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ダンジョン攻略への道 後編

 二度目の戦闘は唐突に始まった。


 土の湿った黴臭い臭いと、なにかが発酵しているかのような腐敗臭が辺りに充満している。洞窟の先が直角に曲がっていたので松明を小人族の男に預け剣を抜いた獣人が慎重に進んだ。

 突如地を這う様な恐ろしい声が響き渡り、前屈みの姿勢でモンスターが飛び出してきた。鋭い爪を閃かせて獣人に襲い掛かる姿は黄色い光に包まれており、暗がりの中で燐光を放つ。顔中に広がる水膨れの中で血走った目にほんの少しの知性が宿っており、身につけている衣服や装備の名残からこのダンジョンを攻略しようと訪れた冒険者のなれの果てだと解る。

「……穢れた黄色い光、ワイトじゃな」

 ドワーフが嫌悪感の滲んだ低い声で大斧を握り絞め吐き捨てる。獣人はワイトの攻撃を薙ぎ払い一歩引く。

「奥にも沢山いるようだ。一旦引くぞ」

「引くって、どこまで?」

 小人が宝の詰まった革袋を重そうに担ぎ直しながら身を翻して走り出す。ドワーフがやはり殿を務めるのか、留まり斧を振り回して威嚇する。獣人は少女の背を押して「行くぞ」と駆けだした。

「ねえ、どこまで逃げるの?」

 荷物が重く、松明を持っているので走りにくい小人は既に苦しそうに息をしている。普通ならば身軽な小人族が少女よりも先に息が上がる事は無い。

「あの、荷物」

「魔法使いがいらぬことを考えるな。両手が空いていなければ魔法が使えないだろう」

「でも」

 手助けを申し出ようとした少女を獣人が鋭く制する。彼が言うように複雑な動作が必要な魔法詠唱は不要な荷物を持っていてはできない。だが小人の顎は上がり、今にも転ぶか立ち止まりそうで怖い。

 ちらりと背後を窺うとドワーフが最初のワイトを叩き斬り、重い鎧を鳴らしながら走ってきている所だった。そのすぐ後ろを新たなワイトが追って来る。そしてその後ろから二体、三体と次々と姿を現す。

「だめです。追いつかれます!」

 このままではドワーフは背後から複数のワイトに襲われることになる。ワイトに襲われた者はワイトになると聞いた。それならばあの親しげに話しかけ、心配し気を使ってくれたドワーフもワイトになってしまう。

 そんなのは嫌だ。

「なにをするつもりだ」

 少女が横掛けにしている鞄を走りながら開けて何かを探している様子を見て獣人が眉間に皺を寄せる。説明している暇はないので、左手を動かし目当ての物を探し当てた。指先に触れた硝子の感触を引き寄せるようにして掌に掴む。右手に持っていた杖を獣人に押し付けて渡し、前を走る小人の手から松明を奪う。

「成程、火か。でもそれではあいつらを仕留める事も足止めをすることもできんぞ!」

「大丈夫です」

 立ち止まり後ろを向いて思い切り振りかぶりワイトの足元目掛けて小瓶を投げつける。狙いが甘かったのかドワーフの足元に落ちて、中身の油がブーツに飛んだ。慌てたドワーフが「おいおい!」と叫びながら少女の手前で足を踏み鳴らし、それでも懸命に走ってくる。

「えい!」

 続いて松明を投げ、それは狙い通り小瓶の傍へと落ちて勢いよく燃え上がった。ワイト達は目の前で上がった火柱に一瞬怯んだが、小瓶程度の油では直ぐに火力が弱まり腐敗した身体を揺すって笑うように声を上げ、炎を踏みしめて超えようと進んでくる。

「無茶すんなよ~!」

 小人が上擦った声で少女の肘を掴もうと手を伸ばす。ドワーフが脇を走り抜け「嬢ちゃん、逃げるぞ!」と誘うが、少女は両手を前に出してマナを集めた。これは少女が一番初めに教わった魔法で杖など無くてもかけられる。

