最高の料理
「こんにちは」
久しぶりに訪れた魔法使いギルドの受付にはいつもの若い男が座っていて、挨拶をすると無愛想な顔にほんの少しだけ笑みを浮かべて迎えてくれた。
ギルドと言っても普通の二階建ての建物で、魔法使いを髣髴させる古めかしさや陰気な雰囲気は全く無い。普通の事務所の作りで受付カウンターには仕事の依頼を持ち込む人や、自分向きの良い仕事が無いかと探しに来た魔法使いが並んでいる。
中にはダンジョンや危険な仕事を受けた冒険者が魔法使いを斡旋してもらおうとギルドを利用することもあるので、魔法使い以外が出入りすることも多い。
手に入れた魔法道具がどんな効果があるのか調べてもらったり、修理や自前の武器や防具に魔法付与をしてもらうのはまた別の受付があるのだが、そちらには今は誰も並んでおらずそこの受付担当の女性は退屈そうにしていた。
少女の姿に気付いてにこりと微笑み手招きされたので一先ずそちらへと移動する。
「聞いたわよ。大規模魔法結界を成功させたんですって?」
「あ……それは、人数が必要だったからで、実力で選ばれたわけでは無いし」
「謙遜しないの。可愛くないわねー」
「いや、謙遜とかじゃなくて……痛いっ」
カウンターに肘を乗せて身を乗り出して女は必死で違うのだと言葉を継ぐ少女の額を指先で弾いた。美しく化粧をしている女の爪も綺麗に手入れされて色が塗られている。そしてその長い爪は少女の皮膚を血が出るほどではないにしろ傷つけて赤く蚯蚓腫れができた。
「どうだった?なんかすっごいモンスターがうじゃうじゃ出たって聞いたけど」
少女は額を擦りながら「私が見た中で珍しかったのはマンティコアとワイバーンですかね」と応えると女が目を丸くして固まった。
それもそうだろう。
そうそうお目にかかることは無い希少な魔獣や幻獣の類いだからだ。
「あんた、よく生きて戻って来たわね……」
しみじみと女が呟いて少女も頷いて同意する。
「きっと運が良かったんです」
そうだとしか思えない。
師は怪我をしたが命は助かったし、助からないかもと心底思った獣人も、ドワーフも小人もみんな無事だったのだから。
本当に良かったと思う。
死んで英雄になるよりも、生きて無名のままの方が百倍良い。
「そうね。きっとあんたは運がいいのよ。だからね、喜びなさい」
「……なにを、でしょう?」
女が腰に手を置いて胸を張り尊大な口調で言い渡すが、少女は何を喜んだらいいのか解らずに困惑するばかりだ。
「世紀の偉業を成し遂げた魔法使いたちは皆その功績を讃えられ、高い評価を与えられることになりギルドに登録されたランクがもれなく上がったの」
「ええっと、つまり?」
「ランクが上がるってことは依頼料が上がるってことよ」
「え!私の魔法技術や能力が上がった訳でもないのにっ!?それは詐欺です!困ります!」
ギルドに登録する段階で魔法使いの技量レベルが調べられ、それに応じてのランクが決められる。そしてランクごとに依頼料が変わり、仕事をして魔法技術の向上と新しい魔法を覚えたりして行く事で功績をギルドに認められて普通はランクが徐々に上がって行くようになっていた。
直接依頼人から仕事を受ける場合はランクに関係なく小さな仕事から、身の丈に合わない仕事まで受けることは可能だがその分リスクは高い。
ギルドを通して依頼される仕事はランクを鑑みて大丈夫だろうと判断した魔法使いに紹介するので安全で、何らかのトラブルがあった時は対応もしてくれる。その分利ざやを取られるが、少女のように駆け出しの魔法使いにはその方が安心だ。
最初は中々ギルドから仕事の紹介が無かったので、師匠の元にくる依頼を少女が出向いて代行していたが元より師と弟子のランクが違いすぎるためトラブルも多かった。仕事内容自体はそう難しい物では無くても依頼料を渋られて半分も払ってもらえなかったり、逆にできもしないことを頼まれて頭を下げたりと散々な目にあったのは今では良い思い出である。
