番外編☆浄化~青い星の聖女~
小さな、小さな村だった。神殿からの命令でこの村の浄化をしにやってきた少女を迎えた村長が「またか」と呟いたのを聞きつけて首を傾げると慌てて愛想笑いを浮かべて言い訳を始めた。
「いやね。この間魔法使いを雇ったのですが、それがまた小さな女の子で……。神殿から来ていただいた貴女も若い娘さんだったのでつい」
「気になさらないで下さい」
苦笑しながら少女は案内されて村の中を進んで行く。本当に小さな村なので、すぐに村を外れ畑へと続く丘への道へ出る。今年十五歳になった少女は神殿の別の命令で旅に出ていた。本当ならこんなことをしている暇は無いはずなのに……。
「たまたま近くにいたからってそりゃないよね」
ため息と共にこぼされた愚痴を耳聡く拾って村長が振り返った。すぐに口を噤んでえへへと笑って誤魔化す。
「所でなにがあったんですか?魔法使いを呼んだというと」
浄化して欲しいという時点で事態は複雑だ。普通なら畑を浄化する必要はない。頼まれるなら豊穣の祈願ぐらいだ。浄化は土地の中にある不浄の物を清め払う儀式。程度によるが殆どが一度では終わらないし、高額の儀式のひとつでもある。
なにかあったと思うのが普通だ。
「いや……魔獣が出ていたと」
「魔獣!?」
村長の口から出た言葉に耳を疑う。魔獣などめったなことでは地上に現れない。それがこの小さな村に現れたというのだ。これは相当悪しき力が流れだし、世界を覆い隠そうとしているように思われる。
急がなければならない。
本当にこんなことをしている場合ではないのだと思い知らされる。
「でもあんな子供に退治できたぐらいですから、きっと魔獣なんて大袈裟な物ではなかったのだと思いますよ」
「退治!?本当に?」
「えっと……いや。はぁ」
村長自身もその魔獣とやらを見たわけではないし、退治する所を見届けたわけでもないのだろう。だからはっきりとした答えを返すことができないようだ。
「すごい!その魔法使いって幾つぐらいの子だったんですか?」
「確か十二かそこらだって言ってました」
「十二歳!?ほわぁ……」
「有名な魔法使いを呼んだはずが、その弟子が来てしまって。どうなることかと思っていたんですが、その後被害が出なくなったので良かったですが。その報酬として出すはずだった金額の半分を神官を呼ぶ費用の足しにして欲しいと置いていったので、やっぱり猪かなにかだったんですよ」
魔獣など現れるわけが無いと肩頬で笑い、村長は肩を竦めた。だが丘を登りながら肌が泡立ち始めた少女は表情を引き締める。足早に進み頂上に立つと驚愕して畑を見下ろした。
丘の上に立っているのに禍々しい気配が畑に漂いその向こうにある山をも汚染しているのが解る。鼻の奥には植物の腐った臭いが入り込み、土の下に流れている穣る力も汚れた無残な姿が眼下に広がっていた。辛うじて残った麦もなんとか太陽の力を借りて育っている。それでも弱々しく今にも枯れてしまいそうだった。
「酷い……これはちょっと」
丘を下る気にさえなれない。どうしようかと思案して少女はひとつの提案をさせてもらった。この畑を浄化するのは一日や一年では無理だ。畑を耕して生活している小さな村が何年も収穫できないというのは飢えて死ねというも同然である。
「もしよければ丘のこちら側を畑にしませんか?もちろん畑の浄化はさせていただきます。でも簡単には元通りというわけにはいきませんし、その間食べるのに必要な分だけでも収穫できるように豊穣の祈願もしますし」
「……丘のこちら側を、ですか?」
村道が通っている野原を見つめ村長は狼狽える。所々に木が立っているので畑にするには相当の時間と労力が必要だった。
「それは無理ですな。畑には愛着がありますから村人も賛成はしてくれないでしょう。それにそのために貴女を呼んだんですから、浄化をしてください」
少女は提案を却下されてこっそりと嘆息する。金を払うのだから言った通りにして欲しい。浄化が難しいというが、その力が無いから言い訳として別の土地を畑にしろと言っているのではないかという疑いの目を隠しもしない。
「……理不尽だなぁ」
でもそれが世の中だと少女は肌で感じている。道理に合わないことがまかり通っている時点でこの世界は破局へと向かっているというのに……。神の教えは人々の耳を通り抜け、奇跡を起こせる力は失われていく一方。
「……解りました。村長さんがそう仰るのでしたらその通りに」
頷いて少女は背中に背負っていた荷物を下し、腰に下げてた革の水袋を取った。固く栓をしていたコルクを外して、丘の上から畑の上空へ中の聖水を撒き散らす。神の名を呼び十字を切った後で祈りの言葉を連ねる。神聖な言葉は常人には理解できないものだ。村長は半ば半信半疑で少女を見ている。
聖水がキラキラと輝きながらゆっくりと畑へと降り注ぐ。太陽の光も雲の隙間から大地を照らし浄化の手助けをしてくれる。漂っていた禍々しい気配が少しだけ和らいだ。
「さてと……」
もう一度荷物を担いで少女は丘を下る。その後に村長も続いて下りてきた。
「でも……まだ残ってる」
