々と頭を下げた。

「生憎あちらは売り物ではございませんので」

「ちゃんとお金は持ってるんだから!」

 怪訝そうに姉は男に詰め寄る。子供には相応しくないと思われたのだと少女にも理解できた。だから姉が不服そうに少し突っ掛る口調で喋っているのだ。

 でも揉め事は好ましくない。

「お姉ちゃん諦めようよ」

 だが姉は断固として食い下がる。なんとか売ってもらおうと交渉を始めたので、止めることは無理だと判断した。所在無げに店内を見て回ることにした。

 肘付きの椅子に触れて食器やティーカップを飾るディスプレイキャビネットの方を見た所で硝子に映る少年の姿に気付いた。

「なにしに来た」

 少年の後ろには魔法使いが控えている。ゆっくりと振り返り反射的に「ごめん」と謝罪した。そういえば装飾店を親が営んでいると聞いた覚えがある。この店がそうなのだろう。

 気まずくて少女は俯きため息をそっと吐く。

「あれ」

「……え?」

 少年が姉と自分の父親を見ながら呟く。顔を上げて少女も見るとまだ交渉をしていた。

「婚約指輪だぞ。お前の姉さん結婚するのか?」

「けっ……結婚!?知らない」

 驚いて少女はぽかんと姉を見つめた。何も聞いていないが、美しい姉に言い寄ってくる男は沢山いるだろうことは想像できる。もしかしたらその中に約束している相手がいるのかもしれない。

 自分が知らないだけで。

「それも特別なやつ。あれは名のある司祭に清めてもらっていて、それを身につける二人には必ず幸せが訪れるそうだぜ」

 説明してくれている少年の声は聞こえていなかった。仲の良い姉妹だと思っていたのに何も教えてくれていないという事実に動揺していたからだ。

 驕りがあった。

 何でも話してくれるとどこかで安心していた。家族として一緒に住んでもいない少女に全てを話してくれるだなんてとんだ思い上がりだ。こちらが努力もしないで相手からは与えてもらえると思っているなんて。山でのことを話さない少女に心を開き、隠さずに話してもらえると疑っていない自分の卑しさに気付いて逃げ出したい気持ちで一杯になった。

「……なんてことを」

 思わず呟きが漏れた時だった。

 荒々しく扉が開かれ二人連れの人相の悪い男が入ってきたのは。一人は鏡の飾ってある入口側に立ち帽子を深く被り外の様子を窺っている。もう一人の体格のがっしりとした長身の男が乱暴に店の主人と姉に歩み寄った。

「なにするの!?」

 姉の悲鳴で我に返った。男が姉を後ろから羽交い絞めにして主人にナイフを突きつけている姿が目に入る。少女は途端に腰に固定している短剣に手を伸ばしたが、魔法使いの男がいることを思いだし救いを求めて視線を送った。

 少年がいち早く雇っている魔法使いに何とかしろとせっついていたが、細い顔に冷や汗を浮かべて既に逃げ腰になっている。

「これは……」

 間違いない。

 偉そうなことを言っていたが魔法使いとしての最終過程を通っていないのだ。初歩の魔法ぐらいは使えるかもしれないが、腰が引けていて役に立ちそうもない。

 先生が自慢話ばかりをしている奴ほど信用できないと言っていたことを思い出す。

 こうなっては他の誰も当てにはできなかった。少女は男の杖を奪いこっそりと呪文を唱える。

「……おい」

 小声で少年が大丈夫なのかと聞いてきたが無視した。そっと細目を開けて入口の男の様子を見ながら続ける。

「“施錠”」

 カチリと小さな音がして扉に鍵がかかった。鍵かけの呪文は初歩の初歩。まず失敗することはない。

 それに気付いた男が「なんだ!?」と叫んでノブに飛びつく。だが扉は施錠されていて開かない。ナイフを持っている男も忙しなく視線を泳がせ、仲間の方へと後退する。姉が引きずられながら小さく息を飲むのが見えた。

