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魔法屋の依頼


 平均成人男性の胸の高さ程の棚で仕切って作られた通路は五つあり、それぞれ死角となる場所には鏡を設けて最奥にあるカウンターからも目が届くようにと苦心した自慢の店だ。棚には素人が見れば何に使用するのか解らないような材料が並び、魔法に繋がるのだとなんとなく解る程度の鉱石や乾燥した草木、簡単で安価な護符なども置いてある。

 高価で貴重な商品は全てカウンター奥に保管してあり、必要に応じて客に紹介し売るという一般的な形態の魔法屋だ。

 有難いことに魔法使いだけでなく旅人や冒険者たちも比較的多く訪れてくれ、売りもすれば買いもし、時には頼まれた物を作ったり取り寄せたりもする。

 ダンジョンや遺跡から発掘された魔法道具がここへ持ち込まれることは稀だが、以前冒険者として身体を張って稼いでいた頃の繋がりから時折この小さな魔法屋には勿体無いほどの一品も流れて来ることもあった。

 カウンターの上には新しく入荷した商品を報せる名簿と在庫表が載せられおり、常連の客は皆そこで欲しい物があるかどうかを確認するので、誤りが無いように常に更新して行かなければならないので暇そうに見えるらしいが結構忙しい。

「おじさん!帰って来たって!」

 入口横にある窓の下枠にふわふわの髪がちらりと見えたなと面を上げたのと同時に子供らしい高い声を上げて少年が駆け込んできた。扉の上部に取り付けた釣鐘型の鐘がカランカランと抗議するように激しく揺れている。

「…おいおい、店壊す気か?そのつもりなら容赦しねぇが、覚悟はできてるんだろうな?」

 剣呑な瞳で一睨みするが少年はけろりとした顔で「帰って来たら急いで知らせに来いっていったのはおじさんだろ」と胸の前で腕組みをした。若い頃は狂暴なミノタウロスをも怯ませた魔法屋の眼光も、今では少年に恐怖の欠片すら与えられず受け流されてしまうとは。

「老いたか……」

「ちょっと、おれ急いで来たのにのんびり感傷にひたらないでくれよな!」

 大人びた物言いに魔法屋は苦笑して重い腰を上げると金庫から銅貨を五枚取り出して、カウンターの中からのそりと店内の方へと移動する。

 少年の顔はふわふわの金茶の髪に包まれており、その中央にある小さく丸い鼻の上を小麦色の雀斑が横切り、くるくると良く動く焦げ茶の瞳と聞かん坊を思わせる眉、良く回る舌を持つ大きな口が白い歯を見せてニッと笑っていた。

 生成りのシャツの上に温かな毛のベストを着て、茶色のズボンの上には白いエプロンを着けているので、店番を放り出してここまで知らせに来てくれたのだと解る。

「駄賃だ」

 そのエプロンのポケットに銅貨を滑らせてやると満足そうな表情を浮かべて少年は「じゃあ、またよろしく」と手を掲げて外へと飛び出して行った。明るく動じない性格で強かさもある彼はきっと良い商売人になるに違いない。

「末恐ろしすぎる」

 ぶるりと身を震わせて魔法屋は少年の後に続くように店を出た。


 趣も雰囲気も皆無の魔法使いギルドの前を通り過ぎ、良心的な値段ながらそこそこ清潔な部屋を提供すると評判の宿屋の入り口を潜る。一階部分は食堂兼受付で丁度昼時の所為か賑わっていた。

 忙しい空気と料理の匂いに途端に空腹を訴え出す腹を押えて食堂をぐるりと見渡す。左手には厨房とカウンター席、右奥には二階へと上がる階段、その手前部分に客席があるがその何処にも目当ての人物は見つからなかった。

「上だ。部屋に居る」

 最近何度も顔を出している魔法屋が訪れている理由を知っている店主が、料理を運ぶ途中で声をかけ顎で天井を指す。礼を言って奥の階段へと向かう魔法屋に部屋の場所を伝えた後は興味無さそうに仕事へと戻る。

