修行 前編
少女は食事の手を止めて上目遣いで師と仰ぐ青年を見た。向かいに座り涼しい顔をしてスープを飲んでいる師はもう一度「行っておいで」と繰り返す。
「…………でもまだ修行中の身です」
断りの言葉を青年は笑顔で受け止めた。
村から切り離された山中にある小さな小屋には魔法使いとその弟子の二人だけ。食料はふもとの村へ買いに行くが、冬は雪に閉ざされて一カ月に二回だけ下山する生活をしている。だがそれも春を迎え雪解けが始まり、快適な生活が始まろうとしていた。
そんな中一通の手紙が届いた。
村へ買い物に行った時に受け取る手紙の中に少女に宛てられた手紙がひとつ。
「お姉さんの誕生日パーティの誘いだ。行くと良い。去年も一昨年も行っていない。御両親も寂しがっていらっしゃるだろうしね」
事実六歳で弟子入りしてから今まで一度しか帰ったことは無い。一年目は家が恋しかったが許しが出なかったし、覚えることが一杯でそれを必死に取り組んでいるだけであっという間に過ぎてしまった。二年目には山での生活に慣れて楽しくなっていた。ようやく三年目で三日間家へ帰省した。
八歳の誕生日。
夢のような現実にただ翻弄されただけだった。優しい温もりと愛情、のんびりと過ごす午後に楽しい食事と団欒。当たり前の家族のごく普通の日常だったが、修行を忘れてしまいそうになる自分が怖かった。
辛いとは感じていなかった日々とのギャップに心が負けそうになる。
あの時二度と帰るまいと誓った。
せめて一人前になるまでは。
だから「行ってこい」と言う師の言葉に動揺しているのだ。今までは無理強いしなかったのに今年に限って何故だろうか。
「四年も帰っていないだろ?今まで随分頑張ったからご褒美だよ」
「……帰りません。私」
断固として首を縦には振るまいと決めて口にするが、先生は少し困ったような表所のままで「帰りなさい」と諭す。
「私も恋人とゆっくり過ごそうと思っているから」
『恋人』の言葉にあの女性の顔が脳裏に浮かんだ。村の洋裁屋に勤めている女で一年前から先生と付き合っている。胸と腰の張った勝ち気な性格で少女のことを『おちびさん』と呼ぶので気に入らない。
「あの人と……」
雪が解けると山道を登って女はしょっちゅうやってくる。寒いのは好きではないが、女が来ないのは嬉しい。冬は小屋に先生と二人でゆっくり過ごせる貴重な物だ。修行も厳しいがそれ以上に得る者が沢山ある。
「明日の朝出発できるように今日から休みにしよう。準備に当てると良い」
「私は――――」
「たまには介抱して欲しいんだよ」
やんわりと言外に命令と本音。これ以上は言えなくなり、少女は黙って頷くと食べかけの食器を片づけて立ち上がった。
込み上げてくる涙を必死で堪えながら流しへ食器を持っていく。春先のまだ冷たい水を張った桶が二つ。左の方に食器を浸けてその中に粉石けんを入れて布で洗い、右側の綺麗な桶に入れて灌ぐ。
「こんにちは」
ノックもせずにドアが開き両手にパンを抱えた女が入ってくる。先生はにっこりと微笑んで立ち上がると出迎えた。
「ちょうど良かった。後で行こうと思ってたんだよ」
「あら。それならまってりゃ良かったわ。そしたら邪魔者もいなかったのに」
ちらりと女が少女の背中を見る。視線も皮肉にも気づいていたが知らぬふりをした。心の中でこんな嫌味な女と付き合っている師を責める。
乾いた布で皿を拭き棚へと戻すと精一杯の笑顔で「こんにちは」と挨拶した。女も愛想笑いで会釈する。
「明日から弟子が実家に帰るからしばらくゆっくりできるよ」
「本当に!?嬉しい」
やっと二人きりになれると喜んでいる女に、帰らないと言ってやりたかったが止めておいた。気に食わなくても師の恋人だ。失礼なことはできない。
「……先生、私今から出発します。別に大した準備も無いのにお休みもいただいたので」
「ああ。それでも構わないよ」
「姉へのプレゼントも買いたいですし。ということで失礼します」
ぺこりと頭を下げて自分の部屋へと退く。廊下を曲がり階段を上って二階に出ると堪えていた涙が零れた。目を擦りつつ部屋へと入っても大声で泣くことはできなかった。泣くとよけい惨めになるので、震える唇を噛んで小さな鞄をベッドの下から取り出す。山歩きや危険な道程ではないので荷物は少なくていい。肌着の替えと向こうで着る少し洒落たワンピースを一枚と、今まで教わったことを書き留めている魔法書を入れる。金は懐とバックの底に分けて持ち、革ベルトを腰に巻き短剣を固定した。
