新人類たちの休息 2
とりあえず、私たちは顧問からの指示を待つしかないのだ。
あらゆる仮説を論じても、今の限られた情報では断定しようがない。
仕事する気がこれっぽっちもない先輩は別として、私は祥悟さんやユキハルさんとそれなりに談笑しつつ、たまに、熱烈なアプローチを貰いつつそして流しつつ、デザートでも注文しようかという話になった。
ところがそこで、ファミレスのチャイムが店内に鳴り渡り、一人の女子高生が入店してきた。深山高校の制服で、緑色のタータンチェック模様のプリーツスカートが揺れている。
ちなみに祥悟さんたちのズボンも同じ柄で、ブレザーは深みのある焦げ茶色だ。祥悟さんのように組み合わせでアレンジを加えても、ユキハルさんのように基本しっかり着用してネクタイだけ緩めても大変シャレオツで、同様に女子の制服も人気が高い。
それに比べて桜沢ときたら……都会の只中にありながら制服デザインはシンプルで、その分様々なスタイルで個性を主張することはできるが少し物足りなさも感じる。まー、大体はカーディガン一枚で乗り切るんだけど。
あぁ、いいなぁ、なんて入店した彼女を眺めていたら。
……あれ。こっちに来た?
「治樹センパーイ!! たっだいまー!!」
「お、きたきた。よー、おつかれさーん」
ユキハルさんが席を立ち、彼女を手招きする。
ひょこひょこと足早にやってきた女子高生は、テーブルの前で止まりなぜか敬礼。その仕草で黒のショートヘアがふわりと頬をくすぐる。首にかけているのは大振りのヘッドフォンで、どうやら音楽プレイヤーを携帯しているようだった。
私は同年代の女子の中でも平均的な体格をしているけれど、彼女は少し小柄なほうではないだろうか。先輩やユキハルさんが高身長であるせいか、その差が余計浮き彫りになる。快活な表情や動きが小動物めいているのも実に可愛らしい。愛嬌、という言葉を全身で余さず体現している人である。
「湊由子、アルバイトから帰還しましたっ!!」
「はいよ、まぁ座れ座れ」
「はーいお邪魔しま……んんんんんッ!?」
壁際に並んでいたユキハルさんたちの横に滑り込んだ彼女は、なぜか私を凝視している。
そしてこれまたなぜか……ガタガタと震え始めた。恐怖、ではないようだが。
「あ、あの……ユキハルさんのお知り合いですか?」
「おう、まぁな」
「えっと……茅ヶ崎ナノです。初めまして」
最初が肝心。私は微笑みながら会釈する。
すると彼女はたちまち笑顔を咲かせて、快活に挨拶を返してくれた。
「初めましてー! 湊由子といいます! っていうか、美人さん、可愛い!!」
「……え」
「ちょ、も、マジ可愛いんですが!! 先輩なんですかこの子、ホント可愛い!!」
……盛り上がっている。どうしてだろう、無条件で褒め称えられている。
「やーなんか生きててスミマセンほんと申し訳ないですこんなに可愛い女子がいるのにワタシなんかが同席しちゃって場違い勘違い甚だしいっていうか」
「いや、あの……そんなことは……」
「可愛いだろ、オレのワイフ」
「祥ちゃんには聞いてねーよバーカバーカ」
「ンだとコラ!!」
祥悟さんへのツッコミは我が先輩並みに手厳しい。
「あのあのあの、ナノちゃんって呼んでもいいですかね……!?」
「え? あ、はい、好きに呼んでくださ──」
「ナノちゃんかわいーよー!! その女子力分けてー!!」
テーブルさえなければ抱きつきそうな勢いで悶絶している。その様相は初対面の祥悟さんに匹敵するインパクトがあったが、言い換えれば、近頃人間性の濃すぎる面々に囲まれ続けているせいなのかこの程度で気後れすることはなくなった。日々成長している。
熱い抱擁……はさすがに遠慮したのか、小振りの手を差し出してくれたので私もおずおずと握り返した。
「ナノちゃんも美化委員なの?」
「あ……」
訊ねられ、答えに詰まった。
美化委員、MIだと知られてしまうことに躊躇したためだ。
けれど、私の不安をすぐさま察した祥悟さんが笑いながらフォローを入れてくれた。
「由子はオレたちがMIだって知っててつるんでるヤツだから、問題ねーよ」
「……そう、ですか。はい、一応、北高の美化委員やってます」
「そっかぁ。じゃあ涼君と一緒なのかぁ、苦労してそーだねー」
「……あれ、先輩もお知り合い……?」
親しげな呼称。私が問うと、先輩は大きな欠伸をしながら首肯する。
「湊さんは、ユキハルさんのカノジョだよ」
……はい!?
口をあんぐりと開けて二人を見ると、由子さんは謎のドヤ顔でお冷を飲んでいた。ユキハルさんはさすが年長者というか(それほど年も離れてないけど)落ち着いた物腰でメニューを読み漁っている。パネル型のメニュー表を指先でスライドさせて。
か、カノジョ……本物のリア充だと……!?