 辿り着いた狭く急な階段には手摺が無く、酒に酔ったり具合の悪い時には不親切だ。足を乗せる部分も魔法屋の体重がかかるとギシギシと嫌な音をさせる。掃除が行き届いているのがせめてもの救い。

 板を踏み抜きはしないかとはらはらしながら上りきった二階部分は階下の騒がしさと匂いとは無縁で、冬の冷たい空気がピンと張りつめていて自然と背筋まで伸びそうな気がした。

 教えられた部屋のドアをノックすると息を飲むような気配がしたが応えは返ってこない。誰かが部屋まで訪ねて来るとは思っていないのだろう、訝しがるような時が過ぎても部屋の前の人物が去らないので漸く「はい」と返答する。

 だがドアは閉じられたままで、中で動いた様子も無いので部屋の奥から警戒心剥き出しでこちらを窺っているのだろう。

「オレだ。魔法屋だ」

 呼びかけると聞き覚えのある声に「直ぐ、開けます」と慌てた足音が駆け寄ってきた。ほぼぶつかるようにして廊下側に開けられたドアの向こうから小さな顔を覗かせて、すみれ色の瞳を細め「お久しぶりです」と親しげに微笑んだ。

「本当に御無沙汰じゃねぇか、嬢ちゃん。最近めっきり店に顔出しもしにこないからこっちから来ちまったよ」

「すみません。もう、なんか色々あって」

 眉を下げて少女は申し訳なさそうな顔をするが、別に責めているわけではないので魔法屋は「いいって」と手をぞんざいに振って留めた。

「嬢ちゃんのギルドを通した依頼料は大型魔法結界に参加した魔法使いにしては破格の値段だからな。依頼が殺到してもおかしくない」

「それ、本当に迷惑で」

 不服気に唇を噛むが新人の部類に入る魔法使いにとって森全てを覆うほどの結界魔法に参加したというのは最高の付加価値として判断され、それだけの能力があるのだと安心して仕事が依頼できる。

 本人にそのつもりも、例え能力が追いついていなかったとしても、依頼する方にしてみれば金を無駄にしないためには与えられる情報のみが判断材料とされるのだから。

「ま、仕事を人より沢山こなせばそれだけ成長も早かろう。直ぐに実力も伴うようになる」

「……そうでしょうか?」

 表情を曇らせた少女の頭をぐりぐりと乱暴に撫でて「今日はな、依頼に来たんだ」と口にすれば忽ちその顔には一人前の魔法使いの物になる。それを本人は自覚していないだろう。

 幼さの残る顔がきりっと引き締まり、いつもは自信なさそうなすみれ色の瞳には強い光が宿るのを。

「いつもお世話になっているので、私のできることならなんでもさせて頂きます」

「…………なんでもと、いったな?」

「え?あ、えっと……はい」

 真面目な少女ならばそう答えると思っていた通りの発言に、魔法屋が舌なめずりするような低い声を上げると、一瞬慄き尻込みするが気を持ち直して深く頷く。

「いい顔をするようになったな」

「虚勢も張り続けていたらそれなりに様になるみたいです」

 自嘲気味に微笑んで少女は魔法屋を部屋に招き入れようとしたので丁重に辞退した。そして階下を指差して「腹減ってんだ。一緒に付き合え」と誘えば「それなら喜んで」どうやら空腹だったのは少女も同じだったようで嬉々として首肯した。


「魔法付与の依頼ですか……」

 階段傍の小さな二人掛けテーブルに向かい合わせで食事をつつきながら少女は気の乗らない返事を返す。わざわざ訪ねて来てくれた魔法屋の仕事依頼の内容は指輪に炎が発動する魔法を付与するという物だった。