「次は……」

 少女は偽魔法使いの後ろに隠れ別の呪文の詠唱を始める。二人の男は姉を抱えたまま動揺し、いきり立っている。早めにけりをつけなくては姉にナイフが振り下ろされてしまう。

 それだけは阻止しなければならない。

 こんなことでしか恩返しができないから全力を尽くして救いだす。必ず無傷で。

「誰だ!?何をした!お前か!?」

 男はナイフを主人の方へと向けるが「違いますよ!私はずっと目の前にいたでしょう!?何ができますか!?」と激しく首を振る主人の言葉に舌打ちする。

 帽子の男が少年と細面の男をじっと眺める。その視線に少年が身体を硬くしてチラリと背後の少女を窺った。そこを見咎められた。

「何を隠してるんだ!!」

「ひっ!!お助けを!!」

 足音を響かせて帽子の男が駆け寄ると細長い顔をこれ以上ないほど歪ませて逃げ出す。その後ろから現れたのは杖を持った少女。瞳を閉じて集中していて、少年が間に割り込もうかと一瞬迷ったが、逆に邪魔になりそうで踏み止まる。

「なんだ!?お前か!?」

 男の激しい足音と怒声に普通なら心を乱されるはずだが少女は強い精神力で集中していた。姉が少女の名を悲鳴のような声で呼ぶと、ようやく瞳を開いて真っ直ぐに見つめる。目の前にいる男ではなく、その向こうにいるナイフの男を。

「“雷光”」

 杖を掲げてから静かに唱え、すっと振り下ろす。杖先から雷のような閃光が瞬きすごい速さで帽子の男の横を通り過ぎた。黙視できないほどの速度で光の残像と音が空気を震わせる。姉が緊張で体を硬くし、妹が襲われそうになっているのを見て気を失いそうになった。

「どうなって……」

 少年は帽子の男が掴みかかろうと伸ばした腕を見送りながら、どうしたらいいか考えあぐねていた。助けなければという気持ちはあるものの、どうやって?と自問しても答えは出ない。振り返った少年の目に男がナイフを取り出したのが見えた。

 呼吸を止めて杖を真ん中より少し下を両手で握った。大体杖は頭の方が少し大きく重いようにできている。少女はその重さを利用して帽子の男の肩目掛けて振り下ろした。

「クソガキめ!」

 もちろんそう簡単に当たるわけが無い。男は体を仰け反らせて毒づきながら左手で杖を掴もうと突き出してくる。その手を逆に下から杖で打ち上げるように振りかぶり、弾かれ怯んだ男の腹部を杖の先で突く。呻いて体をくの字に曲げた男の左膝に容赦無く全力で杖の先を叩きつけた。ミシリッという音が響いたのが少年の耳にも届く。

 帽子の男は頽れて足を抱え悶えている。

「じっとしといてくださいね。膝の皿が割れているので」

 静かな声で通告して少女は杖を少年に手渡すと姉のもとへと走った。

 男は痛みを堪えながら半身を起こし仲間を探す。だがどこにも見当たらない。立っているのは少女の姉と店の主人だけだ。変わったことといえば入口の横の壁に掛けられていた鏡に蜘蛛の巣のようなひびが入っていることだけ。

「まさか……?」

 姉の無事を確かめている少女の小さな背中を信じられないように見つめる。

「計算通りだったと?」

 帽子を上げて床に倒れている仲間を確認する。雷に打たれたかのように服が焦げ、身体から煙が上がっていた。白目を剥いているが背中が動いているので命に別状は無いらしい。

「あのガキはお前の友達か?」

 急に声をかけられた少年は一歩後ろに下がりながらそうだと頷く。痛みに震えながら苦笑し帽子の男は「すげえなぁ」とぼやく。

「うん。僕もびっくりした」

 男の声に感嘆の響きを感じ取り少年も素直に認める。昨日は詰り軽んじた自分の浅慮さを恥じた。師匠の所で自分の想像した以上に辛い修行をしていたはずだ。そうでなければとっさに判断して的確な行動を取ることなどできない。少女の魔法は正確だった。それが何よりの証拠だ。男の自分より勇ましく戦う少女に羨望の眼差しを向ける。