 基礎魔法である“灯り”や“鍵開け”“施錠”よりもずっと馴染がある魔法。

 いつもよりマナを多めにして魔力を籠める。視線を炎に注ぎ、呪文を心の中で短く唱えれば、拳大の火の玉が次々と湧き出し元あった炎と合わさりワイトの目の前で激しく燃え盛る壁となる。

 少女は獣人を振り返ると杖を受け取って下がった。

「炎の中を進んで無事では無いはずですが、あの壁を超えくるワイトがいます」

「それでも普通に戦うよりは容易いだろう」

「……すみません。余計な事だったかもしれませんが」

 何もしないよりは良かったのだと思いたい。

 斧の柄を肩に当てて担いで炎の壁を睨んでいるドワーフの精悍な顔を見て安堵している自分がいる。

「パーティで戦う時に重要なのは個人行動に走らない事だ。その所為で仲間に迷惑がかかる事を覚えておけ」

「……はい」

 集団での仕事が初めての少女には自分に何を求められているのか、何をしたらいいのかの判断ができない。解らないからといって行動しなければ役には立たないし、出しゃばって前に出過ぎれば他の人の邪魔になる。

 匙加減が難しく、また判断材料になるほどの経験も無ければ仲間の事も知らない。普段どんな戦い方をして、どんな攻撃が得意で又苦手なのか。

 彼らはパーティを組んで長い。だがその中にいる自分は新参者で足を引っ張る厄介者でしかないだろう。

「だが仲間を助けるための行動ならばその限りではない。しかも確実で危険度の低い行動ならば歓迎される」

「はい。覚えておきます」

 生真面目に応えて頷いた少女の背中を小人が朗らかに笑って叩く。

「怒ってんじゃないよ。あいつは感謝してるんだからさ。勿論俺っちもね」

「わしもじゃ。危うくワイトにされる所じゃったわい」

「ええっと……」

 どうやら感謝されているらしいと気づいて少女が視線を彷徨わせていると、獣人がチラリと視線を落として牙を見せた。

 そして。

「良くやった」

「────!はいっ」

 褒められてようやく自分の行動が間違っていなかったのだと実感して危うく泣きそうになる。まだ戦闘は終わっていないし、ダンジョン攻略も途中なのに。

 気を抜いてはいけない。

「来たぞ!」

 獣人が雄叫びを上げて地を蹴る。「ワイトには魔法を帯びた武器か銀の武器しか効かん。頼む」とドワーフが“魔力付与”の魔法を要求しながら同じく駆けて行く。

「“魔力よ宿れ”」

 少女は再度杖を翳してマナを呼び、魔力を込めて魔法を分けて二人に掛けた。青白い光を帯びて大斧と長剣に魔力が宿る。勢いづいた獣人とドワーフによって炎が鎮まる前に全てのワイトは肉片となって倒された。




 ワイトがいた土が剥き出しの黴臭い場所から少し進んだ開けた場所で、獣人が「休憩する」と宣言した。一応罠や仕掛けが無いか小人が盗賊技術を使って調べた後で安全を確認してから岩壁を背に座る。

 荷物の中から動物の胃袋で作られた水袋を取り出して栓を抜き、口に含むと緊張で渇いた喉が潤いほっと力が抜けた。竜牙兵との戦いでは怪我をするか、もしくは命を落とすかの危険があり、ワイトとの戦いでは仲間を失うかもしれないという恐怖を味わったのだ。自分が思っている以上に疲労しているのだと自覚して目を閉じる。

