出会いと旅立ちの物語
「で、何が一番好きなんだ?」
依頼の仕事を終えて久しぶりに山小屋へと戻ってきた少女に開口一番、青年が怒ったような顔で質問を投げかけた。
一般的な「おかえり」「ただいま」といった流れの後では無く、扉を開けて入ったら台所に立っていた青年がずかずかと大股で近づいてきて何が好きなのかと問うてきた。
「えっと……何が、とは何が?」
困り果てて少女は青年の質問が何に対しての物なのかを確認する。そこで漸く自分の質問に主語が無かった事に思い至ったのか、ばつが悪そうに頭を掻いて「食い物」と答えた。
つまり久しぶりに帰ってきた少女に何か食べたいものが無いかと聞きたかったらしい。
「作ってくれるもの全部美味しいので、甲乙つけられませんけど」
「それが一番作る方にしたら困るんだよ!」
「あの……良ければ、旅装を解いてゆっくりしたいんですが」
目の前に立たれると威圧感があり、少女は青年を見上げて苦笑いする。「あ、悪い」と素直に退けて青年は少女の手から杖を受け取り、脱いだマントを腕にかけると玄関横のフックにマントを引っかけてくれた。
少女は斜め掛けしていた荷物を床に下し、腰の剣を金具から外して鞘ごと取った所でようやく身体が軽くなる。
「ああ、やっぱり家が一番ですね」
埃っぽい皮鎧を脱いで服を着替えて風呂に入りたい。だがそれよりも少女には聞きたい事があったのだ。
食事をとるテーブルの椅子に腰かけて少女はほっと息を吐く。
「一番だって思うんなら仕事減らして、少しはのんびりしろよな」
青年は文句を言いながら少女の荷物と剣を持ち部屋の奥の扉へ行き消えた。階段を登る足音を耳で追うと、二階の廊下を歩き少女の部屋の中へと入って行く。床を踏む乱暴な足音の他には何も聞こえない。
決して少女の荷物を手荒に扱ったりしない青年は丁寧に、そして慎重に床に下してから廊下と階段を足音高く響かせて戻ってきた。
「ありがとうございます」
「これも弟弟子の仕事のひとつだから気にすんな」
そういう決まりは無いのだが、青年は少女が仕事から帰ってくると必ずそう言って奪うようにして荷物を部屋まで運んでくれる。疲れて戻ってくるのでその行為は大変ありがたい。
結局甘えていて申し訳ないと思ったが、先生が「あれで親愛の情を示してるんだから放っておきなさい」と笑顔で気にするなと言ってくれたので頼むことにしていた。
「この前、俺が来る前は満足な飯食ってなかったって言ってただろ?よくよく考えたら、なんでも旨い旨いって食ってくれてるけど何が一番好きなのか知らねえなと思ってさ」
この前が魔法学校の森での戦いの時だと解り少女は眉を下げる。あの結界形成に参加したという噂が広まったせいで、忙しくなったのは確かだ。
そしてあの時受けた先生の傷は未だ癒えておらず、寝たり起きたりを繰り返していた。調子のいい日は起き上がって観測機を手に山へと出て行くが、その次の日は決まって具合を悪くし数日寝込む。
青年に聞きたいこととは師の様子であり、容体だった。
「あの──」
「待て!先に一番好きなやつを聞いてからだ」
少女の一番の危惧を知っていながら青年は拒み、質問に答えよと催促する。
仕方が無いので今まで出されてきた様々な料理を思い浮かべながら一番を探す。
本当にどれもが美味しくて一番となると難しい。
強いてあげるならば。
「じゃが芋を薄くスライスして油で揚げたやつが好きかもです」
「はあ!?あれは料理じゃなく、おやつだぞ?」
どんな料理が発表されるのかと期待していた青年が困惑して再度確認してくる。だが何度尋ねられても少女は同じものを挙げるだろう。
「はい。じゃが芋が沢山取れたからと村の人からお裾分けを山ほど貰ってきて、どうするのかって思って見てたらさっさっと薄く切って、熱した油で揚げた物に塩をして出してくれたでしょ?あの手際の良さに驚いてしまって」
その上パリッとしていて美味しかった。