急に彼らに後光が差しているような錯覚を覚え、眩暈がした。
くらくらと大袈裟なほど横揺れしている私はさておき、由子さんが先輩にも軽めの挨拶をする。
「涼君もこんにちはー」
「どーも」
「なんか打ち合わせ? してたんだよね? 邪魔してごめんねー。バイト先が桜沢だからさ、治樹先輩が合流していいって言うから来ちゃいましたよ、ふふん」
ここでまたドヤ顔である。
と、いうことはつまり、彼女は私たちの職務をある程度理解しているのか。
「美化委員の仕事内容はさすがに教えてもらえないからよくわからないけどね。お掃除と、たまに喧嘩して怪我するときもあるってくらいは把握してんの」
「喧嘩……まぁ、喧嘩といえば喧嘩、なような……」
先日のタワーの一件は喧嘩の範疇を大きく逸脱しているような気はするが……。
ちょっと、いやかなり、相当。ざっくりとした認識をしているらしい。それはある意味、MIに関するもろもろの情報開示を第一の禁則事項とするこちら側にとっては、ありがたい身の引き方には違いない。無知ではなく、知りすぎもせず。随所で語り尽くされるMIへの偏見は彼女の耳にも当然入っている筈なのに、それよりもまず人間性を見ているのだろう。
「じゃあ、由子さんはMIではないんですね」
「もち! 私はただの一般人で、海が大好きな勤労女子高生っす!」
……一般人。
自分で問いかけておきながら返ってきた答えに、胸中がどろりと澱むのを感じた。
美化委員は、いや、MIとして覚醒してしまえば、私たちは最早普通の人間とは一線を画す。それは特別なようでありながら、ただ腫れ物に触るような異物扱いと同意であって、どんなになりすましていてもやはり平穏な暮らしとは肌が合わない。
……うん。私は、その辺の適応力はある方だと自負している。
世間からの風当たりが強いMIは、あまり歓迎される存在ではない。だから程よく『普通』に紛れ込み、目立たないようにひっそり息をする。対人関係は良好、自己主張も適度に。女子高生という皮を被ってそれなりに上手く暮らしているつもりだ。
──考えても埒が明かない。
ないものねだりなんてするもんじゃない。
小さく頭を振ったら、先輩がこちらを見ていた。前髪の隙間から注がれるその眼差しが何を意図しているのかよくわからない。けれど、罰が悪い気分にはさせられた。「自分で飛び込んだ世界だろ」と言外で責められているようだった。
……違う。先輩はそんな手間をかけるような人間ではない。
これは羨望。一度切り捨てた世界に間近で触れて、自分勝手に妬んで被害妄想に駆られているだけ。彼の視線の意味は判然としないが、少なくとも私は今の私を恥じるべきだ。
ごめんなさい先輩、疑ってしまった。
顔を背けて居心地の悪さに蓋をしていると、正面では追加注文の相談が進行中だった。
「なぁ由子、これ注文してみようぜ」
同じようにメニュー表をいじっていた祥悟さんが、デザートのページにこれでもかという大きさで掲載されているスペシャルメニューを指差していた。それはこの時期限定のチョコレートパフェの特集なんだけど……いや、ちょっと待て祥悟さん。
「えー? 祥ちゃんこの前後半でリタイアしたじゃんかー」
「今日はイケる、今日ならイケる! なぜなら涼太郎がいる!!」
「俺をアテにするなよ……」
祥悟さんが熱望しているデザートは、その……このファミリーレストランが無敗を誇る特大ジャンボパフェ。その名も丼衛門。
別に丼に盛られているわけではない。かえって器が丼ならマシな部類ではあっただろう。
器は丼ではなく、バケツ。清掃用具などで使用されているあのバケツだ。
アレの中に隙間なく生クリームが詰め込まれているだけに留まらず、さらに雄々しい巨岳をモデルにしたような盛り上がりっぷりでフルーツが乗せられているのだ。あれは絶対に人間の食べるもんじゃない……メニュー見てるだけで嘔吐きそうだ……。
しかし、甘いものが大の苦手な私とは違い、祥悟さんや由子さん、先輩までもが食べる気満々といった様子で話し合っているではないか。マジでやるのか、マジで。
ついでながらこの丼衛門、制限時間内に完食するとその日頼んだ注文は全て無料になるという特典付きである。挑戦者に与えられる時間は、表記では三十分。
……無理だ。死ぬ。
「まーほっとけほっとけ。由子は金欠だし、祥は甘党だから大体ファミレスか喫茶店じゃこういう展開になるんだわ。そして涼は頭数にされるっていう、いつものパターンな」
「ユキハルさん……私、実物見たら吐きそうなんですけど……」
「俺たちはコーヒーおかわりして見物してようぜ。面白いぞ、多分」