 独りで困難に立ち向かうより仲間がいる方が頼もしく心強い。だが反面自分だけでなく周りを見ながら、気を遣いながらの手探りの状況は緊張続きで酷く疲れる。

 協力して戦うという事は何と難しい事なのだろうか。

「ねえ。あんた年幾つ?」

 そういえば聞いてないと小人がにこにこと尋ねてくる。少女が顔を上げて「十二歳です」と答えれば驚いた顔をして隣に座るドワーフの腕を小さいが器用な手でバシバシと容赦なく叩く。

「信じられる?十二歳で魔法を習得して一人前だってさ!」

「お主より頼りになる十二歳じゃな」

「どんな育て方したら人間の子供が魔法使いになれんだろうなー」

「師になってくれた人が素晴らしい先生だったからです。教え方も丁寧で解りやすかったし、どんな時も傍で導いてくれたから」

 何度も心が折れそうになったが、その度にそれとなく手を差し伸べ助言をくれた。いつも見守り、信じてくれた。だから諦めずに進んでこられたのだ。

「幾ら師が優秀でも十二歳で独り立ちさせるなど考えられん。早計だ……と初めて会った時にも思ったが、粗削りながら危機に陥った時の判断力と行動力、魔法を使う時に無駄が一切無い事を考えれば妥当なのかもしれんな」

「早い……とは私も思いました。まだ先生から学ぶことは沢山あったし、もっと指導して欲しかった……。でも今はこの杖に恥じぬように経験を積んで魔法を極めて行きたいと思っています」

 師からの贈り物を胸に抱き、決意を口に出す。そうしなければ不安だったし、それが今の少女を支えている物なのだ。自分が依頼された仕事をひとつずつ丁寧に乗り越えて、成功して行くことが先生の評価にもつながる。

「先生の弟子である事が私の誇りなんです」

「……今まで雇った魔法使いの中で、一番使い物になっているのがこの小さな魔法使いだとは驚きだ」

「全くじゃな」

 獣人の言葉に干し肉を咀嚼しながら同意して飲み込むと、葡萄酒を煽ってがははとドワーフが笑う。小人族の男は革袋の中の財宝を物色しながら「魔法使いときたら口ばっかりの奴が多くて」と苦りきった声を上げる。

「しかも偉そうにしとるしの。学の無いわし等を馬鹿にして蔑んでおきながら、いざ戦闘となると右往左往しおって御自慢の魔法を発動させることもできん奴が多いわ」

「戦い慣れしている魔法使いは重宝されて、雇うとすると高額になる。そこで魔法使いギルドに紹介してもらうんだがな……碌な奴に当たった例が無い」

「すみません……。魔法使いになるためには時間をかけて勉強と修業をするしかないので、実戦経験が少なくなってしまうんです。修行を終えるとそれだけで自分は何でもできるんだって勘違いもするし、一生懸命学んだからという自負もあって、その」

 世間に流れている魔法使いの質の悪さについての噂は殆ど真実で、習得するまでに長い期間を要する割には使い物にならないと冒険者達から毛嫌いされている。

頭でっかちで融通の利かない魔法使い。

 そう言われても仕方の無い程、多くの魔法使いが自分の知識や魔力に奢り人々を軽んじているのだ。

 戦いの場において魔法使いは呪文詠唱の際無防備になる。それを守ってくれるのは仲間であり、信頼や絆なのだと解っていないのだ。武器を持って戦う者はすぐ傍に死や危険を感じて逃げずに立ち向かっているのに。

 だからこそ先生は魔法だけでなく少女にも剣の扱いを覚えなさいと勧めたのだ。

 魔法だけに拘っていては戦闘時において命を落とすのだからと。

「何故お前が謝る?」

 獣人が不可解そうに尋ねて来るので少女はもう一口水を飲んでから苦笑いし「私も魔法使いなので、彼らの気持ちも解るんです。だから肩を持ちたい気持ちと、情けなさと申し訳なさが半分あるので」と答えた。