今までじゃが芋料理と言えば蒸したり、焼いたり、煮込んだりが普通で油で揚げるという調理法が珍しく感心した。
青年の村ではじゃが芋はスライスするか、細長く切って素揚げして塩を振ったり、スパイスをかけたり、砂糖をまぶしたりしておやつや酒のあてとして食べるのが定番らしい。
「感動したんです」
だから一番なのだと答えたら青年は少し面白くなさそうな表情をしていたが、明日にも作ってやるからと約束してくれた。
素直に喜んで「楽しみにしてますね」と口にすると青年は照れ臭そうに苦笑いする。
「それで、先生は」
「……………変わらないな」
ため息交じりに答えて青年は首を振る。
元々体力は常人より劣るため、回復には時間がかかるとは言われていた。傷自体は癒えたが長く寝込んだせいで更に体力は落ち、筋肉も弱って食欲も無くなっている。その事を本人は動けないならベッドの中で研究を続けるだけだと平然としているから良いのか、悪いのか。
「ありゃ生来のズボラだな」
「違いますよ。研究の虫なだけです」
「いや。ただのズボラだ」
師を平気でズボラ扱いする弟弟子の態度に強く言い返せないのは仕方が無い。少女は席を立ち先生へ帰ったことを報せる為に奥の扉へと向かう。
その背中に「昨日は観測機持って出て行ったから多分調子悪いぞ」と注意を促す。肩越しに振り返って頷いてから少女は扉を開けて廊下を挟んで直ぐの扉の前に立つ。
「先生」
呼びかけると思いがけず穏やかな声が「入りなさい」と入室を許可する。恐る恐る扉を引いて中へと入るとベッドの上に身を起こして座っている男の笑顔にほっと安堵した。
「ただいま戻りました」
「そうかい?師への挨拶を後回しにして弟弟子と楽しそうに会話をしている声が扉越しに聞こえて来ていたけど」
皮肉めいた口調に少女は笑って「先生はお疲れかと、一応遠慮したんです」と答えながら沢山の本と巻物が乗っている机の前まで移動する。
師は書きかけの羊皮紙の束を纏めて枕元に置くと、ベッドの端に手を伸ばして軽く叩く。
「先生?」
「おいで」
動けないのだから弟子が傍に来なさいと強い口調で促され、少女はそっとベッドへ寄り先生が叩いた場所に腰を下ろし顔だけ向ける。
「随分忙しくなったね」
「はい。でもまだまだ至らないことや、知らないことが多くて依頼主の方に呆れられることが多いです」
本当にあの魔法結界を成功させた46人の中のひとりなのかと面と向かって言われることもしばしばだ。
あれから五カ月が経ち経験も増えているが、やはり未熟なのだと痛感することの方が多かった。
「大丈夫。次の仕事はもう来ないから」
「え?来ない……?」
「私が魔法使いギルドへ連絡して依頼を受けないようにとお願いしたから」
「どうして」
先生は一人前になった時から修業のような物だからどんな些細な仕事でも受けて励みなさいと言っていた。
少女が立派な魔法使いになるために必要な事なのだと。
それが何故、急に――。
胸騒ぎがする。
とても嫌な予感も。
「私が思っていたよりも早くその時が来たようだ」
師は青い瞳を細めて少女の頭に触れ、頬を撫でた。こんな風に触れてきたことは一度も無い。愛おしむかのように優しく、温かな瞳で見つめてくれることも。
「何処に出しても恥ずかしくない魔法使いに育った。間に合って本当に良かった」
「なんのことを、言って」
「私の研究のことは知っているね?」
詳しくは教えられていないが星のことを調べているのは解っている。目だけで頷くと先生は「いい子だ」と誉めた。
「青い星と赤い星が小さな魔法使いを求めてやって来る。星は巡り合い、引かれ合う。運命といえば陳腐に聞こえるが、これは避けられぬ道。未来への」
「……嫌です」
震える声で少女は拒絶する。
今この状態の師を置いて少女は何処へも行きたくは無い。
「いやです!」
今まで師の教えに疑問や反発を覚えても、拒否したことは無かった。師の決定に嫌だと声を上げたのも初めてだった気がする。