漸くギルドから仕事を斡旋してもらえるようになって四カ月余りなのに、ランクが上がるなど異例というよりも詐欺だ。
「上の決定だしね。今から変更はできないわ。実際大規模魔法結界に成功したのは確かなんだし問題は無いと思うけどね?」
「あります!問題ありすぎです!ちゃんと実力で判断してもらわないと困ります!」
「実力で判断したからランクが上がったのよ?可愛くないわね、喜ばないなんて」
「沢山仕事して、結果を出してから評価されたのなら喜びます。でもこれは違う」
ぶんぶんと頭を振って不相応な評価に対しての抗議を続ける。女が言うように手放しで喜べるような内容ではないからだ。
「最低ランクの仕事でもまごつくのに、更に上のランクの仕事が私に勤まるわけがないんです。依頼料が上がるってことは今までよりも上質の仕事を求められるんですよ?そんなの無理に決まってます!経験も実力も能力も魔力も追い付いてないんですから!」
「わたしに言われても困るわ。文句があるのなら二階に行って直接支部長と話して頂戴」
整えられた爪が天井、つまり二階を指差す。ここは魔法使いギルドの支部であるが、少女のランクを上げることを承認したのはここの支部長では無く本部の魔法使いたちだ。抗議をした所で聞き入れて貰えるとは思えない。
「…………ランクが上がっても私は今までのランクの仕事しか受けません」
「それでも構わないわよ。あなたの依頼料は今までよりも格段に高いから確実に仕事が減るけれど」
女が言う通り最低ランクの仕事に高い依頼料を払える依頼人は少ないだろう。ランクが上がって良いこと等ひとつもないことに少女は打ちのめされ、これからどうなるのかを考えようとしたが面倒になって途中で放棄した。
「今日は帰ります」
仕事を探して依頼を受け、終わらせてから山へと帰ろうと思っていたが少女のやる気は蝋燭の火を吹き消したように一瞬で失せてしまっていた。
とぼとぼと入口へと歩き出した少女の横を凄い勢いで擦り抜けて、並んでいる列を無視して受付に飛び込んだ青年に少女は驚いて振り返る。青年は唾を飛ばしながら叫んだ。
「頼む!急いでるんだ!直ぐに動ける魔法使いを紹介してくれよ!」
「ちょっと、困ります。順番を守って頂かないと。最後尾に並んでお待ちください」
冷めた視線で男は割り込んできた青年を一瞥し、列の最後を掌で差して促す。並んでいる十人の依頼人や魔法使いが苛々と不躾な青年を睨んでいる。受付は煩雑で複雑な書類作成の為に時間がかかるのだ。
退屈を持て余している受付の女が男の分まで仕事を手助けしてやれば捗るのだろうが、女が忙しそうにしている時に男が手伝っている所を見たことが無いので業務が完全に分けられているのかもしれない。
「そんなこと言ってると間に合わなくなるんだよ!師匠の悲願である大会で優勝するって夢が潰えちまうんだっ!だから、頼む!」
必死で懇願するも受け付けの男は取り合わず、一番前の老人の書類を話し合いながら書き込んで行く。青年は血走らせた瞳で男の腕を掴むと「命を賭けた大一番の勝負に弟子のオレが出来ることって言ったらこれだけなんだよ!師匠の夢を、叶えてやりたいんだ!」悲痛な叫びに少女は歩を止め身体ごとそちらを向いた。
師の為に弟子ができること。
師の夢を叶える手助けをしたいと願う青年の切実な声は少女の胸に熱く迫る。
「おい、邪魔だ。ちゃんと並べよ」
二番目に並んでいた冒険者風の男が太い腕で青年の首根っこを掴むと乱暴に後ろへと薙ぎ倒した。
「いてっ!」
尻もちだけでなく背中までぶつけて床に転がった青年の傍まで行き少女は手を伸ばす。
「大丈夫ですか?もし私で良ければお話詳しく聞かせてください」