後は杖を持ちマントを羽織れば準備終了だ。
人通りの多い街道を行き、野宿もしない。一週間で戻ってこられる距離だ。行だけは寄合馬車を使うので急ぎの旅にはならない。
「これも……修行のひとつ」
そう言い聞かせてぐいっと涙を拭い荷物を手に部屋を出る。一度だけ振り返ってからドアをそっと閉めた。
階段を下りて行くと居間へと続く入り口で先生が待っていた。その手にはマントとシンプルな気の杖を持っている。
「帰りに『魔法屋』に寄って頼んである物を取って来てくれないか」
「はい」
差し出されたマントを手に取り手早く羽織り、次に渡された杖を受け取ってから恭しく頭を下げる。
「しばらく留守にします。休暇をありがとうございます」
青年は一つ頷くと優しい声で「楽しんでおいで」と送り出す。これにも短く返事をして居間に入り、ソファに座って寛いでいる女の前で立ち止まると「先生のことお願いします」と頼んでから玄関へと急ぐ。
「行ってきます」
凛とした声で出立を伝えて匂いたつ春の中に飛び出して行った。
「……あの子の目、恋する目よ。子供のくせに」
女は扉が閉じたのを見届けてから眉間に皺を寄せて呟く。先生を頼むと挨拶した時の少女の瞳は激しさと嫉妬の上に諦めと静かな情念で蓋をしてうまく隠していた。今年十二歳になる少女が大人のような目をして自分を見つめていた。それが不快でならない。
子供らしくあからさまに嫉妬の感情を出してくれれば可愛いが、師へ対する秘めた好意をひたすらに隠し、想いを殺す行為が逆に恐ろしい。だからわざわざ少女をおちびさんと呼んでいる。少女が早く大人になりたがっているのは解っていた。階段を登るのはゆっくりで良いのだ。焦った所で年を早く取ることはできないのだから今を楽しんで生きて欲しいと思う。
「……あたしぐらいの年になれば昔に戻りたいなんて思うのにね」
「良い思い出ばかりがあるからでしょう。昔を懐かしく思えるのは」
青年がソファまで来て苦笑する。確かにその通りかもしれないが、辛かったことも時がたてばいい思い出に変わっていくものだ。
「あたしを選んだのはおちびさんに諦めてもらいたかったからででしょ?」
可哀相だと愚痴ると青年は静かに微笑み「最初はそのつもりだったけどね。今は違うよ」と答えた。
「しかも帰りたくないって顔の弟子を無理矢理帰すし……。あんたは本当にひどい男だね」
「失敬な。これも修行だよ。家に戻ったまま帰ってこなかったり、割り切って上手くやれる者にはやらないよ。あの子をなにがあっても負けない、強い精神を持った魔法使いにしたいんだよ」
「……それを言ってやればいいのに」
呆れて呟くと青年が隣に腰を下ろして遠くを見るような目つきをする。少女の将来を危惧して憂えている表情に女は少なからず嫉妬の心を燃やす。
「それでは意味が無いんだ」
青年は少女を決して甘やかさない。それは弟子を可愛いと思うからこその厳しさ。そして厳しい修行を言いつけても、少女が期待に応えてくれると信じているからだ。
心の底から。
青年と少女の絆を見せつけられるたびに胸が締め付けられるように痛む。だから「本当にひどい男だよ」と皮肉を込めて吐き捨て青年の肩に頭を預けた。
ガラガラと音を立てながら馬車は街の中へと入って行く。貿易都市として栄える街は洒落た服装の人々で賑わっている。四年ぶりの故郷は面影を残しながらも急速に発展しているように少女には映った。
別世界。
少女の住む場所とは似ても似つかぬ場所。ここで六歳まで育っていたのかと自分でも驚いてしまうほどに山での生活に慣れ、そして染まっていたのだ。
「……道、忘れてなきゃいいけど」
寄合馬車は停車場で停まり、少女を含む三人を下して馬を休ませる。御者に金を渡して頭を下げると大通りを横切る。三階建ての集合住宅の並ぶ道を左に入って緩い坂を登って行くと昔と変わらない景色に出会えた。小さい頃に母と言ったお菓子屋さんに本屋、古物商にパン屋、白い大きな犬のいる家、鳥が集まる大きな木、子供たちの遊ぶ広場。