「何故、私なんですか?」

 自らも魔法を操れる魔法屋がわざわざ少女に依頼する必然性が感じられず、戸惑いながら問えば「なんせ数が多い」と返される。

「知り合いの魔法使いや魔法屋にも声をかけてるんだが、それでも手が足らねぇ」

「多いって、どれくらいですか?」

「五百だ」

「ごっ、五百も!?」

「炎だけじゃなく、雷、氷、衝撃波、爆発、転移他諸々」

 魔法の発動体を作るには素質と技術と魔法力全てが必要となってくる。多くの呪文を会得し、上級のスペルを扱えなければできない。経験と実力も不可欠な作業は通常ならそれらに特化した職人といわれるべき者にしかできないことだ。

 それを。

「申し訳ないんですが……私本当にそういう細かい作業とか苦手で」

 スペルを読み解くのが苦手な少女に困り果て師が魔法学校から外部講師を呼ばなければならなかったほどの落ちこぼれだ。

 獣人にすら気の毒なほど鈍臭いと評された不器用さは、何度も反復練習を重ねて漸く人並みになる。

「明らかに人選ミスですよ」

「だな」

 咀嚼しながら頷かれ少女は肩を落とす。

「解っていて、何故ですか」

 人の悪い笑みを浮かべて「これも勉強だ」と魔法屋は水を飲む。

 がむしゃらに仕事をこなしていくばかりが成長を促す物ばかりでは無いと苦言を呈し、魔法使いなのだからその魔法について学び経験する依頼もまた必要なのだと諭す。

 つまり。

「嬢ちゃんは働き過ぎだから、少しはここでゆっくり魔法と向き合えってこった」

「その時間を、お金を払ってまで私に与えてくれるんですね」

 魔法屋はいつでも優しい。

 少女の初仕事にユニコーンの角を手に入れる依頼をした時も、貴重な時間と経験を与えるためだけの物だった。

 そして今回も。

「それならば安心してお引き受けします。成功しなかった時はこちらが違約金を支払いますから」

「上出来だ」

 魔法屋が懐から小さな革の小袋を取り出して突き出してくる。それを両手で受け取り袋の上から指で探ると環の形が浮き出てきた。

 これが。

 いやこれに、魔法付与の魔法をかけるのだ。

 永続的に発動する魔法をかけるのは少女の力では難しい。魔法屋もそのことには触れなかったし、そこまでを望んではいないことは解っている。

 使用期限や回数が限られる物でも別に構わないはず。

 それでも魔法の持続時間はそれぞれ決まっており、その理を曲げて付与することは恐ろしく難しい。

「期待に添える様に努力します」

 毅然と言えたように見えればいいなと願いながらその革袋を握り締め少女は魔法屋に宣言したのだった。


 少女の持つ剣のように打撃と威力にプラスの効果をもたらす魔法付与と、今回依頼された魔法を発動させる道具を作り出す魔法付与は似ているようで異なる。

 簡単にいうならば前者は常に効果を発揮しており使用する者の力量によってその威力が変わること。そして後者は魔法の心得が無い者にでも必要な短い呪文を唱えるだけで付与された魔法を行使することができること。

つまりその魔法道具を持ち、呪文を言えさえすれば誰にでも魔法を使える。

「引き受けたのは良いけど、どうやって付与すればいいんだろ……」

 部屋の寝台に腰を下ろして袋の中から対象となる銀の指輪を取り出して唸る。魔法屋が少女にできないことを要求するとは思えない。調べ、考えて、答えを得ることができれば可能なのだ。

 今まで学んできたことの中に魔法道具を作り出す項目は含まれていない。全く未知の世界に胸が躍るよりも憂鬱な気持ちの方が勝るのは、魔法の中でも苦手分野だからだろう。

「……だめだなぁ。きっと私ひとりじゃ辿り着けない」

 早々に諦めて少女はさっと立ち上がると狭い部屋を抜けて廊下へと出た。階段を下りて忙しい時間を過ぎ閑散とした食堂を横切って入口を開ける。

 こういう時に便利であり、頼りになるのは魔法使いギルドしかない。通い慣れた道を行き、素っ気無い扉を潜ると受付カウンターの向こうで男と女が同時に顔を上げた。珍しいことに少女の他に誰もいない。一斉に向けられた視線に居たたまれずに目を泳がせると男が「良い所に来たな。いい仕事が揃ってるぞ。選り取り見取りだ」といつもは無愛想な顔に満面の笑みを乗せて手招きしてくる。