助けようと手を差し伸べ、声をかけたのが少女のような子供だったことに明らかな落胆の色を浮かべたが、青年はそれでも急いでいる手前選り好みは出来ないと腹を括ったのか「頼む」と短く答えて少女の手を取った。
青年の師匠は料理人で明日の正午に開かれる商工会主催の料理人大会に出場するらしい。優勝した料理人は王国主催の料理人大会に出場する権利を手に入れることができる。青年の師匠は王国主催の大会で優勝し、認められ王都で自分の店を持つのが夢なのだと語った。
「苦労人の師匠なんだ」
森の中の道を前後に並んで歩きながら青年は師匠をそう評する。
「兄弟の多い家に生まれた師匠は六つで自分から家を出て食堂へ住み込みで働き始めたんだ。朝早くから仕込みに扱き使われて、昼間には客に料理を運び、夕方まで皿洗いと掃除をして、夜遅くまで酒を呑む男達の相手をする。へとへとになって片付けて寝る頃は深夜過ぎで、深く眠る暇も無くまた一日が始まる」
起きてから寝るまでずっと働きずくめ。
過酷な中でも音を上げずに頑張れたのは、料理を担当していた主人の見事な腕前に憧れていたからだ。
材料を刻む鮮やかな包丁捌きや、フライパンや鍋を華麗に操り一度に入った注文の品を手際よく作り上げて行く機転と正確さ、彩と盛りつけの美しさは湯気のひとつまで演出として素晴らしく、またそれを裏切らない味の良さに魅了されていた。
そしてそれを食べる人達の顔が忘れられないのだと師匠の言葉を弟子が熱く語る。
「お師匠様のことが好きなんですね」
「好きって言うか……尊敬してるんだよ。心から」
照れ臭そうに頭を掻いて青年は少しだけ歩く速度を上げた。
「そこの主人に熱心さと才能を見出されて師匠は修業先を紹介してもらい、そこで働きながら腕を磨いて一番の料理人にまで上り詰めたんだ」
それでも満足せずに更に高みを目指し、夢を抱く料理人の向上心に少女も感動した。
どんな苦労も好きな料理の為になら頑張れるのだろう。
「それでその、虹色マイマイはどこに?」
青年が探している食材は料理の師匠が特に好んで使う物で、鮮度が命なのだとか。魔力が好きな蝸牛で魔晶石を入れた籠を置いておけば翌日には沢山取れていたのだが、最近では数が減ったのか取れないことも多いらしい。
初めて聞いたが虹色マイマイという蝸牛はその名の通り美しい七色をしており、食べると肌が綺麗になるとかで美容効果が高くまた味も格別美味いのだそうだ。
「取れるのは虹色マイマイモドキばかりでさ……。優勝するには虹色マイマイが必要なのに今朝も籠にはひとつも入ってなくて」
「魔力が好きな蝸牛だから魔法使いの魔力に引かれて出てくるかもしれないと」
眉を下げて青年は首肯する。
魔力を好む自然界の生き物はそれ自身も魔力を帯びていることが多い。そして魔力を取り込みすぎると賢くなり、強力な力を有した物へと変化することがある。大抵が狂暴化し他を害することもあるので注意が必要だ。
普通はそういう危険性のある動植物に関しては魔法使いギルドを介して広く情報を開示することになっているのだが、少女は一度も虹色マイマイについて耳にしたことが無い。
最近になって食用として使われるようになったようなので、新種でまだ研究が成されていないか実態が把握されていないのかもしれない。だが食用として流通しているのに情報が公にされていないのはおかしい気がする。
「虹色マイマイと虹色マイマイモドキの違いはなんなんですか?」
「姿かたちは一緒で、色が違うだけだ。虹色マイマイは七色、虹色マイマイモドキは三色」
「虹色マイマイモドキも魔力を好みますか?」
魔晶石を入れた籠の中に入っているのだから間違いなく魔力を好むのだろうが、念のために確認しておくと青年はそうだと頷いた。