「まだいたんだね」
穏やかな瞳で少女を見つめ低く優しい声で白い犬が吠える。覚えているのかしきりに尻尾を振って遊ぼうと誘う。犬の頭を数回撫でてからはやる気持ちを抑えきれずにどんどん進んだ。坂が急に下り始め住宅街に入る。石畳を下りて行く速度が自然と速くなった。
少女の瞳に煉瓦造りの二階家が映る。木の柵が門の代わりで、その間からは鮮やかな黄色の菜の花とピンク色のヒヤシンスが顔を覗かせていた。母の趣味で植えられている庭と父の手作りの白いポスト、窓には姉が刺繍したカーテンが揺れている。そして幼い頃に少女が植えたアプリコットの木。
門は待っていたとばかりに開いており、ハーブと花で飾られた小道を小走りで玄関へと急いだ。ドアを叩くとすぐに応答があり、甘い匂いと共に懐かしい母の顔が現れた。
「ただいま」
四年ぶりの所為か少し照れ臭くて少女は小さく笑って様子を窺う。思慮深い母の顔は四年前とさほど変わりは無い。昔より顔が近くに見えるのは少女の背が伸びたからだ。
「まあ……!お帰り。報せてくれれば迎えに行ったのに!ああ……大きくなったわねぇ」
柔らかな両腕を広げて四年間の時間を埋めようとするかのようにぎゅっと強く母は娘を抱き締める。
無造作に纏めて綺麗な飾りのついた金の留め具で止めている長い髪から、服から体から優しい母の匂いがした。ずっと味わっていない温もり。胸の奥にしまっておいた甘く弱い心がじわりと蓋を開けて出て来る。それに気付いて慌てて母の腕から逃げた。
「お姉ちゃんのパーティの準備をしているの?」
「そうよ。明日の為にケーキを焼いて――ああ!いけない。オーブン」
少し残念そうに腕と娘を見ていた母が喋りながら忘れていたケーキのことを思い出して台所へと駆けて行く。その後ろ姿を見送ってほっと胸を撫で下ろす。
「いけない、いけない。これも修行。気を抜いちゃダメ」
自分に言い聞かせてドアを閉めると当たり前のように階段を登ろうとして躊躇する。八歳の時に戻って来た時は二階の部屋に堂々と我が物顔で上ったが、今階段を前にして上がってもいいのだろうかと悩む自分がいる。自分の家と言うよりも招待された客といった方が近いような気がする。生まれた家と山小屋での生活が同じ時を経ている。実家で六年、山で六年。
それに帰ってこない娘の為に部屋を取っておくだろうかと言う不安。そして埋めることは難しい六年の月日。
ぼんやりと見上げていると階上に深いオレンジ色のワンピースを着た美しい少女がひょっこりと現れ、嬉しそうに「やっぱり!」と叫んだ。
「お母さんの声でもしかしたらって思って来てみたら……。帰ってきたのね」
私の可愛い魔法使いはと呼んで姉がスカートを翻して階段を下りてくる。今年十六歳になる姉は四年前に比べて美しく上品な女性になっていた。腰までの長い髪は下ろされ、華奢な肩と細い腰、好奇心にあふれた紫の瞳と桃色の唇から流れてくる明るい声は一瞬で世の男を虜にするに違いない。
「お帰りなさい」
白く滑らかな手を差し出す姉に、山での生活で荒れたカサカサに荒れた手を重ねることができなかった。
「どうしたの?」
「お姉ちゃん綺麗になったなぁって見惚れてた」
「もう。そんなことないわよ。久しぶりだからそう見えるだけ。先生はお世辞も教えてくれるの?」
冗談めかした姉の言葉に少女はただ微笑みで答える。不思議そうに少女の名を呼んで顔を覗き込んできた。そして妹の陽に焼けた頬に触れ手を握る。硬い掌、ペンだこができた指、傷だらけの小さな手。
「……辛いならいつでも帰ってきていいのよ」
少女は大きく頭を振って否定する。山へと戻れば辛いとは思わない。それが当たり前で修業の道を選んだのは自分だ。
「知らないことを教えてもらうのはすごく楽しいよ」
ただ自分を顧みない生活を送り、美しさと無縁なことが恥ずかしいのだ。このカサカサで硬い手が……。
「そうなの?まあいいわ。私の誕生日の為に帰って来てくれて嬉しい。さあ部屋に荷物を置いて少しゆっくりしたら?」
「部屋……ある?」
恐々問う妹に姉はウインクして「当然よ」と応えた。