 そして謝らなければならない。

「すみませんでした!」

 姉の無事を確かめた後、少女は主人に向き直り大声で謝罪し頭を下げた。顔を上げたあと焦った表情で懐から金の入っている革袋を取り出す。

「鏡弁償させてください。お幾らですか?」

 涙を浮かべながら革袋を広げ、高価な鏡の代金が払えるだろうかと不安が胸に広がる。薬草を山で摘み乾燥させて町へ売りに行ったりして稼いだ小遣いはそう多くは無い。修業ばかりで普段は自由になる金など必要無いが、こういう時は本当に困ると実感する。

 きっと手持ちでは足りないから分割してもらって……と頭で考えていると主人が「滅相も無い!」と首を振る。

「こちらがお礼をしなければならないんですよ?弁償なんてとんでもない」

 金品全て強盗されるよりましだ。命も助かったし、と苦笑する主人に息子が走り寄り「父さん、指輪」と催促する。

「ああ……そうだね」

 交渉していた指輪のことを思いだし主人は少年を飾り窓へと向かわせた。その遣り取りを見て少女は喜ぶ。

「お姉ちゃん!売ってくれるって」

 横に立つ姉を見上げて手を握る。だが姉は複雑な表情を浮かべて妹を見ていた。何故そんな顔をするのだろうか。

 考えても理由が解らずに不安になる。嫌われるようなことをしたのだろうか?そうだとしたら一体何を。

 自分の行動を急いで思い返すと、姉の前で無情に男を殴り倒したことが引っ掛かった。戦う時は効率よく、冷静に且つ手を抜くなと教えられていたから忠実に練習通りに行動した。姉は争い事などとは無縁な生活をしている。それなのに妹は無表情で男と戦うのに抵抗は無い。

 乱暴で恐ろしい。

 そう思っても仕方がない。

「えっと……ごめんなさい」

 手を放して少女は消え入るような声で謝る。夢中だったからだが、その行動が他人にどんな風に映るかなど考えていなかった。こういうことがあるから簡単に力を使ってはいけないと先生は言っていたのだ。

「もう……」

 姉は大きく息を吐くと少女の名前を呼んだ。そっと上目遣いで視線を向けると姉が優しく微笑んでくれた。そして少女の肩をそっと抱く。

「私、誇りに思うわ。こんな立派な妹を持てて」

「お姉ちゃん……恐くない?」

「恐い?」

 まさかと吹き出して姉が髪を撫でてから体を離し「手を見せて」と促す。言われるままおずおずと両手を前へと差し出す。ひび割れた硬い掌を。

 その手をそっと包んで姉は目を閉じ、労わるように撫でる。姉の手はどこまでも優しく少女を癒していく。

「この手は働き者の手だわ。恥ずかしがる必要なんてどこにもない。寧ろ自慢すべきだわ。それに比べて私は」

 至らない所ばかりだわと逆に恥じ入る。少女は慌てて「そんなことない!お姉ちゃんは優しいよ」と笑む。

「だって私のカサカサの手を握って心を癒してくれて、自信も与えてくれた。ありがとう。お姉ちゃん」

 少しは自信を持って手を差し出せるようになるかもしれない。他の誰でもない姉に褒められてそれを誇りにせよと教えられた。頑なだった少女の心をゆっくりと溶かしていく姉の暖かな手はどんな魔法よりも効果があった。