「ちょっと虹色マイマイモドキの方が大きいかな。でも食用には適してなくて、臭いし苦みもあるから……。ここら辺で良く取れるんだ。あいつら湿気のある所が好きで、――うわわっ!なんだ、これっ!」
先を歩いていた青年が上ずった声で叫び、後ろへ下がった。その拍子に右足の先を踏まれ、痛みと声を堪えるのに苦労する。
背中越しに顔を覗かせて前方を窺うと真っ直ぐに伸びた杉の木が立ち並んだ場所にぽっかりと開けた空間と、落ち葉が降り積もっているはずの場所に何故か乳白色を湛えながら七色に輝く美しい欠片が辺り一面に敷き詰められている不可思議な景色が広がっていた。
「これは……」
青年の横を擦り抜けて一歩踏み出すとパキリと薄く氷の張った水溜りを踏み抜いたかのような音がする。一陣の風が木々の間を吹き抜けるとカラカラと乾いた音を立てて流れて行った。
「貝殻……?」
手を伸べて掬いあげるとまるで浜辺に打ち上げられた綺麗な貝の欠片のような感触とそれによく似た軽さと質感が少女の手の中で心細げに揺れている。
「虹色マイマイの殻だ……」
答えを与えてくれたのは背後に居る青年だった。
だが最近では取れなくなったと言っていたはずの虹色マイマイの殻がこれほどまで大量に地を覆っているというのは一体どういうことなのか。
「なにが起こって――」
そして何が起こり得るのか。
全身の産毛が逆立つ。
少女は危機を感じて緊張と集中を高める。右手に握っている杖を胸に引き寄せて周囲を見回す。
「今朝来た時はいつもと変わらない様子でしたか?」
「あ、ああ。いつも通りだったよ」
「それでは朝からの短時間で何らかの現象が起こったと……。一旦引き上げて魔法使いギルドに報告しましょう」
この森に足を踏み入れたのは正午を過ぎたぐらいだったはず。朝からの数時間で虹色マイマイの殻が散乱するほどに食い荒らされているという異常事態は少女ひとりの手に余る。何が起きているのかも、虹色マイマイの生体すら情報の無いままここに留まるのは危険すぎた。
「ここで諦めて堪るか!師匠の夢がかかってるって言うのに」
だがその決断に納得できずに青年は少女の体を押し退けて乳白色に輝く大地に足を下すと一歩また一歩と進んで行く。
「待ってください!夢よりも命の方が――危ないっ!」
「え?」
呼び止めようと踏み出した靴底の下で殻が砕ける儚げな音と感触が伝わった。そして青年の頭上から何か透明の粘質性の液体が滴り落ちてきたのを目視して身体が竦んだ。危険を叫んだ声に青年は足を止め不思議そうに瞳を瞬かせる。
無防備な面を晒す青年の髪の先を掠めて液体は肩口に落ちた。
そして。
「ぐわあ!熱いっ!」
服を焼いて皮膚まで溶かす異臭が漂い、苦痛の声を上げて肩を押えるとその掌さえも音を立てて溶けて行く。突然の痛みに動揺し足を滑らせた青年は虹色マイマイの殻の上に倒れ込み、シャラシャラと美しい音を立てて悶え苦しんでいる。
「なんなんだよっ。一体なにが、まじ、くそ、痛えよっ!」
「落ち着いて下さい!痛いでしょうが、今は堪えて、じっとしてください」
涙を流して痛がっている青年は自分が今捕食者に狙われていることを知らない。何も見えぬ頭上を警戒しながら少女はできぬ頼みを口にはしたが、それを目の前の青年ができるとは思っていなかった。
このままでは命が危うい。
情報も確証も無いまま戦うのは分が悪いが、ここを切り抜けられねば生きて帰ること等難しい。
「どうすれば……。なにができる?」
己に問う言葉は常に変わらず、その時に最適な答えを導き出さんとして思考を加速させる。
ぽたり。
再び流れ落ちた滴は青年の足元に落ち、殻をけたたましく溶かしていった。
落ち着け。
活路を見いだせ。
せめて青年の命だけは護らねばならない。
「何故私が狙われないのか――」
それは青年が無防備だったからか?