「あんたみたいな魔法使いばっかりだったら助かるんだけどね。でもそうなるとあんたに仕事の依頼が来なくなるかー」

 物色を終えて袋の口をぎゅっと締めると小人は陽気に笑う。それから荷物を探って瓶に入った小さな砂糖菓子を取り出すと口に放りこんで少女にも勧めてくれた。

有難く掌を差し出すとその上に淡いピンク色の砂糖菓子が二粒乗せられる。四角い砂糖の一面に黄色く着色した砂糖で花が形作られた凝った物で、それなりの値段がするのだと少女にも解った。

「えっと、これ高いんじゃ」

「いいって。俺っちドワーフのおっちゃんや獣人の兄ちゃんと違って酒は飲まないし、仕事道具もそう高価な物じゃないからさ~。もう金の使い道がこれぐらいしかなくって」

 幸せそうに口元を綻ばせながら更に二粒三粒と口に入れていく。さっさと食べろと顎を動かして急かされたので可愛らしい菓子をそっと舌の上に乗せると、口の中にふわりと甘さが広がりあっという間に溶けて消えていった。

 糖分が体中に染み渡り、疲れ切った身体をじんわりと温めてくれる。

「美味しい。ありがとうございます」

「頑張ってるご褒美」

 にこにこと小人は砂糖菓子よりも甘い顔で微笑むと小瓶を荷物の中へと戻す。ドワーフがジロリと仲間を睨んでから「嬢ちゃん気をつけろ」と警告する。

「はい?」

 何に気をつけろというのか。

 首を傾げながらドワーフを眺めると大仰にため息を吐き、唐突に小人の脳天に拳骨を喰らわせた。

「何も知らん子供を餌付けするんじゃないわい!」

「いてっ!だって将来有望な女には優しくしとく方が得だろ~?」

「いらんことして、次依頼しても来てもらえんくなったら困るのはわし等じゃぞ!」

「まだ何もしてないってば~」

「当たり前じゃ!」

 言葉だけ聞いていれば喧嘩をしているように見えるが、互いの瞳には面白がっている色があり、どうやらこれもいつものじゃれ合いの一部のようだ。

 ほっとして少女は居住まいを正すと深々と頭を下げた。

「今回は誘っていただいてありがとうございました。もしまた誘ってもらえるのなら喜んで来るので、これからもよろしくお願いします」

 彼らは自分を雇ったことを後悔するどころか、驚くべきことに評価してくれている。次来てくれないかもしれないぞと冗談めかしてでも言ってくれる事が嬉しくて、少女は感謝を言葉で表す。

「こんな風変わりなパーティに入りたいなんて、お前も心底変わっているな」

 獣人が鼻で笑って立ち上がる。緊張が切れた身体を動かして休憩は終わりだと態度で示す。少女は水袋を荷物に入れてゆっくりと腰を上げる。疲労の溜まっている膝や肩が重いがまだ大丈夫だ。

 ドワーフと小人も手早く準備して立つと、顔つきが凛々しくなり冒険者としての風格が出る。軽口を叩いていても彼等は歴戦の戦士で、冒険者なのだ。

 彼等から学ぶことは沢山ある。

 目をしっかりと開いて得られる情報を記憶し、神経を尖らせて戦場とダンジョンの空気を覚えなければ。

「そろそろ最深部だ。気を抜くなよ」

 このダンジョンは深くは無いが広い。細い分かれ道が沢山あるが、今回の目的は最深部へと辿り着く事。欲を掻き寄り道をして、無駄な戦闘を繰り返したことで一番の御宝を前に力尽きるよりも最短距離を行く。