聖水の力でも全てを取り除くことはできなかった。むっとするほどの汚れた空気と、妙に冷たい寒さがそこに存在している。腕を擦りながら辺りを見渡し、その原因を探る。
首を巡らして生き残った麦の周囲を見た時、魔法が使われた痕跡を感じた。大体二メートルから三メートルぐらいの大きさで円形に魔力の源が他の場所より消失している。その中心に近い辺り。
「あった」
走り寄って少女は眉を寄せる。赤黒い血が地に落ち、その周囲が焼け焦げたように黒く炭化している。水袋をその上に零すとじゅっと音を立てて湯気が上がった。同時に黒い炎のような揺らめきが抵抗するように立ち昇る。
まるで生きているように。
「往生際の悪い魔獣だなぁ」
手を合わせて祈ると掌との間に聖なる光が膨らんでくる。それをぎゅっと握りしめて力を凝縮させ右手に掴むと黒い炎の中に躊躇わずに突っ込む。熱さは無い。嫌がるように炎は踊るように身を捩るが、徐々に弱まり少女がその汚れた血の上に手を重ねると仄かな光と暖かな空気が弾けた。
「よっし」
手を退けるとそこにあったはずの血の痕が消えていた。更にその上に水袋の中の聖水全部を注ぎ込んでから次の作業へとかかった。
荷物の中から聖書を取りだし、魔力の源が失われた場所の中心に置く。
「多分魔法陣を使ったんだろうなぁ。十二歳の子なのにこんなことできるんだぁ」
感心しながら魔法陣の書いてあっただろう場所をゆっくりとした足取りで辿る。その間に神への祈りを唱えながら。
源の減りが均等で安定しているのは魔法の質と完成度が高いことを意味している。大体若い使い手は何も考えずに乱暴に源を使い、その土地の均衡を崩してしまう。後先を考えない者が多い中で、その十二歳の魔法使いは丁寧に源を集め自然を壊さないように使用している。
一周し終わって少女は両の手をぱんっと叩いて合わせその場に膝をつく。前日に降った雨のせいで地面はしっとりと水気を含んでいた。
「その慈悲深き御心で正しき状態へと御導き下さい。比類なき御力を以てこの土地を清めたまえ。皆がその御力を讃え、慈悲深き御心に感謝し、永遠の誓いとして御名を尊びましょう。奇跡を御与え下さい。この哀れな土地を御助け下さいませ」
少女が腕を広げて空へと突き出すと、閉じていた聖書が風も無いのに開きパラパラとページを捲っていく。曇っていた空が瞬く間に晴れ、優しい光を投げかけた。ふわりと芳しい土の匂いが舞い上がる。弱っていた麦が目を見張るほど生き生きと伸び、麦の穂が大きく膨らんでいく。
「すごい!これは……本物だ!」
信じがたいほどの奇跡に村長は腰を抜かした。へたへたと地面に座り込み少女の神々しい後ろ姿を必死に拝み始める。
「ふぅ。えっとどうします?豊穣の儀もやっときますか……ってあれれ?」
振り返って見ると恐縮しきった村長が深々と頭を下げている。立ち上がり膝に着いた泥を叩き落としてから近づき「村長さん?」と声をかけるが頭髪の薄くなった額を地に押し付けて謝っている。
「お許しください。お許しください、お許しください……」
「お許しくださいってなにをですか?」
「……ご無礼を、です」
「ご無礼って。よく解らないんですけど、とにかく頭を上げて豊穣の儀をどうするかの相談に乗ってくださいよ」
「豊穣の儀でもなんでも好きにしてください。というか是非!」
急な態度の変化に戸惑いながらも少女は「では」と豊穣の儀の準備に取りかかる。まずは畑に残っていた麦の束を掴んで短剣で刈り取る。次に丘を駆け上り落ちている木々を拾うが昨日の雨で湿気っていた。それでも仕方なく集めて戻り、焚火をする要領で木を組んで置き、あとは用意していた芋や人参などの野菜類を麦と共に供えた。
「問題は火が点くかだなぁ」
少し悩んで懐から聖油が入った小瓶を取りだし薪の上に垂らす。そして魔力の宿った小さな石を落とすと勢いよく燃え上がった。
「では豊穣の儀を始めさせていただきます」
高らかに宣言すると有難そうに手を合わせて村長が「お願いします」と頷く。少女もしっかりと頷いて応え、炎を見つめて精神を集中させる。微かに風が吹いて少女の顎の下で切りそろえられた髪が揺れた。緑の瞳は真っ直ぐに真紅の炎を見つめ、まだ幼さを残す柔らかな頬の線と意外にふっくらと魅力的な唇が緊張している。
「大地の女神エルチュラに繁栄と豊穣を願い奉ります。懐深き母なる神の優しき腕に抱かれしこの地に愛を与えたまえ。生命紡ぐ作物の豊作と恵みを下さいますよう。そして見渡す限りの麦の穂を実らせたまえ。大地に根付く者たちに愛と慈しみを……」
少女が大きく十字を切り、首から下げていたロザリオをぎゅっと握る。信仰心が揺るがないように。
そしてこの村の人々の幸福を心から願って。
「我は至高神ティルスの使徒なり。共に手を取り神の道から注がれることを信じ祈ります。この世界が喜びに満ち溢れ豊かになりますように」
地に跪き頭を下げて額を当て祈り、最後に地面に親愛の証として口づけた。顔を上げて手を胸元で組み聖歌を歌う。その澄んだ歌声は空気を震わせ草木すらも優しく揺らした。
いつまでも……。