否。
彼が何も知らずに巣の中に足を踏み入れたから真っ先に狙われたのだ。
ならば。
「どうやって引きつける?」
彼が逃げられるだけの時間を稼ぎ、狙いを変えるためには。
「魔力に引かれる……のなら!」
少女は魔力を引き出しマナと混ぜ、その中にスペルを編み込んで丁寧に魔法を紡いだ。その瞬間見えないはずの捕食者の目がこちらに向いたのを確かに感じた。絡みつくような視線に肌が粟立つが今は精神を集中させることだけを考える。
プッとなにかが吐き出された音が響き、次いで生臭い粘液の粒が目の前に飛んできた。思わず顔を背けながら、練り上げた魔法をその方向へと送り込む。
意思を持って放たれた衝撃波は空気を割き、斜め上に向って跳ね上がると杉の幹を抉るように穿ち耳障りな音を立てて消えた。同時に樹上から丸みを帯びた物体が落下して七色の殻を巻き上げながら派手に地面に転がる。
「…………虹色マイマイモドキ?」
にしてもでかすぎだろと痛みを忘れて青年は慄くと、尻を地面につけたままで逃げるように数歩分下がった。
「これが虹色マイマイモドキ」
説明されていた通り緑、茶、黄の三色を持つ蝸牛だった。だがその大きさはとても魔晶石を入れた小さな籠の中に納まるとは思えない程巨大で異様な姿をしている。ぬらぬらと光る胴体は紫色をしており、突き出た角とその上にある目の獰猛な輝きは既に蝸牛の範疇を超えていた。
「魔力の取り込み過ぎでモンスター化しているんです」
「モンスター化するぐらいの魔力をどこから取り込むんだよ!?」
「恐らく、虹色マイマイからです」
衝撃で朦朧としていた虹色マイマイモドキは丸い殻を揺すりながらゆっくりと覚醒していく。全てを溶かす酸の唾を線のような口の端から滴らせながらじりじりと詰め寄ってくる。
「魔力を好む生物はそれ自体も魔力を帯びていることが多いんです。虹色マイマイも魔力を持っていたんでしょう。そしてその虹色マイマイを捕食する虹色マイマイモドキもまた魔力を帯び蓄積していった――多分そう言うことなんだと思います」
推測にすぎないが真実に近いはずだ。
「食用として利用されることで虹色マイマイの数が減り、虹色マイマイモドキは食べ物に困り共食いに走った。そして魔力を強く帯びた虹色マイマイモドキの匂いに釣られて寄って来た虹色マイマイが食べつくされて更に急激に成長した……のかもしれません」
細かいことは研究者たちが調べてくれるだろう。
だから今はこの場をどうにかして逃げなければならない。
「オレたちの所為だっていうのか……」
呆然と呟いて猪程にまで巨大に成長した虹色マイマイモドキを見つめ青年はぶるりと身体を震わせた。それは恐れだったのか、怯えだったのか解らない。だが今は後悔するよりも立ち上がり足を動かすことが先決だ。
「いつだって人は自然界の秩序を乱し、その生活や生態を狂わせているんです。新しく生まれてくる種もあれば、消え失せる種もある。それは今までもこれからも変わらないんです。そのことを悔やむよりも、生き抜くための努力をしてください」
「どうやって?」
純粋な問いに少女は苦笑いする。
「生存競争に負けないためにできることはただひとつ。戦って勝つこと」
それだけだ。
単純明快であるが故に強者しか生き残れず弱者は消えるのだから残酷ではある。
「さあ、立ってください」
青年の横に移動し、腕を取って立ち上がらせた。痛む肩と掌に顔を歪めながらも「オレはなにをすればいい?」と乞う。
「街へ行って魔法使いギルドに報せて下さい」
「は?なにもせずに逃げろって言うのか?お前を残して?」
自分よりも幼い少女を置いて逃げることを由としないのは青年が勇ましいのではなく、少女の実力を低く見積もっているからだ。自分が雇っておきながら、魔法使いを名乗る少女の力を疑わしく思っている。
それも仕方が無い。
たいした魔法など使えないと思われることにも慣れている。
他者に侮られても、自分の積んできた修行の日々は少女を裏切らないから。
信じる思いが力になる。