「すみません……。今日は仕事を探しに来たわけではないので」

「じゃあ、わたしに御用かしら?」

 綺麗に上を向いた睫毛を瞬かせて上機嫌に女が微笑む。男は悔しそうに舌打ちして書類の束を広げて仕事に戻る。

「ちょっと教えてもらいたいことがあって」

「今引っ張りだこの人気魔法使いにわたしが教えられることってなにかしらね?」

「……茶化さないでください」

「ああいやだ。真面目過ぎるのは問題よ?頭かっちかちの面白味のない人間になっちゃうんだから。誰かさんみたいなね」

 揶揄を含んだ流し目を男にくれて唇の両端を持ち上げると女は少女の額を小突く。女の言葉に男の纏う空気が固まるのが解り少女は気が気では無い。

「べたべた塗り捲って欠点を隠さなきゃならないような女にだけはなるなよ」

 書類から目を上げて少女を見つめながら別の誰かへの当てつけをして、男は嘲笑するかのように楽しげな声を立てた。

 途端に女の笑みが崩れ「万年受付担当のうだつの上がらないような男を相手に選ばないように注意しないと安定した未来を手に入れられないんだから。気をつけなさいね」と血走った目を向けられる。

「いや、あの……えっと」

「女は素直で従順なのが一番だ。あんたみたいななんにでも一生懸命な女はどんな男からも好かれるさ」

「素直さも従順さも男の理想なだけよ。一生懸命やっても報われないことは多々あるんだから、自由にやりたいように生きなさい」

「愛されることで女は輝き、一途な女を男は命を懸けて護ろうとするんだ」

「一途な想いを無下にして、ひとりの女では満足できないのが男って生き物よ。愛だ、夢だ、浪漫だなんて子供染みたこと言って振り回すんだからっ」

「即物的な考えしか持てない女には解らないかもしれないが、男は純粋なんだよ!」

「なにが純粋よ!下半身でしか物を考えられない厭らしい獣の癖にっ!」

 とうとう少女を介してでは無く直接的に激しい言葉を投げつけ始めた男女の姿を困惑して眺める。

 元々仲が良さそうには見えなかったが、ここまで険悪な仲だったとは……。

「どうしたら」

 収拾のつかなくなってきた二人の口汚い応酬に少女はオロオロと狼狽える。喧嘩の仲裁などしたことがない。ましてや子供の喧嘩では無く、いい大人が相手では少女の出る幕ではないだろう。

 仕方がないので落ち着くまで黙って待つより他ない。

 聞かないようにしようとは思っても声を張り上げて口論していれば嫌でも耳に入ってくる。二人の赤裸々な異性関係から、幼少期、部屋が汚いことや私服がダサい、マザコンであるなどの私生活に至るまで掘り返される諸々に彼らが幼いころから共に育ってきた幼馴染なのだということが解った。

 良く知っているからこそ、ここまでいいたいことを言えるのだ。

「本当は仲良しなのかも」

 壁際に置いてある椅子に腰かけて苦笑いする。

 席を立ち唾を飛ばしながら罵り合う二人を見てそう判断する者は少ないかもしれないが、仕事中は干渉しないようにしている様子も含めて彼らが互いを尊重しようとはしていたのだろうと思うのだ。

 しかし初めは細やかな嫌味だったのが徐々に互いに対する不満を言い合う物になるとは驚きである。切っ掛けは小さくても、人がひとり間に立つことでその鬱憤を大きく吐き出す起爆剤になるとは――。