 獣人がダンジョンに入る前に言った言葉は「残った財宝は後から来る者にくれてやれ」だった。その言の通りに彼は真っ直ぐに最深部へと向かう。

 打って変わって無言で進む一行の纏う雰囲気がぎゅっと濃くなる。進むほどに空気が重くなり、高まる緊張感に胸も呼吸も苦しい。

 いっその事早く終わって欲しいと願うほどにその時間が長く感じられた。

 洞窟の先にぽっかりと黒い口を開けている場所を目にして獣人がちらりと後方に目配せをする。ごくりと喉を動かして少女はそっと息を吸う。

 慎重に足を運んで入口から覗くとその中には暗闇で光る無数の目があり、ぎゃあぎゃあと煩く喚きながら蠢く気配があった。

 肌の色は黄色や橙色、赤色もいるが一番多いのは茶色がかったもの。小型だが前屈みの姿勢の悪い身体に旅人や冒険者から剥ぎ取った装備を着けている。持っている武器も手入れはされていないが、鈍色に輝く刃には動物の脂か、はたまた人の脂か血痕がべったりと付着しているのを見ればそれなりの威力があるのだと背中が粟立つ。尖った大きな耳に、口から覗く鋭い歯が醜悪な姿を奇怪にそして恐ろしく見せる。


 ゴブリンだ。


 しかも数が尋常じゃなく多い。五十強のゴブリンがなにかを奪い合っている声や、会話をしているのか始終声を上げていて耳が痛いほどだ。

 四人に対して五十ちょっとのゴブリンが相手。しかもこちらは小人が非戦闘員なので実質三人対五十。ゴブリン自体の強さは獣人やドワーフに比べれば格段に下で、数が十数体ならば問題は無い。

 しかし群れで遭遇すれば話は別だ。

「……どうする?」

 ドワーフはゴブリンの声に耳を塞ぎながら獣人に判断を仰ぐ。このパーティのリーダーは獣人だ。少女も緊張に満ちた顔で応えを待つ。

「引くか?」

 ここまで来てという気持ちがお互いの中にあるのは解っている。会話好きの小人は喋り出しそうになるのを必死で堪えて獣人をじっと見上げていた。

 眉間に手を当てて考えていた獣人の視線がふっと少女に向けられる。

「お前の知っている魔法の中で一番範囲が広く強力な物はなんだ?」

「…………“火球”です。でも」

「なんだ?」

「……実戦で使ったことは無くて、しかも範囲を広げても中にいるゴブリンの半分程ぐらいしか致命傷は与えられないと思います。それに魔法をかけた後、私はもう使い物にならなくなるかと」

 恐ろしい魔法だというのが少女の中での評価だ。呪文書を読み込み複雑な印と呪文詠唱を覚えた後、地下の修行場で師匠が見守る中初めて発動させた“火球”の魔法は、爆発の威力と炎と熱による打撃と風圧で立っているのがやっとだった。

 あれを実戦で使うとなるとやはり恐怖が先に立つ。

「半分も減らしてもらえるのなら助かる。例え使い物にならなくなろうとも、ちゃんと一緒にダンジョンから脱出させてやるから安心しろ」

 そう言われても少女の気持ちが軽くなる事は無かった。ぎゅっと杖を握り締めて言うか迷ったが、魔法を発動させた後で迷惑をかけてしまうのならば今言っておいた方がいい。

「上手くいく確率は六割です。しかも私は魔力が尽きて気を失います。それでも?」

 通常の範囲より広げながらも威力は維持したまま魔法を使用すれば、少女は残された魔力を根こそぎ取られその結果気を失ってしまう。戦闘の最中に意識の無い者を護りながら戦うなど足を引っ張られ思うように動けないはずだ。

 しかも成功率は六割しかない。

「六割もあれば十分だ。気を失ったとしても見捨てはしない」

「危険な賭けです……」

「勝ち目のある賭けじゃよ。わしは嬢ちゃんを信じる」

「そんな!範囲を狭めて三度呪文を使用した方がまだ可能性があります」

「本当にそう思うか?」

 獣人が静かな瞳で少女に問う。

 言葉に詰まり目を伏せた。

 そうすれば中のゴブリンは一斉に動きだし、四人に襲い掛かるだろう。その攻撃を避けながら更に二度も呪文を詠唱するのは難しい。

 乱戦になれば少女の“火球”の魔法は味方をも巻き込む恐れが高く、思うような働きをすることはできないはずだ。戦闘が長引けば数で負けているこちらが押され命を失う危険も高くなる。