四年前に来た時と同じ部屋。六歳まで生活していた頃のまま何ひとつ変わっていない。机の高さも本棚の高さも六歳だった自分にぴったりの物だった為、今の少女には低すぎる高さになっていた。月日の流れを感じずにはいられない。
好きでよく見ていた絵本や遊んだ人形、落書きに昔拾った綺麗な石、ピンクのカーテンやリボンにふかふかのベッド。
「……もう違う子の部屋だな」
我ながら苦笑して荷物をベッドの傍らへ下し、杖を壁に立てかけてふうっと息を吐く。あと何回ぐらいこの部屋で眠ることができるのだろうかと考えるとだんだん虚しくなってくる。
自らが望んだ山での生活。立派な魔法使いになりたい一心で頑張っているが、同じ年代の子供たちのように愛情を注がれなに不自由ない暮らしを羨ましいとどこかで思っているのは否めない。
「あ~!もうやっぱりこのもやもや嫌だ」
いくら修行しても離れてしまえば簡単に誘惑され、楽な方へと流れ心が負けてしまう。
それも自分自身の弱く狡い心に。
「なんの為に修行してきたんだか、これじゃ解んないや」
深いため息をもうひとつ。心を律するために荷物の中から魔法書を取り出し広げた。せめて復習ぐらいはしておかなければ戻れなくなるような気がした。
最初のページはたどたどしい覚えたての古代語で歴史についての文章が綴られている。そして薬草についての図入りのページが十五枚ほど続く。次の占星術のページまで行くと古代語にも慣れて見やすいように纏められるようになっていた。
「そういえば八歳の時に家に帰った後、戻ってから修業に打ち込むようになったんだっけ」
それから必死になって勉強して先生にも頑張っているねと声をかけて貰えるほどになったのを思い出す。苦手だった魔法の仕組みも夜も寝ないで理解しようとしたし、初歩の魔法も中々うまくできなくて泣いた日もあった。精神にむらがあると指摘され半日も瞑想させられたり。修行中魔法が暴走して大怪我をしたことや、文武両道を掲げ剣の扱い方や戦い方を習い素振りを毎日したり。
この四年間本当に辛い修業をこなしてきたのだと振り返って見ると思い知らされた。本人の自覚の無いままに過ぎてきた厳しい毎日。そう考えると自分を褒めてやりたかったが、それはできなかった。自分を甘やかすことになる。
先生が言っていた。向上心を失えばそこで終わりだ。物事を完全に知ることはできないからこそ知ろうと努力し、学び教えられる。満足のゆく答えを得たとしてもすぐにほかの疑問が浮かぶ。
だからこそ面白いのだと。
上へと向かう心を失えば成長は止まる。まだまだ上はあるのにそれを求めないのは愚かだと。
「……それを魔法使いとは、賢者とは呼べないかぁ」
音を立てて本を閉じ荷物の中に戻す。革ベルトに固定していた短剣を抜いて枕の下へと隠した。脱いだマントを壁のフックに引っかけてから部屋を出る。何もせずに世話になるのは悪い。手伝えることがあればと階段を下りて行くと父がちょうど仕事から帰って来た所に出くわした。
「おお!帰ってたのか」
嬉しそうに笑って両手を広げる父の姿に少女は「ただいま。おかえりなさい」と恥ずかしそうに答えた。
「おいで」
駆け寄ってこない娘に痺れを切らして呼びかける。少女は迷った後でその大きな腕の中に飛び込んだ。懐かしい父の匂い。力強く温かい腕。
夢を諦めて家へと戻るのは簡単だ。でもそれは逃げるということで、一生後悔する。今まで応援してくれた家族や辛抱強く教え育ててくれている師匠にも申し訳が立たない。それに自分自身の心に嘘はつきたくなかった。
「お父さん……私頑張って立派な魔法使いになるね」
父の肩に頬を埋めて見つめている先は遠い未来。言葉にしなければ負けてしまいそうで怖かった。父は大きく頷いて「楽しみにしてるよ」と、ただただ優しい声で囁いた。
台所へ行くと忙しそうに母がパーティ用の料理を盛り付けていた。リビングには姉の友人や両親の知人などが集まり会話と食事を楽しんでいる。廊下を挟んだ食堂と台所までその声は届いていた。
「手伝うよ」
「あら!いいのよ。お友達とゆっくり喋ってなさい」
綺麗に盛り付けられた大皿を持とうとしている少女に母親はすまなさそうな顔をする。隣人の老女と嫁が笑いながら「気が利くね」と褒めた。
「良いお嫁さんになれるわよ」