「大丈夫です。心配なら離れ見ていてください。そしてもし私が倒れそうになった時は後先考えずに街まで行って魔法使いギルドに報せて下さいね。そうしないとこの虹色マイマイモドキがもっと大きな被害をもたらしてしまう可能性が――」
最後まで言い終わるのを待つほどモンスターに分別があるわけが無い。少女は青年を虹色の絨毯から外に押し出して自身は殻の上に身を投げ転がった。二人の居た場所に降り注いだ粘液が殻を溶かして嫌な臭いを風が運ぶ。
顔を上げて虹色マイマイモドキを見やると頭を擡げて口を動かしていた。その隙間から見えるギザギザとした鋸のような歯が覗き、奥の方で蠢く赤い舌が唾を絡めると再び吐きかけてくる。
両手を突いて身を起こし、中腰のままで駆け左側からぐるりと背後に回り込む。触角が少女を探す様に動くが重い殻を担いだ身体は素早くは動けないらしい。
そこに勝機を見出すことは可能だ。
杖か剣か。
少女の取れるべき選択肢が多いのは良いことだ。
その分生き延びる可能性が増えるのだから。
相手をじっくり観察すれば柔らかな胴体は滑りがあり、硬い殻は容易には叩き割ることはできなさそうだ。
「剣では貫けない……ならやっぱり」
魔法しかない。
だがどの魔法が有効なのか。
相手は動きが鈍いが、呪文を詠唱し集中している隙を突いて酸の唾で襲ってくる。強力な魔法で一気に片をつけたくても、長い詠唱の間に反撃されては意味が無い。それならば短い呪文で発動させられる魔法を使うしかないが果たして効果があるのか。
「蝸牛が原型ならその性質もほぼ同じはず……」
魔力を取り込んで巨大化しモンスターへと姿を変えても、その元となった本質からは大きく逸脱することは出来ないのは揺るがしようのない理である。
ならば殻の中には大切な臓器があり、それを守るために硬い殻に覆われているはずで、軟体部分である胴体が滑り気を帯びており弱点である乾燥から逃れようとしているのも間違いでは無い。
強固な守りを崩すにはその弱みを突くしかなかった。
「――焼き尽くす!」
それしかない。
問題は逃げ回りながらでは呪文を完成させられないこと。反撃をくらわないためには一瞬で勝負をつけなければならず、その為の呪文詠唱は残念ながら一瞬という訳にはいかない。
もうひとりいれば。
呪文を紡ぐ間、虹色マイマイモドキを引きつけてくれる仲間がいれば――。
逡巡を覚られたか、それともあまりの頼りなさに痺れを切らしたのか。蹴り上げられ舞い上がった虹色の欠片がキラキラと光を浴びて輝く。「お前の相手はオレだ!」と叫びながら殺傷能力の低いナイフを翳して青年が巨大な蝸牛の前へと躍り出た。
「ちょっ!」
制止する隙を逃した少女が目を瞠り、吐き出された唾から逃れるように後ろに飛び退いた青年を凝視する。
「お前が言ったんだろ!?生き抜く努力をしろって!」
「そんなっ。雇い主が命を落としては誰に依頼料を払ってもらえばいいんですか!」
非難の声を上げた少女に青年はにやりと頬を歪めて笑うと「そん時はただ働きだな!」危険も顧みずに細い刃を振って二対ある触角の小さな方の下辺りを斬りつけた。
保湿の為の粘液が滑り、ナイフの威力など無いも同然だったが虹色マイマイモドキは煩わしそうに口を狭めて勢いよく唾液を吹きつける。霧状に飛散したそれを避けること等できない。
青年は呻きながら両腕を交差させて顔面を護ると、がくりと両膝を地面につける。
「引いて下さい!戦うのは私の仕事です」
さっとマナを寄せて魔力を籠めて火を生み出すと杖の一振りでモンスターへと投げつけた。だが硬い殻に弾かれ小さな火はたちまち掻き消えて、魔力の気配を追うように虹色マイマイモドキは頭部を勢いよく振って向きをこちらへと変えた。
「――っひとりでなにができるんだよ!自惚れんな!ガキの癖に!」
「その子供を雇ったのは貴方でしょう!お願いですから」
雇い主を危険に晒すなどあってはならないことだ。依頼内容は虹色マイマイを魔力で誘き寄せることだけだが、その中に依頼人の安全は当然のことながら含まれているのだから。