 きっと獣人が言うように一か八かの勝負をする方が戦闘は楽になるのだ。

 獣人は正しい。

「解りました。でも、もし戦闘が激しくなって退却しなければならなくなった時、私を無理して助ける事はしないでください。私が未熟なせいで皆さんに迷惑が掛かるのは嫌なんです」

「ここまで嬢ちゃんの魔法に頼り切りな、わし等が迷惑など思うと思うのか?」

「私もこんな所で死にたくは無いです。全力を尽くして魔法をかけます。皆さんを信じているので魔法使いとしては不本意ですが安心して気を失わせていただきますから」

 だから約束して欲しい。

 強く請うとドワーフは困惑した顔で獣人を見つめ、視線を受けて獣人は一度だけ頷いた。

 しっかりと力強く。

「後の事はよろしくお願いします」

 頭を下げてから大きく息を吸い込むと心を落ち着かせる。急がずに慎重に呼吸を整えてマナを集めながら魔力を籠めた古代語のスペルを織り交ぜて行く。空中に魔法陣を描くように指と腕、そして杖を丁寧に動かす。

 体内の温度が上がり、体感温度も増していく。電流が肌の上を走るようにマナと魔力がピリピリと刺激を与えた。杖の先が仄かにマナの光りで輝き始め、肩にかかっていた茶色の髪がふわりと浮かぶ。

 その頃になると中のゴブリンが入口近くで渦巻く魔力に気付き、武器を手に立ち上がり叫び始めた。獣人の剣を持つ手に力が入り、肩の筋肉が盛り上がったのを横目で見て大丈夫だと安堵する。

 きっと後は彼らがなんとか道を切り開いてくれる。

 だから今は自分の成すべきことを信じて成せばいいのだ。

「“地を這え!蹂躙せよ!”」

 入口に押し寄せたゴブリンの醜い顔を睨みつけ、少女は杖を洞窟の中へ向けて振り下ろす。ゴブリンを薙ぎ倒しながら炎が迸り、肉の焼ける臭いと断末魔の悲鳴が木霊する。赤い炎が周囲を舐めながら円を描き対象をぐるりと取り囲んだかと思うと、少女の魔力を吸い上げて勢いよく弾けた。

 風圧と熱を感じよろめいたが何とか踏み止まる。

 まだだ。

 詠唱を続けなければ。

「“全てを燃やせ!爆ぜよ!火球ファイアボール!”」

 体内が軋みを上げて悲鳴を上げた。内側をひり付かせながら魔力の一滴まで搾り取られて行くのが解る。杖を持っているのが辛く、膝が落ちた。そっと小さな手が少女の腰を支えてくれる。

「あとは俺っち達に任せてゆっくり休みなよ」

 労わる声は優しくて。

 少女は力ない笑みを浮かべながらその手の中に頽れた。




 ゆらゆら、ゆらゆら。

 心地いい揺らぎの中で少女の意識はぽかりと浮かぶ。汗の臭いと少し獣臭い体臭を嗅ぎながら自分が今何処にいるのか解らずに身じろぎをする。だが身体の前を覆う温かく硬い感触が「起きたか?」という声と共に動いたので、漸く自分が獣人に背負われているのだと気づいた。