ここが自分の家で、帰る場所。
大切な物が、人がいる所だ。
「一人前の魔法使いがいつまでも師の元に居ることは許されない。もう駆け出しの魔法使いでは無い、経験を積んだ一端の魔法使いだ」
「まだ……まだ私は」
「旅立ちなさい。師を乗り越えて。過酷な運命に抗いながら、己の信ずる道を行きなさい」
「いや、いや……。お願いです……私は、ここに居たい」
涙ながらの懇願も星を通じて全てを知っていた師には響かない。
届かない。
達観した目で未来を見据えて、旅立ちを告げる。
「魔法が自分に必要なのだと、魔法学校の面接時に言ったことを覚えているね?」
確かに何故魔法を選んだのかと問われて少女は必要だと思ったからだと答えた。
師は両手で弟子を軽く抱擁して涙をその胸で受け止める。
「それはこの時の為だ。これからの旅に必要だったから魔法を求めたのだから。自分の運命をあの小さな子供の時に選び、そして気づいていたんだよ」
師の手が背中を擦り、子供をあやす様に規則的なリズムで叩いて行く。
「いつ来るか解らない弟子の旅立ちの時まで十分に育て上げることだけを考えて私は今まで教えて来た。その所為で厳しく当たったことをどうか許して欲しい」
謝罪の言葉に少女は頭を振る。
厳しくしてくれたから幾度もあった危険を前に立ち向かうことができたのだ。厳しい修行を終えたということが少女の自信へと繋がり、力となったのだから。
「向上心と好奇心を忘れずにいれば、もっともっと成長していける。きっと誰もが驚く素晴らしい魔法使いになれる」
だから。
旅立てと。
「私達はここからいつも思っているから」
たとえ旅立っても繋がりや絆が消えるわけでは無い。
いつまでも師の元で甘えて暮らし続けることは出来ないのなら今。
決断をしよう。
「必ず……なります」
「楽しみにしているよ」
師は弟子を腕から放し、肩の荷を漸く下ろせた解放感から柔らかで落ち着いた微笑みを浮かべていた。
涙を拭いて少女は立ち上がる。
「いつでも旅立てるように準備します」
決意を胸に、決別を選ぶ。
師に深く頭を下げて「今までありがとうございました」と感謝を述べた。
少女と師の間に目には見えない線が引かれたのはその瞬間。
もう庇護する対象ではなくなった弟子に師は眩しそうな瞳で頷く。
師への淡い思いに尊敬と憧憬で蓋をして見切りをつけた。
次の日の午後一番好きなじゃが芋のおやつを揚げている匂いを嗅ぎながら、少女は日課の素振りと打ち込みをしていた。キラリと輝く光を木々の間に見つけ、それが次第に近づいて来るのを見た時に覚悟を決めた。
木刀を地面に置き、少女は数歩道を進んだ。
緩い坂道を二人の少女が登ってくる。
「青と赤……」
神官衣を着た青い髪の少女が顔を上げて少女に気付く。隣の少女に声をかけてからこちらに手を振る人懐こい様子は思わず笑みが零れそうになる。
もうひとりの少女は黒い服に身を包み、旅慣れた様子で群青の長い髪をひとつに結わえて背中に垂らしている。張り詰めた雰囲気でこちらを見上げた赤い瞳に戸惑う。
赤の瞳は呪われた色で、闇に属する者特有の色だとされている。
それなのにその瞳は禍々しさなど無く純粋に美しい。
「こんにちは~」
神官服の少女は明るい緑の瞳に朗らかな笑みで挨拶をしてきた。上りきった少女達に軽い会釈をして「お待ちしていました」と小屋の中へと促す。
「来るのが解ってたのか?」
赤い瞳の少女は警戒した様子で少女を見つめる。
「星は巡り合い、引かれ合うのだそうです」
そう告げた少女に青い星の少女と赤い星の少女が戸惑った顔で顔を見合わせて、それから何故か苦笑い。
「どうぞ中へ。ちょうど美味しいおやつが出来上がる頃ですから」
旅立つ前に青年のおやつが食べられてよかった。
悲しみと不安を糧に少女は旅立ち、歴史には残らないが確かにこの世で稀な魔法使いへと成長するのだ。
これは伝説の始まりに過ぎない、細やかな出会いと旅立ちの物語。