「でも私、自分の妹がこんなに強かったなんてびっくりしちゃった」

 さっきまでの大立ち回りを思い出して姉が目を丸くする。指輪を手に戻ってきた少年も同じような表情で頷く。

「全然修業の話をしないからどれだけ上達しているのか知らなかったけど、実際見たらすごいのね」

「そんなことないよ」

 面映ゆくて少女は頬を赤らめる。考えるよりも先に体が反応していたのは、実戦ですぐに使えるようにと先生が厳しく何度も繰り返して指導してくれたからだ。

 修業の成果。

「まだまだ半人前だし、覚えることも沢山あるから」

「すごいよなぁ。それに比べてうちが雇った偽物は!」

 偉そうなことを言っていたくせにちっとも役に立たなかったと少年が愚痴ると、青い顔をして逃げるのが関の山だ。男は隅の方で小さくなり顔を下に向けてこちらを見ることもできない。

「給料として出した分、全額返してもらうからな!」

 怒声に縮こまり蚊の鳴くような声で「……はい」と答えた。

「まあその辺にして、どうぞこれを」

 赤いベルベッドの台に乗せられた指輪を二つ目主人が前に出す。ルビーとサファイアの王冠型の指輪。

「えっと……幾らですか?」

 尋ねる少女に笑顔で主人は「いりません」と応じる。

「……ということは、あの」

「差し上げます。今回のお礼ということで」

「でも」

 首と手を振って少女は後ろへ逃げる。お礼と言われてもそんなに高価な物を受け取ることはできない。鏡の弁償代を免除してもらっただけでもありがたいのに。

「もらっとけよ」

 少年も頑固に受け取れと説得する。どうしようかと姉に救いを求めると任せてと片目を瞑って前に出た。

「ひとつは妹に。残った方は私が買うと言うのはどうでしょう?ペアリングなのだからひとつ残っても意味ないでしょう。だから残った方を買い取らせてください」

「う~む……」

「元々お金を出して買うつもりだったんだし、それを半額で買えればこちらも有難いし。妹も気兼ねなく頂けるし、貴方も損はしない」

「……そうですね。お互いにとって悪い話ではない。いいでしょう」

 このまま押し問答を続けても意味は無いと主人が折れる。少女はひとまずほっと胸を撫で下ろした。だが「はい」と渡された赤いルビーの指輪を受け取った所で大変なことを思い出す。

「これ!お姉ちゃんの婚約指輪なんでしょ!?受け取れないよ」

「私の婚約指輪?なにそれ」

 姉に突き返すと不思議そうな顔で首を傾げられた。ペアリングだと姉がさっき口に出したので、どういう指輪かは解っているはずだ。この指輪が愛する人と交わす物だと。

 そしてこれを欲しがっていたのは姉自身。少女が欲したものではないのだから貰うわけにはいかない。ましてや婚約者に渡すはずの指輪など。

「だってこれは」

「ああやだ。私そんな人いないのに。いたら真っ先に紹介するわよ。これはあまりにも可愛いから男物の方をサイズ直ししてもらって、自分と来月誕生日の妹にプレゼントしようと思ってたの。お揃いで」

 妹の勘違いに気付いて姉はクスクスと笑う。少女はなんだと安堵して苦笑いを浮かべた。早とちりだ、まったくの。

「だから気にしないでいいの」

 そう言われてまじまじと手の中の指輪を見る。波型に十字の飾りと真紅のルビー。

「……お姉ちゃんわがまま言っていい?」

「なぁに?」

「私……あっちの方が良いな」

 サファイアのついた指輪の方を指差して窺う。山型の王冠に星の飾りと青い石のついた指輪の方が自分に相応しい気がした。波型は海を、山型は文字通り山を表す。貿易都市として栄えるこの街の南には海があり、ここに住む姉にはルビーの指輪が相応しい。そして自分は山で生活し星はいつも手の届くほど近くにあった。