「間に起爆剤……それだ!」

 叫んで立ち上がった少女に驚いて二人は肩を跳ね上げて口を噤む。漸く自分達が見とも無い姿を曝していたことに気付いてサッと赤くなる。

「魔法の理を揺るがせば、また新たな理を構成しなくちゃならなくなる。それは私にはできないし、難しすぎる。理はそのままで発動条件になる起爆剤スペルを上乗せして、マナを取り込み続けるように工夫すれば」

 できるかもしれない。

 以前完成された魔法が、発動する対象を見つけられずに迷子になっているという状態を意図的に作り上げたことがある。深い森の中で魔法屋とはぐれた際に使った居場所を伝える苦肉の策として使用したが、あれが今回の依頼にも応用ができるはずだ。

「完成させた炎の魔法を環の中でぐるぐる回すことでマナを循環させて、起爆剤に空気を意味するスペルを入れれば……。いや、でも……発動までの道筋はできても魔法を指輪の中に閉じ込めておくことができないと意味ないなぁ……」

 基本的に炎の魔法は対象が無くても発現させることが可能な魔法である。“鍵開け”や“施錠”など発動対象物がその場に無い場合、完成した魔法はその場でぐるぐると回り続けるが、即発動する炎の魔法を迷子にさせるというのは難しい。

「うーん……」

 あと少しで手が届きそうなのに。

 再び椅子に腰かけて考え込んでいると女が「変わった方法ね」と笑った。

「普通魔法道具は完成した魔法では無く、不完全な魔法を施すことが多いわ。残りの部分を発動条件にしてしまえばいいから」

「そうなんですね。だから“ファイアー”や“雷光サンダー”とかが一般的に使われる」

 どれも呪文詠唱の際に重要なスペルの一部だ。道具を持ち使用する者が欠けている部分を補って初めて発動する魔法。

「着眼点は面白いけれど長く持たせるのは難しいわね」

 少女が考えているのは完成させた魔法を発動させないままで保持し、回転してマナを循環させて維持する時間を長く持たせようという物だ。女がいうように普通の魔法道具に比べて付与できる期間は短いだろう。

 それでも。

「やってみたいんです」

「確かにやってみる価値は十分あるわね……。こっちへいらっしゃい」

 女が受付カウンターの横にある扉を開けて出てくると、部屋の隅にある階段へと歩いて行く。誘われるままついて行きながら業務はいいのかと振り返れば、男が女の担当窓口に「休止中」という札を立てていた。

 視線に気づいたのかこちらを見て「頑張れよ」と男が励ましてくれる。それに頷いて後は急いで女の背中を追った。

魔法使いギルドには随分世話になっているが、二階部分に足を踏み入れるのは初めてで、物珍しさが勝ちついキョロキョロしてしまう。広い廊下に向き合って設置された幾つもの扉や、明かり取りの窓が無い暗い廊下を天井から下げられた硝子の覆いの中から仄かに照らす魔法の灯りを間抜け顔で見上げる。

「早くいらっしゃい」

 なにしてるのと注意されて少女が慌てて前を向けば、沢山並んだ中の扉のひとつを開けて女が入って行く所だった。同じような扉がずらりと続いていてひとりでもう一度この部屋を探し当てろと言われてもできないだろうなと、どうでも良いことを考えながらそっと足を踏み入れた。

 細長い部屋の真ん中に作業台がぽつんとひとつ。椅子はひとつだけ。壁面を全て隠す背の高い棚には書物と巻物や小物類が置かれ、床には一抱えはある大きな箱が幾つも置かれていて作業台へと辿り着くまでに足元を何度も確認しなければならなかった。

「わたしの工房……つまり仕事部屋ね。ここにある物は全部好きに使っていいわ」

「いいんですか?」

 少女が驚いて聞けば、あんたの作る魔法道具に興味あるからと純粋な研究者の瞳で見つめられる。「行き詰ったら聞きに来なさい。少しぐらいは助言できると思うから」とさっさと出て行く後ろ姿をぼんやりと見送った後で礼を言ってないことに気づき「ありがとうございます!」と頭を下げた。