大皿を手に台所を後にした少女を追いかけるようにしてそんな言葉がかけられる。だが少女は「私は魔法使いになるのよ」と返し足早に居間へと向かう。
お嫁さんなんて想像もできなかった。自分は魔法使いになるのだ。誰かの所へ嫁いで子供を産み育てるなど考えたことも無い。
大皿を中央のテーブルに置いた所で名を呼ばれ、振り返るとそばかす顔で笑う少年が面長の細い男と共に立っていた。
「久しぶり」
「えっと……」
すぐには思い出せなくて少女は首を傾げる。年の頃は同じ。知らない顔では無い気がする。黒い巻毛に少しつり目のそばかす顔の少年。
「忘れたのか?将来を約束した仲だってのに」
不服そうに唇を尖らせた少年の「将来を約束」という言葉にああと頷いた。
「思い出した」
一緒に魔法学校を受験した少年だ。お互いに立派な魔法使いになろうと約束した仲である。だが少女は学校へは行かず、先生の所に弟子入りし山へと行った。確か少年は合格して学校へと行ったはずだ。
「学校はどんな?楽しい?」
「楽しいだって!?とんでもない所だったよ」
肩を竦めた少年の姿に少女は苦笑する。やはり噂通りの所なのだ。生徒はみな寮生活で朝から晩まで魔法漬けで、毎日試験があり休日は月に三回。冬と夏の長期休暇は成績優秀者にしか与えられず、先生は厳しく規律を乱す者には容赦がないとか。
生徒間の嫌がらせや苛め等、様々な理由で退学する者も多い。
「じゃあ、もう行ってないの?」
少女にしてみれば年の近い子たちが沢山いて結構楽しそうに思える。だが少年は顔を顰めて頷いた。よっぽど辛かったのか、少年に根性が無かったのか。敢えて聞かずに少女は傍らに立つ男を見上げた。
「この人は?」
「ああ。家で雇った魔法使い。凄いんだぜ!いちばんの成績で学校に入学したんだって」
我がことの様に嬉々として喋る少年に笑顔で頷き男に深く頭を下げて名乗る。
「君も魔法使いを目指しているのかね?」
「はい」
男はそうかそうかと偉そうに呟くとペラペラと自分の自慢話を始めた。学校でのこと、旅の話、魔法についてなど色々だ。
それを黙って聞いている少女の顔を少年は横目で見ながら自分の家の魔法使いの手を取る。
「なあ先生の力を見せてやってよ」
「そうですね……。そうだちょっとしたゲームをしませんか?」
「ゲーム?」
困惑気味に少女は繰り返す。男は得意満面で説明を始める。
「魔法を使って君のお姉さんを驚かせ、かつ喜ばせる」
「…………できません」
大きく頭を振って少女は断る。男が嬉しそうな顔を残念そうな表情の下に隠し、少年は明らかに馬鹿にした顔で呆れていた。
「なんだよ。弟子入りした先生は何も教えてくれないのか?そうか。だから今も弟子を続けられてるんだな」
学校ほど辛くないのだから辞めないのだと言われ正直腹も立ったがぐっと堪えた。そんな余興のような物の為に力を使いたくなかったし、先生に無闇に魔法を使ってはいけないと教えられている。
なんにせよまだ一人前でもない自分には、人に見せられるほどの力など無いのだ。
「黙ってないでさ、山での修行のことを教えてくれよ」
「ごめん。無理」
短く言葉を切って口を噤む。
これ以上は喋れない。
悲しくなる。
「どうしてだよ!」
少年が責めるような口調で詰る。同じ夢を見ていた友人が少年には情けなく見えるのだろう。少年自身途中で諦めてしまったから夢を叶える可能性がある少女の姿に期待を抱いているのだろう。
「なにか言えって!」
「……修行内容は口外しない決まりなの」
「なっ……なんだよそれは!」
上擦った声で少女を責め、少年は持ってきていた厚い本を投げつけた。本は深い緑色。少女の肩にぶつかり床へと落ちる。
「……これ、魔法書」
落ちた拍子にページが捲れ、たどたどしい古代語が綴られているのが見えた。もちろん少女の物ではない。少女の魔法書は真紅の本に金の文字で名前が入っている。
「一緒に色々話そうと思って持ってきたんだよ!」
「……だめだよ。簡単に人に見せちゃ」
拾って差し出すと少年は泣きそうな顔で奪うように取ると「もう、いい」と言い捨てて男と共に帰って行った。
「……ごめんね」
もう聞こえないのに謝って少女は俯いた。少年が望むように応えてあげられないことが切ない。どうしようもないことだと解っていても辛かった。