「いいの?」

「うん」

 勢い良く頷く妹に納得してそうすることにする。

「サイズ直しが済んだら送るからね」

「ありがとう。嬉しい」

 笑う少女に姉も嬉しそうに笑い仲良く手を繋いで扉へと向かう。強盗は役人に引き渡される。そして最後に振り返ると魔法使いの名を騙った男は項垂れて壁の方を向いていた。少女は「杖をありがとうございました。お陰で助かりました」と礼を述べてから少年と主人に会釈をして扉に向き直る。少しの集中と呪文の詠唱を終え自分がかけた“施錠”の魔法を“鍵開け”の魔法で解除してから外へと出た。

「あのさ!」

 少年が追いかけてきて呼び止めた。扉の前で少し恥ずかしそうな顔をして少女を見つめている。姉が妹の背中をそっと押して前に出す。

「ええっと……どうしたの?」

「昨日のこと。ごめんな。あんなこと言って。僕が思っている以上に辛い修行をしてるんだって解った。それで僕ももう一度頑張ってみようと思う!」

 一度入学試験に合格していれば魔法学校に復学するのは難しいことではない。素行が悪くて辞めさせられたのなら別だが、少年の場合は自主退学なので問題は無いだろう。後はやる気次第。出戻りは何かと目を着けられ苛められやすい。それを乗り越えるのは難儀だ。

「約束」

「うん」

 少年と少女は握手をして将来を約束する。握られた手の強さに少年の決意を見た気がして嬉しかった。あの深緑色の魔法書が沢山の文字で埋められていくのが楽しみだ。

「じゃあね」

少女がそう切り出して手を離す。少年は少し残念そうに見ながら手を振った。少女は姉と連れ立って賑やかな通りへと歩いて行った。




 少女はまだピンッと張り詰めた朝も迎えていない廊下を足音を消して歩く。両親も姉もまだ眠っている。それどころか街も静かに太陽が昇るのを待っているぐらいだ。

 皆には朝出発だと言っておいたが別れが辛くなるので早めに支度をした。ベッドの上に家族へと手紙を置いてきたので心残りは無い。

 階段を下りて直ぐの玄関で立ち止まり懐かしい我が家を振り返って見る。優しい温もりに満ちた家。そして家族。

「……ありがとうございました。お元気で」

 深々とお辞儀をしてから鍵を開けて外へ出ると、庭の花と草の匂いが噎せ返るほど漂っていた。首から下げている家の鍵で玄関の扉を施錠すると木の柵まで駆ける。そして見上げると姉の部屋が見える場所に立ちもう一度頭を下げた。

「よし!出発」

 大きく深呼吸して気を引き締め歩き出す。闇に包まれた街の中を足早に。





 丸い水晶玉に「はあ~」と息を吹きかけて布で念入りに磨きながら窓の外へ目を向ける。ここは魔法屋。沢山の魔法に関する品を取り扱っている店だ。売りもすれば買いもする。頼まれた品を作ったり、取り寄せることもできる。

「遅ぇな……」

 店の主人は髭面の顔を顰めて水晶玉を元あった場所へ置く。昼をとうに過ぎてもうすぐ夕方を迎えようとしている。空も茜色からすみれ色へと変わり始めている。

「速く来いよ……」

 そう願って男は太い腕を組む。本当なら昼には着いているはずだったが、夕刻近くになっても来る気配は無い。

 考えられるのは進むのを止めたということか。

 それはないはずだと自分に言い聞かせながらもそわそわとして午後を過ごした。生きた心地がしなかったが、閉店の時間が近づいてきた今は絶望と裏切りに身が引き裂かれそうだ。もう少しで教会の鐘が鳴る。

「おいおい……まじかよ」

 諦めて天を仰いだ主人の耳に軽い鐘がカランと鳴る音が入る。弾かれたように入口を見ると少女が呼吸を乱して入って来た所だった。走ってきたのだろう汗で前髪は額に張り付いている。