 女は振り返りもせずに軽く手を挙げて応え、その手で扉を閉めると仕事へと戻っていった。




 カラン。

 入口につけている鐘が鳴り顔を向けると、閉じた扉の前に魔法使いの少女が立っていた。目が合うとにこりと笑って「こんにちは」と挨拶をする。

 旅の支度を整えている姿にまた新しい仕事の依頼を受けたのかと独り愚痴れば少女は楽しげに「もうずいぶん休んだので」と返してきた。通路を軽やかに歩いてくる少女に一週間前に会った時の疲労は無い。

 少女自身は気づいてなかったかもしれないが、仕事に追われて忙しく動き回っていた顔は随分憔悴しきっており、誰の目から見ても休息が必要なのは明らかだった。

「ってことはオレの依頼は無事に達成したってことだな」

「はい」

 晴やかな顔で頷かれ魔法屋は苦笑いする。

 たった一週間でやったことも無い魔法道具を作り出す依頼を遂行してしまうのだから正直参ってしまう。

 しかも本人が苦手だと言っていた分野のことである。

「じゃあそれを出してもらおうか」

 少女は最初に渡した革袋に入れたまま指輪をカウンターの上にそっと置く。まるでそうしないと壊れてしまうかのように慎重に、優しく。

 それとは逆に少々乱暴なほどの手つきで口を開けて、逆さにして掌に指輪を転がすと魔法屋は目を眇めて出来栄えを調べる。

「これは――」

 銀の指輪の表面に刻まれた古代語の文字に首を傾げた。

 完成した炎の魔法を発動させないように閉じ込めることが難しく、容器としての指輪自体に魔法を刻みつけたのだと少女が説明する。その魔法が特定の物体の位置を知ることのできる探知魔法――の逆魔法。

 魔法完成後すぐさま発動する攻撃魔法に、向かうべき場所を見失わせるために曲げられたなんとも歪で不格好な探知魔法に本来備わっているはずの計算され尽くした美しさはない。

 だが。

「面白い」

 少女は知らぬ間にあらゆる攻撃を無効化させる魔法へと近づいたのだ。今は指輪の中の呪文を閉じ込めておくことだけが目的の不完全で未完成の魔法だが、これを突きつめて行けばどんな攻撃も対象を見失って空をかくことになる――。

 背筋をぞわりとなにかが這い上がった。

 目の前の少女はそんなことを望みも期待もせずに魔法屋の依頼を無事に遂行できたことだけを喜んでいる。一生かけて研究すれば誰もが手に入れたいと願う魔法を完成させることができるというのに。

「問題は長く保たないことなんです」

「いや、期待以上だ」

 首を振ると少女はよかったと胸を撫で下ろす。

「試験は合格ですか?」

 勿論だと答えれば愛らしく破顔するその少女の類い稀な感覚と想像力に感服するばかりだ。

 この小さな魔法使いはいつも想像の遥か上を超えて行く。

 自覚も無く、気概も無く、あっさりと――。

 いや少女が努力を怠らないのも、真面目なのも知っている。あっさりと越えて行っているように見せているが、悩み、苦しみ、必死で答えに手を伸ばして掴みとっているのを魔法屋はよく理解していた。

 それでも自由な発想と真摯な気持ちで少女は魔法を操るのだ。

「また、面白もの見せてくれや」

「面白い、ですか?私はいつでも真剣なんですけど……」

 困ったように首を傾げる少女に依頼料を渡すと、やはり両手で大事そうに捧げ持ち「ありがとうございます」と礼を言って懐へとしまう。

「これからまた、仕事か?」

「いいえ。ちょっと、私用で。預かっていた物を返しに行ってきます」

 その面に悲しみと不安が揺れている。

 だがそれも直ぐに消して微笑み「それではまた」とマントを翻し、扉の鐘を鳴らして新たな旅へと出て行った。


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