顔面蒼白になった私を励ますように、二人分のコーヒーをメニューパネルで注文するユキハルさん。この人はこんなにも大人びた風格だというのに、他の三人ときたら……。
でも、彼らの士気を無下にへし折る必要もないだろう。
私は諦念を抱きつつ、戦場の傍観者に徹した。
……人間、好物は別腹というけれど。
「いくら甘党だからって倒れるまで頑張らなくても……」
「いい加減もうちょい上手に食べろよなー……」
ユキハルさんに背負われている祥悟さんを眺めながら、先輩が呆れ果てた口調で言う。
かくいう先輩は、甘党というのは本当だったようで、由子さんに託された分量をきっちりと食してしかもケロっとしているから末恐ろしい。由子さんだって私より小柄なのに三分の一はたいらげて、やっぱり元気に笑っている。別腹って怖い。
途中で祥悟さんは失神してしまったけれど、それでも完食には貢献してくれたおかげで本日のお支払いは帳消しにしていただけた。美化委員として働くようになってから生活は潤っているけれど、節約の癖が抜けていないからか財布は常時軽い。あそこのファミレス、美味しいけど高いし。大変ありがたいイベントでした、ゴチになりました。
店を出た私たちは桜沢でも特に活気がある駅前通りを歩いた。数多のファッションビルが軒を連ね、カラーホログラムの看板が賑やかに浮かんでいる。スクランブル交差点では大勢の人々が行き交い、信号が青に変われば最新鋭の電気自動車が道路を横断していく。
「じゃ、俺たちはそろそろ帰るわ。邪魔したな」
前方を歩いていたユキハルさんが、祥悟さんをおぶったまま振り返りそう言った。
「あ、はい! わざわざありがとうございました!」
「続報があれば涼に連絡入れるから、そっちも何かあれば知らせてくれ」
「わかりました」
先輩は私たちより少し距離を取って、後方でぼんやり佇んでいる。
この男は本当に……アテにしていいのかどうなのか、よくわからない人だ。
「どんえもんが……どんえもんが来る……ヤツが来る……ッ!!」
「うなされるくらいなら食うなって」
ユキハルさんがけらけら笑っている。男一人担ぐのなんて朝飯前とでも言うように。
つられて笑っていると、由子さんが私の手を引いた。
「ナノちゃんナノちゃん! 今度ゆっくりおデートしませんか!!」
「お、おデート……?」
「うん! 仕事の話とか一切ナシで、女子会しよー!」
「ぬけがけすんな由子ぉ……」
「うわ、寝言でソレかい祥ちゃん……執念って怖」
私は苦笑した。
なるほど、由子さんはMIに対する偏見がないから、含むものがないのだ。そもそもユキハルさんが選んだ女の子なんだから、裏のありそうな人間だとは思えない。ただ私が勝手に、相手が一般人だからと線引きをしてしまっているだけなのだ。
……いいな、と思ってしまう自分が、やはり居る。
「じゃあ、近いうちに。都合が合えば」
「え!? いいの!?」
「はい、私で良ければデートしてください!」
内側で燻る想いを今は見逃して、できる限りの笑顔で頷いた。
由子さんは「約束ねー!!」と手をぶんぶん振りながら駆けて行く。その後をユキハルさんが追いかけ、やがて二人は隣り合って駅方面へと消えていった。人ごみに紛れて見えなくなるまで、私は手を振り続けた。
「やっと行った……」
いつの間にか、先輩が私の横に立っていた。
仰ぐと、表情は少し冴えない。いや、いつもこんな顔をしていると言えばしているけれど。
「先輩は、祥悟さんの仮説についてどう思います?」
店内では彼の居眠りが原因で聞きそびれてしまったが、今なら大丈夫だろう。
質問してみると、彼は悩む素振りはまったく見せず即答した。
「ただの憶測」
「……ですよねぇ」
示し合わせたわけでもなく同時に歩き出す。数歩先を、先輩が行く。
「でも可能性はある。アレ以外の仮説が思いつくかって言われたら今んトコ浮かばない。あの場に乱雑してたハイプや不良たちの暴走を考えたら……アノマリーが偶然出現したっていうのも、さすがに無理がある」
「では、任務続行の意味とはずばり?」
「……行政局は既に何か手がかりを掴んでて、それが俺らじゃなきゃこなせない内容」
私は歩きながらうんざりと溜息を吐く。
行政局の秘密主義は今に始まったことではないけれど、現場に投入される私たちへの配慮が足りていないのではないか。いっそ秘匿せずに露見してしまえば早いのだ。憶測がそのまま真実であれば、危険な薬物が世間で出回っていることになるのだから。
「また、ああいった現場があるんですかね」
ぽつり。つい、こぼれる心。
嫌かと問われれば勿論嫌だ。好きになれるわけがない。
先輩は何も言ってくれなかった。
けれど立ち止まった私がまた歩き出すまで、その背中は待ち続けてくれていた。