「すみません……まだ大丈夫ですか?」

 教会の鐘が鳴り響く前に滑り込むことができたのに安堵し、主人は破顔して少女を奥へと招き入れる。魔法の品が置いてある棚で仕切られた通路を真っ直ぐカウンターへと進んできた。

「遅かったな。待ちくたびれちまったよ」

「ちょっと、色々あって」

 言葉を濁して少女は笑うが、服もマントも泥で汚れていたし、よく見たら擦り傷だらけだった。

「先生から何か頼まれてるんでしょ?」

 荷物を足元に下してカウンターに手を乗せる。そして上に張ってある新入荷の品々の名簿を見ながら尋ねた。

「ああ。ちょっと待ってな」

 主人はカウンターの下をゴソゴソと探って革袋に入れられている細長い物を取り出す。

「先生は何を頼んだの?足りない物なんて無かったと思うんだけど……」

「足りない物ならひとつあるさ。ほら、これだ」

 カウンターの上に乗せられた物を少女は不思議そうに眺める。深い赤色に染められた革袋。凝った飾りの留め具に上品な紐で口が閉じられている。

「えっと……お金は今?」

 明らかに高価そうな品物に少女が不安気に聞く。持ち合わせが無いのは知っている。修行中の見習いが金を持ってないのは当然だ。

「心配すんな。支払済みだよ」

「良かった」

 ほっと安心して小さく笑ったので主人もつられて微笑んだ。

「今日中に来なきゃ渡すなって言われてたんで冷や冷やしたぜ。さあ。嬢ちゃん開けてみなよ」

「えっ!?」

 主人の言葉に耳を疑い先生の物を勝手に開けることはできないと大きく頭を振る。もっともな反応に「これは嬢ちゃんのだから大丈夫だ」と強く勧めると、ようやく手にした。

 だが上等な革の手触りに慄いて「やっぱりダメ!これはきっと先生の恋人へのプレゼントだよ」と手を引っ込めて泣きそうな顔をする。怖気ついている少女の代わりに主人が手に取り、武骨な指で紐を解いた。そして中身を取り出すと出てきたのは細長い棒のような物。

「これを見てもまだ恋人への贈り物だって言うのか?」

 突き付けられても直ぐには理解できていないのか、ぼんやりと主人を見上げている。

上質の樫の木で作られた杖。長い柄の先には五芒星の形に刳り貫かれた飾り部分と、その下に黄色の宝石が埋め込まれている。

「この宝石は黄色だがエメラルドだ。滅多に無い貴重品だぞ」

「……これが、私の?」

 少女が瞬きをすると頭がはっきりとしてきたのか瞳に力が出てきた。期待が顔に広がりそっと手を伸ばしてくる。今使っている見習いの杖は何の飾りも無い、少し歪な木の杖だ。それに比べると重みも作りも全く違う物だ。

 そして意味合いも。

「おめでとう。これで嬢ちゃんも一人前だな」

 師から贈られる新しい杖は特別な物だ。それは修業終了を意味し、一人前と認められたということ。

「そんな。まだ」

 期待はあっという間に消え去り、不安で動揺し始めた少女の手を叩いて勇気づけしっかりと持たせる。

「これは嬢ちゃんの先生が決めたことだ。今日取りに来ることができたら修業は終了。一人前と認めるってね」

「私……私大丈夫かな?」

 ポロリと涙が零れる。杖をぎゅっと抱きしめて泣く姿はまだあどけなく頼りない。まだ十二歳の少女が一人前と認められるという重責に押し潰されそうになっている。一人前になれば仕事もしなければならないし、責任も自分で取らなくてはならない。

「大丈夫だ。嬢ちゃんの先生は立派な人だ。ちゃんと導いてくれるさ。いつまでも嬢ちゃんの師匠ってことに変わりは無いんだからよ」

 だから喜べと頭を撫でると必死で頷く。

 洟を啜りながら何度も何度も。


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