まさか狂暴化した虹色マイマイモドキに襲われるとは思っていなかったので、何の準備も警戒もせずたった二人で森に入ったのが間違いだったのだと今更悔いても仕方ない。
「止めて――!」
雄叫びを上げて青年がナイフを手に背後から殻に襲い掛かる。
少女は迷い杖を左手に持ち替え、その右手を腰に佩いた剣へと移動させた。
甲高い音を立ててナイフが根元から折れる。料理人を志す青年のナイフは安物では無く、手入れも十分で切れ味も悪くは無かっただろう。それでも簡単に弾き返してしまう緑と茶と黄の殻は明らかに蝸牛のそれとは比べ物にならない程強固だ。
少女の持つ魔力付与のついた剣ならば傷のひとつぐらいはつけられるだろう。だが殻を打ち砕くには力が足らず、闇雲に斬りつければ虹色マイマイモドキの怒りと凶暴性に火をつける結果しか生み出さない。
ちらりと青年を窺えば折れたナイフの柄を持って驚愕していたが、その瞳の中に恐怖や迷いは存在しなかった。
そして少女ひとり残して引くこと等微塵も考えてもいない強い眼差しに屈したのは他でもない少女の方。
多少の危険も暫しの間ならば持ちこたえられるだけの決意を認めて、青年の協力を有難く受け入れることにした。少女のつまらない自負や矜持に囚われていることで共にモンスターの胃の中に消える運命を辿るというならば、取るに足らない見栄や強がりなど捨ててしまった方が良い。
少女とて死にたくは無いのだから。
「それではせいぜい逃げ回って翻弄させてください!そして」
呪文詠唱が終わったらすぐに木立の中へと逃げ込むことを約束させて、少女は腰の剣を引き抜くと青年の足元へ向けて虹色の絨毯の上を滑るように投げた。抜身の剣は不安定に回りながらも、かけられた魔法の匂いを撒き散らしながら移動し青年の靴底に踏み留められて動きを止める。
旨そうな匂いを発する剣へと狙いを変えて虹色マイマイは再び向きを変えた。剣を拾い上げた青年の頬が少し緊張気味に引き攣ったが、少女よりは筋力のある彼の方が扱い易くまた威力も上がる。
常に持つ包丁やナイフなどとは勝手は違うだろうが、刃物を扱ったことがない者よりは手に馴染むはず。
心配はいらない。
動きの鈍い相手をいなしながらほんの少しの時間稼ぎをしてくれれば後は魔法で止めを刺すだけだ。危険なのは承知している。お互いに。
だから少女は失敗しないように出来得る最短で詠唱を終わらせればいい。
大きく息を吸い込んで肌を焦がす熱風を思い起こす。
燃え盛る炎が爆ぜる耳を聾するほどの爆発音。
今必要なのは広範囲に及ぶ威力では無い。
だから慎重に対象を絞り、爆風と炎の熱の打撃を修正する。
「“荒ぶる風と猛る炎の威力を御して”」
集めたマナと古代語のスペルを織り込んで魔力を足しながら空中に指と腕と杖を用いて複雑な魔法陣を描く。身の内を流れる魔力が一気に加速し、形を成していく魔法へ力を注ぐ。仄かに灯るマナの輝きが杖先に宿り、ぐっとその濃度を増していった。
虹色マイマイモドキが背後で大きくなっていく魔力へ舌なめずりをして、地面の殻を柔らかな胴体で掻き回す様に滑らせて少女をその目で捕える。
その後ろで青年が剣を振り上げ、思い切りよく叩きつけた。気色悪い紫色の尖端が千切れ、黒い液体を流しながら切り離された腹足が跳ねて抗議する。そして傷つけられたという事実に虹色マイマイモドキが歯を剥き出しにして吼えた。
「“地を這え!蹂躙せよ!”」
青年の顔に充足感を認めて少女は軽く頷き、下がるようにと視線で木立の向こうを指す。心得た青年は数歩後ろ向きで下がった後で身を翻すと一目散に駆け去った。安堵の息を継ぎ残りの呪文を舌に乗せる。
「“全てを燃やせ!爆ぜよ!火球!”」
寸での所まで迫っていた虹色マイマイモドキの牙が炎に包まれ、次々と生まれる火球がその軟体にぶつかり弾け空気を震わせる爆音と共に焼け落ちる。
少女はその風圧と音にたたらを踏んで退き、背中を杉の幹に受け止められて鼻孔に入り込んでくる異臭に顔を顰めた。