「うわっ!すみません。私」

「もう少し寝ててよかったのにさ。直ぐ村に着くし」

 獣人の背にいるせいで小人族の声は随分下から聞こえてくる。クスクス笑う陽気な声からきっと顔も楽しげな笑顔が浮かんでいるのだろう。

 言われてみて始めてダンジョン内の籠った空気では無く、自然の匂いがたっぷり含まれた空気を吸っている事に気づき苦笑する。

「あの……あの後どうなったんですか?」

 気を失って正気を取り戻したら村へと帰っている途中なのだから、ダンジョン攻略が無事に成功したのか失敗だったのかが一番気になる事だった。

「無事到達したわい。奥にはゴーレムがおっての!わしの雄姿を見せられなんだのは残念じゃったな」

 ドワーフが自慢げに語ると小人が「ドワーフのおっちゃんだけが活躍したわけじゃない癖に~」と茶々を入れる。

「ゴーレムが……すみません。それなのに私、お役に立てなくて」

 暢気に気を失っていたのかと思うと恥ずかしいやら、心苦しいやらでがっくりくる。

 しがみ付いている背中が小刻みに揺れたので獣人が笑ったようだ。

「ゴブリンの殆どを始末しておきながら、役に立てなかったとはな」

「あ。私半分ぐらいは倒せましたか?」

「半分どころか!おっちゃんらが相手にしたの十体ぐらいじゃなかったかな?」

「お陰でゴーレムと戦うのが楽じゃったわ」

「そんな!私の魔力とレベルで四十のゴブリンを倒せるはずが」

 ない。

 きっと可哀相だと思って慰めてくれているのだ。

「前向きなくせに、自分の事過小評価してんだもんな~」

「過小評価はしてません。自分の力量を知っていなければ成長できないし、危険を危険だと認識できないんですから」

「確かにの」

 村の入り口に差し掛かった所で獣人が少女を下してくれた。脚に力が入らないが歩けないわけでは無い。ダンジョンからこの村まで結構な距離がある。その間ずっと背負ってくれていた事への礼を言うと、腰に差していた獣人の物ではない剣を引き抜いて渡された。

「あの……これは?」

 獣人は元々自分の剣しか腰に帯びていなかった。そしてドワーフも小人も目の前の剣を持ってもいなかったので、残る可能性としては最深部かその前のゴブリンの居た場所で手に入れた剣だろう。

 何故それを少女に……。

「言ったはずだ。剣を教えると」

「はい……確かに」

 ダンジョンで手に入れる武器や防具はそれだけで貴重で、市販されている同じ種類の剣に比べて威力も高い。見た所差し出されている剣にも魔力を感じるので、何らかの魔法がかけられた魔法剣であることは明白だ。

 そんな高価で価値のある剣を少女に譲るなど、なんの為にダンジョンへと入ったのか解らなくなる。

「今は体力を回復させて山に帰れ。数日したら行く」

「いや、そのことじゃなくこれは……」

「受け取れ。わし等はいつも一番の功労者に一番の財宝を渡す事に決めておるんじゃ」

「ええ!それなら余計に私は受け取れません」

「俺達は他に古代遺跡の場所を示す古文書と地図を手に入れた。そこへ行けば今回よりもずっといい財宝を手に入れられる。気にするな」

 失われし古代の魔法アイテムが眠る古代遺跡には多くの冒険者たちの夢と憧れが詰まっている。確かにこの剣に比べれば価値のある物を彼らは手に入れたと言えた。

 じっと見ていても獣人の腕はぴくりとも動かず、少女が受け取るまで引かないだろう。

「……解りました。ありがたく頂きます」

 おとなしく受け取ると獣人が牙を見せて笑った。

「俺っちたちは古文書解析と財宝の換金に大きな街へ行くから、あんたはゆっくり体を休めてから帰りなよ?」

「はい。気を付けて」

 大きな街はここから西に一日ほど進んだ場所にある。彼等は休まずに先へと進むとは流石冒険者だ。

「じゃあまたの」

「はい」

 旅立っていく彼らの後ろ姿を見送って少女は大きな欠伸をひとつ。

 東の空は白みがかっているのに眠気は最高潮と来ている。のろのろと足を動かして村の中に入ると、一軒しかない宿屋へと向かって朦朧としながら向かった。


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