虹色マイマイモドキは苦悶の呻きを上げながら悶えるように乳白色に光り輝く欠片の中を右往左往していたが、やがて頽れるようにその中へと倒れ込み表皮を舐める火が消える頃にはぴくりとも動かなくなっていた。
「……終わった、のか?」
恐る恐る木立の中から顔を覗かせて青年は燻り続ける虹色マイマイモドキを見つめる。
「はい、多分」
もしかしたら他にもモンスター化した虹色マイマイモドキがいるかもしれないが、今の所の危機は去った。
青年はそうかと呟いてしゃがみ込むと剣を脇に置き、両手で七色に輝く砕けた殻を掬って悲しそうに眉を下げた。さらさらと軽い音を立てて指の隙間から落ちて行く欠片のひとつひとつが元々は生物の体の一部であったのだと思いを馳せれば単純に綺麗だとは言い切れない。
「もう、虹色マイマイは手に入らないな」
苦悶の滲む青年に少女は曖昧に頷くしかできなかった。やがて青年が剣を掴んで立ち上がり「帰るか」と軽い調子を装って声をかけてくる。
それにはいとだけ返してゆっくりと足を動かし青年の傍まで進む。
「返す」
簡潔な言葉には首肯で応じ少女は元の通り剣を鞘へと戻した。
青年は街までの道を辿りながら無言を貫いていたので、少女は料理の師が明日挑むであろう大会をどうするのか気がかりに思っていても問うことができない。切り出す切っ掛けを掴めぬまま森を抜けて街の入り口へと着いてしまう。
「えっと、オレ相場を知らないんだけど幾ら払えばいいんだ?」
漸く青年が口を開いたのは少女を雇った依頼料についてだった。小さく頭を振って依頼料の受け取りを拒絶すると「それじゃ困る!」と声を荒げた青年に苦い笑みを返す。
「依頼内容は虹色マイマイを捕まえることです。それを遂行することができなかったので、依頼料を受け取るわけにはいかないんですよ」
「それじゃ本当にただ働きになっちまう!」
「そうですね。でも仕方ありません。私の力が及ばなかっただけですから」
本来ならば依頼料の三分の一は受け取る権利はあったが、純粋に師匠を思う青年の心に打たれて協力を申し出たのだ。相場を知らない青年に少女を雇うのに必要な正規の値段などいった所で仕方が無い。
伝える必要も無いだろう。
「それより、明日の大会……どうするんですか?」
言い募ろうとしていた気勢を制して少女はずっと心に秘めていた質問を発言する。青年は頬を指で掻くと「それなんだけどな」と困ったように微笑んだ。
「実際食材を調達してこいと命じられてはいないんだよ。オレが勝手に動いていただけで。師匠はきっと虹色マイマイを使わなくても勝ち残れるって」
信じることにしたのだと続けた青年に少女も納得して頷く。夢見る意思が強ければ強いほど、それを叶えるための力と機会はもたらされるものだ。後は如何にしてその機会を物にするか。
「お前が教えてくれたんだ」
「私が?なにを」
首を傾げると「生存競争に負けないためにできることはただひとつ。戦って勝つこと……だろ?」朗らかに笑った青年の言葉に少女は照れて赤くなった顔を俯かせる。
確かに言ったが改めて他人の口から聞かされると随分と不遜に驕って聞こえた。
「すみません。大きなことを言ってしまって」
「いいさ。本当のことだろ?それより本気で報酬も謝礼もいらないのか?」
「はい。もしそれが気に入らないというのならいつか」
師匠の元を離れ一人前の料理人になった暁にはその料理を食べさせてください。
青年がはっとした顔で少女を眺め、そして直ぐに破顔する。
「ああ。勿論。その時は最高の料理を」
約束して青年は右手を差し出してくる。その手は焼け爛れ、赤く皮膚が捲れ上がっていたがそれに臆することなくそっと手を重ねた。
痛みを伴う握手は青年に決意と夢を抱かせ、少女は一心にひとつのことを成しえようとする姿に己の姿を見る。
握り返される力は優しく、そしてそっと放された。
「それじゃ、またな」
「はい。お元気で。夢を叶えるその日を心待ちにしてます」
青年は「おう」と答え街の中へと消えて行く。その背を見送って少女は今回の報告をするために魔法使いギルドへと足を向けた。




